| accomplice 1
スフィアプールを各地に建設するという話をティーダが聞いたのは、かなり以前のことだった。
正直このときのティーダにはどうでもいいくらいのものでしかなかったのだ。増えるんだったら増えるでいいじゃん。いろんなところろでプレイできて、楽しそう。
聞いたときにはそのくらいの感想しか抱かなかった。
ザナルカンドとルカにだけスフィアプールがあるのは不公平だと言う子供じみた理由でまずベベルがスフィアプール建設計画をぶち上げた時は、だからほとんど関心がなかったと言っていい。プロ選手のほとんどがその話題で持ちきりだったというのに、ティーダはその中で飄々と日々をすごし次いでキーリカがオハランドの名に懸けてと同じように建設計画を立ち上げてもやはりあまり深く考えることはなかったのだ。
ただブラスカとの会話の中で、スフィアプールの建設に伴って大量に人を動かせるように、どうやら交通を整備するらしいと聞いて、異界でなんでと思ったことぐらいだろう。その気になればビサイドの住民の多い場所に住んでいるブラスカとも隣づきあいできるというのに、わざわざそんなもの整備する必要もないじゃんっと。
そのティーダの素朴な疑問にはブラスカは困ったように笑う。
「ここには朝と夜があるだろう。本来あってもなくてもわれわれには関係がないのにね。そういうことなんだと思うよ。そうやって今度はわれわれは距離と時間に縛られてしまうんだろうね」
なにが言いたいのかよくわからないと正直に言ったティーダに、ブラスカはわからないほうがいいのかもねと少しだけさびしげな表情をした。
印象には残っているやり取りだったが結局そのときですらティーダはブラスカの言を流してしまった。
自分に関心のあるものならばともかくとしてティーダにとってはブリッツをプレイすることとスフィアプールの建設は別の話に思えたのだ。交通を整備するという話だって、自分にさほどかかわりがあることのようには思えなかった。
だから今のこの状況はティーダにとって考えもつかないものだったのだ。
「やっぱいないよ…」
がくりと冷蔵庫の前でティーダは膝を付いていた。
すべての部屋を見るまでもなく、静まり返った家の中と、冷蔵庫の扉に乱雑に書かれたメモが貼り付けてあるのを見てしまえば一緒に暮らしているはずのジェクトが不在なのはわかりきったことだった。
共に生活するようになり異なるチームに入団してしまってからは、最低限のスケジュールだけでも、その冷蔵庫の扉に貼り付けるようジェクトにも口をすっぱくして注文をつけ、最近になって習慣化してきたところだった。おかげさまで、今後一週間キーリカとルカにジェクトが出向き、また会えない日々が続くことだけはしっかりと確認できた。
「なんだよ、俺今度ベベルなのに…」
ジェクトが戻ってくる前日にベベル入りの予定だ。そのあとにキーリカ。指折り数えながらどうにも互いの予定が重ならないことに、物悲しさしか感じてしまう。
もしかしたら顔だけでも見れるかもと、期待していたティーダの気落ちはかなり大きい。
3週間この家に戻らなかったために、大きな荷物を抱えたまま駅からティーダは期待をしつつ走り通してきたのだ。多分入れ替わりで出かけるだろうジェクトと顔を合わせられればと思ってのことだ。
「なんだよ、えと何日会ってないんだ…ひいふう…って、2ヶ月かよ」
ユニフォームや練習着の入った重いカバンを横に放り投げたままティーダはその上に突っ伏した。
色気のかけらもないスポーツバックを半ば抱えるようにしながらティーダはもう一度だけ貼り付けられたジェクトの綺麗とはけして言えない字を眺める。

前のリーグでもやはりチームは違ったとはいえ、ここまでひどくスケジュールがすれ違うことはなかった。
家に戻ってくれば、どんなに遅くなろうとジェクトと顔をあわせることは可能だったし、ほとんど一緒のベッドで寝ていたから、少なくとも朝には会話を交わすことも出来た。
だが、各地にスフィアプールが出来てそこでもプレイをするようになると、どうにも毎日顔をあわせることすら不可能になってきた。しかもビサイドでもスフィアプールを建設中なのだという。さらに忙しくなるかと思うと、気が遠くなりそうだ、実際かなり疲れがたまっているのは自覚していた。
器が出来たのはよかったが、とにかくチームが少ない。建設のほうが急ピッチで進み、雨後の竹の子のようにそれと共に出来たブリッツチームの多くはアマチュアに毛が生えたようなもので、結局プロとしてそれなりの実績があるチームが客寄せのためにあちこちを回ることになる。
ここに来てティーダもとうとう他人事ではいられなくなった。
ジェクトと同じチームであればここまですれ違いはなかったが、やはりまだ共に仲間としてプレイをするにはティーダの方にはわだかまりが強かった。
噛み砕いて言えばそれは劣等感といえるものだろうが゙、10年をかけて育て続けた敵愾心をそう簡単に手放せるものではない。
そうでなくとも、私生活では人には言えない関係に陥っていたからこそ、同じチームというのに照れがあったことも事実だ。おかげで今やこんな状況に陥っている。はじめはなかなか会えないかもねで済ましていたものが、いざふたを開けてみると、ほとんどにすり替わってしまっていたのだ。
「なんかなあ、もちっとなにか書きゃあいいのに」
がさがさと硬いスポーツバッグの生地に頬を押しし当てて、ティーダは愚痴を言う。視線はいまだ冷蔵庫の扉に貼り付けられたメモを眺めたままだ。日付と場所だけが書かれた小さな紙からは、ジェクトがどんな思いをしてこれを書いたのかまでティーダには知ることができない。
会いたいと思うのは自分だけなのかもしれない。とはいえ時折様子をうかがうような電話が携帯にはいっては来るが、ティーダからはなぜかかけることが出来ないでいた。
意地を張っている自分が情けなかったけれども、それでもやはりそれを手放してしまえば自分ではなくなってしまうような気がする。
両親を失い父を憎んで暮らした10年を今更綺麗さっぱりなかったことにはできなかった。
声を聞きたい、話したい、会いたい、触れたい、抱きしめて欲しい―――。思いはあっても、素直に言えない自分がこんなときには嫌になる。
今も、尻のポケットには携帯が入っている。ティーダが戻ったと知ればすぐにも何人もの友人から電話が入りわずかな休みの予定も埋まってしまうだろう。気は紛れるに違いない。でもジェクトに自分からかけようという気にはならなかった。
「んー」
うなるように声を出す。平気だと言い聞かせる自分が情けないのは重々承知だが、それでもここでめげていたら暮らしてゆけない。ジェクトとブリッツを天秤にはかることなどできないからだ。それは恐らくジェクトもなのだろう。だから余計に弱音など吐けなかった。
うしっと普段以上に声をあげてティーダはまず、頬の下にあるバッグの中から汚れ物を出した。
もやもやとした気持ちも一緒に洗い流せるかどうかは微妙だとは思うが、気分転換にはなるだろう。留守をしていた家の中もどこか雑然としていることに気付き、腕まくりをした。
することはいっぱいある。
すでにそうやって自分を誤魔化すことを覚えたティーダはいつしか細々とした仕事に没頭していた。
ベベルの街へ向かうためにティーダは空港の待合室で時間をつぶしていた。
これもスフィアプールと共にできたティーダの誤算の一つでもある。ブラスカの「時間と距離に縛られる」という表現がこれだったのかと、最近になって気付いたほどだ。
今まで隣町にあるように思っていたブラスカの家が、空港が整備されたとたんにいきなり世界の南の端へと移動してしまった。そう、この空港から飛空挺に乗らねば移動できることが出来なくなってしまったのだ。
人によってものの位置すら違う異界のいい加減な造りが気に入っていたし便利だと思っていたのにこれにはかなりのショックを受けた。しかもそれまでのティーダには考えられないような弊害を伴っている。
その気になれば今までならばベベルで試合をしようともその日の晩には家で眠っていただろう。だがそれが不可能になった。お陰で試合のたびに移動に時間をとられ、家にいる時間はほとんどなくなる。最低でも前日には会場入りして練習をせねばならないのだからこれだけで4日ほど一度の試合でつぶれる計算だ。となると家にいる時間が減るのは道理、しかもジェクトも同じように移動しているのだから、会えなくなるのは自明の理だった。
移動に次ぐ移動と、パートナーと顔を合わせられない寂しさは想像以上にティーダに影を落としていた。だがそんな泣き言も言えない。自分がプロだという自覚はいつでもティーダの中にあったからだ。
とは言え、待ち時間にまで神経を張りつめていることも出来ず、ただベンチに座って何ら興味のない番組を眺めていた。周囲にはチームのメンバーが揃っていたものの、皆が同じようにつまらなさそうな顔をしてモニターへと視線を向けている。
バラエティ番組らしいが音は絞られていた。一般の客とは別に待合室をあてがわれて、数人がこれ幸いにと寝入りはじめたからだった。
だが眠りに逃避できなかったメンバーの顔には一様にうんざりとした表情が浮かんでいる。このいつ終わるともわからないスフィアプール行脚に嫌気がさしているからだった。
飛空挺の便は予定を遅れているのか、なかなか搭乗案内のアナウンスがされない。だから余計に倦んだ雰囲気は辺りに満ちていた。
「おい…」
一番はじめに、それに気付いたのは誰だっただろうか。
だがその時にはすでにティーダの視線も意識もモニターに釘付けになっていた。どうでもいいようなくだらない番組が終わったのか、ニュースが流れはじめそこに会いたいと願う男の姿が映し出されていたからだ。
一番最初に映ったのはスフィアプールだった。辺りの状況からルカのそれだとわかる。
このときのティーダにはまだその時は関心を向けるようなものなどなにもモニターには映っていなかった。だが画面が切り替わったとたんに、そのプールから出てゆこうとするジェクトの姿を映していた。
画面がぶれているのは、人混みに揉まれているからなのだろう。ジェクト自身もまた人混みの中を無理矢理突っ切って歩くような状態だった。周りに球団の職員が付いて道を開こうとしているものの興奮して口々になにかを叫ぶ人々の前でその抵抗はあまりにも無力だった。
「なんだあ、ありゃ…」
誰かがそう言っているのが聞こえた。おそらくはティーダに視線が投げかけられていることもわかっていたが、ティーダ自身も事情がわからず困惑するしかない。
今のティーダにわかることと言えば、ジェクトがかなり不機嫌なことぐらいだ。いや不機嫌どころの騒ぎじゃない。怒り狂っていると表現した方が正しいだろう。それでも道を阻む群集に殴りかからないだけ、自制はできているのだろう。ティーダがそう思うほどにジェクトの表情は恐ろしいものだった。
「誰か音あげろよ」
画面が切り替わりどうやらなにかを説明しているリポーターの姿を映しだした。
居眠りをしていた者達まで起きだしてモニターに釘付けになっていた。興奮したように早口で話すリポーターの声は部屋の中に響き渡る。
どうやらジェクトが試合を放棄するといきなり言い出したらしい。それにさらにはジェクトのチームの選手達も追随したという。お陰で今夜の試合はキーリカでは開かれないだろう。すでに、練習を見ようと集まっていたファンは驚き騒ぎ立て、現地では収拾がつかなくなっている───。
部屋の中は、静まり返っていた。できることと言えば互いに顔を見合わせることぐらいだっただろう。
「なあなんでだ?」
もう一度ジェクトが映らないものかと画面に見入っていたティーダは肩を叩かれたことでようやく辺りへと意識を向けた。気付けば皆が自分を見ている。
「なんでって?なにが?」
問いかけられたことの意味が分からなかった。実は半分もリポーターの言葉をティーダは聞いていなかったからだ。
「ジェクトさんなんでいきなりそんなことをやったんだよ。お前なんか聞いてないか?」
訊ねられればふるふると首を横に振るしかない。
「会ってないよ最近。俺がどんなスケジュールで動いてるかみんなだって知ってるじゃないか」
半ば恨みがましくそう言った。仲間達のせいでジェクトと会えないというわけではないのはわかっていても、愚痴が入ってしまうのはどうしようもない。
「そりゃそうだけどさ、電話とかかかってきてんだろう?なんか言ってなかったのか?」
顔を覗き込むようにして訊ねられて、首をもう一度横に振った。実際自宅にいる間中携帯を手放さなかったというのに、一度としてそれが鳴ることはなかった。
自分からかけずにいるというのに、それを恨みがましく思うのは間違っているのだろう。それでもやはり訊ねられてしまえば胸が鈍く痛む。
「電話なんかないよ。俺もかけないしさ」
「なんだよー、愛想ないなあ」
「てか、自分の親父に頻繁に電話するか?普通」
言えばみなが納得するように苦笑する。ティーダがジェクトの息子だということは有名だが、二人の関係を知るものはいない。そのせいなのだろう、ティーダの言葉に全員が納得してしまう。
「まあそうだよなあ。しかしなんなんだろう。試合ボイコットするだなんてよっぽどだよ」
たしかにそうだ、何事においてもいい加減なジェクトだが、ことブリッツに関しては手を抜くことはない。少なくともまめに練習をするタイプではなかったが、試合をボイコットするようなことなど、一度としてなかった。
なにがあったのかとは、ティーダこそが一番知りたいことだ。
会えない間になにかあったのかと思うとさすがに張っていた意地もかなぐり捨てて電話をかけてしまいそうになる。だが先ほど口に出してしまった手前、さすがにジェクトにこの場で電話をするのは躊躇われた。
何度となく同じ画面が繰り返され、そこから何かを見出そうとするかのように誰もがモニターに釘付けになっている。だがわかったことといえば、ジェクトが試合前にとんでもないことを言い出して騒ぎになっているということ、ルカの市民はといえばそのジェクトに対して怒りを向けているということぐらいだ。
「まあなあ、俺たちにしてみりゃ、キレるのも仕方がないような気がするがな」
このまま待合室を飛び出して、隠れて電話をかけようかどうしようか思い悩んでいるときだった、キーパーでありチームの要でもあるキャプテンがぼそりと呟いたのを視線で問う。
「だってさ、こんなスケジュールでやってられないぜ。絶対俺たちつぶれるって。自滅する前に騒ぎ起してくれてちょっと助かったなって俺、思うよ」
苦笑を浮かべてはいるが多分それはジェクトの肉親のティーダを慮ってのことではなく、本音なのだろう。実際、先ほどまでの雰囲気からしても、誰もが今の状況に嫌気がさしていることはわかりきっていた。
部屋には、その言葉に同意するような声が上がる。
誰もがうんざりしていたのだ。実際愚痴に近いことは何度となく言い合っていただけに、話が今現在の状況への不満に向くのも当然だといえた。
互いに不満を口に出し始めて、自分への視線がはずれたことにティーダは安堵する。
ジェクトとの関係をひた隠しているために、やはりそのことに関係して注目を浴びてしまうと、どうしたらいいのかわからなくなる。そうでなくとも、ティーダ自身も事情がわからないでいるのだ。内心の不安が表情に出ないかと気になってしかたがなかった。少なくとも自分が隠し事には向いていないタイプだと自覚して久しい。
ほっと気付かれないように溜息を吐き出して、モニターへと視線を流した。そこにはジェクトが映っている。
久しぶりに見る試合以外の姿に、なぜだか胸が熱くなった。知らず知らずのうちに手を握り締め、食い入るようにティーダは画面に視線を向けていた。
その複雑な心中をよそに、周囲はなにが起こったかの憶測と今この状況に対する不満を口々に言い合っている。そのときだった出し抜けに上着の胸ポケットに入れたままになっていた携帯が鳴り出した。
室内が一瞬にして静まり返る。
「ジェクトさんか?」
息せき切って訊ねたのは先ほどのキャプテンだった。
着信音からしてそれとわかっていたものの、頷くべきかを迷う。ここでそうだと言えば全員が会話に聞き耳を立てるどころか携帯に耳を押し当てることぐらいしそうな雰囲気だったからだ。
「ちょっと、外行くからさ」
訊ねられたことに返事すらせずティーダは慌てて立ち上がる。ひき留めようと声が上がり手が伸びてきたものの、それをかいくぐってティーダは外にでた。
そのままでは追いかけてくるのではとの不安があったために鳴り続ける携帯を取り出しながらも通路を駆けた。そのまま行けば出発ロビーだ。どうやらやはり飛空挺の発着が遅れているらしく、そこにはたくさんの人々でごった返している。
ようやくうるさく音楽をがなり立てる携帯のスイッチを入れて耳に押し当てる。
「―――もしもし」
声が上ずったのは、全力疾走したためだと思いたい。
「おう、ティーダか?今どこいる?」
聞こえてきたのはやはりジェクトの声だった。まったく普段と変わらない様子にそのままその場にへたり込みそうになった。
「―――空港だよ。なんだよ、なんか騒ぎになってるよ、あんた…っ」
震える膝に力を込めながら平静を装う。それでも声が震えていた。もっと他に言葉にしたいことがあったというのに、まともに下が動いてくれない。
「ああ、ザナルカンドのか?だったらちょうどいい。出迎えロビーまで来いよ。急げよ、なんか周りがうるさくってよう」
「なに言ってんだよ…俺今から」
「いいから来いって」
強い調子でそう言ったかと思うとジェクトは電話を切ってしまった。
携帯を持ったままティーダはただ呆然と立ち尽くした。
「なんだよ、もうっ」
反射的に携帯を手にした腕を振り上げて、危うく床にそれをたたきつけるところだった。さすがにそれはできないと思いなおし、ティーダは一瞬だけ飛び出してきた待合室へと視線を流す。
逡巡はわずかの間だけだった。
来いと言うからには同じ空港に今いるのだ。それを知ってしまえばその言葉を無視することはティーダには出来なかったからだ。
文句のひとつでも言うためだと半ば自分に言い聞かせながら、ティーダは人ごみを掻き分けながら、出迎え用のロビーへと駆け出していた。
血が逆流するような感覚と共にエレベーターガとまり扉が開いてもなお、ティーダは何でここに自分がいるのか正直言ってわかっていなかった。
ここに至るまでジェクトに引きずられてきたのだが、なぜホテルに入ったのか理由がわからない。空港をでてからずっとジェクトはあまり話さなかったし、なぜだと聞けるような雰囲気ですらなかったからだ。昔のほうがおそらくは普段と違う雰囲気をまとったジェクトを相手にしても、まったく気にするでもなく自分の疑問を問いかけたに違いない。だが、それが出来なくなってしまったのはティーダの中に厄介な感情の存在があるせいだ。おかげで何度となく声をかけようとしてティーダは失敗する。訊ねたいことはいっぱいあったというのに、不機嫌だといわんばかりのジェクトの表情に言葉が出てこなかった。
二人きりになってもなお、ジェクトの様子は変わらない。ずっと掴まれたままだった腕がそのジェクトによって引かれ長い廊下へと出る。
空港そばのホテルの、おそらくはかなり高い位置にある場所だ。エレベーターの階数ランプは上から3つ目で止まった。酒でも飲みに来たのかと思っていたが、廊下をみればすぐにそれは違うとわかる。
長い通路にはいくつかの扉。その間隔からしても、扉の向こうの部屋の広さを想像できるというものだ。
「こっちだ」
立ちすくんでいれば、腕が引かれてジェクトに従うようにしてティーダは歩いた。足音は床の絨毯に吸い取られてほとんどしない。わずかに布を擦るような音だけが、彼らの立てる物音のすべてだった。
扉の横の機械にカードキーを差し込み、部屋へ入るよう促される。
躊躇わないわけにはゆかなかった。そもそもティーダが空港にいたのは、キーリカへ試合に出るためだったはずだ。荷物もあの待合室にそのままにしている。今頃になってそのことを思い出し、部屋にはいることに躊躇せずにはいられなかった。
「どうしたんだよ、入れよ」
頭の中には疑問ばかりが渦巻いていた。問いかけたいことは山のようにあったが、確かで廊下でする話ではない。しかしなぜこの部屋に入らねばならないのだろう。その気になればすぐにでもジェクトは家に戻れるはずなのに。
「なあ、なにがあったんだよ一体…大騒ぎだ…っ」
背中を押されて、部屋に入りそこでようやくに口を開いた。だがそれはきちんとした言葉にならない。急に腕が引かれたためだ。
半ばよろけながら強いジェクトの腕の力に抗おうとしたが、結局半ば倒れるようにして扉の脇の壁に押し付けられる。
「な…っ」
声をあげるまもなく覆いかぶさるようにジェクトの身体がティーダの動きを阻んだ。利き腕を壁に縫い付けられたかと思うまもなく顎を捕らえられそのまま口付けされる。
思考が止まったのは、ジェクトがこのような行動に出るとは考えてもみなかったからだ。大勢の報道陣に取り囲まれた中を突っ切るようにして歩いていたジェクトは、同じようにもみくちゃにされながらも問いかけようとしたティーダに「話はあとだ」とだけ言ってここまで連れてきたのだから、まずは何らかの説明があるものだとばかり思っていた。
すでに親子の関係を捨て去って久しかっただけに、こんな強引な真似をジェクトがするなどティーダが考えていなかったこともあるだろう。求められればそれに応えるのが当然となった生活を送ってきた。すでにそれに慣れてしまったからこそ、言葉すらなく半ば強引に求められてしまった頭が付いてこない。
「あ…や…っ」
待ってくれと、話を先にと言おうとしても逃げるティーダをジェクトの唇が追う。
荒い息遣いを感じる。それがジェクトのものだと気付くのに、しばらくの間が必要だった。さらには腰に押し付けられたジェクトの欲望に、血が引いたような気分になる。普段であれば欲しいと思ってくれていることに喜びすら感じていたというのに、いまはだめだ。自分でも気持ちが付いてこないことがわかっていながらどうすることもできない。
口腔を犯す舌は遠慮と言う言葉をかなぐり捨てたように蠢いている。唇を開きそれを受け入れるのがやっとであったというのに、さらには身につけていたシャツに手がかかる。ボタンをはずされているのだと指の動きでわかってはいたが、やはり普段のような気持ちの高揚感は生まれてこなかった。
「やだ…ちょ…ん…」
ティーダの肌を暴こうとしたために顎が開放され首を捻ってティーダは逃げる。だが、それでもなおジェクトは執拗にティーダを追う。
せわしなく動く手が肌に触れた。
「やだって…待って…ま…やっ」
前をはだけさせられて、敏感な突起にジェクトの指が触れた。ざわりと鳥肌が立った。
「……っやだって!」
半ば反射的にジェクトを押しのけていた。一瞬眼が合う。思えば、今まで一度も視線が絡まなかったのだと、この時になってティーダは気付いた。
「なんだよ…なんで」
混乱のままに再び伸びてくる手から逃れるように、身を捻った。そこからは無我夢中だった。
身体を押し付けられていた壁を蹴るようにしてティーダはそのまま逃げ出していた。ジェクトに触れられるのが嫌だったわけではなかったが、だが今はだめだ。
怖い。
ただそう思った。だからティーダは少しでもジェクトと間に距離を置こうとしたのだった。
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