閉講のことば

2000年8月9日 湯本貴和

 みなさん、7日間のフィールドワーク講座、お疲れさまでした。まず、事故もなく、みなさん元気で最終日を迎えることができたことを、本当にうれしく思います。また、さきほどの発表は前半のときと較べても、格段の進歩のあとがみられて、みなさんが確かにフィールドワーカーの第1歩をスタートさせたということをみせていただきました。
 学生さんの募集から、開催中の宿舎の手配など、いろいろとお世話していただきました主催者の上屋久町、町長や環境政策課のみなさま、共催者の屋久島環境文化財団のみなさまに厚くお礼を申し上げます。また、何よりもハードなスケジュールにもかかわらず、コースの進行に協力いただいた受講者や講師のみなさん方に深く感謝いたします。
 この7日間で受講者のみなさんは何を学んだのでしょうか。ここでは、フィールドワークとは何かということについて改めてお話しさせていただきたいと思います。
 フィールドワークは、昼間の実習や夜の講義でわかっていただけたとおり、徹底した「現物主義」、「現地主義」です。さきほどの研究発表会のときの講師の先生方の質問にしても、「実際に見たのは何だったのか」あるいは「何が見たことで、何が想像なのか」という点について、厳密に明確に示すことが求められたということに気が付いたのではないかと思います。誰か有名な学者がこういっているとか、教科書にこう書かれているとかはひとまず措いておいて、「ものに学ぶ」こと、自分の目や耳、五感を働かせて確かめることが、フィールドワークです。この場合に一番大切なものは、観察する肝腎要(かんじんかなめ)の自分の能力です。何に着目して、どうやって調べ、得られたことをどう解釈するか。この講座でみなさんはきっと感じたことでしょうが、木の葉一枚をとってみても、トレーニングと経験を積んだひと、ここでいうと講師のみなさんですが、それに較べて経験の浅いみなさん方とでは、得られる情報が歴然と違うということです。さらに野外で得られたデータを整理し、解釈する過程においても、能力の差がすぐに現れてしまう。今回、ここにお呼びした講師のみなさんは、「フィールドワークの達人」といっていい方ばかりですから、受講者のみなさんは、フィールドでの力の差をまざまざと感じたのではないでしょうか。
 フィールドワークは、設備や機械の良し悪しよりも、観察者という生身の自分の力が直接、成果に反映してしまう一種、残酷な面をもっています。わたしたちにしても、フィールドにでるたびに、自分の能力を試されているわけで、たとえばお腹がでてきて山に登れなくなるとか、新しいことばを習得しにくくなるとか、これは最近のわたし自身ですが、常に怠ることのできない鍛練が要求されるわけです。
 前回の第1回フィールドワーク講座の合い言葉は「フィールドワークは出たとこ勝負」だったのですが、このこころは、フィールドワークには不確定な要素がつきものであるため、新しい事態、予期せぬ状況に陥っても、平常心を失わず、可能な最善を尽くすという姿勢です。その裏側には、経験や知識に裏づけられた自分の能力への自信があるわけです。フィールドワークの能力は総合力ですから、知力、体力、忍耐力、腕力など、そのそれぞれを磨き高める努力を通じてのみ、自信につながっていくのです。
 川窪先生が講義で述べられたとおり、フィールドワークの能力を高めるためには、日常の世界を離れた持続性と集中力を必要とします。そのため、いきおい「フィールドワークは奇人で結構」ということになります。特に世の中はフィールドワークというものを知らないひとたちが大多数ですので、奇人、変人扱いされるのも無理はありません。しかし、ここにお集りの学生さんや先生をみるていると「奇人で結構」だとは思いませんか。
 ただ、自分の狭い経験にだけ囚われて、頑迷になってはいけません。自分で経験できることはもちろん、非常に限られたものです。わたしは「世界に7つのフィールドをもち、8つのことばを操るフィールドワーカー」と呼ばれることがありますが、それでも当然のことながら、行ったことがない場所が多いに決まっています。こういうときに本を読んだり、他のひとの話を聴いてください。自分の経験をちゃんとベースに持ちながら、他の意見を公平に評価し、取り入れるべきことは躊躇せず取り入れること、このことが自分の力を高めることになります。すると本に書かれていることが本当か嘘か、本物か偽物かが判断できるようになります。21世紀はインターネットの時代とか、情報革命とかいわれていますが、情報が氾濫するなかで、本物と偽物を見分ける能力がますます必要になってきます。しかし、その能力がーチャルで得られることは決してありません。
 ここにいる講師の先生をみると、何だか人生楽しそうに見えませんか。それは普通のひとが囚われがかちな偏見というものから、ある程度自由だからです。本物と偽物を見分ける術を知っているからです。そして、その術はフィールドワークを通じて会得したものが大きいのではないかと思っています。
 フィールドワークは何も屋久島という特別の場所だけでやるものではありません。みなさんも自分の住んでいるところの近くにホームグラウンドをもって、定点観測を始めてください。また、生物学や人類学、社会学だけ、あるいは学問の世界だけで必要なものでもありません。「ものに学ぶ」ことは人生のあらゆる場面で、とても大切な姿勢です。この講座に参加されたのを機に、もう「こういう本に書いてあるから、そうなんだ」とか「偉い先生がいっているから、間違いない」といったあなた任せの人生からおさらばしましょう。「ものに学ぶ」に、「本に学ぶ」と「ひとに学ぶ」をうまく取り入れて、みなさんが世の中、何が本物で何が偽物なのかをみぬく自分が主体の人生を歩んでいただくことを祈ってやみません。
 最後にこのような機会を与えていただきました上屋久町に重ねてお礼を申し上げます。どうもありがとうございました。


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