屋久島から伝えられたこと

 屋久島から帰ってきて、私は全く気候の違う北海道で生活をしているけれど、どこかに屋久島の風のにおいなどの感触が残っていて、ふっとした瞬間に屋久島での体験が甦ってきます。遠くの屋久島で私の見た照葉樹林が今も存在していること、ヒルが哺乳類のにおいをかぎつけていること、サルやシカが走りまわりフンをしていること、全ての植物や森林が少しずつ動き、成長して森が変化していくことを自分の心で感じることができたこと、そしてそのようなことを今もこの北海道で感じることができることがとてもうれしく思います。
 前記実習で歩いた森は、私にとってとても新鮮で、また強烈な印象の森でもありました。あれだけ多くの植物が混生していて、でも土石流の力でその森が裸地になってしまい、そこは少しずつ森を再生していく。その森の力を自分の目で確かめることができた気がします。長い年月をかけてつくられた森も自然の力、人間の力には負けてしまうことを実感しました。それでも屋久島の森は広く、深く、多様なので大きな変化なく存在していけるのだと思いました。ひとつの種では生きてゆけないということをひしひしと感じた森の姿でした。
 後期実習ではサルのフンを追ったのですが、フンひとつ見ても生物は一種では生きていないということ、さまざまな関係がこの屋久島の生態系をつくっていることを知ることができました。フンを食料にする小さな昆虫、センチコガネ(フンコロガシ)もこの森を生活の場としている立派な住民の一人であるということもわかりました。
 屋久島という島をひとつの森としたら、そこにはいくつもの数えきれないつながりがあると、私は思いました。もちろんその中には人間も含まれています。屋久島に滞在すればするほど屋久島の森は豊かだということを実感するのですが、それと同時に私の中で屋久島の森は特別なものであるという意識が自分の中にありすぎたと思いました。屋久島に来る前、私は屋久島と考える時に必ずといっていいほど「世界遺産」という肩書きを屋久島の名前の前につけていたと思います。屋久島だけを特別視していた自分がとても恥ずかしくなりました。私は屋久島に何か大きなものを期待していたのか?それとも何かを求めていたのか?それは自分でもよくわからないけれど、きっと自分の中にそのような意識があったことはたしかだったと思います。屋久島に私は12日間滞在して、私の中に存在していた意識が変わったと思います。簡単に言ってしまえば、私のまわりにある森と屋久島の森はそんなに変わらないということ。確かに屋久島のような森を私は始めて見たし、歩いたし、植物の多様性、巨大さに感動もしたけれど、その重要さ、大切さを考えてみると、日本中どの森も重要さ、大切さは同等だということに気付きました。自分にとって屋久島という存在が行く前は手の届かない、何か特別な空間にある島だと思っていたのが、今ではなぜか安心できる存在であるというか、日本列島を織り成すひとつの島という感覚になったことが、少しホッとしています。
 このようなことを感じ、考えられたのも、さまざまな人と接触することによって、そして何より屋久島の森を実際に自分の足で歩き、目で見てきたからだと思っています。また訪れたいと思える島でした。

大西 瑞木


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