オイディプスの罪 前編

ティーダは家に帰ってきた。
オフシーズンとはいえ、プロのプリッツボールの選手としてハードな練習をこなしての帰宅だった。

「ただ今」と声をかけて部屋の中へ入る。
暗い室内。
静かな空気が部屋の中に溢れている。
声をかけても返ってこない。
この家で一緒に暮らしている同居人は、今日は遅くなるとティーダに言って出かけたのだった。
同居人……彼の父親のジェクトだ。
スピラというティーダの知らない世界で彼は変わり果てた父親の姿を見た。
人々に恐れられ、恐怖の対象となっていた父、ジェクト。
その彼を討つために、アーロンによってザナルカンドからスピラへと呼ばれたティーダは自分の物語を全うした。

そして自分の存在は消えたはずだった。
消えると思っていた。
だが、今自分は再びここにザナルカンドで暮らしている。
いや……正しくは前とまったく同じとはいえなかった。
ここのザナルカンドにはいなかったはずのブラスカやジェクト、幼い自分を見守ってくれたアーロンもいた。
一緒に消えた…異界にいると思ったのに。

ここは異界なのだろうか?
それともザナルカンドに戻った?
最初、ティーダは何が何だか分からなかった。
何故、自分がここにいるのか。
これはまだ夢の続きなのだろうか?
分からないなりに、今こうしてここでザナルカンドで暮らしていたように生きている自分がいた。
昔と同じ家に住み、同じようにブリッツをして、見知った仲間達と共に。
いや…すべてが同じという訳ではなかった。

幼い自分を見守ってくれたアーロンは今は一緒には暮らしてはおらず、ティーダの家から歩いて数分足らずのところに家を借りてブラスカと共に住んでいた。
この家にはティーダとジェクトの二人で暮らしている。
最初はアーロンも一緒にと思ったティーダだったが、親子の関係を最初からやり直したらいい…というアーロンの助言もあって、なんとなくジェクトと二人で住むことになっていた。
十年という長い時、失われていた親子の時間。
嫌っていた父。
シンとなって、変わり果てた父と対峙して、こだわりとか色んな物を抱え込みながらも物語の終わりも見届けた。
そしてもう一度最初からジェクトという存在を自分の中に受け入れようとした。
多分、それはジェクトも同じではなかったのではないかと思う。
彼もティーダと二人で暮らすことを望んでいたのだから。
お互いがお互いを認めあい、歩み寄っていけると思っていた。
当初は確かにそうだったはず。
でも今の自分達は………。
ここでティーダはフッとため息をつき、持っていた鞄を床に放り投げ、側のソファに腰を下ろし、そのまま横たわる。
 
疲れていた。
この疲れは練習のせいだけではなかったから。
ティーダは夕べ、ジェクトに抱かれた。 
いったん掛け違えたボタンは掛け違ったまま、今に至っているように思えた。 
実の親とベットを共にする。
何故こんなことになってしまったのか、ティーダは自分で自分が分からなかった。
ジェクトを自分の父親として愛していると思っていた。
けれどあの強い眼差しに絡め取られ、いつのまにか離れられなくなっていた。
好きだと…お前が欲しいとジェクトに求められ、彼の腕を受け入れてしまったのはティーダ。
ジェクトに抱かれることに逡巡しなかったわけではなかった。
仮にも血の繋がった実の父親なのだから。
たとえ十年の間会うこともなく、肉親としての記憶が薄かったとしてもだ。
近親相姦…その言葉の持つ意味の深さと重さを知らないわけではなかった。
 
それでもジェクトの胸の中は暖かかった。
彼に抱かれ、悶える自分がいる。
腰を持ち上げられ、ジェクト自身を突き入れられるときの痛みと苦しさ。それでも痛みを通り過ぎた後の圧倒的な快感は、今まで味わったことのない充足感をティーダに与えてくれる。
血がたぎるくらいの快感。
息が詰まり、頭の中が真っ白になって、何も考えられなくなり、ジェクトの背中に爪をたてて彼に強く抱きしめられる時の満足感は何ものにも代えがたかった。
 
当たり前の親子として過ごせなかった自分達は、失った時間を肌を合わせることでしか埋められなかったのかも知れない。
より深い繋がりを求めた末の結果なのか。
のばされた腕をティーダは拒まなかった。
ジェクトに抱かれることを自分から進んで選んだのかも知れない。彼の熱い腕と胸を求めたのか。
 
ふと、顔を横に向ける。
ジェクトが脱ぎ捨てたらしいシャツが、無造作に床に脱ぎ散らかされていた。
何となくおかしくなる。
ジェクトらしくて。
朝、出かけにジェクトは言ったのだった。「今日は雑誌の取材が連続してあるけど、遅くならねーで帰るからよ」と。
食事は取らないで帰ってくるから、戻ったら一緒に夕飯を取ろうと彼は言った。
それを告げたついでにティーダの腰を抱き寄せ、口づけを交わしながらのことではあったのだけれど。
「…エロ親父め」
そこまで思い出してティーダは苦笑する。
とにかくジェクトは夕飯を食べないで帰ってくると言っていた。
多少なりとも食事の支度はしておいた方がいいだろう。
ソファになついている体を起こすのはしんどかったが、反動をつけて起きあがる。 ティーダ自身、練習が終わった後で軽くシャワーを浴びただけで何も食べずにきたものだから、お腹が空いていたのは事実だった。
「何か作るか…」と、誰に言うともなく呟きソファから立ち上がりかけたそのとき、玄関のドアチャイムが凄まじい勢いで押されていた。
壊れるのではないのかと思えるくらいの押し方。
キッチンに向かいかけていた足が驚いて止まるくらいに。
チャイムの押し方に焦りさえ覚える。
その音に急かされるように足を戻し、玄関の方へ向かう。
「はい、どなたっスか?」
声をかけながらドアロックを外した瞬間、もの凄い勢いでドアが開かれた。
「ジェクト、いるんでしょう?」
そこには…白い宝石が立っていた。
ストンとしたまっすぐなラインのドレス。ウェストラインに切り替えのない、長めのキャミソールのようなデザインを身にまとっている。ラインストーンやスパンコール、おそらくは本物の宝石を使っているのではないのかと思われるくらいのゴージャスなドレス。そして形の良い頭にそって被せられている帽子のようなものも、これまたラインストーンやラスモンドを使ってキラキラと光り輝いている。
全体的にクラシックな装いなのだが、彼女の有り余る美貌がこの華美なまでな派手さの衣装でも嫌みなくすっきりと着こなしていた。

そう…彼女は恐ろしく美しかった。
女性にしては高い方の部類に入るだろう身長(ティーダと殆ど同じくらいの位置に視線がある)だが、すっきりと伸びた手足は完璧なまでのプロポーションの現れだった。
陶器のような白い肌。
滑らかで、シミ一つほくろ一つない肌。
小作りな顔立ちの中に、完璧なバランスで収められた目鼻立ち。
ほっそりとした顎。魅惑的な唇。衣装に合わせたせいなのか、きつめの化粧を顔に施しているが、それが彼女の美しさを蠱惑的に、エキゾチックに表している。
くっきりと紅を引いた唇は、まともな男なら触れてみたいと思わせるような口元。
鼻はすっきりと美しいラインを見せている。
そして…瞳。
美しい彼女の顔の中で、一番の宝石と言ってもいいだろう。
大きくて印象的な瞳。多分マスカラをつけなくても存分に目立つだろう睫はあくまでも長く、彼女の瞳に美しいアクセサリーとして彩りを添えている。
見つめていると吸い込まれそうなブルーアイ。
青い宝石と言ってもいいだろう。
 
その瞳が今は凝視せんばかりの勢いでティーダを見つめている。
鬼気迫る表情なのだが、それですら彼女の美しさを損なっていなかった。
丸みを帯びた形の良い頭に乗っているラインストーンをちりばめたヘッド。
彼女が動くたびにチリチリと軽い音を立てている。
ヘッドの下から覗く髪はプラチナブロンド。ティーダと同じくらいの短さ。
女性にしては短すぎる長さに見えるが、それですら彼女の顔の形の美しさを際だたせているように思える。
全身白ずくめで、唇の赤と、瞳の青が人目を引く。
非の打ち所のない美女…だった。
その美女が突然にティーダの家にやってきて、いきなり家の中に入り込んでくる。
何が起こったのか、ティーダには分からなかった。
もの凄い美女で、どこかしら見覚えがあるような気がする。…どこかで見た顔だったのかとティーダは考える。
そして感じる違和感。
彼女の姿を見て、どこかしら不自然さを覚えてしまう。
彼女はどこか落ち着かなかった。瞬きすらせずに家の中を見渡している。
そこまで見て、やっとティーダは彼女の違和感の正体に気付いた。
きっちりとした衣装と隙のない化粧をしているのに、足下が裸足なのだった。
何も履いておらず、自分が靴を履いていないことにすら気付いていない様子なのだった。 瞬間ティーダはぞっとした。
恐ろしいくらいの美女なのに、返ってそれがすべてのバランスを欠いているように見えてしまう。
 
その美女がいらいらと部屋の中を見回した後、何も言えないでいるティーダに視線を移す。
「あの人はどこ?」
「あの人って………?」
訳が分からず聞き返すティーダに、彼女が苛々したように足で床を強く蹴った。
「惚けたこと言ってないでよ。ジェクトよ!彼はどこ?ここにいるはずなんだから」
声すら柔らかく、普段の状態ならきっと耳に心地よい音なのだろう。
だが今は神経質さを隠そうともせずに、きつい物言いでティーダに詰め寄っている。
彼女の迫力に、押されそうになりながらもティーダが答える。
「今日は雑誌の取材とかでまだ…帰ってきていないんすけど…」
そういうティーダを遠慮のない眼差しで彼女がジロジロと見つめる。
どこか敵意さえ感じる視線のようにもティーダには感じられた。
「あなた…何者?」
彼女が問いかける。
「は?」
突然に意味不明なことを聞かれ、一瞬唖然とする。
そんなティーダの態度が気に障ったのか、彼女がきつい口調で畳みかけてくる。
「私を誤魔化さないで。彼の家にいて、彼がいないのに、当たり前のような顔をしてどうしてあなたがここにいるの?彼とはいったいどういう関係なの?」
強い問いかけのような物言いなのに、瞳はどこか不安げに揺れている。
怒りで自分を支えているような、そんな危うさをティーダは彼女に感じていた。
けれど…彼女の質問はティーダにとっては余りにも理不尽なものだった。
自分の住んでいる家に突然押し掛けてきて、お前は何者だと詰め寄る彼女。
いったい何に怒っているのか?
何にいらついているのか、ティーダにはまるで不可解なことだった。
彼女が再度尋ねる。
「あなた…彼の何?」
まさか自分の住んでいる家でこんな質問を受けるなんて…と、ティーダは思わずにはいられなかった。
「ジェクトの息子ですけど…一応……」
言いながらも、間の抜けた答えだと思うティーダ。
「えっ?」
ティーダの答えがよほど意外だったのか、彼女が怪訝な顔をする。
「嘘…。あの人に息子だなんて…そんなのって……まさか…」
何故か狼狽え、ティーダの顔を見つめて頭を振っている。
「だって、あなたってジェクトに全然似てないじゃない!」
それは常日頃からティーダが周りに言われていることだった。
見た目だけで言えば、確かにティーダはジェクトに似てるところは余りにも少ない。
顔立ちから体格、目の色まで彼は何一つジェクトから受け継いでいなかった。
強いて上げれば髪の色くらいなのだが、 ティーダはわざと自分の髪の色をプラチナブロンドに染めている。
見た目だけで言えば、ティーダはあからさまに母親似だった。
多分、彼女もそう思っての発言だったのだろう。だから似ていないと言われてもさして驚くことではなかった。
ただティーダの性格とかをよく知っている友人とかに言わせると、見た目は確かにジェクトにには似ていないが、性格はそっくりだとみんな口を揃えて言うのだった。
それを今、会ったばかりの彼女に分かれというのは無理だというものだろう…とティーダは考えていた。
「似ていないっていうのはよく言われます。俺、母親似だから。でも息子なのは本当っスよ。なんなら…俺の母親の写真見ます?小さい頃の俺と、親父と母親と一緒に写ってる写真がありますけど………」
ティーダにそこまで言われて、彼女がぐっと押し黙る。
それからイライラした様子を隠そうともせずに、手に握りしめている丸めた週刊誌を強く掴んでいた。
週刊誌を…。
そう、彼女はこの家にやってきたときからずっと手に丸めた週刊誌を握りしめていたのだった。
きらびやかなドレスを身にまとい、見るからに高そうな数々の宝石で自身を飾っているにも係わらず足は裸足で、バック一つ持たずに丸めた週刊誌を手にしている。
そのアンバランスさが彼女の精神状態の不安定さを表しているようにしか思えないティーダだった。
「息子…そう…彼から聞いたことはあるわ。…あなたが…そうなのね」
ティーダに向かってと言うよりも、自分に言い聞かせているような口調。
ジェクトのことを彼とか、あの人と呼ぶ彼女。
それだけでもただならぬ関係だと伺い知れる。
いったい彼女は何者なのか。
もの凄い美女なのだと言うことだけはティーダには分かる。
これだけの美女なのだから、この美貌を元にした職業に就いているということだけは推測できた。
では誰か…ということになると、芸能関係に疎いティーダにとっては名前までとなると今ひとつ弱かった。
確かにどこかで見たことがある顔なのは間違いないのだが、そこから先が分からない。
有名…なのだろうとは思う。
ジェクトとの関係はどういうものだろうとティーダは気になっていた。
聞いてみようか…と。
「あの…親父とはいったいどういう関係なんですか?」
「なんですって?」
さも意外だという表情を浮かべて彼女がティーダを見る。
「あなた、ジェクトから私のことを聞いていないの?」
そうだとティーダが頷くと、大きな目を見開き、眉を潜めた。
「私…私は彼の…」ここで彼女はティーダを見てあることに気付いたのか、いきなり声のトーンを変えてティーダに逆に問いかける。
「ねぇ、もしかして私のことを知らないの?」
「あっ…は、はい」
ティーダの何気ない一言に、彼女がギリッと音がしそうなくらいに唇を強く噛みしめていた。
「信じられない、私のことを知らないなんて。ミランダよ。ここまで言っても分からないと言うわけ?」
女王然 とした態度でティーダを見つめるミランダ。
そこまで言われて始めてティーダも気付く。
スクリーンの宝石と言われ、ザナルカンド1の美女と呼ばれている女優、ミランダを。
スクリーン上で彼女が微笑むだけでどんな男でも虜にすると。妖艶な美女から、あどけなく清純な少女まで演じ分ける確かな演技力。
美貌と知性。すべてを併せ持つ、得難い女優だと。
芸能事情に疎いティーダでさえ、名前を出されて頷いたほどの女優だったのだ。
ただ…一つだけ気になることがあったのも確かなのだ。
「あの…髪の色、そんなんでしたっけ?もっと濃かったような気が…。それに、もっと髪が長かったとも思ってたんですけど…」
そうミランダといえば、明るいストロベリーブロンドと豊かに流れる長い髪がトレードマークのはずだったのだ。
それが今目の前にいる彼女はティーダと同じくらいの長さの髪に、プラチナブロンドという出で立ちなのだから。
そのためにティーダも直ぐには名前が出なかったのだ。
ティーダの素朴な疑問にミランダが一瞬瞳を伏せ、言いにくそうに答える。
「この髪は…どうだっていいじゃない。この方が好きだって言うから、だから…」
哀しそうな瞳の色。だが直ぐに気分を切り替え、それよりも…と、ミランダが言う。
「さっき、ジェクトとどういう関係なのかって聞いていたわよね。知らないみたいだから教えてあげる。彼の恋人よ。私は」
胸を張り、何故か挑戦的にティーダを見やる。
「親父の…?」
「そうよ。彼と私は愛し合っていたの」
まるで自分自身に言い聞かせるかのような強い口調で恋人だと言い張るミランダ。
その言葉に衝撃を受けるティーダ。
自分が父親とベットを共にする関係になってから、ジェクトの過去の女性関係が気にならないと言えば嘘になる。
事実、最初にティーダと暮らし始めた頃のジェクトの生活はかなり乱れていたのだ。
付き合った女性はそれこそ日替わり状態だったらしい。
だがそれもティーダと関係を持つようになってからは、嘘のようにぴたりと修まっていた。
それをティーダが問いただしたとき、ジェクトが笑いながら「もう必要ないから…」と答えたときがあったのだ。
必要ないと言うジェクトの言葉の意味をティーダは問いたださなかった。
何となく…それだけで分かってしまったから。
そこへ突然現れた美女。
美しく魅惑的で、男なら誰でもひかれずにはいられないほどの美貌。
もしかして本当にジェクトの恋人なのだろうかとティーダは思わずにはいられなかった。
ジェクトとミランダが二人並んでいる姿は、きっと絵になる光景だろうと。
それがたやすく想像出来て、ティーダは意味もなく落ち込みそうになる。
事の真意をジェクトに確かめたいティーダだった。
だけどそれと同じくらいの気持ちで、ミランダとジェクトが一緒のところは見たくはなかった。
自分の中の気持ちに揺れ動いているティーダに、ミランダが尋ねてくる。
「ねぇ、ジェクトはいつ頃帰ってくるの?」「今日は雑誌の取材だって言ってました。帰ってくるのは…よく分かんないっス」
「…そう」
本当はジェクトは余り遅くならないで帰ってくると言っていた。けれど、彼女とジェクトを何となく会わせたくなかったティーダは、わざと曖昧に答えてしまっていた。 けれどミランダはそんなことは知らない。
ティーダの答えを聞いて、そのまま押し黙っていた。
そして言葉がとぎれる。
何かに苛ついている表情を隠そうともしないミランダ。
何をそんなに怒っているのか。
そもそも最初から彼女はやけに挑戦的だったのだ。
ティーダとジェクトの住む家にいきなりやってきて、彼女が何をしようとしているのかまるで検討もつかなかった。
暫く沈黙が続く。
ピリピリとした空気が部屋の中に充満しているようで、ティーダが堪らずにミランダに話しかける。
「あの…何か飲みますか?コーヒーとか、ソフトドリンクとかありますけど」
「結構よ」
即座に答えるミランダ。
すべてを拒絶しているかのような態度。 そしてまた沈黙が部屋の中を支配している。
どれくらいそうしていたのか。ふいに家の外のほうで車の止まる音が聞こえてきた。 瞬間、ティーダはそれがジェクトの運転する車の音だと気付いた。
本能的にジェクトとミランダを会わせたらマズイような気がして、ティーダが玄関のほうへ向かいかける。
だが、車の音に気付いたのはティーダだけではなかった。
ミランダもジェクトの車の音だと察したのだろう、玄関へと向かったティーダを追い越し、彼より先に玄関のドアを開ける。
「ジェクト!!」
開けられたドアの先には、驚いた表情のジェクトが立っていた。
ミランダに迎え入れられたのがよほど意外だったのか、普段の傲慢な表情が消え、目を丸くして目の前の人物を見つめていたほどだった。
それから直ぐに立ち直り、目の前に立っている人物の名前を呼ぶ。
「ミランダ…」と。
ジェクトがミランダの名前を呼ぶ声に、ティーダの胸がズクリと痛む。
やはり二人は…と思ったからだ。
ジェクトがしげしげとミランダの姿を見つめる。
どうして彼女がここに?という表情を隠しもせずに。
一方のミランダはといえば、ジェクトに会った瞬間、満面の笑みを浮かべて彼の首にいきなり抱きついていた。
「ああジェクト、会いたかったわ。もうずっとあなたに会いたくてしょうがなかったの。こうしてあなたの胸に抱かれたくてたまらなかった。愛してるわジェクト」
同じ場所にティーダがいることなど忘れてしまっているのか、まるでうわごとのようにジェクトの名前を呼び、愛していると繰り返すミランダ。
それは確かに恋人同士の睦言のようにも見える。
実際のところ、ミランダ程の美女に言い寄られて普通の男ならまず拒否は出来ないだろうと思う。
そんな二人を見ているのが耐えきれずに、ティーダはつい目を反らしていた。
自分とジェクトの関係は、こうやって人前にはさらせないもの。
ミランダのように人目をはばからずに自分の感情をさらけ出すことなんて、自分達には出来ないだろう。
だからこれ以上二人を見ていたくなかった。
この場から逃げ出したい。
でも足が動かない。
動いてくれなかった。
 
自分の首にしがみついているミランダを最初は驚きのあまりされるがままだったジェクトだったが、傷ついた目をして顔を背けるティーダを見て我に返ったのか、軽く舌打ちをして自分に抱きついているミランダをいささか乱暴に引き剥がす。
そんなジェクトの態度に、ミランダが怪訝な顔をしてジェクトを見上げる。
「どうしたの?」
「そりゃぁこっちの台詞だ。なんでオメーがここにいるんだ?ここにいったい何の用で来たんだ?」
冷たい物言いのジェクトに、ミランダの顔色がさっと青ざめる。
「酷いわ、そんな言い方って…。私…私、あなたに会って確かめたいことがあって………」
「確かめるって、なにをだ?そもそも俺達はとっくの昔に切れているだろーが。俺が何しようが、お前には関係ないだろう?」
ジェクトの容赦ない言葉に、ミランダが大きな目を見開き、唇をぐっと噛みしめる。
「それは…そうだけど…。でも私、まだあなたを愛しているの。あれで終わりなんて嫌だわ。ねぇ私達、とてもうまくいっていたじゃない。それなのにどうして別れてなんて言うの?いきなりで理由もなしだったじゃない。あんなのって納得出来ないわ!」
「こっちにはこっちの事情ってもんがあんだよ。だいたい俺達が別れたのは一ヶ月も前のことだろーが。そんときには、お前だって承知したんじゃないのか?それなのになんで今更俺の家まで乗り込んできたんだ?」
ジェクトの言葉に、ミランダが大きく首を振る。
「納得なんてしていなかったわ。だってあのときはあなたが本気で別れるなんて思っていなかったんですもの。一時の気の迷いで言い出したんだと思っていたの。そのうち気が付いて私のところへ戻ってくれると信じていた。だって…だって、私が今まで付き合ってきた男の人たちはみんなそうだったのよ。他の女じゃ駄目だって。私が一番だって。だから…あなたもそうだって………」
ミランダの必死の思いにも、ジェクトは表情すら変えなかった。
「あいにくだったな。俺はお前が付き合ってきたそこらへんの男どもなんかと違うんだよ。俺にとっちゃ、お前との仲はとっくの昔に終わっているものなんだ」
ジェクトの言葉は、側で聞いているティーダでさえきつく聞こえるものだった。
それを直接言われているミランダはもっと胸に応えているだろう。
ジェクトの言葉に顔色を変え、瞳に涙を浮かべながらも彼の顔を睨み付けていた。
「そこまで言うのは他に女が出来たからなの?その人と上手くいっているから、もう私なんか必要ないって言いたいの?」
ミランダの意外な切り返しに、ジェクトが片眉を上げて反論する。
「ああん?俺に女だって?んなもんいねーよ」
「じゃあこれは何よ!」
言うなり、ミランダは今まで自分が手にしていた週刊誌をジェクトに向かって投げつけていた。
バシィ!!
軽い音をたててジェクトの胸にあたり、週刊誌が床に落ちる。
その週刊誌の表紙を飾ってある写真は……。
ブリッツボール界のスーパースタージェクトと、元モデルで最近女優業に転身し、抜群のプロポーションと美貌で売り出し中の女性とのゴシップ記事だった。
ジェクトが呆れたような表情で、床に広げられた週刊誌を見つめて言う。
「こんなもん、ただのデマじゃねーか。俺の知ったこっちゃねーよ。第一、たとえこれが本当のことだとしても、もうお前には関係ないだろーが。俺が何をしようが、誰と付き合おうが」
「親父…言い過ぎだ」
ミランダに対して良い感情を持っていないティーダでさえ、今のジェクトの言葉はきつく感じてしまう程だった。
だからついミランダの肩を持つ発言をしてしまったのだが、ジェクトは一向に気にした様子を見せなかった。
一方、言われた方のミランダはといえば、悔しそうに唇を噛みしめ傷ついたような目をしてジェクトを見つめていた。
「酷い…ことを言うのね。付き合っていた頃はあんなに優しかったのに、別れてしまった女なんか、もうどうだって良いって言うの?」
「俺が言いたいのは、別れちまってしばらくたつのに、何でお前が今更俺の家までノコノコやってきたかっていうことだよ。しかもこんなくだらないゴシップ記事なんかのことでだ」
そう言って、ジェクトは床にうち捨てられた週刊誌を一瞥する。
ジェクトと見も知らぬ女が親しそうに寄り添っている週刊誌の表紙の写真を。
ミランダが唇を震わせている。
「あなたにとってはくだらないことでも、私にはそうじゃないのよ!こんな最低の女と一緒の写真なんか見なきゃ、私だってここには来なかったわ!」
「あぁ?」
ミランダの言葉に、ジェクトが怪訝な目を向ける。
「こんな顔だけ、体だけの、頭がからっぽの女のどこが良いっていうの?こんなどうしようもない女と付き合うために私と別れたわけ?この女が私に勝っているところなんて、年が若いっていうところだけじゃないの。こんな…こんな馬鹿女のほうが私よりもいいなんて、そんなのって…納得出来ないわ!」
「馬鹿いえ。こんな週刊誌に載っている記事なんて殆どがデマじゃねーか。そもそもこの記事の女なんて、名前すら覚えちゃいねーよ」
ジェクトは多分、本当に名前すら知らないのだろう。
彼が週刊誌のゴシップのネタにされることは別に珍しいことではなかったから。
だがミランダにとって、その記事の真意の程はそれほど問題ではなかったのだ。
彼女が本当に欲しかった言葉は………。
「私の何がいけなかったっていうの?顔だって体だって、私以上の女なんてこのザナルカンドにはいないはずだわ。みんな私が一番だって言うのよ。なのに…どうしてあなたは私から離れていくの。私に足りない物は何?」
「ああ…そうだな。確かにお前以上の女なんてここにはいないだろうよ」
「だったらどうして別れるなんて言ったの?」
「俺が欲しいのはお前じゃないからだ」
ティーダの胸がドキリとする。
ミランダが言い募る。
「最初に誘ったのはジェクト、あなたじゃない。いきなり私のところへやってきて、強引に迫ったのはあなただわ。あなたが私を誘ったくせに、別れるときもいきなりなんて勝手だわ。そのくせ、理由もなしにもう止めようなんて、納得なんて出来ない。勝手すぎるわ。私…私、あなたが好きだっていうから髪の色まで変えたのよ。エージェントに猛反対されたのに、あなたがそうしてくれっていうから髪の毛だって、この長さに切ったのよ。みんな、あなたが好きだっていうからなのに。こんなにあなたに尽くしたのに、いきなり理由もなしに放り出すの?私のどこが気に入らないの?」
ジェクトの為に髪まで切ったというミランダの言葉に、ティーダが改めて彼女の姿を見つめ直す。
自分と同じくらいの身長。同じ目の色。
そのうえ、髪の色と長さまで変えさせた?
それも自分と同じ色と長さに?
まさか…という思いでティーダがジェクトの顔を見る。
そんなティーダの視線に気付いたのか、ジェクトがバツの悪そうな顔をして頬のあたりを指で掻いていた。
「勝手…。ああ確かに俺は勝手だったかもな。けどなぁ、だったらもういい加減元に戻せばいいじゃねぇか。俺も、もうお前のことには口はださねーからよ。髪の色も長さも元に戻せばいいだろう。それとも何か?エージェントに反対されてまで髪を切らせた俺に、謝ってでも欲しいのか?」
「そんなんじゃ…ない…わ。わ、私…」
大きな瞳に涙を滲ませながら、ジェクトに迫り続けるミランダ。
その姿を見ながら、ティーダは彼女の言った言葉が忘れられなかった。
ジェクトの為に髪の色と長さを変えたと言う言葉が。
そう、ティーダは彼女に最初にあったときから自分と視線の位置が殆ど同じだということに気付いていた。
そして同じようなブルーアイ。
さらに自分と同じような長さと色に染めさせた?
それもすべてジェクトが望んだこと?
何のためにジェクトは彼女にそんなことをさせたのか…。
ティーダのそんな思いも知らずにミランダが言い募る。
「謝って欲しいわけじゃないわ。私達…もう一度やり直せない?ねぇ駄目?私とあなた、上手くいっていたじゃない。体の相性だってよかったはずだわ。あなた、私の体は最高だって言ってくれたでしょう?ベッドの中であんなに激しく愛し合ったのに…あれはもう過ぎたこと?あなた、私の胸も腰もあんなに喜んでくれてたのに………」
「よさねーか!それ以上言うんじゃねぇ!」 ミランダの言葉を遮るようにジェクトが言う。
「どうしたの?」
突然声を荒げるジェクトに、ミランダが不思議そうに問いかける。
「ベッドの中のことを人前で言うもんじゃねーだろう」
「えっ?」
ジェクトの言葉に、ミランダがここで改めてティーダの存在に気が付く。
今の今まで、彼の事を失念していたという素振りだった。
呆然と立っているティーダの姿を認めハッと目を見開き、ティーダにむかって苛ついたように言う。
「あなた…まだそこにいたの?これは私とジェクトの問題なのよ。悪いけれど、二人だけにしてくれない?部外者は他にいってて」
部外者…というミランダの言葉に、ティーダがひそかに眉を潜める。思わず反論しようかとも思った。
それでもティーダ自身、これ以上ジェクトとミランダのやり取りを見ていたくなかったと言う気持ちもあったので、この場から立ち去ろうとした。
「あ…だったら、俺ちょっと表にでてくるよ。その間二人で話しをすればいいから…」
正直なところ、この場にいるのが辛かった。
特にジェクトとミランダの愛し合っていた頃のことなんて、聞くのも嫌だったから。
ただ、今まで席を外すタイミングを失っていただけなのだ。
ミランダに言われ、ティーダが玄関に向かって歩き出そうとした時、ジェクトがティーダを呼び止める。
「お前が出る必要はねぇ。出ていくのは…ミランダ、お前だ」
「え?」
「…親父?」
突然にミランダに出ていけと言うジェクトの言葉に、当然のようにミランダが怪訝な目を向ける。
「何を言っているのジェクト?どうして私が?」
「ここは俺とティーダの家であって、部外者が出るというんならそれはお前だろうミランダ」
「でもジェクト…私、まだあなたに話したいことが…」
「俺はもうお前と話すことなんて、何にもねーよ」
ジェクトはミランダに冷たい態度をとり続ける。ある意味、残酷なまでに。
彼の態度にミランダが打ちのめされている。
彼女の打ちひしがれた態度が見ていられずに、堪らずにティーダが口を挟む。
「親父、俺ならいいんだぜ。少し外を歩いてくるからさ、その間に二人で話せばいいじゃん。俺に遠慮なんかしなくていいから」
「お前はここにいろティーダ。ここは俺達の家なんだ。もう別れちまった女にとやかく言われる必要は無いんだ。ミランダ、お前と話す事なんてもうねーよ」
冷たいジェクトの言葉。彼の態度。
ミランダが唇を噛みしめる。
「どうして…どうしてそんなことを言うの。他の人はみんな私に優しいのよ。みんなが私のことを綺麗だって、美しいって褒め称えるわ。みんなが私を求めるのに…どうしてあなただけが私から離れていこうとするわけ?私の何が不満だというの?どこが足りないっていうの?」
それは心からの叫びだったのだろう。
絞り出すようなミランダの声。
「お前には何の不満もねーよ。ただ…俺はお前の他に欲しいもんが手に入っちまっただけなんだ」
「それは私以外にっていうこと?」
「…だな」
「私以上の女?」
「お前以上の女なんていないんだろう?」
「でも…私じゃ駄目なんでしょう?」
「ああ」
そう答えて、ジェクトはそっとティーダを見やる。
ジェクトの視線にティーダがハッとして顔を上げる。
二人の視線が絡み合う。熱いジェクトの眼差し。それは決してミランダに向けられることのなかったもの。
それをミランダがじっと見ていた。
訝しげに首を傾ける。
ティーダをミランダが見つめる。
そして自分の頭に手をかける。
ティーダとミランダの髪の長さはほぼ同じ。色も似ている。
ミランダの唇が震えていた。
ティーダを見つめながら、言う。
「彼…はあなたの息子なんでしょう?ジェクト」
「それがどーした」
「私…最初に息子さんを見たとき、瞬間ジェクトの恋人だって思ったの。新しい…恋人だって…」
「お前には関係ないだろう」
にべもなく言い放つジェクト。
だけどミランダはそれだけで気付いてしまった。
関係ないといいながら、ジェクトはミランダの言葉を否定しなかったということに。

女のカン…なのだろうか。
それだけでミランダは気付いてしまった。
ジェクトとティーダの二人の間にあるものを。
ジェクトが決して自分には向けない熱い眼差しで、ティーダを見つめていると言うことに。
よろめきながらミランダが後ずさる。
「………嘘」
呆然としながら呟く。
青ざめる顔。唇が震えていた。
誰一人、何も言えなかった。
痛いくらいの沈黙が部屋の中を支配している。
震えながら、ジェクトとティーダを見つめるミランダ。
目を伏せ、立ちつくすティーダ。
いつもは傲慢で傍若無人なジェクトでさえ、何も言えずに黙っていた。
三人の間の空気が凍り付いた瞬間。

その凍り付いた空気を壊したのは当事者の三人ではなく、外部からの侵入者だった。