いよいよ、一気に稲を刈っていきます。
 今年も宮城は豊作に恵まれました。いよいよ、稲刈りの季節を迎えます。
 稲は刈り取っただけでは保存ができません。米のよい点は保存が利くことですが、保存できるようにするためには、乾燥させなければなりません。この乾燥が不十分だと、冬の間に湿度のために萌えだして、腐ってしまいます。
 そこで、刈り取った稲を脱穀する前に乾燥します。今でこそ、ガスによる人口乾燥ですが、当時は天日を用いての乾燥です。
 稲わらを生活用具に使う場合は、色合いを保つために泥に埋めてから干しました。そうすると、鮮やかな緑色が保たれました。い草と同じ方法です。今でこそ、機械化が進み、コンバインで稲刈りと脱穀を一度に済ませていましたが、20年ほど前までは、はさによるもみの自然乾燥が一般的でした。1980年代頃の様子を紹介しましょう。
 はさ杭を地面にさして、稲束を架けていきます。地面が固くないと倒れやすいので、杭で支えたり、旧宮城町のように、稲わらで足をつけることもあります。
                    (大倉地区)
左はじに見える建物が旧宮城町役場。正面奥が大東岳。
20年前の宮城町
     刈り取った稲は束ねたまま、地干ししておきます。蕃山の麓に広げられた稲束。比較的高台のこの田では、地干しも可能です。
                     (栗生地区)
倒伏した稲を竿で持ち上げます。竿の先のわらは眼をつつかないようにするためです。
竿とクイを組んではさかけをつくっていきます。 杭に竹竿を渡して、稲束を架けていきます。下が二つのものやひとつのものがあります。
 地面に広げないので表も裏も乾燥できます。頃合いをみては、架け替えます。 
 この方法だと、地面が柔らかくてもはさ架けができます。
                (赤坂地区)
 はさ架けの向こうに岩山が見える。
広瀬川の北、赤坂地区は戦後入植した地区です。水はけがよく、写真のような地干しが行われていました。