「カット!」


監督のその声が掛っても、由紀は、悠一との接吻をやめなかった。

”演技でしょ!!”
沙織が躊躇してから、二人が離れたのは、数秒の後の事だった。
”早く離れなさいよ!”
嫉妬を盛り上げるのは、それだけでは無かった。
”厭!!!!!!!!!”

二人の唇が離れる時、悠一と由紀の唇から、二人の体液が糸の様に伸びて消えた。
”演技じゃないの?”

沙織の場所から見ると、ただ、唇を重ねた様に見えるだけだったが、
二人の行為は、それ以上であった。
台本上、そこまで必要とは思えない内容であったが、二人は沙織の前で、
舌を絡めていた。

”悠一が汚される...”
沙織の心に高ぶる火が着く。そして、その炎に薪どころか、ガソリンを振りかける様に、
由紀は、悠一の唾液をふき取りもせず、その唇を歪め、沙織に嘲笑を浮かべながら、
視線を送ってくる。

『悠一は、もらうわ』

沙織には、その視線がそう言っている様に思える。
自分の気持ちの整理がつかない内に、撮影は続く。

”悠一と話したい!”
そう思ってても、撮影を止める事などできなかった。

「シーン15−2」
監督の声が飛ぶ。

映画撮影でよくある事であるが、クライマックスのシーンは、前、横、後ろから、
同じシーンを何度も撮影する。
それは、沙織にとって悪夢のフラッシュバックが、現実の物として、再現される事に
他ならない。

カメラと、背景が再セットされると、
悠一と、由紀がまた見つめあう。

『駄目だ! 由紀! お前を渡したくない!』 悠一のセリフだったが、
沙織の心に刺さる。
”またキスしちゃう....”

その通りだった。由紀と悠一は激しい抱擁をすると、また唇を重ねる。
先ほどは、想像もしていなかったディープキスを確認する様に、
沙織は悠一の唇を凝視してしまう。

”...入ってる。”
沙織の物だけであったはずの悠一の唇の中に、由紀の舌先が挿入され、
悠一が犯されていた。

明らかに、悠一は遠慮気味であったため、まさに悠一の唇が蹂躙されているのだった。
二人の唇の間から、かすかに粘膜の躍動が光って見える。

”早く終わって...”
そう沙織は思う。だた、沙織の体は別の反応を示し始めた。
”な、何..”
悠一の蹂躙される唇がめくれる様に動くたび、沙織の”下の粘膜”にしびれを感じてしまう。

時間が止まった様に由紀の愛撫が続いていく。
”な、なんで私...濡れちゃうの!  厭なのに...”

沙織は、無意識に自分の太ももを強く合わせ、股間に力を込める。
それは、指でまさぐる事ができない状況で可能な自慰に等しかった。

「カット!!」
監督の声に、沙織は我に返った。

「由紀ちゃん良いねえ。本当の恋人見たいだよ!」
助監督が、由紀に近寄り声を掛ける。

”こ、恋人!”
本当の恋人である沙織の目の前で残酷な宣言だった。今まで悠一を支えるために、必死に
機械の部品を清掃してきた努力だけが沙織の支えだった。
それを簡単に否定される。

唯一の望みは、悠一が由紀に対して遠慮がちであることだった。
少しほっとしたのは、
二人が離れると、悠一は沙織に対し、視線を送り、”演技どうだった?”
と照れながらも口パクで笑いかけてくれたからだ。

”お芝居なんだから!”
沙織は少し安堵する。 ただ、悠一の笑みの後に立つ由紀から激しい視線が沙織に送られていた。

”私が、悠一の彼女!”
沙織は強気に、由紀の視線を跳ね返す努力をした。

ただ、その望みも打ち砕かれる事になる。

「悠一君。固いなあ。もっと由紀ちゃんを...うーんそうだな、蹂躙する様な感じで!」
監督が悠一に指示していた。
「これから、由紀は他の男の元に向かわなくちゃいけないだぞ!
その男の物になる由紀に、自分を刻みつけるように、激しく頼むよ。」

「は、はい!!  ただ、由紀さんに悪い様な...気がして..」
悠一が慌てて返答した。

「お前、鈍いなあ。」
「由紀ちゃんは、了解済みなんだよ。俺は由紀ちゃんが艶めかしく揺れる絵が欲しいんだ!!
君ならOKって事で配役してるんだから、がっつと!」

その監督の言葉は、第三者からの由紀の告白にも取れる発言だった。

「えっ!は、はい!」
鈍い悠一もその事に気がついた様であった。
悠一が、由紀に視線を向ける。 由紀は悠一の視線を受け入れると、この世の物とは思えないほどの妖艶で、はにかんだ笑顔を作っていた。

二人は、多くのギャラリーの中で、恋人の様に照れあう。

”酷い!!!!”
沙織の全身の血が引く感覚を覚える。
”私の悠一...”

ただ、今この撮影所では沙織では無く、由紀と悠一の二人の関係を怪しむ顔だらけだった。

「そういうことだから、シーン16は君が主導で、がっつり頼むよ!」

沙織は慌てて手元の台本を開く。
台本の内容は、抱擁と接吻の後、悠一から離れようとする由紀を、後から悠一が、羽交い締めし、首筋に唇を添わせながら、由紀の胸に手を添わすという内容だった。


”悠一...”
少しでも、悠一の心が欲しく、沙織は必死に悠一に視線を投げかけるが、監督に叱咤されたばかりで、悠一は沙織の視線に気づかなかった。

悠一が由紀を羽交い締めしている姿を想像すると沙織は切なくなる。
自分の彼が、他人の女をまさぐる。
”ああっ”
得体の知れない感情が湧く。

”私、一人ぼっち...”
そんな感覚に苛まれながらも、沙織は全身に鳥肌が立つ。
太ももにぬるっとした違和感を感じながらも、座ることもできず、立ち尽くすしかなかった。

「シーン16.立ち位置確認!」
沙織の妄想が、現実のものとして目の前で再現される。

悠一と由紀が、公然と唇を合わせる。
”立ち位置でしょ?”
シーンの始まりのはずなのに、由紀と悠一は唇を重ねるだけでなく、お互いの舌と舌を絡めていた。

監督の叱咤でいたしかたなくと解っているはずなのに、今度は悠一の舌もまた、由紀の咥内をまさぐっている様を、沙織は目の当たりにする。

”悠一の、悠一の舌が...アイツの舌に絡んでる...”
とても口には出せない言葉だったが、その通りだった。

”弄ってる...”
そう思った。

二人の混ざり合う唾液が光ると同時に、沙織の体もそれ以上の体液の分泌が湧きだす。
”私...興奮してる!!”

最悪だった。今、まさに自分の彼氏が他の女の咥内をまさぐっている。その様子を彼女である
自分が見せつけられている屈辱に、沙織自身が興奮していた。

「シーン スタート!」
監督の声が掛る。

由紀が物惜しそうに、悠一を振りほどく。二人は視線を絡めながら離れようとするが、
悠一が、由紀を引き戻し、背後から羽交い締めした。

”やめて...”
沙織の心の絶叫は届く事無く、悠一は、由紀の首筋に唇を添わせる。

「行くな! 由紀!」
悠一はそう呟きながら、由紀を固く抱きしめる。そして由紀のうなじに顔をうずめ、
由紀の首筋を愛おしそうに、愛撫した。

撮影所のスポットライトで、由紀の首筋が照らされる。
演技とは思えない愛撫で、その首筋が悠一の唾液で光っていた。

”あううっつ”
沙織は自分がその愛撫を受けているかの錯覚に陥る。

それだけでは無かった。悠一は羽交い締めにした腕を由紀の胸に伸ばした。
細みの体に似合わない豊満な胸の形が、ブラウス越しに露わになる。

沙織もスタイルは悪く無く、そこら辺の女に負ける事は無かったが、由紀の体は、沙織から見ても魅惑的だった。

そして、悠一の大きな掌が、お椀形の由紀のカップを掴むと握力を掛け始めた。
綺麗な形の由紀の胸が変形を繰り返す。


”悠一....”
自分の彼氏が目の前で、首筋を愛撫しながら、他の女の胸をもんでいた。

屈辱と嫉妬で沙織は狂いそうだった。
”見てられない....”
心はそう訴えるが視線が離れる事は無かった。

誰にも触られていないはずの自分の胸の先がこわばる。
”触ってほしい...”

沙織は屈辱の中、自分の乳首が愛撫を欲している事が情けなかった。
カットの声が掛る事無く、悠一の指が由紀の胸に食い込んでいた。

”だ、台本に無い!!!”
沙織は愕然とした。

それは台本には無かった行動であった。
悠一のもう片方の腕が、由紀の腰から下の方に移っていく。

”演技でしょ!”
何度そう思った事だろう。
今度は、悠一が自分の演技にのめり込んでいく。

しかも由紀は全くその行為を排除しようとせず、受け入れる。
白いロングスカートの上から、悠一の指が由紀の場所を確実にとらえていた。

”本当に触ってる...”

沙織は、悠一の指が確信の場所を捉えた時、由紀の指が弾むのを見てしまった。
由紀の眉間にしわが寄り、声を出すのを抑えている表情だった。

それは、演技では無く、女としての本当の反応だった。

”酷い.....”
沙織の彼氏は、他人の愛撫に必死だった。
本当の彼女はその姿を見せつけられながら、漏らす様な洪水を味わう。

”駄目よ...止まらない....”
沙織は悠一の行為なのか、自分の体の反応なのか、どうすることもできずにいた。

”もう無理....”
沙織は、肩から掛けたカバンを自分の前に隠す様に移動させ、自分の彼氏の愛撫を見ながら、
立ったまま、手を移動させる。

さっと周りを確認する。
周りも迫力の演技に見入っていた。

カバンの影で、沙織は自分の股間を押さえる様に摩る。
”感じる....”
もう、体の抑制が利かなかった。

太ももを合わせると、既に薄手のショーツでは受け止められない量の液体が、
沙織の体外へ放出されていることが確認できた。

”私...悠一に裏切られてるのに...オナニーしてる”
狂いたかった。
嫉妬と憎悪だけのはずだった。

沙織は逝きそうだった。


”ひっいい!”
沙織が氷付いた。それは壇上の由紀の視線が沙織に向けられたからだった。

「カット!」
監督の声が掛る。
悠一と由紀は離れる。 その間も由紀の視線は沙織に向けられていた。

しかも、その口元には蔑みに似た嘲笑があった。

”み、見られた....”
沙織は周りを気にしてカバンで隠していたが、壇上の由紀からの視線は、隠し切れていない事に気付く。

沙織は羞恥で俯く。 彼氏を演技とは言え、一時的に奪われた上、その姿を見せつけられ、興奮して自らを諌める行為を見られたのだった。

”....触ってる所...見られた”
絶望感が漂った。


そんな沙織の絶望とは逆に、撮影所の空気が和む。

「良い絵が取れた!明日もその調子で頼むよ!」

監督がOKを出した。

撮影所の中の緊張が緩み、拍手が起こった。
沙織は居た堪れなくなく、悠一に視線を向ける。
視線の先の悠一は、由紀と何やら話しをしていたが、困った様な顔をしていた。
そして何やら悠一がうなづいていた。

由紀との話が終わったのか、悠一が沙織の所に戻ってきた。


どうだった?僕の演技。」
悪びれる事も無く、悠一は沙織に誇らしげに話しかける。
悠一にとっては職業の晴れ舞台であった。

「ちょっとやり過ぎじゃないっ!」
沙織は悠一に釘をさす様に言った。

「拗ねるなよ! 俺には沙織しか居ないって!」

”....”

その言葉が、沙織にとって何より今は嬉しかった。
泣きそうになるのを抑えながら、悠一に微笑み返す。

ただ、その嬉しさを吹き飛ばすような提案を悠一がする。

「由紀さんが、明日のシーンの確認とリハを今晩したいって言われてるんだよね。」

明日のシーンと言えば、ベッドシーンだった。

「リ、リハってベッドシーンでしょ? 何するの?」
沙織は慌てて悠一に確認する。

悠一が、沙織の真意に気付いた様だった。

「逆だよ逆! 恋人じゃないんだから、何処までOKか、どういう風に演じるかだよ!」
悠一は笑って答える。

”あなたはそう思っていても....”
沙織は不安だった。

そして、その不安を的中させる様に、由紀が近づいてくる。

「そういう事だから、今晩、悠一を借りるわね。 マネージャーさん。」
由紀が図々しく、悠一と腕を組んだ。

「それとも、マネージャーさんも一緒に来る? 見るの好きなんでしょ?」
先ほどの自慰はお見通しとばかりに嫌味を由紀は言う。

あまりの羞恥に沙織は顔を赤くする。
必死に紛らわせようとした。

「二人だけで?」
悠一に沙織は確認をした。

悠一は沙織が羞恥の行為を由紀に見られているとは知らない。
「そうだよ! だから、沙織も来れば良い!」

「三人だったら、平気だろ?」
その言葉に、わざとらしく由紀が同意する。
「私は構わないわ。そうしましょう。」

”......私一人に見せつけるの!”
沙織に屈辱と羞恥が湧きあがるが、今夜、由紀と悠一を二人きりにする事は出来なかった。





「お疲れ様でした!」
撮影所の照明が落ちる。

沙織も悠一と撮影所を後にする。
由紀はさすがに、売れっ子女優である。黒塗りのベンツに自分のマネージャーと乗り込むと、撮影所から出ていく。

「また後でね。」  由紀が悠一に声を掛ける。

沙織もこの場では、駆け出し俳優、悠一のマネージャーである。

「お疲れさまでした!」 悠一が由紀に頭を下げる。

ベンツに乗り込む恋敵に、沙織も頭を下げ、挨拶しなければならない事が悔しかった。
”やっと二人になれた”

沙織は駅までの道のりを悠一と歩く。

”私の悠一..” 
そう思いながら、悠一の腕に自分の腕を絡めた。


駄目だよ!!」
悠一がその腕を振りほどいた。

「監督に、駆け出し中に写真社とかにすっぱ抜かれたら、干すって。」

”悠一は俳優なのよね...”
沙織は諦めるしかなかった。

「これから何処に行くの?」
沙織が悠一に確認する。悠一からは、当然の回答が帰ってくる。
「由紀さんのホテルに行かなきゃ。」

悠一が嬉しそうだった。
「嬉しいの? 厭!」
沙織が悠一に嫌味を言う。
「しょうがないだろ?仕事なんだから! 妬くなよ。」

当たり前の返答だった。
ただ、沙織はすぐには、向かわせたく無かった。

「悠一、由紀さんの所に行く前に、.....Hしない?」
沙織は恥ずかしさを抑えながら、悠一におねだりした。
こんな事をお願いする事は今までしたことも無かった。

悠一は、驚いた様な表情をする。

「...ごめん時間が...」

悠一は誘いを断ってくる。
「そんな....」

初めてのお願いが聞き入られる事は無かった。
「じゃ、じゃあ...キスだけ。」

まるで風俗嬢の様に、悠一に甘える。
由紀に奪われた悠一の唇を取り戻したかった。

「ごめん。」
まさかの返答だった。

「な、なんで!!!」
驚愕な悠一の返答に、思わず、叫んでしまった。
「ま、まさか由紀さんの事!!」

絶望だった。奪われた唇も取り戻す事無く、恋敵に悠一を渡さなければならない。
悠一を泣きそうになりながら、見上げる。

「こ、これ...」
悠一は、自分の唇を指差す。

「く、口紅!!!」
由紀の口紅が残っていた。

「早く拭きなさいよ!!!」沙織が慌ててハンカチを取り出す。が、その行為を悠一が止める。

「由紀さんの所に行くまで拭いちゃだめだって。  他の女とキスした後、演技でも由紀さんが触れるのが厭って言われちゃって....その確認のためだって。」

悠一は申し訳なさそうに、返答した。
「断りなさいよ!!!」
沙織はムッとして悠一に返答する。「私の気持ちはどうするのよ!!」

怒りを露わにすると、思いも寄らない返答が悠一から帰ってくる。

「断ったさ。けど、守れなかったら、役を降りてもらうって..」
由紀は悠一を脅迫していた。

”奪われる...”
沙織はそんな気がした。

「この役降りれないの? 由紀さん、悠一の事好きなんじゃない?」
素直に思った事を口にした。

「10年!十年掛って取れた役だ! 由紀さんの気持ちはどうあれ、今は僕は掴んだ役を離す訳にはいかない!」
悠一が真剣なまなざしを沙織に向けた。

「私と別れても?」
沙織が最後の言葉を口にする。

悠一は首を横に振った。
「沙織と別れるつもりなんて無い! ただ、沙織なら理解してくれると信じてる。」
悠一はそういうと、沙織を抱きしめた。

「こんな事しかできないけど、今は我慢してくれ。」
そんな悠一を見放す事など、沙織にはできなかった。

「悠一が、他の女と抱き合うのを、見なきゃいけないんでしょ?」
泣きそうだった。

「..............」
「..............」

二人は無言で、征服者の元へ歩き始める。
月の光が、二人を照らす。  柔らかな月光が、悠一の残り紅を妖しく、磨かれた鎖のようにきらめかせた。


次話3話へ続く