屋久島西部域の自然の学術的価値

野間直彦(のまなおひこ、滋賀県立大学環境科学部)

はじめに

 西部域とは、屋久島の西部、国割岳(1,323m)の西および南 斜面のことを呼ぶ。行政区画は鹿児島県熊毛郡上屋久町永田にある。かつては半山、川原、瀬切などの小字に少数の人家があり、低標高部でコバ作や炭焼が営まれていた が、30年ほど前からはほぼ無人地帯となっている。降水量は、屋久島灯台の観測値では年間約2600mmで、島内では最も少ない。全般に傾斜は急で、土壌は薄く花崗岩が露出したところも多い。このような特性から、下部を除いて伐採されることがなかった地域が広く、また部分的に伐採された場所もその後放置され、かなり林が回復している。そのために国立公園になり、1993年には世界遺産条約の登録地域に組み入れられた。この西部域の価値は、自然そのものの価値だけではなく、そこで長年行われてきた研究によって集積したデータによって価値が付加されている。本稿では西部域の自然の価値を、行なわれた研究の価値と併せて述べる。

最大の照葉樹林

 屋久島の西部域、国割岳西斜面の自然の最も大きな学術的価値は、日本最大の広がりを持つ原生的な照葉樹林があることである。一度も切られたことがない照葉樹林の面積は、少なく見積もっても600haが一続きになっている。九州本土の照葉樹林では300haほどの塊は残っているが、ここほど広い場所はない。屋久島でも1960年代から、前岳の照葉樹林は多くが皆伐されたが、上記の理由からこの場所は残された。生物にとっての生育地の安定性は、面積が大きいほど、また一つにまとまっているほど高い。原生的な照葉樹林をすみかとする生物にとっては、日本で最も安全な場所ということができる。

照葉樹林の構造

 標高150m以下は亜熱帯性植物を多く交えた照葉樹林で、琉球 から北上してきた種、北限またはそれに近い種が多い。沢沿いにはショウベンノキ、ギョボク、尾根筋にはコウチニッケイ、シャリンバイ、ウバメガシなどが特徴的であ る。またアコウ、ガジュマル、イヌビワをはじめとするイチジク属の種が多くみられる。それらは属としてみると一年を通じてどこかで結実していることから、動物にとって安定した餌環境をつくりだしている。

 標高150_300mの林は暖温帯の照葉樹林である。ウラジロガシ、タブノキ、スダジイ、マテバシイ、イスノキ、イヌガシ、ヤマモモ、クロバイ、コバンモチ、ホルトノキ、ヒメユズリハ、モッコク、トキワガキ(高木)、サカキ、ツ バキ、ヒサカキ、タイミンタチバナ、モクタチバナ、サクラツツジ、アデク(亜高木)、センリョウ、ボチョウジ、イズセンリョウ(低木)などからなる。優占種といえる種がなく、樹高は低く(12_20m)幹は一般に細く、高密度に生えているという特徴をもつ。幹が細く高さが揃っているために、伐採による撹乱を受けているように見えるが、これは比較的少雨で頻繁に乾燥すること、急斜面の不安定な立地で根返りが起きやすいこと、台風時の強風をうけ幹や枝が折れやすいことを反映したものである。奄美大島や、沖縄島やんばるの風当たりが強く乾燥する斜面に成立する林と共通の構造的特徴を持ち、構成種も多くが共通する。南西諸島の限られた立地に成立するタイプの林の北限であるといえる。島内の他の地域と比べても目だった違いが見られる。たとえば、この斜面の林は乾いているために、愛子岳北斜面の照葉樹林に比べて、同じ種でも全般に葉の小さい樹木が多く、また葉の寿命も短いという生活史上の特性がある。

照葉樹林の動態

 西部域の森林では、たびたび来る台風のために林に穴が開き、倒木ギャップが生じる。また、稀に起こる土石流により土壌がはぎとられた裸地も生じている。西部域は、このような自然の撹乱に応じた林の動態が本来の姿のままに見られる日本でも数少ない場所である。この特性を生かして、上部のイスノキ林の動態と樹種の共存機構の研究が行なわれた。そこでは、平均すると100年に一度の割合で林冠層が入れ替わっている。イスノキはゆっくり成長するが死亡率が低いために、やがて他の種を追い越して優占種となることが示された。1993年の9月に襲った台風は多くのギャップや幹・枝おれをもたらしたが、このような台風による撹乱が西部域の林の更新に大きな働きをしていることが明らかになっている。

絶滅が危惧される樹木

 照葉樹林帯のなかで岩の出たやせ尾根には、ヤクタネゴヨウが生えている。これはゴヨウマツの仲間で、屋久島と種子島のみに分布する固有種、または中国に分布するタカネゴヨウの亜種とされる。縄文時代までの地層からは、西南日本の広い地域で出土しているので、最近になって急速に衰退し分布を狭めた種類といえる。種子島では数十本しかないといわれ、屋久島でも、前岳の伐採により自生地が減少した。最近はマツクイムシの被害もあって急速に個体数が減り、さらに稔性のある種子がすくなく、後継稚樹が育っていないことから、絶滅の危機にあると考えられている。そのため環境庁の「日本の絶滅のおそれのある野生生物」にもあげられている。そのヤクタネゴヨウの最大の自生地は、西部地域の川原・瀬切地区であり、この地域個体群がもし絶滅したとしたら、それはヤクタネゴヨウの種としての絶滅に近い事態である。

植生の垂直分布

 西部域の照葉樹林から斜面を登ると、温帯の針広混交林(ヤクスギ林)につながっている。さらにその上の奥岳までふくめて考えれば、海面から1900mにおよぶ植生の垂直分布が手つかずに近い形で、幅広く連続して残っているといえる(標高200mより下の民有林はかつて伐採された時期があるが、現在ではかなり回復している)。この垂直分布帯は、島内で唯一、屋久島の連続した自然植生を保っているばかりではなく、日本でもここだけ、東アジアの照葉樹林帯全体としても非常に稀である。

 過去、地球は寒暖の変化を繰り返し、そのたびに生物は北上・南下の移動をした。環境の改変が進んだ現在では、このような気候の変化が起きた場合に、逃げ場になる場所そのものがなくなっていたり、あっても分断されて移動が不可能になっていることが多く、多くの生物が大幅に分布域を狭めることが予想されている。人間活動による温室効果ガスの増加で、近い将来起こる、あるいはすでに始まっているとも考えられる温暖化現象でも、多くの生物種が北あるいは上方へ移動することができずに、絶滅するのではないかと心配されている。そのなかにあって、2000mにちかい標高差の自然が残されている西部域は、生物の移動を保証する数少ない場所であり、生物多様性の保全のうえから重要性が高まっている。

サルの社会と生態

 ニホンザルの亜種ヤクシマザルは、本土に生息するニホンザルに比べると小柄で、体毛がまばらで長く、灰色がかっており、アカンボウの毛色が黒いなどの特徴をもつ。西部域では海岸線の照葉樹林から奥岳の頂上部まで途切れることなく生息している。人間の手がほとんど加えられていない自然林に複数群のニホンザルが生息する地域は日本でもまれであり、しかもこれほど多くの群れが遊動域を重なり合わせている地域は他にない。西部域はニホンザルの自然史をそのままに伝える貴重な場所と考えることができる。

 最近は大規模な伐採と造林化で多くの群が生息地を失い、人里付近で畑荒らしをはじめた結果、毎年500頭のサルが害獣として駆除されている。ヤクシマザルはIUCN(国際自然保護連盟)による絶滅のおそれのある動物のリスト(レッドデータ・ブック)や環境庁の「日本の絶滅のおそれのある野生生物」にあげられており、生息地全体では急激に数を減らしていることが懸念されている。

 西部林道の周辺では1970年代から、サルを餌付けによらずに人に慣れさせて観察する方法で、さまざまな調査研究が継続されてきた。個体識別によってサルたちの動向を詳細に記録できるようになったおかげで、生態ばかりでなくヤクシマザルの独特な社会生活がわかるようになってきた。豊かな食物を生産する照葉樹林にヤクシマザルは最も高い密度で生息し、年間100ha足らずの森を遊動するだけで暮らすことができる。複数の群れが近くにいるおかげで、オスは交尾期に頻繁に他の群れを訪問し、これらのオスの動きを通じて群れが分裂したり構成が大きく変化する。こういった社会変動が頻発するために、ヤクシマザルの群れは30頭前後で大きな群れに発展することはない。ヤクシマザルには、100頭をこえる群れをつくる他の地域のニホンザルには見られない特徴が数多く認められるのである。

 最近ではより標高の高い地域でも調査が進み、環境条件が大きく異なる地域でのヤクシマザルの生態がしだいに明らかになりつつある。これらの研究成果に触発されて近年世界各地から霊長類の研究者が西部域を訪れ、日本の研究者と一緒に野外研究を実施するようになった。ヤクシマザルの生態や社会を他の地域に生息するニホンザルやアジアに生息する他のサルと比べることによって、自然の環境条件がサルの社会生活に与える影響について徐々にわかりはじめている。

森林性のシカ

 ニホンジカの亜種ヤクシカは、北海道に分布する亜種であるエゾシカはもちろん、本州、四国、九州に分布する亜種ホンドジカに比べても、著しく小型で、オスの角の枝分かれも少ない。また少数の個体が群れをなし、本土のニホンジカのような大群はみられない。

 ヤクシカは島全域に生息しているが、奥岳のヤクシマダケ草原に棲むシカと下部の森林に棲むシカとでは、かなり生態学的な性質が違う。前者はタケや草の葉を食べ、本州や北海道にみられるような北方のシカに似ているのに対し、後者は林内で照葉樹の落葉・落枝や低木の葉、果実を食べており、むしろ東南アジアの熱帯雨林に住むシカと生態的に類似している。

 シカが「森林性」の生活を行なっている地域は日本にはほとんどなく、その生態には不明な点が多い。屋久島全域に生息するヤクシカの個体数は約3000頭と推定されているが、食性をはじめとして、個体の遊動域や季節的な垂直移動などは明らかになっていない。西部域では糞分析による食性調査や、ラジオ・テレメトリーによる行動域の調査が一部で始まっている。

 西部林道の通過の際にシカを目撃する例が多いため、西部域では数が増えているという意見もあるが、大雑把な個体数の推定すらなされていないのが現状である。ただ、島内で最も高密度にシカが生息する場所のひとつであり、森林性のシカの自然の姿が研究できる世界的にみても少数の場所であることはまちがいない。

鳥類

 多くの森林性の鳥類、カラスバト(天然記念物)、ズアカアオバト、アカショウビン、キビタキ(屋久島固有亜種)、サンコウチョウ、サンショウクイ、ヤブサメ、アオゲラ(屋久・種子固有亜種)などは、島内で西部域に最も高密度に生息し繁殖している。これらのうちの多くは、生息地(越冬地の熱帯雨林をふくむ)が減少したために日本全体で個体数が減少している種である。冬期には、本土から多数のヒヨドリ・メジロが渡ってきているほか、シロハラ・ルリビタキなどが越冬地として利用している。また、サシバ、ヨタカ、ヤイロチョウ、コマドリ、オオコノハズク、アオバズク、エゾビタキ、サメビタキなど多くの渡り鳥が観察されているので、重要な渡りの中継地点ともなっていると考えられるが、林が深いために目撃される機会が少なく、詳しいことは明らかになっていない。

共生関係

 上記のように、大面積の原生的な照葉樹林が残り、動物の生態も人為の撹乱を受けることなく保たれていることから、西部域を人が破壊する前の西南日本の自然の原型ととらえる見方がしばしばされる。そのような視点にたった研究が数多く行なわれている。そのうちの一つ、動物による種子散布の研究では、照葉樹林の樹木は冬鳥が渡ってきて種子散布者が最も多くなる真冬に果実を成熟させていることを、東アジアで初めて明らかにした。このように、植物・動物それぞれの生息とともに、生物間の共生関係もその本来の状態でみられる点で、西部域は他に類のない場所である。生物多様性の保全・修復、また研究・教育の進展の上からもその価値の発揮がますます期待される。

参考文献

環境庁自然保護局、1989.昭和62年度沖縄島北部地域調査報告書_南西諸島における野生生物の種の保存に不可欠な諸条件に関する研究.
環境庁自然保護局、1989.昭和63年度奄美大島調査報告書_南西諸島における野生生物の種の保存に不可欠な諸条件に関する研究.
環境庁地球環境部、1994.地球環境の行方_地球温暖化のわが国への影響_.中央法規、181pp.
鹿児島県自然愛護協会、1981.ヤクシカの生息・分布に関する緊急調査報告書.
KOHYAMA, T. 1987. Stand dynamics in a primary warm-temperate rain forest analyzed by thediffusion equation. Botanical Magazine Tokyo 100: 305-317.
MARUHASHI T. 1980. Feeding behavior of the japanese monkey (Macaca fuscata yakui) onYakushima Island, Japan. Primates 21: 141-160.
丸橋珠樹・山極寿一・古市剛史, 1986. 屋久島の野生ニホンザル. 東海大学出版会.
宮本常一 屋久島民俗誌 未来社
宮脇昭 1980. 日本植生誌 屋久島. 至文堂.
西岡秀三・原沢英夫(編)、1997. 地球温暖化と日本.古今書 院、256pp.
NAKA, K & YONEDA, T. 1984. Community dynamics of evergreen broadleaf forest in southern Japan. III. Revegetation in gaps in an evergreen oak forest. Bot. Mag. Tokyo 97: 275-285.
NOMA, N. & YUMOTO, T. 1997. Fruiting phenology of animal-dispersed plants in response to winter migration of frugivores in awarm temperate forest on Yakushima Island. Ecological Research, 12: 119-129.
大沢雅彦(編)1996. 屋久島における気候変動と森林系のレスポンス.平成7年度科学研究費補助金総合研究(A研究成果)報告書.
田川日出夫1988. 屋久島国割岳西斜面の植生.鹿児島大学理科報 告, 29: 121-137.
湯本貴和1995. 屋久島. 講談社.


目次に戻る