〜想い出の棲み家〜

  【1】
 
 
 
 
 
 

  時々
 
 
 
  不安になる
 
  彼は本当に自分を求めてくれているのかと
 
 
 
  自分は変わってしまった
 
  初めて彼が求めてくれた頃と違うカタチへと
 

  応えてくれたあの一時とは
 
 
 
  それでもまだあなたはおれを愛していますか
 

  中身はさほど変わっていなくとも容れモノが変わったらあなたはおれを棄てますか
 
  こうしてそばにいることを赦されるのはあなたが優しいから?
 
  優しさ故におれを切り棄てられない、

  だからまだあなたの隣におれの場所があるだけですか
 
 
 
  不安になる
 
  自分の気持ちだけが一方通行のようで
 
 
 
 
 
  愛してください
 

  おれの想いとあなたの想いが釣り合うだけのココロを、
 
 
 
 
 
  ください
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「ねえねえ、これおもしろーい!」
「どれッスか?」
 

ベベルの下町にて声を挙げてはしゃぐ少年少女の姿があった。別に彼らが普通より整った容姿と珍しい格好をしていなければ日常よくあるだろう光景だった。
だが少女の方はアルベド族、少年の方は「ザナルカンドから来た」というある意味曰くの付属した少年だった。 彼には南方の島国に住んでいたユウナ達よりも見る物が珍しかったり目新しかったりするようだ。アルベドは本来本拠地である『ホーム』の外に及んでまで行動することは少ない。年若い物ならなおさらだ。だからめったにこういうところに繰り出すことのなかったリュックにとっては楽しくてたまらない。ティーダの方はリュックよりも、そもそもこの『世界』、スピラにおいての知識が皆無に等しいため少女以上の好奇心を見せている。
ユウナも二人について歩き回りしきりに談笑を交わしている。同年代の人間で自分を『召喚士様』としてでなく一人の少女としてつきあってくれる者はほとんどいなかった。だからユウナも召喚士という枷からつかの間離れたように楽しげに振る舞っている。まあ、久しぶりのベベルであるからビサイドにはない物がいくつも並んでいて童心に戻ったようにわくわくする。
 

元気な三人の後ろから残りのメンバーがついて歩く。
普段はユウナの代わりにワッカが入って騒いでいるのだが、今回はなぜか召喚士様が積極的でティーダとリュックに混じって歩いていた。ユウナが楽しい思いをできるならそれでいいと誰もとがめるようなことはしない。普段が他人行儀なくらい他の人間を気遣う少女だ、こんな年相応な姿は逆に嬉しい。
 
 
 
「わあっこの細工物、きれいね」
「ほんとだねー、きらきらしてる」
 
屋台に乗せられたいくつもの硝子細工をのぞき込んで目を輝かせる。
のどかな日差しを受けて硝子が透き通ったり、光を反射したりと台の上は視覚的に騒がしい。とりどりの色が硝子の持つ透過性により個々の色を混じらせている部分すら、不調和どころか幻想の世界の窓を覗き込んだような美しさを感じさせる。無論、単色でも美しいのには変わりないが。
 

「もうちょっと近くまでよって見てごらんよ、大丈夫、大きくなかったり華奢な造りでなければ簡単に壊れたりしないよ」
 
言われたとおりティーダ達から見て手前に当たるところには小振りなうえに安定感のある硝子が一定の間隔を置いて並べられている。落とさない限り細工に傷が残ることはないだろう。こちらの方は客に気安く手にとってもらえるように意図的に配置したのだろう。屋台の主人の前後左右や奥の棚に並んだ見事な細工物にはさすがに触りたいとは思わない。触っても気を使うだから見ているだけが満足だ。
二人の少女は気さくな主人の好意に甘えておっかなびっくりで小さな硝子を手に取った。手のひらで転がしていろいろな角度から見てみて、太陽に掲げるようにのぞき込んでその美しさに羨望に似た息を吐く。
 
「旅のお人かい?お守りもあるよ、安くしといてあげるから良かったらどうだい」
  ほら、ペンダントもあるんだよ
 
 
ユウナの胸に小さな銀色のペンダントが輝くのを見て、他の品も勧めてくる。
人好きのする笑顔だから商売をしかけてきても押しつけがましさも感じられずに驚くほど不快感がない。
ユウナが少し考える素振りを見せたので主人は年若い召喚士の前に、少女が好みそうな細工物を取り出して並べてみせる。その一角を占める硝子に少女は茶色い髪を揺らせて物憂げにため息をついた。
心の中では欲しいと思うがそんなわがままを言いたくない。きっとそんな心境なのだろうと踏んだリュックはスポンサーを求めて振り返った。
この一行の財布を握るのはルールーとアーロンだ。細かい買い物ならルールーが無駄遣いを考えてからお金を出す。少しはお小遣いのような物もあったから、そこから出して買ってもいいのだがその小遣いから出すかルールーを頼るかの境界は曖昧なままだった。アーロンを通しては宿に泊まるかどうかの多額を動かす場合だった。武器購入に関してはアドヴァイスをよこす程度で基本的に個人の判断に任せている。町に立ち寄る度に目移りして物欲しげにしているティーダには小言を言うが、それはパーティの年長者としての助言と言うよりも保護者としての介入の意味合いが強い。
 
ちらりと横目で最年長者の顔色を伺うとルールーはそのさして変化もしない表情から判断を一任されたと取った。そう彼女が判断をして違えることもほぼなかったし、こういうときは間違えたとしてもアーロンは寛大だと言っていい。
 

「じゃあ好きなのを選びなさいな
 大きすぎるのはだめよ、あくまでお守りとしてなんだから」
 
心の底では大きくて繊細なものが欲しいと思っていたが、そんなものは壊しやしないかとひやひやするだろうし、ガラス片に変えてしまうことになればきっと哀しい。
だから、というべきかせめて小さくても満足のいくくらい綺麗な硝子細工を探す。
二人して少女が熱心に商品を見聞する様は微笑ましい。こういうところは自分のいたザナルカンドともなんら変わらないとティーダは思った。そしてその時間が非常に長く、優柔不断にあれこれ目移りするところも。
 

夢中で屋台をのぞき込む少女達をおいてティーダは屋台を離れ、残る仲間のもとに戻ろうとした。
いつものくせで仲間の中から一人の姿を探してしまう。
もはや習慣化されてしまった動作なので自覚もない。それを「刷り込み」、というのも正しくはないがふとした拍子、とくにその特定の一人のそばから離れた後はそれが顕著となる。時として庇護してくれる者を探す幼子のようにも秘かな想い人を求める思春期の間を行き来する少年はそのアンバランスでいまだ揺れるように思える。
とにかく少年はその特別の一人を捜して視線を左右前方に動かした。
 
 
いた。
派手な挙動をせずとも大勢の中で放つその存在感。どこにいても探し出せると盲信してしまいそうなくらい。
見つけるとほぼ同時に反射で駆け寄ろうとした。いつものことだった。
 

だが今回は勝手が違った。
その彼の濃い茶色の視線が自分とも仲間の誰とも違う方向に向けられていることに気づいた。
 
それはなんの偶然か悪意ある必然か。
 
なんとはなしにティーダは彼の視線を辿った。
何も考えてはいなかった。ただごくごくわずかの興味の混じった何とはなしの行動。
 
 
 
かの人の見ている方向には小さな噴水があった。陽光を眩いまでに跳ね散らす噴水の放物線を描く流れを追っているのかといえばそうではない。
その水流より心持ち下。その噴水を囲んだ広場に戯れる少年達。彼らに注がれているように思った。
その楽しげに走り回る彼らに何があるというのだろう。自分にはその理由に行き着けない。
何となく怪訝に思って自分の視線を男に戻した。
 

戻して息が止まりそうになる。
 

  なにソレ
 

自分の見ている物が正確に識別できそうにないくらい息を詰めた。
 

  どうして
 

どうして彼はそんな優しい瞳を向けるのだろう。
無邪気な少年達。
楽しげに戯れた後にはその太陽の燐光がこぼれ落ちるのではないか、その変声期を迎えていない澄んだ高めの心地よく響く声は希少な楽器を爪弾いたのではないか、そう少年達はあらぬ想像を振りまいている。
誰しもがそう思って心を和ませるだろうその光景に、アーロンが優しい思いを抱いてなんら不思議はないはずだった。
だがそれですまなかったのはいつかは彼らが行き着いた「問題」だっただからかもしれない。
 

まだ彼は自分が彼を見ていることに気づいていない。その事実だけでなくなぜだか妙におもしろくなくて再び元気の良い子供達を見、彼を見していてあることに気づいた。
 
子供達の中でもひときわ目立つ子供が一人いた。というのはその少年の髪が栗茶というか濃い茶色と呼ぶには明るい色合いであったからだ。そのことを誇示するように陽光に燦然と輝きを返していたからである。ただの茶色ではあのような照り返しはできまい。よく見てみれば実に希有。そんな髪であったがティーダにはその持ち主に曖昧ながら憶えがあった。
それだけでなく、その少年は顔立ちも非常に整っていた。細い躯と相まって本人から出る幼いなりの華が彼の存在を浮き立たせていた。
そしてアーロンが追っているのはどうやらその一人の子供のようなのだ。
無邪気な子供の姿を慈しむのは誰とてすることなのだろうが。
 
 
 
少し、複雑だった。
最近思うことも手伝って、流して終わりにできない。
こちらを向いて欲しいと思う。自分に気づいていないなら無理にその他にゆく視線の前に立ちふさがって強引にでも彼を自分に向けさせたい。
普段なら「子供くさい」と笑われても迷わずに実行するのに、今日はできない。
 
理由はわかっている。どうしようもない理由が。
 
 
 

アーロンがそんなティーダに気づく前に子供の一群が広場を出て移動を始めた。
まだ動かずにいるティーダの少し離れた辺りをユウナが早足というより小走りに足を動かしていた。なんとなくその翻る服の裾を追いかけてしまう。
子供、と言う物は驚くほど視野が狭い。自分の興味のあること意外には関心、なにより注意を向けることがめったにない。だから視野の広くなった人間(大人とは限らないだろうが、大人でも狭い者は多い)が彼らの動向を予測する必要がある。
ところがこの度のユウナは珍しくその配慮を欠いていた。おそらくそれは彼女がアーロンを中心に見ること(アーロンへの畏敬か遠慮だかだろう)で他への配慮が一瞬欠けたためであろう。
 

「すいません、アーロンさん お待たせして───  」                            
 
急ぎ足で石畳を移動して、そこでようやく子供の一群に気づいた。
このまま走り続けても、止まっても子供の一群に飲み込まれるだろうが左右のどちらに避けていいものかとっさに判別がつかない。どれかの子供と衝突しそうだとは思ったが、思わず立ち止まってもう少しでぶつかってくるだろう子供達を目を見開いて見てしまった。
自分たちのことだけに夢中になっている子供達の一群はまだ自分たちの先にある障害に気づかない。
 
  どうしよう───                                                          
 

いつのまにか立ち止まってしまった少女の方を誰かが引っ張った。
 
「きゃっ?」
 
少女の驚きの声をものともせずにその誰かは強引に少女を引いた。
 
「アーロンさん!」
 
それだけのことで少女は子供達の進路から外れた。
少女が動揺して判断が遅れたせいか、男が冷静に事態を把握できたからかそんなことはどうでもよかったが。
 
一人の少年が二人、むしろアーロンよりに走ってくる。
隣の少年としゃべっているので前方不注意となり、まだ男の姿に気づいていない。
その少年より早くこのことに気づいた友人の表情が変化してようやくのこと前を向いた。
だがすでに距離はずいぶんと詰まっていた。
 
アーロンは軽く横に避けた。
そして少年も横に避けた。
 
よくある話である。
相手との衝突をさけて横に移動して、互いに同方向に避けてしまうなど。
そしてその結果たるものはむなしいものである。
 

そう、彼らは同方向に避けた。結局は向き合ってしまい、勢いの殺せていない少年は男の頑強な胴に飛び込んでしまった。
 

「いたっっ!」
 
男の方は衝撃に揺るぎもしなかったが不安定な姿勢だった少年は後ろに倒れかかる。とっさに体をささえようとした細いうでも間に合わず、大きくしりもちをついた。
 
「大丈夫!?」
 
遠目に見ていたリュックが慌てて駆けてきた。これにはさすがに前方を行っていた子供達も気づいて振り向いた。
 
少年は地べたに倒れ込んだままの姿勢で腰の下辺りを押さえて呻いている。強引に他の友人に腕をひかれて起こされかかるとその口から苦痛の悲鳴が飛び出した。
 
「痛いって!」
 
したたかに石畳に打ち付けたようだが、打ち所がかなり悪かったのだろうか。
捕まれた腕を強引にふるってほどいたため再び打撲した部分に衝撃を与える羽目になり痛みに大きな瞳を潤ませた。そのままうわっとばかりに泣かれてしまったらどうしようかとひやりとしたが。
 
「なーにやってんだよおまえ、とろいなあ」
「違うって!おれが避けようとしたらこいつも避けて!」
 
幼い割に口が悪い。自分が鈍くさいのだと仲間に笑われて口を尖らす。
一応詫びを入れようと座り込んだままの少年の顔を覗いてわずかにアーロンは止まった。
それは一瞬のことであったので誰も気づくことはなかった。ただティーダを除いて。
その一瞬ののちすぐに行動を再会したためほとんどの人間が不審に思わなかったのだ。
 
変わって少年達一同はかなりおびえが入っている。もしかして自分たちは「いけないヒト」にぶつかってしまったのではなかろーか、と。
 
「あの、ほんとに大丈夫…?」
 
心配げにかけられる優しい少女の声も耳を素通りして知覚されない。
それもそうだ。
目の前にたつ男の外観が外観なのだから。
大きな太刀を背負い、明らかに武人とわかる装備品を身につけている。落ち着いた赤色と黒を基調とした服装は気軽に近寄ろうとする気分をそがせる。口元が高い襟に隠れているのでその表情をあいまいにし、色の濃い黒いグラスに瞳が隠されいっそうに近寄りがたい雰囲気を醸し出している。さらに陽光がグラスに反射して相乗的に効果を増している。
 
  おびえてるよ、アレ……
 
年端もいかない少年達の体格からすれば男はそびえているように見え、威圧感すら感じる。先ほどの甲高い騒ぎ声を潜め、沈黙に陥った少年達に男の同行人はいたく同情した。わずかに男に対する憐憫の情も否定はしない。
 
「悪かったな」
 
予想に違わない低い男の声の重量に押されるように、声をかけられた少年は男を見上げた。
そこで初めてティーダ達は少年の顔を見た。
年は十を越えているが十五には達していないだろう微妙な年頃で、華奢な体とあいまった線の細い顔立ちが正確な年を読みづらくしている。なによりティーダのいた『ザナルカンド』と栄養状態が違うなどの理由で、この世界をまだ把握し切れていない彼にはその低年齢層に対しての正確な年齢判断が出来ない。
そう思って再び顔をしかめたままの少年を見たのだが。
 
  あれ、この子って
 
少年の髪の色は栗茶だった。その色合いにどこか既視感を覚えて記憶を辿りかけたすぐに目当ての情報に行き着く。
見覚えのある少年だった。とはいってもたった今先ほどに見ただけであったが、アーロンが追っていた少年に違いない。
巡り合わせの悪さにこっそりと溜息をつきたくなる。無論それはただの己の独りよがりに似た疑心のなせるわざだとはわかっていたが。それでもどうにもならないものは対処のしようもない。笑われて終わりにされるならそれこそその方が「まし」という物だ。『最悪』を考えれば。
 

「立てるか」
 
不要に少年を圧迫しないように声を出しているとわかる。当然のことで、本人も努力をしたいるからなのだろうがそれすらも気に入らない。彼の気遣いも自分の勝手で無視してしまうなんと狭い心だろうか。
 
「ん……大丈夫…なんだけど……」
 
大丈夫、と言う割に少年の顔はしかめられている。整った顔立ちと併せて苦痛をこらえる痛々しさが際だつ。
友人の一人に手を貸してもらって身を起こしたが、相変わらず打撲部分を押さえている。
その少年の腰を下ろしていた辺りに灰色の小石が転がっていた。小さなものだが白い石畳の中でその存在を誇示している姿を見ては、少年にこれが与えた苦痛は軽視できそうにない。大方後ろに倒れ込んだ際にこの石を下敷きにしたのだろう。確かにそれは痛い。
それだけでなく後ろを払う手のひらにも石畳に擦った跡が赤く拡がり、じわりと血がにじんでいる。
 
「あちゃーこれは痛そうだねえ」
 
己が身のことのようにリュックは顔をしかめた。
 
「あの、手当とかしなくていい?」
「いいよ、こんなの平気だって!」
「そーだよ、こんなのいつものことだし気にしなくていいよおねえちゃん!」
 
あ、とユウナは止まった。取り出しかけた回復薬が再び服の袂に逆戻りする。
自分たちはよく使うから忘れがちになっているが、回復薬はおいそれと使うものではないのだった。基本は自然治癒であるが、いろいろと各地を旅し魔物を相手とする日々を送るので時間による回復を待っていてはきりがないから、そういう危険と隣り合わせにいる人物に回復薬は使われるのだ。もちろん普段でも使うことはあったが高価とはいわずとも値は安いとはいえない。できれば使わずに済ませたいというのが一般人の見解だった。
 

「でもずいぶんと痛そうだよ? ね、あたしらたくさん薬あるからさ、気にしなくっていいから」
「そうだぜえ、ひどいもんかもしんねえんだからよ、な?」
 
自分の両の足だけで小柄な体を支えられず友人に肩を貸してもらっているようではさすがに「そっか、じゃ、お大事に」ですますのは彼らには不可能だった。
備品の無駄な消耗を嫌がる赤衣の男の顔を伺うより早くティーダが決定となる声をあげた。
 
「あんたがけがさせちゃったんだからさ、文句なんてねえだろ?」
 
説得と言うより心持ち突っかかるような色を帯びた声にアーロンは肯定もしなかった。ただ一言、
 
「…好きにしろ」
 
抑揚のない聞きようによっては機嫌がいいとは思えない低い声にけがをした当の少年は不安げだった。
 
 
 
 
 
少年の友人達はすべて少年を置いて行ってしまった。遊び場は決まっているようなものだから、追いかけていったらすぐに見つけられると一人残された少年は気にした風もない。
そんなわけで少年を連れてティーダ達は昨晩から泊まっている宿屋に戻ってきた。
まあ患部が患部であるだけに、室外で塗るのはかなり気が引けた。それは誰もが同意見であったし、けがをした本人もさすがに室内を選択した。
ティーダとアーロンの泊まっている部屋の窓際に寄せられた寝台に少年は痛みをこらえて腰を下ろした。柔らかく寝台が少年を受け止めたが、それなりに患部への圧迫はあるに違いない。
 
白い肌に痛々しい色を載せ付けた部分はさらにその色を青黒いものへと変化していっていた。
慎重にその患部に塗湿布を塗りつけていくのだが、特に色濃い部分に指が触れるだけで華奢な体が小さく反応を示す。その都度自分がそのもとからくすぶる苦痛を助長させているのだと、微かな罪悪を感じるのだがここでそれを理由に躊躇っても仕方ない。
薬のひんやりとした香りはその効果を強調するための小道具か、配合された薬草本来の物かはティーダは知らない。ただ、断じて不快な匂いではないことは個人的に思うが。
 
隻眼の男に対して体を硬くしていた少年も、思っていたより男が威圧感を放つ存在ではないのだと気づき始めたのか構えを解いている。今とてそのただでさえ精悍な顔立ちの右側に傷が走り無表情なのであるから子供にとって与えられる心理的な重圧は凄まじいはずだ。だがその圧迫にしばらく耐え、違う一面にほんのわずかにでも掠めさえすれば男の持つ他の本質をも知り得ることができた。
たいがいの人間は腫れ物に触れるように、もしくはそれに等しい敬遠で男と距離を取り直してしまうが幸せと言っても良いのかその道から外れる人間もいるのだ。
それに気づくにはしばらくの時間、辛抱強く彼の観察に努める時間とその考察結果を受け容れられる柔軟性があればいい。
さほど難しくはないように見えて、実のところ達成できた「偉人」は哀しさを誘う人数だ。
そして少年はどうやらそれなりに優れた眼を持っていたようである。
怯えに似た警戒も薄れつつある。小動物の自己防衛本能を人間に写し持ってきたような表情は消えてはいないが。それでも初めとはすいぶんと違う。ただそれは幼い少年より一回り以上年上の金髪の少年の男に対する身振りから和らげられたせいもある。
 

「だーからあんたがこかしたんだろ?」
 
擦りむいた手のひらに軟膏を、さらには遠慮はしたのだが迫力に押されて結局包帯までしてもらい手当を受けている少年は自分を持て余し気味だった。こんな程度に布まで巻いてもらう必要はないのだが、金髪の少年と少女が強引に治療の一環として迫ったのだ。
呆れたというよりはなにやらトゲの内包した声で少年が無言を押し通す男に言葉をぶつける。
少年はこっそりと言われている当人を見たが、別段寡黙な表情に揺れは見あたらない。ただ黙々と自分の手に包帯を巻いていく男を見つめた。
その寡黙さと表情が移ろわないところが未だに少年に脅威を感じさせる。
本当のところはだからやってくれるなら彼以外の人間にやってもらった方が嬉しかったのだが。しかし男は自分が怪我をしたことに負い目を感じるのか少年の治療を引き受けた。
それはようやく包帯を巻き終えた男の斜め後ろで余った分を巻き取っている少年のせいでもあるだろう。目鼻立ちのはっきりとした顔が隠すことなく男に対する当てこすりを駄目押しして、
 
  あんたが怪我させたんだから、あんたが手当してやれよ
 

(どうしてそういうこと言うんだよ)
妙に強い調子の言葉に幼い子供は文句の一つも吐きたくなる。自分を怖じ気づかせる存在に最低限の出来うる限り距離を置いておきたいのだが。害意を抱いてくるような男でないとわかっているのだがどうにも本能的にまだ受け付けられない部分が残っている。
自分の手に圧迫感が加えられる。男が包帯を留めようと少し締め付けたためだろう。ようやく治療の終わりを告げる白い結び目が出来るのをじっと待ち望んだ。
 

「────終わったぞ」                                                        
 
固くなっていた体の緊張状態を一気に解きほぐす一言に思わず肩の力を抜く。その正直すぎる反応は不快感を与えるどころかむしろ純粋な苦笑を誘う。
すぐさま腰掛けていた寝台から痛みを堪えて立ち上がろうとした幼い体を大きな手が引き留めた。
 
「待て。それで手は曲がるか?締め付けすぎているところはないか?」
 
突然捕まれた驚きに体が小さく跳ねた。
一瞬の惑いの後に言葉の意味を解し、小さな手を手首ごと動かしてみる。少し滑らかな動きをするには上から押さえられた感が拭えないが意外に固定された気分はしない。
 
「うん、だいじょうぶ」
「そうか」
 
朴訥とした中に、柔らかいものを感じて自分の白にくるまれた手から視線を上げる。間近に男の顔と向き合ってしまっていることに気づき、咄嗟に顔を逸らそうとしたのだが。
少し、躊躇った。
その躊躇いが、少年に男の見えづらいことこの上ない面を見いだすことに成功させたのだ。
愛想を浮かべることのない顔に抱いていた怯みが少し緩和される。
 
「ありがと」
 
その瞬間に破顔とはほど遠いにしても柔らかく緩んだ表情に、少年は心からの笑みを浮かべた。
警戒心を解いた少年に、部屋は和やかな雰囲気に包まれる。
そう、この年頃だからこその特有の、太陽を思わせる華を持つ少年と向かい合った寡黙な男の両者の融合からなる雰囲気。正反対なようにみえて、調和がある。
それは何かの関係にもよく似ていて。
 
 
 
「………」
 
面白く、ない。
はっきり言って面白くない。それはもちろん口にこそ出さないが。言葉に変換せずとも皺がよるほど潜められた眉やら軽く噛んだ口元、少し怒った肩から発されている。本人が隠そうと努力したところで他者が読みとるのは造作もないことだ。
第三者から見た自分、という体面をも忘れるほどティーダは心の表面を揺さぶられる。
 
表面。
そんな浅い層だけで済んでいるというのか。そんな訳はない。
得たいの知れない、ただ強いて言えば理不尽だということは自認できる苛立ちは時間と共に収まりがつかなくなっていた。
原因のわからない物から起因する物事ほど不快で気分を悪くさせる物は稀だ。ならこのうるさい感情の揺れも、起因する理由を見いだせば和らいで最終的には跡形もなく沈み込んでいってくれるのだろうか。
 

 ────……                                                                
 
 ……、…………
 
何事か目の前で会話がなされているのだが聴覚を刺激しても脳に情報として伝達されない。自分は他に考え事があるのに別の情報を受け容れて処理できる器用なマネはできないのだ。
このすぐれない気分にさせる元凶を探るべく、原因とめぼしい少年と男の組み合わせを見つめた。
 
 
金茶の髪の少年。その鮮やかな蒼の瞳は真っ直ぐに前を見つめ。
物怖じをしない少年に向かい合った男は彼が口うるさいくらいはしゃいだ様子に不快などかけらも見せずに静かに見ている。一言二言口開く声も平淡であるが圧迫感はなく、むしろ優しいほどで。
陽光に浮かび上がる一組。
二、三歩下がったところで見つめる少年にはその温かみのある触れあいと題されそうな場面を好意的に受け取ることなど出来なかった。
こんな風に受け止めている自分こそが世間の感情、少なくとも微笑ましい様子でそれを見つめる他の人間とは逆流を起こしているはず。
 
なら肝心の逆流する理由は。
 
少し追跡を始めて何か嫌な物に触れた途端に足を止めてしまう。その先には進めない。進みたくない。
後ずさりを始めた自我を叱咤して、盲目的に突き進めばきっと嫌でも「元」に到達できる。そんな確信はあれど。
その到達地点が、嫌だった。きっと不快は小さくなる。けれどそれ以上に『不安』が大きくなる。その『不安』はさらに元凶を辿っても消失することはないと漠然と思うからこそ。だから自分は躊躇うのだ。
 

本当に嫌になる。嫌で嫌で堪らないけれど切り離せもしない厄介なもの。
こんなものを抱えたことに気づいたのは、抱え始めたのはいつだったのだろうか。自分で自傷的に懐古したところで陰鬱になるだけなのに。
ただひたすら「気にくわない」という心の狭さに瞠目したくもなる。
 
「ねえ、それ見せてよ」
 
相手からの返事を待たずに細い指が伸びる。男はその意図を察したはずだが無邪気な存在から逃れることはしなかった。
ただ甘んじて蒼い瞳が見つけた興味の対象となることを受け止める。
どうみてもそれは図々しさがあるのだが、彼はそれを感じさせない動作で男の黒いグラスを手にした。
何に興味惹かれたのか裏表を丁寧に返して、硝子部分を光に透かしたりと楽しげにしている。
しばらく理もなく取られた方もなすがままになっていたが、次第に振るまいが大胆になっていく少年はさらには男の顔を覗き込む。
 
「なんでおっさんはこんなのかけてるの?」
 
『おっさん』。いつのまにやらこの少年は凄まじい起爆剤になりうる単語を平然と口にしていた。
言い直してみれば『中年』ともとれる言葉は大概、自分より一回り年上、成人後とおぼしき相手に十分条件での判断で吐き出されるのだが。
ずいぶんと少年も慣れてきたのかむしろ図々しいくらいの範囲にさしかかっているのだが苦笑で済ませてしまえるような雰囲気を小さな存在は持っていた。
 
「おっさん、すごいキレーな眼だよ?もったいない」
 
率直な言葉にわずかに大地色の眼を見開く。不快感ではないが、少し意外を表にしてしまった。
自分の内に浮かんだことをそのまま出していくところ。
人の痛いところももののずばり言ってしまうような危うさもあるが、自分としては美点としてみたい。
押し殺すことなく。
 
知らず知らずに意外の念を表していた表情が無表情に戻ることなく優しさを湛える。
この幼い少年に、過去の柔らかな記憶が刺激される。
そう、ようやく眼鏡を返してくれた少年はとても良く似ていたから。
 
一瞬、ここでない過ぎ去った時空に意識が跳ぶ。
 
あまりの感傷に、少しの相似点を誇張してしまっただけかもしれない。
それでも一旦奥から取り出された思い出は甘かった。
 

思い出は現在に続き。
今は、暖かさの中に潜んだ切なさが苦しくなることも多い。
 
 
 
めったなことで顔から厳しい色を消すことのない男のどこか慈愛するような表情に、他の人間は困惑する。
そんな男の内心を知るはずもないのだから仕方のないことなのだが。
 
そんな周囲以上に一人の少年はますます棘を持つ。
普段はよく動く唇をしっかりと閉じ、さらには力の込めようまで目視できるほど噛んでいる。
そんな彼に、寝台に腰掛けた二人組を注視していた他者達は気づかなかった。