この、世界の片隅で  〜上
 
 
 
 
自分の役目は導くこと。
案内役である、ということとは非なることだと思っている。
ただ見守り、己で知識の断片を集積していきそこから見えなかった事項を見いださせることが、自分の譲歩できる手助けだと思っていた。
手取り足取り教えるつもりはない。
 
  自分の腕で掴み取れ
 
そういうつもりだった。
それが間違っていることであった訳ではないし、客観視してもそうであろうという考えが自分の内にあった。間違いではないが、それだけで全てが足りたか、 足りるかと言えば実のところはどうだったのだろう。
 

大丈夫なのだと思っていた。
この地で再会してみれば、途端に食ってかかってきた少年。その全身から迸らせた不安も少しして仲間と会話を交わしていれば消えていったようだった。
街道を歩き始めればかって少年が身を置いていた安楽の地とそう変わらぬ様子に見えた。
少し高めの声で笑い、人なつっこく喋りかけ、前向き。太陽のような。そんなところは何一つ変わっていないよう。人の本質は状況によってたやすく変えられるわけでもない。
それ以上に彼自身の他の人間以上に持つ特質なのだと。
それこそが彼の『強さ』なのだと、思っていた。
 
楽観視しすぎていた気のあることは否めない。
自分のどちらかと言えば都合の良い考えのせいだったのだ。怠慢、自己完結。いくら言っても足りることのない。
 
そんなだから、自分は見落としていたのだ。
少年の不自然を、普通ではありえないことを、勝手に『在ってもおかしくない』ことだとあの少年だからあり得るのだと、勝手に思いこんでいた。
かつての自分の抱えた「理を覆されることの」もろさを忘れ去っていた。だから少年のそれに気が行かなかったのだ。
 

それでも
そのもろさを外から見えぬ所に沈め込んでいた少年は
 
『強かった』のかもしれない。
 
 
 
 
 
 
『シン』の脅威は、凄まじいと言うほか無い。
 
「大勢の人が集まるところに『シン』は現れるから街が発展しない」
 
なら、自分たちのことぐらいは放っておいてくれてもいいのでないか。自分と「彼」とのたった二人。街でもなんでもない、この世界の片隅で。広大な面積のかけらのうちで。
保ちたいというのは赦されないのだろうか。
彼と自分だけの世界を望むのは身に過ぎるというのなら、
自分の世界を構築する要素を彼だけで埋め尽くすことは、赦されないのだろうか。
 
穴の開いた器が満ちることが無いのだとしたら、
断続でなく一瞬の途切れもないくらい、彼を取り込むことで埋め合わせておく事は出来ないのだろうか。二度と手に入れられない物を孔(あな)から一刻一刻流し去っていったとしても。
それでも自分は。
 
 
 

災害は一過性というもので済むことでは決してない。
再生を伴う、ということも言えるのだが、連鎖的な負的反応の引き金になる恐れの方が場合によってはよほど大きい。
今回の「ミヘンセッション」は街が大規模に破壊された訳ではないので、前者的な面は軽視していたのかもしれない。たとえ多くの人々が死んでしまっていたのだとしても、『シン』が過ぎ去った後は厄災の跡地として残るだけのところだと。そう思ってしまったかもしれない。
 

「あちゃー、ずいぶん暗くなってきやがったな」
 
ミヘンセッションの惨劇が終了して、いろいろともたついている内に辺りは薄暗さにおかされつつあった。
このまま下に降りていってキノコ街道を行ったところで完全な闇が降りる前に次の寺院に到着するのはどう考えても不可能であった。『シン』の余波か、海は荒れたままで空模様はしごく悪い。雨を降らしそうととまでは言わないが、空一面をどす黒い雲が覆い、その向こうで雷鳴がくぐもるような響きが漏れている。これでは月の明かりは雲に遮られたままで、正真正銘なんの光源もない道を行かねばならないのだ。そんなことに不慣れなティーダでなくとも、足下がおぼつかない事だろう。それこそ魔物に襲われてはどうしようもない。
疲れも取らねばならない。
 

「やむをえん、一度司令部のあった辺りまで戻るぞ」
「そこで今晩は休むと言うことですか?」
「ああ、物資が不足していてはいるがあしたまでなんとか持たせられるだろう」
 
討伐隊にはこちらが召喚士の一行とは言っても差し出す物資の余裕はほとんどないだろう。そうでなくとも期待するようなまねはここに居る誰もがしていなかった。だが人々はそんな自分の窮状ををおして召喚士に何かを差しだそうとする『恐ろしさ』を持ち合わせているからどうとも言い難いが。
それより気にしなければいけないのは、特にユウナが負傷者達の治療に専念するあまり体力を逆に浪費してしまわないか、と言うことだ。その辺り、誰かが見ている必要があるだろう。
 
いち早く歩き出したワッカについて他の人間も海側に背を向け、歩き出した。
アーロンは珍しくそんな疲れの見える彼らの背を止まって見ていたが、ずいぶんと開いた距離に足を踏み出しかけて止まった。
 
「……?」
 
誰か欠けていやしないだろうか。
それが誰であるかはじき出す前に、後ろを顧みた。
 
 
 
『シン』が襲来する前より幾分強い風に金色の髪が流れていた。
灰色の空と、くすんだ海に、少年のその髪と明るい黄色の服が鮮明だった。
 
少年は海を眺めていた。体の半分はこちらに向けているというのに、上半身は逆方向に半ばひねられている。その顔は、完全に海に向けられていた。
海に何か未練があるようにも取れるその挙動。前方をいく人々はかなり行ってしまっている。
 

海を見て、もう無き『シン』の姿を追い求めていた訳ではないけれど、なにかがティーダの中でしこりを生んでいた。
答えが見つからずに、まだ荒れの収まらぬ海を見る。必死に一つを考えているわけではなく、とりとめもなく他のことも頭を流れていっていた。もしかすると自分の体感した一部始終の衝撃がいまだに鎮静に向かっていないだけかもしれない。
 
灰色の中わずかに漏れた赤みがかった夕日の色は辺りを美しく色づけることもなく闇色に取って代わろうとしていた。その微妙な色合いをなんとなく映していた。
 
  オレは
 


「ティーダ」、そう声を掛けようとしたが、その出しかけた声は妙な音に遮られた。声を消してしまうほどの音量を持ってはいないが男の口を閉ざさせるには十分に足りた。
初めは何か硬い屑が落ちてきているような音だった。だがそれは確実に危険の兆候であった。
音がぱらぱらという軽い物から徐々に変化を遂げていく。
 

「……!!」
 
明確な言葉の発声を伴わない悲鳴が聞こえた。
少年とその背景を納めていた視線を引き外して後方を見た。
それを予想していなかったといえば嘘にはなるが、一瞬柄にもなく絶句した。
 
「ア、アーロンさん!!」
 
自分とティーダのいる広い岩だなより一つ上の切り立った崖に動きが生じていた。岩肌が先ほどよりかなり大きくなった石を、否もはや拳大となった落石を複数個走らせている。そのうちにどんどんと量も大きさも激しくなっていく。
坂の方にいるユウナ達とすこし横にずれた位置で起こっているので害を恐れなければいけないのは自分、それ以上にティーダだった。
 
「ティーダ!」
 
怒鳴られなくともわかっている。だが少年には動きようがなかった。
崖側を前方とするなら自分の背中は海に向けられている。無論そちらも切り立った崖だ。落ちるわけにはいかない。左右に逃れることも難しかった。ただそのうち襲ってくるだろう衝撃に備えて身構えた。
こちらに向かって走り出す男が見えた。
 
「アンタが来てどうすんだよ!!」
 
思わず叫んでいた。魔物に襲われているのとは違うのだ。彼が来たところでもしもの時は二人して岩の下敷きになるのがおちだ。
そうやって自分を彼が心配してくれているだろう事は嬉しかったけれど。
 
何故か、怖かった。
 
こわかったんだ。
 
 
 
とうとう崖の一部ごとが滑り始めた。先ほどの『シン』の襲来での余波で地盤が緩んでいたのだろう。今の今まで耐えてきたというか、滑る寸前だったのがなんらかのきっかけも必要とせずに支えを外れて重力に引かれ始めたのだ。
岩石などという生易しい物ではない。それが下に向かって動き始めてようやくその大きさを測り取り、目を見張る。
徐々に、しかしその落下距離が伸びるにつれ加速度的に下に向かって岩肌の上を滑り落ちる。その圧倒的な質量と硬度から作り出された破砕力の前に、岩肌に必死に根を張っていた木が薙ぎ倒される。少し突出した地肌が細かな石屑とそのほかに意図もたやすく粉砕される。何をもそれを止めることは出来ない。
 

轟音と砂煙。
人間の細い声などあっさりとひねり潰された。
誰もが大小さまざまの悲鳴に似た声を上げたが目をそらすことはなかった。というのもその落石の流れは幸い、少年を呑み込むことはないように見えたからだ。
少年の立つ場所は広く、崖の下から少年の居る海の方までは相当に距離がありその危険極まりない流れが少年に及ぶまでに止まる事が目に見えていたからだ。少年自身がそのように判断していた。
 
轟音はすぐさまやみ、その余韻のように地面に岩のかけらが落ちる乾いた音が断続的にしていた。
とりあえず誰にも物質的被害は無かったようだ。
 
さすがにほぼ目前にまで迫った危機を回避できたことにティーダは息を一つついた。
だがそれもまもなく破られることになる。
 

「大丈夫だった!?ティーダ!」
 
ユウナは拡声器代わりに口の周りに円を作っていた手をわずかに下げた。
どうにも少年の様子がおかしい気がするのは気のせいか。先ほどの寸でで巻き込まれずに済んだ災害による緊張状態が解けていないのだろうか。
 

「ティーダ?」
 
少年からの答えはない。それどころか妙に姿勢が硬いように見える。
 
「どうした」
 
身構えに近い体勢を解いて無造作に少年に近づこうとした途端、鋭い声で制された。
 

「アーロン、来んな!!」
 

  なに?
 
冗談でも何でもないせっぱ詰まった声に足が一瞬地に縫いつけられた。みれば少年の顔が明らかに強ばっていた。
何があるのだというのだろう。
 

   みしり
 

生木がしなる音のような柔軟さに欠けた、どちらかといえば乾いた、そして先ほどの前兆とどこか共通する物を匂わせる音。
それをいち早く耳にしたのは音源にもっとも近い少年。次はスピラの一般的住居二つ分ほどの距離にいた男、残る人々が気付いたのはわずかに遅めだった。
 
「ティーダ!走れ!!」
 
動かなければいけないのはわかっていた。だがこの一瞬にもごくごく微妙に体の位置が低くなりつつあるのが錯覚でもないのが視点の移動で感じた。
自分の身を置く岩棚が揺らいでいる。少しの衝撃やその上にかかる重みの移動があればたちどころに下に向かって崩れるだろう、そのこともわかった。だから動かないとどうしようもないのに海側から男達の方に向かうことが出来なかった。
 
「ティーダ!」
 
男の叩きつけるような声が、少年にまとわりついたしがらみを断ち切った。
踏み出した足に重心をかける────                                            
 
その瞬間に少年の体が傾いだ。
少年のすぐ後ろの切り立った崖が海に向かって恐るべき殺傷能力を持ち合わせた団塊となって崩れ始める。少年の足先より少しいった地盤に亀裂が走る。地盤が大元である部分から切り離されかかり、下に落下を始めた。
もはや少年は姿勢を保つことが出来ず片膝を突きかけた。そのなんの保護もない膝が尖った石だらけの地面に突く瞬間、水平だった岩盤が大きく斜め方向に角度をつけた。
そんな状態で踏ん張れるはずもなく、少年の体が岩盤をからも滑り落ちそうになった。
 
とうとうユウナは口元を細い指を重ねて覆ってしまう。
ワッカは間に合うかどうかも考えずに坂を駆け下りた。
 

  落ちる─── 
 

蒼い瞳を閉ざしにかかった直後、乱暴に手首を捕まれた。
 
「ぼさっとするな!」
 
思わぬ痛みに目を開けると、無事な方の割れ目の向こう側から男が腕を伸ばしていた。
自分の支えとなっているのは男の腕と、片足が捕らえた崩れた崖に残された突起だった。片足は中に泳ぎ、下から風が巻き上げるのを感じる。上半身を突き出した男の顔が影にかけられてその表情がよく見えない。
息をつきかけた自分の耳を収まらない音が侵入してくる。
 
まだ、終わっていないのだ。
先ほどの落石の衝撃のすさまじさにここ全体に振動が行き渡っている。脆い岩盤の先端部のみが崩れるだけでは済まされなくて当然のことなのだ。 この岩棚全体が緩んでいたとすればその全体が崩れ落ちてなんら不思議はない。これこそ連鎖的な二次の災害だった。居合わせた自分は運が悪いとしか言いようがない。

「アーロン!オレはいいからさっさとここ離れろって!」
「黙れ!そんな言葉を吐く暇が在ればとっとと這い登れ!!」
「いーから離せっての!!んとにやめろよ!」
男の立つ位置すら危うい物になりつつあると大きくなっていく崩壊音が雄弁に告げてくる。
手遅れになる前にと、男の腕を振りほどこうとすれば万力のようにグローブの上の辺りの手首を掴まれ、締め上げられた。
とうとう男の姿勢が斜め方向に向かったのが見えた。岩棚全体の落下が始まったのだ。こうなればもう引き金を引いて飛び出した弾丸のごとく止める術はない。
 

唇が震える。
 
落ちる。
自分が落ちる。
自分だけじゃなくて。
 
彼が
 

かれが
 
 
 
           ……わい
 

                          「それ」だけは   イヤ
 
 
 
 
  ティーダ?
 
こんな状況であるというのに、どこか昇天のずれた瞳が少年の同じく硬い表情の中に見いだした。危機にさらされている、ということに源を持つのではないと思う。
自分を見ているようで、その実自分を突き通した何かを見ているようなものに、良い物を覚えるはずもなく。
少年を意識ごとこちらに引き戻そうと腕を引いた瞬間に、大きく足場が揺れた。
これはどう足掻いても持たない。
 

「ユウナ!俺達に構わず野営地に行け!」
「……でも!アーロンさん達をほうっては……!」
 
必死の形相のワッカが走ってきたがさすがに立ち往生する。
 
「そんなのほっとけるはずないでしょうが!!」
「ユウナ!お前は召喚士だ!ワッカ、お前は召喚士を守るガードだろう!!自分のすべきことをはき違えるな!」
 
そういう間にもアーロンの体は傾ぎ、足場が一際大きく下に向かってずれた。
自分の手の中から少年の手首が抜け落ちそうなのに舌打ちする。
 
「それでも!そんなのは嫌です」
 
そういう娘だとはわかっていた。こういうところも本当に父親譲りだと思う。
 
「どうしても何かしたい、というなら夜が明けてからにしろ!!」
 
「何もするな」では絶対に収まるはずのない彼らのことだ。それならばこうしたほうがまだましという物だろう。暗くなり、手元もわからない夜の闇を動かれるくらいならそちらのほうが断然危険度は低い。それだけのことでもアーロンにとっては最大の譲歩とも言えた。
 
「下は海です!きっと助かるはずですから!!」
 
もしかしたら下は海に直結していなくて別の岩棚に叩きつけられるかもしれない、海面をくまなく突き出した岩が覆っているかもしれない。そうでなくともこの高さで水面に叩きつけられて無事でいられるかも定かでない。
たといそうだとしても、ユウナは良好な方向に考えるのをやめなかった。望むことが何らかの力を現世に微細といえ影響を及ぼすと思うかのように。
 
「だから!夜が明けたら必ず船を出して探しますから!!絶対探しますから!」
 
  それまで待っていて下さい
 
 
 
その年若い「召喚士の真摯な言葉に応える前に、ついに岩盤が崩れ落ちた。
何も出来なかったワッカの何やら叫ぶ声の断片が聞こえた。
 

「アーロっ……!」
 
詰まったような少年の声に、その手首の元である体をたぐり寄せようと試みる。
耳元を風が切る。空の方向に向いていた頭が海に向けていた足側と上下位置が逆転するかに見えた瞬間。
 
 
凄まじい衝撃が体全体を襲った