第2部 参加学生の報告

1.前半に参加した学生の報告

(1)金岡 雅文

 私はフィールドワーク講座に参加するまで、屋久島には島固有の伝統文化があると考えていた。しかし、多くの方々にお話を伺ううちに、意外にもその文化が脆弱なものであると感じるようになった。屋久島には能であるとか、固有の草花を使った染物や芭蕉布のような織物もあったという。しかし、能は台本が保存されていないし、織物については本州からのものが入ると織らなくなってしまったと聞いた。また、沖縄にみられる魔よけの石敢当もあったというが、道路拡張にともない壊されてしまったという。
 こうした事実から、屋久島では島にある固有の文化には、あまり関心がなかったといえるのではないだろうか。時代の趨勢に従い、古いものが淘汰されることは自然の流れだとしても、それでは島独自の文化が育つことは困難である。こうした背景には決して豊かとはいえない島の経済があると考える。経済的な豊かさが心のゆとりや活気を生み、文化を築く基盤となる。経済の低迷が、島固有の文化の衰微する一要因となったと考えることができる。
 しかし屋久島が世界自然遺産に登録されたことにより、これまで当然のものとして現前していた島の自然が、固有の文化として世界に知られることになった。人為を加えないあるがままの島の姿が、世界的な文化遺産として認められるということは驚異的であり素晴らしい。これを機に経済の活性化も期待できるだろう。ひいては、心のゆとりや活気を生み屋久島から新しい島固有の文化が生まれるのではないかと考える。
 私は3日目の自主研究で島外から移住してきた人が多いという集落を訪ねた。私は、そこに住む方に島の文化をとりまく状況について伺った。ある方は、演奏会などの催しを行う際、地域の方との交流が不足しがちである点をあげ、より交流を深めたいと話された。そして文化創造といっても、地域性を無視したものであっては意味がなく、そのためにも地域の方々との交流が不可欠なのだと強調された。
 新しい独自の文化を屋久島という場で創造するには、こうした考え方は重要である。これからも島外からの移住者や島出身者が再び戻ってくるというケースが増え、新味のある文化が築かれることであろう。そこで軽視されがちなのが地域性である。この地域性を大切にし、屋久島の風土に深く根ざした文化を創造できるならば、最初に私が感じた伝統文化の脆弱さの問題も克服し、新たな活力ある地域文化が創造できるのではないかと考える。
 今回のフィールドワークでは多くの方々に御協力をいただき、お話を伺うことができた。どの方々も屋久島に深く根をおろされ島を愛し、島と人とのかかわりを生活者の視点から冷静にみつめていると感じた。このような生き方が、定住することができず、根無し草的な生き方を強いられる現代人にとってのアンチテーゼとなり、多くの示唆を与えるものとなるのではないかと考える。
 最後に、今回のフィールドワークにあたり貴重なお時間をいただき、お話をして下さった屋久島の方々に心から感謝申し上げます。


(2)久保 由紀子

3日目の構想

 個人のフィールドワークとなる3日目の準備では、2日間考えていた方のご都合が悪く、途方にくれていたのだが、1、2日目の自分のメモを見返しているときに、山本さんが「現在屋久島で一人草木染めをしている女性がいる」という話をされていたことを思い出した。私は、特に染物・草木染めに前から関心がある、というわけではなかったが、ふと興味が湧いてきた。それは、今考えると「ものを創る人」に直接お会いしてみたい、という気持ちともう一つ、女性というところに興味をひかれたことがあった。というのも、これは後から気づいたのだが今回、屋久島にきて本当にいろいろな方とお話をする機会があったのだが、参加している学生と、夕方一湊の浜で出会ったおばあちゃん(昔の一湊の浜の様子や子供たちの海遊びや川遊びのことなどを話してくださった)以外は偶然もあるだろうが、みな男性ばかりだった。私は高校までの18年間を鹿児島ですごしてきたのだが、この県は南の端ということもあって他の地域よりも保守的要素がかなり強く残っているようによく感じていた。屋久島にもそういうところが多少あるのでは、と思う。今回のことだけで一概に言えないが...。ともかく、その時は山本さんに染織家の日高安子さんを紹介していただき電話をしたところ、突然のお願いだったにも関わらず、仕事の合間になら、と承諾してくださった。

3日目

 日高さんの工房は屋久町、尾之間の中心より少し東の、県道を入ったすぐのところにある。県道に看板があったため場所はすぐにわかった。まず作品を販売している工房があり、そばの自宅の裏のほうに、いつも作業をしていらっしゃる作業所がある。はじめに、その作業所で染色作業の様子を少し見学させてもらい、その後、おもての風の通る気持ちのいい場所でお話を聞かせていただいた。作業所の中はいろんな材料が所狭しと並べられていて、表のほうにも染料に使ういろいろな木々の枝がつまれていた。その木々は知り合いの林業や農業、木工芸の方がよく持ってきてくれるそうで、使う染料はそういったものがほとんどだという。皆が余った枝葉など本来、捨てられるところをよく持ってきてくれるため、自分では家の周りで季節の染材をとるくらい、だそうだ。その時染めていたのは手芸用の糸で、まだあまり色が出ていないということだったが薄いグリーンに染まっていた。何で染めているのか質問したところ「においをかいでみて。わからない?」といわれたが、私にはわからなかった。レモングラスだという。それを聞き、正直戸惑ってしまった。私は当初、日高さんのことを「屋久島に残る特色のある伝統的な染物を受け継いでいる方」と思っていたからである。だからレモングラスというのはそのイメージとはあまりにも結びつかなかった。しかしお話をしていくうちに私の認識に誤解があったことがわかってきた。
 私の予想とは違い、もともと屋久島には奄美大島の大島紬のような織物、染物はなく、家のまわりなどに豊かにある草木を使い、各家庭で自分たちが着る分だけ染めていた程度で、その他というと、漁業が盛んだったため漁網をシャリンバイで赤く染めるということが行われていたそうだ。しかしそれも化学染料の登場やトビウオ漁の衰退とともにそれ以上発展することなく自然消滅していったそうだ。日高さんが染物をはじめたときも屋久島に染物をしている人は特にいなかった、ということだった。染物をはじめるようになったきっかけ、経緯についてお聞きすると、なんとなくいつのまにかはじめていたという感じだ、との答え。というのは、鹿児島市内の高校を卒業後、屋久島に戻られて勤めていたが、昭和60年のころ、ちょうど仕事をやめたいと思っていたとき、長野・安曇野の染物の工房が、屋久島に工房を開くというので、そこで働きはじめたのがきっかけとのこと。その後安曇野で6ヶ月研修を受け、屋久島工房で働いたが平成2年に工房が閉鎖となったため自分で工房をはじめられたのだそうだ。
 使う染料は他の人が持ってきてくれたものがほとんどだというし、染める素材も、手芸用の布から既製のハンカチ、Tシャツなど「何でも」とおっしゃるので、「こだわりは」と尋ねると、「特にはないけれど、あるとしたら化学染料を使わないことぐらい」といわれた。化学染料を使うと、思ったとおりの色を出せ、失敗がなくいつでもまた全く同じ色を出すことができる。そのあと草木染めの魅力についてお聞きしていたときにおっしゃられていたのが、草木染めというのは「十人十色」というように、その人その人の色があり、また一人の人でも同じ材料を使って同じ色を出そうと思っても決して出ず、一瞬のタイミングの差で思いもよらぬ色が出るそうだ。その人その人の色が出るということは自分の内面が出るということだから、自分の内面を高める事が何より大事で、これは「ものづくり」全部に言えることではないか、といわれた。だから、はじめる前はいつもまっさらな気持ちでと心がけるが、無意識のうちに心配事があったり不安定な心でいるとそれが色に出てしまうという。
 「屋久島だから、というのはありますか」という質問には、「できるだけ屋久島に自生する植物でと思っている」といわれる反面、庭に生い茂ったハーブなども料理などに使う分は少しで、捨てるのはもったいないし、こだわらなくともそれでいい色が出るのなら、と思って使っているといわれた。実際、先ほど見せてもらったレモングラスで染めたものも、とてもきれいなやさしい色のグリーンだった。
 ちなみに、屋久杉の染物もある。屋久杉といっても、土埋木の皮で染めるそうで、工芸品を作るときに捨てられる皮の部分をもらうそうだ。山で長年雨ざらし、日ざらしになっているため、色素はうすく脂分が多いので染液抽出が少し大変だが、何ともいえない屋久杉特有の香りが残るので皆、喜んでくれるといっておられた。
 「屋久島で一人」と山本秀雄さんがいっておられたので、「ご自分のあとには?」ということをきいてみると、「したい人がいればすればいい、でもみんなが身近にある草花で自分で染めるようになってくれればそれが一番」だという。「手間はかかるけれどその分、つくる喜びや植物の不思議さを感じられるし、そのやさしい色は自然と心もやさしくする。薬草などに使われるものも多いから体にもやさしい。洗濯など扱い方に少し注意が必要だし自分で染めたものには愛着がわくので、物を大事にする心もでてくるのではないか」といわれた。「沖縄などではあざやかな強い色が映えるけれど、日本本土の気候、自然の中では草木染めの自然なやさしい色が似合う」とも。実際に安房の環境文化研修センターで行われている「屋久島ふるさとセミナー」の「草木染めをしよう」というプログラムは島の人対象と、島外の人対象とにわけて年に2回あるのだが、日高さんはそこで講師をなさっている。
 最後に屋久島全体について思っていることを聞こうと、「世界遺産になって何か変化は」と尋ねると、一般の島の人の周りでは、急激に変わった感じはないそうで、島の人たちの自然観というのも自分の周りが自分たちにとっての「自然」という感じで、縄文杉など外からの屋久島の典型的イメージである世界自然遺産地域の自然は見たことない人が多いのでは、という話だった。日高さんは「自分の周りの山、水、海などの自然はあって当たり前と思い感謝が足りなかった。近年その当り前が当り前でなくなってきた。この貴重な自然をもっとすばらしい自然にし、後世に残せるように努力しなければと思う」とおっしゃっていた。
 外から島に入ってくる人たちについてもふれられ、「『類は友を呼ぶ』」という言葉ではないけど、島民側の人間性、内面がよくないとよい人は住み着かないと思うから、結局は個人のそういうものが一番大事だし、島をよくしようというのも島の人個人が動かないと結局は進まないし、よくならないのでは」と。最後の「人間は他の生物にはない能力を持っているのだから、それを使って先まで考えて動いていかないと」という日高さんの言葉が心に残った。

日高さんのインタビューを終えて
 私はこういうインタビューを行うのは今回がはじめてで緊張してしまった。そして実際にその不慣れなせいで、質問なども要を得ていないものがあったり、止まってしまったりで、とてもスムーズとはいえず、結局日高さんの時間を午前中いっぱいとってしまった。
 今回のフィールドワークは「人と自然のかかわり」がテーマだったが、私は、日高さんは草木染めというものを通して、本当に最も自然でやさしい形で、屋久島の自然との共生を実践している方だと思う。材料に関する考え方、草木染めそのものに対する考え方、そして、草木染め以外のことに対してもひと言ひと言に日高さんの目指す、「人にも自然にもやさしい染色」の姿勢がうかがえた。無理をしたものはなにも使わず、本来なら捨てられてしまうものを使い、素材をやさしい色に染めて人に提供する。私は日高さんの人柄を、飾り気はないけれど自然でやさしい草木染めそのもののように感じた。今回、このようにお会いして話をうかがえたことは本当によかったと思う。
 環境問題では今、人と自然がどう共生していくかが最大のテーマだが、私は最近まで結局人間は自然を壊しながらしか生きていけないし、共生というのはやっぱり無理なのでは、と思っていた。でも日高さんに出会い、こういう自然との付き合い方もある、という一つのお手本を見せていただいたように思う。

3日間のフィールドワークを終えて

 本当に内容の濃い3日間だったと思う。この3日間島の周りをめぐっていて、一番実感したことは、島じゅう海と険しい山にはさまれ、平地がとても少ない屋久島独特の地形的厳しさだ。これと離島であるという2つの条件が、歴史的にも、そして世界遺産に登録され環境文化村として新しい地域作りを目指す現在も、屋久島の人々の生活上のほとんどすべての問題に深く関わっているといえるだろう。しかし、この2つの条件がなかったら今の「屋久島」は絶対にうまれてはいない。だからこの条件のもとで、それをうまく生かした地域づくりが今後も大きな課題となっているのを感じた。
 私のこの3日間での最も大きな成果は、世界遺産の島「屋久島」という今まで持っていた強いイメージ(実際そのイメージに憧れてやってきたのだが)とは全く違う、もともとの島の姿を感じることができ、多少なりとも島の人々の視点から島のことを考える、ということができるようになったのでは、ということだ。改めて作られたイメージ.先入観の怖さ、そしてフィールドワークというものをはじめて体験し、自分で見、聞き、感じ、考えることの大切さを実感した。

謝辞
 1、2日目にお話を聞かせていただいた環境文化財団の方々、山本秀雄さん、中島正治さん、原稿の添削をお願いし、資料まで送ってくださった染織家の日高安子さん、いろいろな場面で手助けしてくださった上屋久町環境政策課の方々に深く感謝申し上げます。ありがとうございました。


(3)柴田 拓弥

-3日目(自主行動)の概要

・AM 10:00頃 宮之浦にて、ドラゴンボート大会を視察
・ その際屋久島在住のおじいさんとそのお孫さんと交流を持つ
<おじいさんとの話>
・ドラゴンボートの祭りについて
 島の一般の人はあまり見に来ないのとのこと。それぞれ、自分の仕事があるために来られない場合が多い。
・ ゴミの分別について
 都会の人はそういうものを面倒がってやらないのかもしれないが、田舎は正直だからみんなやるんだよ、という意見。
・ 屋久島が世界遺産に指定されたことでの変化について
 変わったものといえば、道路が整備されたことぐらいかなとのこと。

・AM 11:30時頃 上屋久町の図書室を視察
・ 『上屋久町郷土誌』(昭和59年、上屋久町教育委員会著,文尚堂印刷所)、『屋久島実習調査報告書』(1995、東洋工学専門学校 建築エコロジー科)を資料として収集。
<臨時の受け付け係の方(主婦)との会話>
・ 自然・環境問題関係の文献の所蔵について
 この図書室には、昔から環境の本は結構あったと思うとのこと。
・世界遺産に認定されてから、そのような文献の利用率が上がったのではないか?
 小学生などがそのような問題に興味を持っているので良く読んでいる。それ以外には、島外から来ている人(=観光客)が結構借りたりしている。
・ゴミの分別について
 案外すんなり受け入れられている。婦人会などで、説明会が開かれていたとのこと。
・学校教育の中での環境教育
 小学校では授業の中で具体的に扱われていないのではないか。中学校では、ゴミ問題などが扱われているらしい。

<PM 2:00から上屋久町教育委員会社会教育課課長の榎光徳氏にお話をうかがう>

a.上屋久町における社会教育の概要
・社会教育課の基本方針と区費
 各地区ごとに月に二千円程度の区費を住民から集め、それをもとに各地域が自主的に活動を展開している。社会教育課は基本的にそれをサポートする立場であり、各地域、団体の自主性を尊重する姿勢が強い。
 地域活動の主要な担い手としては、婦人会、青年団、PTA、高齢者の団体の四団体が活発である。
・婦人会について
 現在総勢で約三百名の会員がいる(上屋久町の各地域ごとに婦人会はある)。町民体育祭などの場では、ボランティアとしても活躍する。共同作業で特産物を作り、祭りなどの場で販売するなど、地域のアピール活動も行なっている。
 講座としては、母親セミナーとして年に7、8回、子どもの非行防止や料理についてなどが行なわれているし、婦人学級の活動も展開されている。
 上屋久町の地域団体としては、婦人会が最も勢力が強く、昔は地域活動の主体として活躍していた。
・青年団について
 実働人員としては、25〜26名がいる。祭りの際にはステージの設営や、模擬店を出したりしている。青年大会などへも参加している。人数は少ないが活発に活動している。高校生との集いを設定したりして、高校生に屋久島の良さを理解してもらう活動なども展開している。ただ、高校卒業者の約9割が島外に出ていく現状からも、団員の人材確保が困難になってきている。
・老人会について
 上屋久町には20名ぐらいの老人会が6つある。各地区対抗のゲートボール大会や、花壇づくりなども行なっている。老人スポーツ大会にも参加。講座としては、保健婦さんを招いて健康の維持管理についての学習を行なったり、新しいレクリエーションを取り入れる機会ともなっている。
・地域を担う人材・リーダーの育成について
 人材という観点は重要な点で、人口が減るとその分人材も少なくなるので、離島の問題でもある若者の島離れに目を向ける必要がある。リーダーの育成については、ジュニアリーダーやリーダーに対する研修プログラムなどを実施している。ただ、若い人はボランティア活動などを好まない傾向にあり、人材の確保は困難なようである。
・図書室の利用状況
 上屋久町の図書室は利用率が高く、鹿児島県内でも10番以内に入る。
・これからの上屋久町における社会教育活動の方向性
 屋久島の自然環境を生かした屋久島だけの活動の展開と、一方で生涯学習の充実のために陶芸やパソコン教室といったものに対しても対応していきたいとのこと。
 
b.上屋久町の社会教育分野における環境学習について
・「屋久島自然探検隊」について
「屋久島自然探検隊」という体験学習型の環境学習プログラムを主催している。初回は上屋久町の住民だけでも約60名が参加し、その運営にはボランティアスタッフとして青年団や婦人会の協力もあった。ただ、年齢層が幅広く、また人数も多かったため、運営が難しく、第2回目からは小学校高学年以上の年齢制限と30名の枠を設けた。とても人気があるとのこと。
 内容としては、縄文杉への登山、カヌー、冬山の体験、山菜取りなどがあり、これらを通じて地域の自然に触れながら、環境についての理解を体験的に学習する事を進めている。
 これらの根底には、地域の人が地域の自然を知らなくてはという考えと、地域の自然を活かした屋久島だけの社会教育活動を展開していこうという考えがある。
・クリーン作戦について
 上屋久町では、年に一回全町内一斉に美化作業を行なう「クリーン作戦」というものがある。これは、各地域の公民館長をリーダーとして行なわれるもので、朝の6時から10時までの間、公共施設の周辺や歩道を中心に町民が清掃・美化作業を行うもの。地区によっては、自主的に年に数回行なっている所もあるが、社会教育課としては年に一度全町内の「クリーン作戦」を運営している。
・ゴミ問題への取り組み
 パンフレット配布などを中心とした啓発活動を行なっている。講座の開設などは行なっていないが、学問的な部分は鹿児島県が公民館などを利用し展開している。基本的に、ゴミ問題については生涯教育関連事業として、環境政策課を中心に活動が展開されており、環境政策課の職員が公民館などで説明会を開いたりしていた。
 ゴミの分別が始まった頃は婦人会などでも文句が出ていたが、分別状況に地域格差がある中、1年間上屋久町役場の職員がゴミの分別状況をチェックし、不適切な分別のゴミは持っていかないという作業を続けたかいがあって、今は分別が理解され、浸透している。
 社会教育課の活動の中でも、行事の際のお弁当容器に対する配慮や、分別の徹底を心がけ、また関連する事業者に対する指導も行なっている。
・資料(『平成十二年度 教育行政要覧』 上屋久町教育委員会)から分かったこととして以下のことがある。(1)教育行政の基本方針として、国際化・情報化・環境問題が意識されており、また世界自然遺産に登録された地域として、自然環境を生かした取り組みへの意欲が見える。生涯学習の中においても環境学習が非常に大きなウェイトを占めている。(2)学校教育の現場でも、縄文杉登山、ポンカン・ガジュツの栽培など総合学習の時間などを利用しながら、学校教育の補助的な側面からも環境学習活動が展開されている。(3)一方で、同和問題に対する教育の徹底も教育行政の主要課題として設定されており、学校教育、社会教育の両側面から働きかけが行なわれているようである。

-上屋久町の社会教育に対する感想

 町民の雰囲気としては、ドラゴンボート大会を見た限りでは、若者を中心に行事に対して強い関心を持っており、逆に言えば若者たちはそのような自己表現をしていけるような機会を欲しているようにも見えた。
 上屋久町の社会教育の特徴としては、屋久島が貴重な自然のある地域ということもあり、環境学習の側面が強調されている。世界自然遺産に登録された屋久島であるが、そこに住む地域住民は屋久島の自然に対してあまり触れていないのが実情であるから、屋久島の自然を維持するという観点からも、そして地域住民の自然に対する意識を高めるという点からも、環境学習の側面が強調されていることは重要である。今後、鹿児島県、環境政策課、地域住民などと連携しながら、更なる取り組みが展開されることを期待したい。
 区費制度をもとにした地域住民の自主性にまかされた活動が展開されている上屋久町であるが、若者を中心とした地域活動の担い手が、就職、進学の関係で島外に行ってしまうという問題は、地域の活力の減退という面でも難しい問題である。地域の担い手の育成、特に地域において積極的に活動していける人材を育てていくことが、住民の自主性を地域活動の基盤に置く以上、今後の上屋久町における社会活動の展開に欠かせないであろう。

-3日間の活動を通じて考えたこと
 私が「人と自然班」での活動の中で、特に環境問題・自然保護・環境教育という観点から屋久島を見ていく中で持った印象は、屋久島での自然環境に対する取り組みのほとんどが観光客向けの環境教育であるという印象である。屋久島におけるエコツーリズムの普及という観点からも、そのような観光客向けの啓発活動は非常に重要であり、また屋久島におけるそのような取り組みは非常に先進的な取り組みといえるだろう。だが、住民レベルの自然環境への取り組みに目を向けてみると、観光客に対する取り組みに比べて、立ち遅れている感がある。屋久島・鹿児島市で行なわれた世界自然遺産会議の分科会の報告にあるように、「世界自然遺産の保全に役立つ持続可能な発展は、地域ごとに立地条件や社会体制、文化に違いがあるため状況に応じた対応が必要であり、地域住民の参画なしに達成できない」という意見を私も持っており、その点から対外的な(観光客向け)取り組みと内発的な(地域住民の参画による)取り組みの両輪が回るかたちで屋久島の自然環境に対する取り組みが展開されることを期待したい。
 今回のフィールドワーク講座で、文献等から今まで私が持っていた屋久島についての先入観を取り除くことができました。そして、また屋久島の実情を感じ、環境問題への取り組みを展開していくことの難しさを改めて感じています。たくさんの人と人との相互理解と協力こそが、自然環境との共生を作り出していくのだと考えさせられました。
 また一方で、今まで社会科学系の分野しか触れた事がなかったので、今回のフィールドワークで、生物系の調査ができた事が良い経験になりました。一言で環境問題の研究といっても様々な分野があります。今回、生物系のフィールドワークと理系の学生と出会えたことで、また一つ自然環境に対する視野が広がったと思っています。
 大学生活最後の夏に、とても良い勉強ができて、嬉しく思っています。

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