屋久島における世界自然遺産の保全

揚妻直樹(あげつまなおき、秋田経済法科大学)

1.はじめに

 屋久島は1993年に世界遺産に登録されたものの、その自然の保全に関しては多くの課題が未解決のまま放置されている。例えば、世界自然遺産に対応した自然保護制度は特に整備されていないし、また、これまでの自然の利用による自然の改変・破壊によって生じた諸問題にも、うまく対処できていない。ここでは、世界自然遺産の保全上の課題を概観し、解決に必要な措置を検討する。

2.世界自然遺産の保全上の課題

2.1西部林道地域の管理

 屋久島西部の世界遺産地域内にはアスファルト舗装された西部林道(鹿児島県道永田屋久線)が通っている。この道路により、多くの人々が世界遺産の自然を容易に体験することが可能となっている。このことから、西部林道周辺は世界遺産体験の場としての中心的な役割を担うことが期待されている。しかしながら、現在の西部林道は世界遺産登録以前に改修された道路でもあり、工法や管理法に関して自然環境に対する配慮に乏しく、さまざまな悪影響が現れている。その結果として屋久島の自然の資産価値を減損させている。

(1)道路による環境攪乱

 森林を切り開くことは自然環境にさまざまな影響を与える。まず、直射日光が森林内に入り込むことで光環境、水条件が変化し、自然植生が改変される。西部林道では道路幅やのり面・擁壁が大きい場所ほど、本来自生していない植物や帰化植物が多く侵入している。また、自生種についても、道路付近では本来の植生構造が改変されている。屋久島では林縁から数十m奥までの植生が攪乱されているとされる。世界遺産地域を通る西部林道の長さは12.5kmであることを考えると、その両側の100ha以上の森林が道路による植生の攪乱を受けてきたと推定される。この植生攪乱は野生動物にも大きな影響を与えている。道路周辺に成立した二次植生や人工的に植え付けた牧草などはヤクシカやヤクシマザルを誘引し、彼ら本来の生活様式を変容させている。今後は、西部林道および世界遺産周辺の道路改修を行う場合には、道路幅やのり面・擁壁を増加させず、むしろこれまでより小さくなるようにし、野生動植物の生態を改変させない配慮が要求される。また、既存の道路で著しく動植物に影響を与えている部分には、その影響が軽減されるような措置をとることも必要であろう。(文献2・3)

(2)野生サルの餌付け

 観光客が道路上で野生のサルに餌を与えることによる、サルの餌付けが各地で起きている。屋久島でも世界遺産地域付近の安房林道や世界遺産地域内の西部林道で観光客によるサルの餌づけが行われている。こうした餌付けは野生動物の生態を攪乱するばかりでなく、動物の健康被害、動物による人への危害、人による動物への危害、交通事故の増加、猿害の激化などを引き起こすので問題が多い。

 道路上で餌付けが起きる原因としては、道路によって改変された植生がサルを誘引すること、のり面が広くなるなどで見通しが良くなり、通行者がサルを発見しやすくなることが挙げられる。さらに、安房林道などでは過去にサルに対して組織的に餌付けを行っており、もともとサルを餌付かせていたことも大きな原因といえる。今後は、道路建設など自然開発の在り方を根本的に見直し、餌付けを誘引するような自然の改変を行わないように注意すべきであろう。また、問題がありながら、餌付けが継続しているのは観光客への指導・自然教育が不十分なためである。屋久島ではサルに餌付けをしないように看板などが立てられているが、それ以上の対策はあまり行われていない。観光客一人一人に餌を与えないように徹底させてゆくことが肝要である。そのためには、観光拠点や道路上で観光客に対し、野生動物の生態やその価値、餌付けの問題点を分かりやすく解説していく必要がある。屋久島における博物館機関にはこうした活動も期待されるだろう。

 屋久島では野生動植物の生態を守るために、「自然の開発の在り方を根本的に改めたこと、野生動物への餌付けを全島的に一切禁止したこと」を、マスコミなどを通じてキャンペーンをはることも検討に値するかも知れない。これは観光客による餌付けを抑制するばかりでなく、屋久島でいかに自分たちの自然を大切にし、誇りを持っているかをアピールするのに効果的であると考えられる。これによって、より質の高い観光客を屋久島に誘致できるものと考えられる。観光客の質が上がれば、サルの餌付け、ゴミ問題、野草の盗採など、観光客がもたらす自然環境への負荷を低減させることもできよう。文献(1・2・5・13)

(3)自然観察路としての機能

 日本の道路は自動車の通行の利便性を最優先に設計されている。しかし、世界自然遺産である西部地域では、自然教育や学術研究の観察路としての機能も求められている。したがって、林道を歩行する時の快適さ、歩行者に対する安全性の確保も必要である。夏季に観光客が集中する屋久島にあって、歩行中の快適さを確保するためには、自然の日陰によって直射日光を避けることが重要となる。直射日光を避けるためには道路両側の木の樹冠が、路面に木陰をつくる状態、いわゆる“緑のトンネル”が形成されていることが望ましい。夏場の西部林道ではこうした木陰によって気温が数度も低くなることがわかっている。また、木陰があることは、侵入植物の定着を抑制し、植生の二次林化を抑え、さらに野生動物の生態の攪乱を抑えることが期待される。しかしながら、西部林道ではこれまでの相次ぐ改修により、この“緑のトンネル”は減少し続け、今では全林道長の1/4しか残されていない。今後は自然観察路としての機能に配慮して管理していく必要があろう。

 西部林道の交通量は季節的に大きく変化する。屋久島住民の利用は日中約20台/日程度と推測されるが、観光ピーク時期にはそれに加え100台/日ほどの交通量がある(1993-1995年調べ)。また、制限速度を超える速度を出している自動車も少なくない。したがって、特に観光時期においては歩行者や野生動物への安全対策を強化する必要がある。自動車と野生動物との交通事故は現実に起こっている。(文献1・2・3・10・13)

2.2自然の公益価値の回復

 屋久島の低地林の多くは最近の半世紀内に人間による改変を受けており、よい状態で残されている部分はわずかである。人為的改変の多くは広葉樹林の皆伐と人工林化によるものである。その結果、屋久島の生態系は大きな攪乱を受け、自然の資産価値を大きく損ねてしまった。自然には非常に大きな公益的な価値があり、住民の生活環境も守っている。しかし、これまでの自然の利用により、その公益的機能は大きく低下し、数々の問題を生みだしてきた。端的な例は1979年に起こった土面川流域
の土砂災害である。これは土面川上流の森林を過度に伐採したことが原因となり、近隣住民に大きな被害をもたらしたものである。現在でも、屋久島では人工林化した部分あるいはすぐ側で多くの小規模な崩壊がしばしば起きている。また、広葉樹林の多くが人工林化したために、野生動物の生態も攪乱された。その結果として、野生のサルとシカに農作物被害を起こさせる原因をつくった。これらは自然の過度の開発によって自然の公益機能が低下したためである。この自然の公益機能を回復させるには、莫大な費用がかかることは、最近の近自然工法の研究でわかってきた。こうした過去の自然利用は、未来の地域経済にツケを回されていると同時に、人類の遺産としての自然の価値をも減耗させてしまったといえよう。

 今後は、行政からも提言されているように、自然の資産的価値を損ねる開発は行うべきではない。逆に、その資産的価値を高めるべく、既に自然を相当程度改変・破壊した場所については、資産価値を高めるような自然の回復の施策も求められよう。これは住民の生活環境の向上と、次世代の世界人類の資産を守ってゆくという二重の便益が期待される。(文献4・7・9・15・16)

2.3自然保護区制度

 屋久島には種々の自然保護区制度がある。しかし、それらは短期的にみた経済優先主義と自然保護の社会的圧力との妥協点として設定・管理されているに過ぎない。世界遺産地域にふさわしい管理を行う上では、生態系の機能や野生生物の生態を十分に考慮した保護区の設定と運営体制が求められる。これには、生物の生態情報に基づいた保護地域の検討、攪乱された自然の回復作業、土地利用法の検討、人間活動の管理、それらのモニタリングなどを有機的に連携させていくことが必要である。しかしながら、こうした手続きには長期間の調査研究が必要であるが、暫定的に既存の制度を運用した保護策も考えるべきである。

 屋久島の世界遺産地域は国立公園をもとに設定されているが、世界遺産地域内およびそれに隣接する部分はすべて特別保護地区として管理するのが適当であろう。自然保護区を守るためには、その周囲に基本的に開発を行わない緩衝地域、開発をある程度は許容する移行地域を設けるのが望ましい。少なくとも、世界遺産地域の周囲1km地帯は緩衝地域として基本的に世界遺産地域内と同様の管理を行い、更にその周囲1_2kmは移行地帯として、開発を制限してゆくことが必要であろう。(文献6・11・14・16)

2.4世界遺産地域外の貴重な自然

 屋久島の海岸部にはウミガメの産卵地、マングロ_ブ林、珊瑚礁など貴重な自然が多く残されている。しかし、これらの地域はその重要性にも関わらず、世界遺産地域にも、国立公園にも含まれていない。ウミガメに関しては鹿児島県のウミガメ保護条例により、またマングロ_ブ林に関しては屋久町の天然記念物としての保護されてはいるが、海岸や砂浜の開発あるいはその開発の影響を抑えるのに効力はない。現実的には、マングロ_ブ林の面積が減少したり、砂浜でウミガメがうまく産卵できなくなっているなどの問題も起きている。

 こうした海岸や珊瑚礁も屋久島の生態系の重要な構成要素である。至急に実効性のある保護策を講じるとともに、順次、国立公園、世界遺産地域へと組み込んでゆくのが妥当である。(文献11・14)

3.環境シンクタンクの必要性

 屋久島の社会には、地域住民や環境行政・教育のシンクタンクが必要となっている。それは、これまでに述べてきた世界遺産地域の保全上の課題全般にわたる問題点を解決するのに必要だからである。そのため>には、自然開発の計画段階からの環境アセスメント、自然に関わる社会問題の分析と解決、住民や観光客の意識の把握と自然教育、教材ソフトの開発、自然保護区の設定・管理運営、自然回復方法の検討と実施、それらの事業の基盤となる自然環境と社会経済の調査研究等の具体的な活動が求められる。これらにより、住民の生活環境の保全、永続可能な観光資源の保全、世界人類の資産の保存がはじめて可能となる。

 人類の遺産を抱える屋久島では独自の環境保全条例をつくることも検討すべきである。これは環境破壊を規制して住民の生活環境の保全を図り、人類の遺産の保存を目指すものである。一定規模以上の建築物を建造したり、一定量以上の資源利用や廃棄物排出を行うなど屋久島の環境に対して大きな負荷をかけている事業者に対する活動の制限などを行う必要があろう。こうした環境監査を行う場合には、調査分析能力があり、しかも、公正な第三者的機関が必要となる。屋久島におけるシンクタンクにはこのような役割を持たせることも考慮すべきであろう。(文献14)

参考文献

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3.揚妻直樹(1994) 屋久島西部林道の緑のトンネル.生命の島32:69-73
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11.揚妻直樹(1996) 屋久島の自然保護と野生生物. ワイルドライフ・フォ_ラム2:23-32.
12.揚妻直樹(1996) 人工林にすむ動物たち. WWF27:8
13.杉浦秀樹・揚妻直樹・田中俊明・大谷達也・松原幹・小林直子(1997) 屋久島、西部林道における野生ニホンザルの餌付き方の調査_1993年と1995年の比較.霊長類研究13:41-51.
14. 揚妻直樹(1997) 白神山地と屋久島・世界自然遺産の保全.「秋田の経済と社会_その構造と可能性」.秋田経済法科大学経済研究所編.pp .181-194.
15.揚妻直樹(印刷中:1998)ワイルドライフマネージメントと霊長類学の役割. 秋田経済法科大学経済学部紀要27.
16.揚妻直樹(印刷中:1998)屋久島の野生ニホンザルによる農作物被害の発生過程とその解決策の検討. 保全生態学研究3.


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