特定の脳領域における損傷

 脳の最上層(大脳皮質)の損傷は通常、患者の思考、感情の統合、正常な行動を損なう。大脳皮質の特定部分は、特定の種類の行為にかかわった作用を持つので、損傷の正確な場所と範囲から、障害の様相が決まる。
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前頭葉損傷

 大脳皮質の前頭葉は、主に学んだ運動技能(例えば、書く、楽器を弾く、あるいは靴ひもを結ぶ)をコントロールしている。顔の表情や身体の豊かな表現力も調整する。前頭葉の特定部分は身体の反対側の特定な巧緻運動をつかさどっている。
 前頭葉損傷を受けてからの行為への影響は、外傷の大きさとその位置により異なる。小さい傷は通常、時に発作を引き起こすことがあっても、傷が脳の片側だけであれば目立つ行動障害を起こさない。前頭葉の後部に大きな傷を受けると、無感情、無関心、無視等の態度となり、時に失禁する。前頭葉前部または側面に大きな傷を受けた患者は、気が散りやすくなり、変に幸せそうになったり、理屈っぽく、野卑になり、不作法になる。患者は、自分の態度がどんな結果を生むのか無頓着である。
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頭頂葉損傷

 大脳皮質の頭頂葉は、形、素材、重さの印象を統合し全体的認識とする。数字や言語技術は、この部分に依存しているところもあるが、側頭葉に接した部位に関与するところが大きい。さらに頭頂葉は、外界に対する自身の関係や四肢の位置関係を認識する。
 頭頂葉の前部での小さい機能脱落は、身体の反対側にしびれを起こす。大きな損傷を持つ人は、順序立てて並べられた仕事を遂行する能力を失い(失行症と呼ばれる病態)、左右を認識する能力などを失うことがある。大型の損傷は、自分の身体の部分や身体の周りのスペースを認識する能力を損なったり、あるいは以前よく知っていた時計とか立方体のような形などの記憶が障害される。頭頂葉のある部分に受けた突然の損傷により、患者が自分の重症の状態に気付かず、これを無視し、脳損傷からくる半身麻痺があっても否定してしまうことがある。意識が混濁して訳が分からなくなり、服を自分で着ることができなくなり、他の日常の用事を足すこともできなくなる。
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側頭葉損傷

 側頭葉では、最近の記憶や現在までの長い期間の記憶の中に今起きている出来事を処理している。側頭葉は、音と像を理解し、記憶を蓄積し、想起し、情緒の形成などの機能をする。右の側頭葉への傷害は、音と形の記憶を損なう傾向がある。左の側頭葉への損傷は、外界からや自身の内部から来る言語を理解するのを著しく障害して、発言ができなくなる。ユーモアを解さず、異常な信仰心、強迫と性欲減弱のような性格の変化が、非優性右側頭葉損傷患者に起こる。
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頭部損傷による疾患

 頭部損傷により起きる特定の疾患として、外傷後、てんかん、失語、失行、失認、健忘がある。
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外傷後てんかん

外傷後てんかんは、脳が頭部強打による外傷後ある程度たってから発作が起こる疾患である。
 発作は、脳内での異常電気の放電に対する反応による。発作は、脳の穿通創ではない重度の頭部損傷患者を持つ人のおよそ10%、そして穿通創を持つ人の40%に発現する。発作は、外傷後、数年間現れないことがある。結果として生じる症状は、しばしば脳のどこが発作の源かによる。フェニトイン、カルバマゼピン、バルプロ酸塩のような抗けいれん薬によって外傷後てんかんのコントロールが通常可能である。実際、発作予防のため重度の頭部外傷後に、このような薬物を処方する医師がいる。しかし、専門家はあまりこのようなことはしない。発作が起きれば、治療は数年間以上続ける。
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失語

脳の言語領域の損傷による言語能力の喪失を失語という。
 失語患者は、言葉を理解したり、口にすることが部分的または完全にできない。左側頭葉と前頭葉の近くの部位は、たいていの人で言語機能をつかさどっている。脳卒中、腫瘍、頭部損傷、感染症などによる損傷の部位が、どんなに小さくても言語機能のある面の障害を来す。
 言語障害にはいろいろな種類がある。欠陥の多様さは、言語機能の複雑な性質を反映している。書かれた言葉を理解する能力だけを失う(失読)人もいれば、思い出してその物の名前を言う能力だけを失う(失名辞)人もいる。失名辞の人には、正しい言葉を全く記覚できない人もいれば、言葉を覚えてはいるがそれを言うことができない人もいる。構音障害は、正確に言葉を発音する能力がないことをいう。一見言語障害のように見えるが、構音障害は、音声を発するために使われる筋と、音声器官の協調作用をコントロールしている脳の領域が受けた損傷によって起こる。
 側頭葉損傷後に発症するウェルニッケ失語症の人は、一見流ちょうに話をするが、話の内容は混沌としていて、要領を得ない意味のない言葉を次々と並べて話す(言葉のサラダと言われている)。ブローカ失語(表出性失語)を持つ人は、主に言葉の意味を把握していてどのような答えを望むかは知っているが、言葉としては言えないという障害を持つ。時には、ののしるような乱暴な声になったり、苦しそうに絞り出すようにして話すこともある。
 左側頭葉と前頭葉への損傷は、初めは患者を完全に無口にしてしまう。このような完全な(全面的な)失語の状態から回復するまでの間、患者は発語障害(失語)、書字困難(失書または書字障害)、言語理解の障害を示す。
 言語聴覚士は、脳卒中、頭部損傷後に失語を発症した人や他の原因による言語欠陥の人を助けることができる。一般に、患者の健康状態が許せばすぐに療法を始める。

失語症患者の検査→
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失行症

失行症では、運動の順序や方式を覚えていなければ不可能な行為ができなくなる。
 失行症は、通常頭頂葉や前頭葉の損傷によって起こされる珍しい能力不全である。失行症では、習熟した、複雑な仕事をするために必要な運動の順序の記憶が消失しているように見える。というのは、上下肢に仕事ができないことを説明できるような身体的な欠陥がない。例えば、実際にボタンをかける行為は、一連の動きの順序から成り立っている。失行症の人は、この動きの順序を覚えていないので、そういうことができない。
 ある型の失行症は、特定の種類の行動だけが障害される。例えば、絵を描く、メモをとる、ジャケットにボタンをかける、靴ひもを結ぶ、受話器を取る、楽器を弾くなどの能力を失う。脳の機能不全の原因となっている基礎疾患に対して治療を行う。
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失認

失認は稀な疾患である。失認の患者は、物を見たり感じたりできるが、それらの通常の役割と機能に結びつけて考えることができない。
 ある種の失認を伴う人は、いつも見慣れた顔やスプーンとか鉛筆のような一般的な物を見て、それを絵に描いたりすることはできるけれども識別することができない。失認は、今までによく知っている物の使い方や重要性などの記憶、身近にある物が大切だという事実などを蓄えている、脳の頭頂葉と側頭葉での故障によって起こされる。失認はしばしば、頭部損傷や脳卒中に続いて突然起こる。自然に改善、回復する失認患者もいる。患者は、それらの奇妙な障害にうまく対処できるようにしなければならない。特定の治療法はない。
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健忘

健忘は、最近やずっと以前の経験、事象などを思い出す能力の全体的または部分的な不全である。
 健忘の原因は、部分的にしか分かっていない。脳に対する損傷は、損傷の直前(逆向性健忘症)や直後(外傷性健忘症)の記憶喪失を生ずる。損傷の重度によるが、たいていの健忘は数分から数時間だけ続き、治療を受けなくても治癒する。けれども重度の脳損傷では、健忘は永久的なこともある。
 学習には記憶が必要である。小児期に得た記憶は、若い脳には特別な学習能力があるらしく、成人期に得たものよりしっかりと身についている。情報を受け取る、思い出すなどの働きをする脳の機構は、主に後頭葉、前頭葉、側頭葉にある。大脳辺縁系を発信源としている感情は、記憶をしまい込むこととそれを取り出すことの両方に影響を与えることができる。大脳辺縁系は、意識の清明さや認識性にかかわる領域に密接に関係している。記憶は複雑に織り上がった脳機能を必要としているので、事実どんな種類の脳障害でも記憶喪失を起こすことになる。
 一過性全健忘は、突然に、時間、場所、他の人のことなどが、こんがらがってしまい全く思い出せなくなってしまうことをいう。一過性全健忘患者の多くは、一生に1回しか発作は起こらないが、繰り返し発作を起こす人もいる。発作は、30分からおよそ12時間続くことがある。アテローム動脈硬化の結果として、脳の小動脈が、断続的に閉塞を来す。一時的に脳への血流を減らす片頭痛は、若い人に一過性全健忘を起こすことがある。大量飲酒、バルビツール酸塩、ベンゾジアゼピンのような精神安定剤の過剰服用もまた短時間の発作を起こすことがある。健忘が起こると全く方向を見失い、それまでの2、3年の間に起きた事柄を思い出せなくなる。通常は、発作の後すぐに混乱は治まり、原則としては、完全に回復する。
 アルコール依存や他の栄養不良の人は、ウェルニッケ‐コルサコフ症候群という稀な形の健忘を発現することがある。この症候群は、急性錯乱状態(脳症の1種)と比較的長く続く健忘の二つの疾患の結合から成り立っている。両者共に、チアミン(ビタミンB1)欠乏症が原因となる脳の機能不全の結果として生じる。チアミンを含んでいる食品を食べないでアルコール分を大量に飲めば、脳へのビタミン供給は減少する。それまで栄養不足だった人が、他の液体を大量に飲むとか、あるいは外科手術後に静脈内に補液を大量に投与されたりすると、やはりウェルニッケ脳症を引き起こすことがある。
 急性のウェルニッケ脳症を発症する人は、ふらつきがちになり、眼の障害が発現し(眼球運動の麻痺、複視、眼振など)、混乱、そしてものうく眠くなる。そういう患者の記憶喪失は重度である。通常チアミンを静脈内に投与すれば障害は取り除かれる。急性のウェルニッケ脳症を治療しないで放っておくと、死を招く。このため、もしアルコール中毒者が異常な神経学的な症状を発現し、混乱を引き起こす場合は、チアミン療法をすぐに始める。
 コルサコフ健忘は、急性のウェルニッケ脳症に伴って起きる。もしそれが重度または繰り返す脳症発作、あるいはアルコール離脱後に続発する場合、生涯治らないことがある。重度の記憶喪失は、しばしば心の動揺とせん妄を併発する。慢性のコルサコフ健忘では、直前の記憶は保持されるが、最近及び比較的古い時期の記憶は失われる。しかし、ずっと以前の記憶は時に残る。慢性のコルサコフ健忘患者は、数日、数カ月あるいは数年前、または数分前に起こったことでさえも何も覚えていないが、社会的に活動でき、筋の通った会話をできる。記憶を失ったことで本人は当惑し、何も覚えていないことを認めるよりは、むしろ話を作り上げる傾向がある。
 コルサコフ健忘は、最も一般的にはチアミン欠乏によって起こるが、これと類似のパターンの健忘が重症頭部損傷、心停止、急性脳炎後に起こることがある。アルコール中毒では、チアミンが欠如しており、これを投与することによりウェルニッケ脳症は治るが、コルサコフ健忘は必ずしも治らない。アルコールを中止したり、障害の原因になっている別の疾患が治療されると、本症は徐々に消失することがある。

健忘によって冒される記憶のタイプ→
即時記憶――数秒前に起こった出来事を思い出すこと
中間記憶――数秒前から数日前に起こった出来事を思い出すこと
遠隔または長期記憶――遠い昔に起こった出来事を思い出すこと