脳外傷とは ホームへ戻る |
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私たち人間の脳は、高性能でデリケートな部品でできたコンピュータにたとえられます。脳は外側を固い頭蓋骨に覆われ、直接傷つきにくくなっています。ところが、交通事故等で強く頭を「ゆさぶられる」ことによって、中の部品のケーブルがちぎれてしまい、コンピュータの機能が部分的に停止してしまうことがあります。 これが「脳外傷」です。脳外傷によって起きる障害は大きく分けると、身体機能障害・認知機能(情報処理)障害・行動障害があり、障害者の社会復帰の足かせとなっています。中でも、認知機能障害等は外見からはわかりにくいのが特徴です。 脳外傷は、治療、リハビリテーションによりある程度の改善は望めますが、問題が残ってしまうこともあり、そういう場合には障害者の家族はもちろん、周囲の方々も援助者となり、スタッフ(専門家)とも協力して「社会生活上、問題となる行動をできるだけ未然に防ぐように対応する」のが最も重要です。 |
事故発生(平成4年11月15日・日曜日) |
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19歳で事故に遭遇・・・暴走族に巻き込まれて、19歳の時に「一樹」はオートバイ事故により[脳外傷]となりました。暴走族が集団で蛇行運転をしているところ、息子はアルバイトの帰り道に遭遇し、巻き添えをうけました。暴走族はみんな逃げ、一樹だけが道路の植え込みの中で意識を失っているところを通行人のかたに救急車を手配していただき「名古屋国立病院」へ搬送していただきました。![]() 事故前同級生・仲間たち 病名は「頭部外傷・脳挫傷・脳幹損傷・遷延性意識障害・急性硬膜下水腫・鎖骨骨折」と 知的障害・記憶力障害・構音障害・重度記名力障害・見当識障害・注力障害・四肢腱反射 抗進と体幹のフラつきなど不安定性著明、とこれだけの障害名がつきました。 事故後この暴走族を探そうとしましたが、警察へ行っても息子を巻き込んだオートバイは「盗難車のため持ち主も分かりませんし、持ち主には責任をとってもらうことは不可能です」とつっぱねられました。自損事故として片付けられ、保証も何もありません。 何度も警察へ足を運びましたが、その都度「担当者がいない」と話も聞いてくれませんでした。そのうち担当者の出勤日に訪ねていくと「転勤になりました」と言われ、あきらめました。今考えるとこんなに重度な後遺症害が残るんだったら親として、とことん探してやるべきだったなと思います。 息子は脳挫傷で脳幹を強く打ち意識不明6ヶ月。ちょうどタッパーにお豆腐を入れ、ゆすると細かくひびが入った状態で修復ができないとのことでした。手術もできない、最善を尽くしますが2,3日が峠ですといわれました。 |
病院生活(6ヵ月後・意識戻る) |
それから6ヶ月間意識不明の日が続きました。今までの人生の中に身近に交通事故に遭った人がいませんでしたので、こんなに重度な障害が残るなんて全く想像しておりませんでした。1週間とか10日間とかは聞いたことがあり、また松葉杖、車椅子、などの人も知っていますが皆さんそれぞれに生活しております。一樹は平成5年5月17日(火曜日)午後4時40分頃6ヶ月ぶりに意識が戻りました。![]() ![]() 事故後6ヶ月ようやく意識が戻り始めました 一樹も意識がもどったら、多少の障害は残るがテレビなどドラマの中の交通事故の障害程度しか思っていませんでしたので、頭のそれも脳の後遺症などさらさら思っていませんでした。もとの生活に戻れると信じて通学中の学校も学費を納め続けました。でも、1ヶ月、3ヶ月と待っても意識は戻りませんでした。 6ヶ月後、私はいつものように仕事が終わり、急いで病院へ戻ります。その日はいつもと違い、彼が私の顔をじーっと見ています、「ただいま!あれ、今日はお母さんの顔から目が離れないけど、分かる?分かるの?」そうしたら息子の目から涙がスーっと流れ落ち低い声で「お・か・あ・さ・ん」とやっと意識が戻りました。6ヶ月ぶりです。嬉しかった!本当に嬉しかった、急いで家族、友達に電話で知らせにいきました。周りにいた人も「尾山さん良かったね、がんばってて良かったね」と私は二十歳になる息子を思いきり抱きしめました。それこそテレビドラマのワンシーンがここにありました。あきらめかけていた家族にやっと光が見えてきました。 |