自然との新たな関わりの動き

山極寿一(やまぎわじゅいち、京都大学理学研究科)
池田 啓(いけだひろし、 文化庁記念物課)

世界保全戦略と世界遺産

 1972年にストックホルムで開かれた国連の人間環境会議は、無軌道な開発に歯止めをかけて人類全体の問題である地球環境の劣化を防ぐために「持続可能な開発」という概念を提唱した。「持続可能」とは、将来の世代の需要と希望を満たすための生物圏の潜在能力を維持するという意味で、以後すべての開発行為はこの理念に沿って自然資源の保全を計るために種々の規制を受けることになった。動植物の商取引に関わるワシントン条約はこの規制の一つとして生まれ、絶滅の危機に瀕する生物種を商業目的で国際的に取引することを禁じている。ユネスコは世界各地に「生物圏保護区」を指定し、重要な生態系を維持する方策として、厳重な保護が必要な「中核地域」のまわりに人間の活動が段階的に制限される「緩衝地域」や「移行地域」を置いて自然と人間との共存を計るようになった。世界の自然保護計画を具体的に推進するIUCN(国際自然保護連合)とWWF(世界自然保護基金)は「世界自然保護戦略」を立案し、生物の多様性の保全を主題とした計画を各地で実施するようになった。

 「世界遺産条約」は、人間環境会議と同じ年の1972年にパリで開かれたユネスコ総会で採択され、人類にとって顕著で普遍的な価値をもつ遺産を保護するための国際協定である。この条約の理念で注目すべきことは、自然の手によってつくられた生態系そのものを歴史ある文化の構築物と同等なものと見なしている点である。その土地独特な地質や地形、気候の中で多様な生命の営みによって築き上げられた生態系はどれも再現することが不可能な歴史をもっており、人間によって破壊されると極めて修復が難しい。これらの遺産には放置しておけばその価値を損なうほどに崩壊してしまうものもあり、このため積極的な保護と管理が必要である。自然遺産であっても自然の手にまかしておけばいいという考えではない。また文化的景観という概念を導入して、人類と自然の合作によるすぐれた景観や構築物をも遺産に含めることをうたっている。私たち人類は自身の歴史だけではなく、地球の歴史や生命進化の歴史を伝える代表的な見本を将来の世代へ遺産として伝える責務を負っていると考えるのである。

エコ・ミュージアムの誕生

 このような世界の動きに呼応して、エコ・ミュージアムは1970年代にフランスで誕生した。フランス語ではエコ・ミュゼと呼ぶ。日本語では「生活・環境博物館」と訳されていて、自然と文化の保護をうたい、地域社会の持続的な発展を目指した総合的な博物館と言うことができる。エコ・ミュージアムを創設したジョルジュ・A・リヴィエールは「地域社会の人々の生活と、そこの自然環境、社会環境の発達過程を史的に探求し、自然、文化、産業、遺産等を現地において保存し、育成し、展示することを通して、当該地域社会の発展に寄与することを目的とする博物館」と定義している。

 従来の博物館には資料の収集・保管、展示・教育普及、調査・研究という3つの役割があった。エコ・ミュージアムは収集という行為をできるだけ制限し、自然環境と地域社会により根ざした形で保存することをうたっているところが新しい。さらに、地域社会の発展に寄与することを目的として掲げており、「行政と住民が一体となって発想し、形成し、運営する」という二重入力方式を理想としている点が従来の博物館とは大きく異なっていると言えよう。

 エコ・ミュージアムの前身はスウェーデンに最初にできたオープン・エア・ミュージアムだったと言われており、これは日本で野外博物館と呼ばれる伝統的な家屋を野外展示したものに近い。当時、ヨーロッパ諸国の地域社会は過疎、伝統文化の衰退などの問題を抱えており、とりわけ自然環境の荒廃は深刻な問題となっていた。そこで、自然公園での自然観察路の考え方を取り入れて、物を動かさずにそのままの形で自然と文化の有機的なつながりを重視したことが、従来の博物館的手法を大幅に変えることになったのである。
 人が自然に生かされていること、人の生存にとって良好な自然環境が不可欠であることは多くの人々の共通認識となり、さまざまな自然保護活動が生まれた。エコ・ミュージアムはこれらの運動を幅広く取り込みながら、人間にとって快適な環境とは何かを地域の歴史に基づいて探求するという姿勢をもっている。住民と深くかかわりを持ちながら発展したエコ・ミュージアムは、「記憶を前へ」というスローガンを掲げている。これは「みずから伝統に新たなものを加えながら今に活かす」という意味であり、エコ・ミュージアムがエコロジー(生態学)だけでなく人間の歴史に重みを置いていることがわかる。

 また、エコ・ミュージアムは理念は一つだが、その実態・形態はそれぞれのエコ・ミュージアムの自由裁量とする方針のもとに発展してきた。恒常的、画一的な博物館ではなく、人間が成長し社会環境が変化をしていくように発展していくもので、時代により地域によって多様なエコ・ミュージアムが生まれることを推奨しているのである。地域によって自然や文化にかける重みが異なれば、国立公園型エコ・ミュージアムや地域自然公園型エコ・ミュージアム、農山村型エコ・ミュージアムや都市型エコ・ミュージアムといったさまざまなタイプが考えられる。ただ、どのエコ・ミュージアムでも行政と住民の二重入力方式が基本となることに変わりはない。

 日本でも1970年代にエコ・ミュージアムの概念がいち早く紹介され、現在では自然保護、博物館、地域計画、観光計画、観光業、生涯学習、環境教育など、さまざまな分野の研究者、実践者が集まってエコ・ミュージアム研究会が開かれている。全国にあるエコ・ミュージアムないし類似施設は64を数えるほどになった。いずれも行政と住民による二重入力方式で運営されているが、官主導と民主導が相半ばしているのが現状で、両者のパートナーシップが確立されるには、もうしばらく時間が必要であろう。

オープン・フィールド博物館とエコ・ツーリズム

 今回屋久島で構想されているオープン・フィールド博物館は、自然系のエコ・ミュージアムと考えることができ、西部域に適用するとすれば国立公園型エコ・ミュージアムとでも呼ぶべきものであろう。この地域は世界の自然遺産に指定されており、その保全と持続的な利用は世界保全戦略と世界遺産条約に乗っ取って計画されなければならない。

 遺産を適切に管理するためには、その現存状態を詳しく調査し、定期的にモニタリングを行って保存状態を点検しなければならない。遺産の管理・運営に関わる基金は、加盟国が拠出しているユネスコへの分担金の1%、各国政府、NGOなどの拠出金や寄付金によっているが、その額はまセ少なく、とても十分な調査や保護対策を実施できる状況ではない。広く世界の関心を集め、遺産の価値を高めて保護計画を実行するためには、積極的な普及活動が必要である。しかし、歴史的な価値がすでに付与されている文化遺産はともかく、自然遺産についてはまだその価値が地元の人々にさえ広く知れ渡っているとは言えない。ましてや、遺産地域の設定によって地元の人々は開発行為を自粛しなければならず、経済の発展に不安を感じている。そこで世界遺産委員会は、エコ・ツーリズムという新しい産業を奨励して自然遺産の価値を普及するとともに、遺産地域に外貨収入をもたらして雇用を生みだし、地元の人々にも遺産を保護する重要性を理解してもらうように努めている。 

エコ・ツーリズムは、「比較的かく乱されていない自然地域をベースとした観光の一部で、その場所を劣化させることなく、生態的にも持続可能なもの」と定義され、その概念を具体化した個々の旅をエコ・ツアーとよぶ。地元への経済効果を重視し、遺産の保護と利用の融和を計ったもので、教育的な価値に基づく新しい観光スタイルの創出をめざしている。現在、世界各地でエコ・ツーリズムは大きなブームになっており、遺産地域以外でもこの観光スタイルを導入して地域の自然を保護し利用しようとする動きが増えている。

 エコ・ツーリズムとは、自然との直接的な触れ合いを通して、今まで自分が実感していなかった自然の側面を知り、その生態系に共存するさまざまな生物の立場に立って自然の歴史をとらえ直す旅、すなわちエコ・ツアーの提案である。そのためには、五感のすべてを過不足なく用いて自然と対話し、自分が育った文化の価値観を捨ててその自然の中で生きてきた地元の人々から多くを学ばねばならない。博物館や動物園のように、安全な距離をおき、自分の文化の衣をまとったままで展示物や動物たちをながめることはできないのである。

 見知らぬ自然や文化の中へ入って行くためには、それなりの心や体の準備をしなければならない。
その土地の気候や風景、人々の話す言葉や風俗、食事などを徐々に体験し学習していけば、自分が慣れ親しんできた自然や文化の影響を脱して新しい世界を実感することができる。エコ・ツアーはなるべく小人数で、じっくりと時間をかけて行うのが望ましい。また、近代設備の整ったホテルやクーラーの効いた車などは、かえって土地の風土を味わう妨げになる。郷に入れば郷にしたがうといった心構えで、なるべく現地の空気を肌で感じ、自分の足で歩き、土地の人々との交流を通じて新しい発見をすることが必要になる。

 エコ・ツアーを行っている国立公園では、観光客が森へ入る前に訓練されたガイドが森の歩き方や動物を観察する際の注意を事細かに与える。これらの規則は観光客の安全をはかり、動植物の破壊を防ぐだけでなく、観光客の積極的な体験学習を生み出す役割もはたしている。規則を守り、人間としての会話を慎んで歩くことで、人々はしだいに森に同調し、今まで忘れていた五感をとぎすまして森と対話できるようになる。さまざまな生命に同調することによって、人間の感覚世界は大きな幅をもつことができる。この能力は人間の誰もがもつ能力であると同時に、人間だけに備わる精神の豊かさをもたらす源泉でもある。エコ・ツアーはそれを引き出して体験学習を志向する、最も人間的な旅と言えるかもしれない。

 非破壊型・滞在型の小規模な旅をよしとするエコ・ツーリズムは、団体の観光客を次々に送り込む大型観光に比べて大きな金銭的利益を生むことはないであろう。しかし、異文化の世界からやってきた旅人と地元の人々が一緒になって自然に学ぶ学校をつくることが、自然と共存することの価値や資源を浪費することの過ちを教え、近代文明への盲従から人々を解放してくれるかもしれない。これまで無価値として見過ごされていたものが復活し、故郷の自然を切り売りする無益な取引が減れば、かえって地元は豊かになるかもしれないのである。何よりも、自らの伝統文化に誇りをもつことで村が活性化し、信頼に満ちた人々のつながりができることが金銭には換算できない大きな収穫となる。

 現在、スイス、スコットランド、オーストラリアなどでは地元のNGO(非政府組織)がさまざまな会則や企画をつくってエコ・ツーリズムを推進し、中には成功している例もあるが、発展途上国ではまだエコ・ツーリズムと地元民はまだ疎遠な関係にある。ルワンダ、ブラジル、コスタリカでは国と国際的な保護団体が協力して観光経営を行い、その外貨獲得額は国家収入の上位を占めるまでになったが、しだいに利益重視の方向に偏り、「持続的な開発」との矛盾がますます増加する傾向にある。遺産地域でエコ・ツーリズムを根づかせるには、非破壊型・滞在型の観光産業を担う地元のNGOを轤トることが不可欠であり、二重入力方式に基づいたエコ・ミュージアムの設立が急務とされているのである。

参考文献

新井重三編、1997.「エコ・ミュージアム:理念と活動」、牧野出版.
池田啓、1997.天然記念物保護の新たな展開ー天然記念物エコ・ミュージアム事業.月刊文化財(9月号):24-28.
池田光穂、1993.「フィクショナル・ツーリズム」.高田公理・石森秀三編著『新しい旅のはじまり、観光ルネッサンスの時代』、ヒューマンルネッサンス研究所企画、PHP研究所、pp.117-156.
大竹勝・三戸幸久、1984.屋久島オープン・フィールド博物館を考える.モンキー、28(屋久島特集):90ー93.
工藤父母道、1992.未来へ手渡す人類の遺産.世界遺産と日本の条約批准・加盟.アニマ,242:81_85.
(財)日本自然保護協会編、1994.「世界遺産条約資料集3」、日本自然保護協会資料集第34号.
Mittermeier, R.A. et al., 1990. Conservation in the Pantanal of Brazil. Orix, 24(2): 103-112.
山極寿一、1996. エコ・ツーリズムへ. 山下晋司編「観光人類学」pp. 197-205. 新曜社

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