インターネットをつかった「屋久島オープン・フィールド博物 館」構想

湯本貴和(ゆもとたかかず、京都大学生態学研究センター)

はじめに

 1984年日本モンキーセンター機関誌「モンキー」紙上に、当時モンキーセンター所属であった大竹勝・三戸幸久両氏によって「明日の屋久島への提言_屋久島オープン・フィールド博物館を考える」という一文が掲載された。内容は、世界的に貴重な自然とそれに関わってきた人間の歴史を博物館の土台とし、博物館は自らの存在基盤である地域を保護し、保存し、正しく活用するために、絶えずその地域を調査研究して価値を掘り起こし、その価値をひとりでも多くの人々に普及し理解してもらう活動をおこなうというものである。つまり、屋久島の豊かな自然と人々の営みそのものを、いわば博物館の中味として、それを研究、保全、普及する博物館活動を通じて、社会的に利用していこうという提案である。ここでは、具体的な研究調査活動、保護保全活動、普及教育活動についての項目が挙げられているばかりではなく、「屋久島オープン・フィールド博物館」の必要とする中核施設として、国立公園の管理センターとビジターセンター、自然史博物館、国際研究共同利用施設、海浜・海洋総合センター、歴史民俗資料館、森林博物館、野外教育センター、照葉樹林文化村などが提唱されている。

 1992年に鹿児島県が「屋久島環境文化村構想」を発表し、1993年に屋久島の自然がユネスコの世界自然遺産に指定されて、当時とはくらべものにならないほど屋久島の自然の価値が、島の内外に認知されるようになった。大竹・三戸案の「屋久島オープン・フィールド博物館」構想をいまの目でみると、1)中核施設に当たるものは、いくつかできている、2)当時には考えられなかった「屋久島野外活動センター」、「屋久島ガイド協会」など民間の動きがある、3)これほどの情報化社会の到来を予期していなかった、の3点が挙げられる。

 実際、上屋久町の宮之浦には屋久島環境文化財団が経営する「屋久島環境文化村センター」、屋久町の安房には同じく屋久島環境文化財団が経営する「屋久島環境文化研修センター」、環境庁の「屋久島世界遺産センター」、屋久町立の「屋久杉自然館」が建設され、以前からある上屋久町立の「上屋久歴史民俗資料館」を含めて、大竹・三戸案のうちの、国立公園の管理センター(屋久島世界遺産センター)とビジターセンター(屋久島環境文化研修センター)、歴史民俗資料館(上屋久歴史民俗資料館)、森林博物館(屋久杉自然館)、野外教育センター(屋久島環境文化研修センター)に相当する中核施設が、それらの目的と機能を仔細に検討すれば多少の異論はあるものの、すでに実現しているとさえいえる。

 また、現在では、屋久島の自然を探賞する目的で来島して、比較的長期に滞在する観光客が増加し、これらの需要に応じてエコツアーをおこなう「屋久島野外活動センター」や「屋久島ガイド協会」などに代表される博物館活動と一部共通性をもつような民間の経済活動が目立ってきている。

 さらに、現在はインターネットの著しい普及があって、インターネットをつかった複数の施設の連帯と、外部への発信システムというもの抜きでは21世紀の博物館を考えることができないほどになっている。たとえば、国会図書館では、自宅や職場でオンラインを利用して図書目録の検索をしたり、本の中味も読める電子図書館を開設することが予定されている。1997年の東京大学120周年事業では、全学を挙げて「知の開放」プロジェクト、すなわち、各学部での活動をビデオでCS衛星放送で流したり、その動画をインターネット上で見られるようにして、ネットワークを通じて大学の講義が聞けるバーチャル・ユニバーシテイー(仮想大学)の先駆的な試みが行われた。

 一方、屋久島には大学をはじめとして各種の研究機関に属する研究者によって、かなりの研究の蓄積がなされていると考えられる。大竹・三戸案のオープン・フィールド博物館構想のなかで、まだ実現していないこととして、第1に「研究をフィードバックするシステム」が挙げられ、そのために改めて、いわば第2期の「屋久島オープン・フィールド博物館」構想を考えなくてはならない。

現存の中核施設と「屋久島オープン・フィールド博物館」

 現存の中核施設は、管轄が町、財団、環境庁などと異なっており、その間の有機的な運用が困難となっている。その結果として、どこかの官庁がイニチャチブをとってなにか総合的なことをやろうとすることが難しい状況にある。環境文化財団こそ、その役目を担う目的で設立されたはずだが、1)両町から意見を直接提案できる制度がない、2)研究調査活動をおこなう学芸員がいない、というかなり深刻な問題点を抱えている。その上、現存の中核施設があるばかりに、新しい他の大きなものをつくるのが著しく困難になっていることも考えられる。

 第2期「屋久島オープン・フィールド博物館」構想は、現存の中核施設の機能を生かしつつ、かつ補完することが最大の課題である。また、官主導というよりも、むしろ島内民間の経済活動や島内外のボランテイア活動をベースにして、NPO活動としてうまく機能する受け皿を用意することが重要である。本稿の提案は、研究をフィードバックするNPO活動のシステムとして、インターネット上に「屋久島オープン・フィールド博物館」というバーチャル・ミュージアム(仮想博物館)をつくって、そこに博物館機能をもたせることにある。具体的には、インターネット上で「屋久島オープン・フィールド博物館」というホームページを作成し、屋久島に関心をもつ研究者を「学芸員」として「登録」する。いま屋久島に多岐にわたる分野をカバーする学芸員を多数置ける総合博物館をつくるのは、さまざまな理由から困難だと思われる。しかし、インターネット上の仮想博物館なら、屋久島研究者層の厚さから「(ボランテイア)学芸員200人のミュージアム」をつくることも可能である。そのホームページにこれまでの調査研究を生かした自然教育のテキストとカリキュラムを蓄積していく。またホームページを整備して「来館者」の質問に「学芸員」が電子メールで答えるサービスや、あらかじめ「学芸員」の来島に合わせて観察会や植物同定会を企画してホームページで広報するなど対面的なサービス機能をもたせることもできる。

 仮想博物館の最大の利点は、さまざまな他のホームページとリンクを架けることによって、居ながらにして遠くの機関や施設のもつ情報にアクセスできる点である。島の中では、現存の中核施設には端末を置いて、それを運用することによって、それぞれの施設は「屋久島オープン・フィールド博物館」の窓口となると同時に、それぞれの機能を補完することが容易になる。「世界遺産センター」、「屋久杉自然館」は、自身でホームページをつくる具体的な計画があるので、そことリンクする、「屋久島野外活動センター」はすでにホームページをもっているので、そことリンクする、などによって、諸施設、諸機関の間のゆるやかに機能するネットワークが実現する。たとえば、「屋久杉自然館」は、植物と貝の標本は全部集めて閲覧可能にする計画があり、「世界遺産センター」は、屋久島文献目録を完備しているが、その情報へのアクセスが可能である。さらに兵庫県立「人と自然の博物館」、滋賀県立「琵琶湖博物館」などとのリンクにより、各総合博物館が整備中の植物画像同定システムや昆虫画像同定システムを利用することも可能である。島の外からは、この情報ネットワークで基礎的なことを学び、いざ屋久島の自然のなかに足を踏み入れるときには、たとえば「屋久島野外活動センター」や「屋久島ガイド協会」のホームページでメニューをみることによって、ツアーとガイドを予約することができる。また観光協会が参画することによって、宿や交通機関の予約まで、このホームページからアクセスすることもできるのである。これらが整備されると、大竹・三戸案で目指したような「屋久島全部がフィールド博物館で、その入り口(フィールド博物館の看板)はいくつもあって、どこからでもいける」ことが実現するのではないだろうか。

 仮想博物館「屋久島オープン・フィールド博物館」には、こうしたサービス提供以外にもいくつかの機能を備えることができる。たとえば現在、研究者が個人のレベルで管理しているさまざまな標本に関していえば、1)地域の標本は、地域のしかるべき機関が収蔵・管理し、研究者は適宜それを借用するのを原則としたい、2)しかし、標本の収蔵・管理は、かなり高度な専門性と継続的な努力が必要である、たとえば、昆虫標本なら、屋久島の環境下で、2年間手入れを全くしないと8割はかびるし、10年間放置すると確実にピンだけになってしまう、そんなに手間がかからないであろう、たとえば冷凍した半標本も適切な管理がなされなければ、検索不可能になってしまう、3)したがって、地域のしかるべき機関があったとしても、高度な専門性と継続的な努力に不安があれば、研究者が地域のしかるべき機関と対応しながら、一時的に管理し、不安がなくなった時点で対処するのが次善であろう、4)ただ、その場合にa) 収蔵する「権利」は地域にあることを確認する、b) 他の研究者の便宜をはかる、という2点で、索引できる目録(本来の「収蔵品目録」)と適切な書類(本来の「貸出書」)とを備えるべきであろう、といった論理を踏まえて、「屋久島オープン・フィールド博物館」に、とくに研究者が入手し、管理している標本については「収蔵品」として目録をつくり、誰か専門家に「貸し出している」という状況にするのが現状に即している。これまで個々の研究者によって採集され、現在各地の大学・博物館に「所有」されている膨大な屋久島の動植物の標本(ごく一例を挙げると、京都大学霊長類研所ctヤクシマザルの標本や京都大学理学部植物学教室の原生自然環境保全地域総合調査時の植物標本)についても、博物館や大学のキュレータ的な役割を担っている研究者を「学芸員」として「登録」し、さらには標本を私蔵しているアマチュアを巻き込んで、そこから間接的に「屋久島産全標本データベース」を作成することも将来的には夢ではない。

 現在屋久島でインターネットを使っている人は、それほど多くはないのは事実であろうし、現存の中核施設でも整備されていない。したがって、この構想はいますぐ最大限に活用されるというより、少し先を見越して準備するという性格のものである。具体的な実現に向けては、どこにホームページのサーバーとなるコンピュータを置いて、だれが管理するかという問題をまず解決する必要がある。
次に「学芸員」になってくれる研究者のリストアップと協力の要請が必要である。これに平行して、さまざまな層を対象とした自然教育のテキストとカリキュラムの作成と、「屋久島オープン・フィールド博物館」活動の広報を目的に、屋久島研究者による、年に一回、1ヵ月程度の野外実習を積み重ねて、ノウハウと資料の蓄積とおこなう予定である(別稿:湯本貴和「屋久島教育プログラムについて」)。このような現場での活動なしには、仮想博物館だけに、顔のみえる血肉のかよったものにはならないであろう。

シンクタンクとしての「屋久島オープン・フィールド博物館」

 かつて博物館は、生物標本や岩石鉱物標本を雑然と並べただけの古色蒼然たるイメージがあった。しかし、日本でも新しいタイプの兵庫県立「人と自然の博物館」、滋賀県立「琵琶湖博物館」などは、狭い意味での自然学習だけではなく、広く自然と人間活動との関わりを学ぶ環境教育の拠点として機能しはじめている。屋久島では、ほとんどすべての人間活動が自然と密接に関わっているといっても過言ではない。仮想博物館「屋久島オープン・フィールド博物館」は、単なる自然学習の場あるいは研究者ネットワークではなく、屋久島が現在そして将来直面するであろうさまざまな環境問題、たとえば自然エネルギー活用、廃棄物リサイクル、有機農業、ツーリズム、原生自然の復元などに関する諸問題を解決するための仮想博物館「屋久島オープン・フィールド博物館」は実質上の「屋久島環境政策研究所」に相当するシンクタンクとしての機能を果たすことが期待される。このために仮想博物館「屋久島オープン・フィールド博物館」の「学芸員」には、自然科学系の研究者だけではなく、社会人文科学の研究者、あるいは地元でさまざまな活動をしている多分野の人々の積極的な参加が必要である。この仮想博物館「屋久島オープン・フィールド博物館」は、既存の組織、運動を束ねる協議会である。個人の「学芸員」だけではなく、すでにある「屋久杉自然館」、「京都大学霊長類研究所」、「屋久島ウミガメ研究会」、「屋久島野外活動センター」など民、官、学、あるいは営利、非営利を問わず、お互い独立採算の組織、機関も1法人として集い、個別課題を協議する機関なのだ。

このような異分野の人々の参加によって始めて、上屋久、屋久両町の掲げる環境基本条例を現実化していくうえでの具体的な個別課題について、政策立案に関与することができると考える。これは従来の教育委員会の社会教育課傘下に位置付けられる博物館では、果たしえない機能である。

 エコ・ミュージアムの精神からすれば、生活者のための博物館、つまり利用者として外部からの訪問者ではなく、地域の生活者を対象にするという視点が大切である。屋久島の住民がどの程度、日常的な相談の場として仮想博物館「屋久島オープン・フィールド博物館」を利用できるかが、成功の最大の鍵であると思われる。小中学校では最近、コンピュータ教育の一環でインターネットを使うところが増えており、文部省の計画では2003年度には全国すべての小中学校をインターネットで結ぶ予定で、学校教育の現場では確実に普及していくであろう。社会教育としては、講演会、学習会などの「学芸員」との直接的な交流だけではなく、たとえば公民館に端末を置き、定期的にコンピュータの講習会を開くということも検討してよいであろう。

 一方では、仮想博物館「屋久島オープン・フィールド博物館」とは別に、恒常的なスタッフをもち、行政が責任をもって問題解決のために直接手をくだす機関の整備が必要なのはいうまでもない。屋久島の自然との共存を実現するためには、少なくともウミガメ類の上陸数のモニタリングと産卵場所の管理と、有害鳥獣となる可能性のあるヤクシマザルとヤクシカの個体数のモニタリングと生息域の管理を、科学的な根拠をもって行う公的な機関、たとえば「屋久島ワイルドライフ(野生動物管理)センター」は絶対ノ必要であろう。また、自然遺産地域の入り口である永田には、自然観察指導と保護管理を行うスタッフの常駐する「屋久島照葉樹林ビジターセンター」を設置し、訪問者に情報を与えるとともに利用上の指針の示すことも遺産地域管理に不可欠である。屋久島に必要なのは、中程度の総合博物館ではなく、はっきりとした目的をもち、野外生物学の専門教育を受けた常勤スタッフを置く「屋久島ワイルドライフセンター」や「屋久島照葉樹林ビジターセンター」のようなものであり、上屋久、屋久両町の教育委員会、企画調整課、環境政策課をはじめとし、「屋久島環境文化村センター」、「屋久島世界遺産センター」、ヤクスギのテーマ博物館である「屋久杉自然館」など公的な既存の組織や機関と補完しあい、かつ全般的には民間の「屋久島野外活動センター」や「屋久島ウミガメ研究会」を含めて、ひろく異分野の人々の集うNPO組織であり、かつ協議会である仮想博物館「屋久島オープン・フィールド博物館」がゆるやかに全体をリンクするという構造が望ましいといえる。

 本稿を書くにあたって、「屋久島研究者グループ」の山極寿一、池田啓、丸橋珠樹、安渓遊地、揚妻直樹、野間直彦の諸氏、屋久島在住の日下田紀三、塚田英和、手塚賢至、真夏昭夫、小原比呂志、大森正昭の諸氏、環境庁・屋久島世界遺産センターの佐山浩氏、「ヤクネット」の杉浦秀樹、松原幹、半谷吾郎の諸氏との議論を大いに参考にしたことを記すると同時に、謝意を表する。


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