ナリタブライアン

 

京都新聞杯(1994.10.16) 夏を札幌で過ごしたブライアン。三冠への前哨戦として選ばれたのがこのレース。しかし結果はスターマンに首差敗れての2着。誰もが確実と思われた三冠が危ぶまれた。
阪神大賞典(1995.3.12) 圧倒的一番人気で迎えた阪神大賞典。結果も馬なりでハギノリアルキング以下を押さえ込む圧勝劇。単勝100円であった。
1995年4月7日 天皇賞への調整を順調に消化していたはずが、股関節炎発症〜休養放牧となる。
1995年7月6日 病状も良くなり、函館競馬場入りして秋へのスタートを切った。
天皇賞・秋(1995.10.29) 1番人気で迎えた復活第1戦。しかし結果は直線伸びず10着。この時、主戦騎手南井の怪我のため的場騎手とのコンビを組んだ。
ジャパンカップ(1995.11.26) 武豊を背に今度こそはと再び1番人気で挑んだレースだったが、またもや直線伸びず6着と終わった。
有馬記念(1995.12.24) ヒシアマゾンに1番人気を奪われる雪辱の2番人気でのレースとなるが、結果は4着。良くなっては来たが、復活はまだ先となる。
阪神大賞典(1996.3.9) 前年と違い2番人気でのレース。しかし、ここにドラマが待っていた。3角でマヤノトップガンとナリタブライアンの2頭が抜け出し、直線併わせての競り合い。ゴール前で頭差トップガンを抑え、復活&名勝負の歴史に残るレースとなった。武豊騎手も最後を勝利で飾り、復帰した南井騎手にバトンタッチとなる。
天皇賞・春(1996.4.21) 復活したブライアン、1番人気に押されてのファンの期待が高ま中のスタート。直線ブライアンが早く抜け出すが、サクラローレルに後ろから差されての痛い2着。
高松宮杯(1996.5.19) スプリント戦への挑戦が批判される中、ブライアンは王者として再び武豊とのコンビでレースに挑んだ。レースは直線包まれるも、ラスト強烈な脚を炸裂させ4着。人によって評価の別れるレースとなったが、それまでメジロマックイーンが持っていた賞金王の座を手にした。
1996年6月18日 宝塚記念へ向けて調整中の矢先、右前脚に異常発生。翌日、右前脚屈腱炎とと判明。
1996年10月10日 函館での温泉治療の甲斐稔らず、引退発表。種牡馬入りへ。
1998年9月27日 突然の報道。ブライアンが胃破裂で死亡。誰もがショックを隠せなかった。ブライアンの産駒は2世代のみ。初年度は2000年デビューとなる。

直線一気伸びる

◆皐月賞VTR 逃げたサクラエイコウオーを見て、道中は好位の内をじっくりと追走。4角で外に持ち出すと、直線一気に伸びた

5馬身差圧勝劇

◆ダービーVTR 折り合いをつけ中団に位置。直線は大外から豪脚を使い、2着のエアダブリンに5馬身差の圧勝劇

7馬身差で3冠

◆菊花賞VTR 中団につけ、3角すぎにヤシマソブリンとともに進出。直線一気の末脚でヤシマに7馬身差をつけ3冠を達成

4角早めに先頭

◆有馬記念VTR 好位の外から徐々に進出。4角で早めに先頭に立つ積極策をみせ、直線も力の違いで危なげなく押し切った
◆引退式 96年11月9日、引退式で元気な姿を見せるナリタブライアン



マヤノトップガン

 

 
神戸新聞杯(1995.9.17) 900万下のレースを勝った後、2ヶ月の休養を経て挑んだ格上げ挑戦となるこのレース。5番人気の評価ではあったが、タニノクリエイトにクビ差の2着。菊花賞への出走権を無事得ることができた。
京都新聞杯(1995.10.15) 出走権を得ての調整レースであったが、2番人気の2着と能力を開花させていく。
菊花賞(1995.11.5) 3番人でのレースとなったが、4角で先頭に立ちそのまま直線を押し切った。サンデー産駒、ダンスパートナー達を抑えての名実ともに稔るレースとなった。
有馬記念(1995.12.14) ナリタブライアンで騒がれる中、6番人気と辛評のレースとなったが、道中スローペースで逃げ、そのまま逃げ切るという田原の技術の光る快勝であった。
阪神大賞典(1996.3.9) ナリタブライアンを抑えての1番人気。新ヒーロー登場の期待が高まる中、熱戦が繰り広げられた。3角からブライアンと併わせて抜け出し、直線競り合ってのたたき合い。結果は頭差で負けるも、実のあるレースとなる。
天皇賞・春(1996.4.21) ナリタブライアンとの2強ムードが強まる中、2番人気に支持されるが、直線抜け出すも伸びず5着。道中掛かってしまったよう。
宝塚記念(1996.7.7) ライバルのいない中での当然の1番人気。道中先行し、直線鋭く伸びての快勝であった。
オールカマー(1996.9.15) 秋初戦に選ばれたレース。ライバルサクラローレルとの戦いとなったが、重馬場に泣かされ4着。サクラローレルに完敗となる。
天皇賞・秋(1996.10.27) サクラローレル、マーベラスサンデー、そしてトップガンと3強といわれる中での屈辱の4番人気。終始5番手の好位置で出方をうかがい、直線人気馬が抜け出せない中、一気に伸びるもバブルガムフェローに半馬身差負けての2着。
有馬記念(1996.12.22) 3強対決で今度は2番人気。好スタートで2番手につけ1年前を思わせる道中。4角を越えて先頭に立ち、直線に向かうが全く伸びず。1年前とは天と地の差の7着。再び黄信号がともる。
阪神大賞典(1997.3.16) 昨年のライバルはもういない、当然の1番人気。レースは道中意外にも最後方待機策。これで良いのかと誰もが疑う中、田原は直線一気に他馬を抜き去っての圧勝。今度こそはと天皇賞への期待が膨らむ。
天皇賞・春(1997.4.27) またもや3強対決。そしてやはりローレルについでの2番人気。しかし今度は違った。前走で炸裂した後方待機策で、直線ローレルとサンデーが競り合うのもお構いなしで外から一気に抜き去り、世界レコードでの勝利。再び帰り咲いた。
1997年9月24日 京都大賞典を目指して調整中、左前浅屈腱炎を発症。翌日引退を表明。
1997年11月30日 阪神競馬場で引退式。



シルクジャスティス

 

 
東京優駿(1997.6.1) トライアルで華々しく勝利を飾って挑んだ優駿。直線後方から一気に伸びたが届かず2着。クラシックの夢は菊に大きくつながる。
菊花賞(1997.11.2) 1番人気で迎えた菊の舞台。勝利に執念を燃やすが直線思うように伸びず5着。クラシックの夢はついえた。
有馬記念(1997.12.21) いつもあと一息足りない。決め手不足に悩むが、今度は違った。直線一気に伸び、他馬をかわして一気にゴールイン。このグランプリという舞台で雪辱を晴らした。
阪神大賞典(1998.3.22) ライバル−メジロブライトとの対決。天皇賞へ向けて好スタートを切りたいところ。しかし結果はハナ差敗れての2着。それ以降ジャスティスから春は遠ざかる。
2000年7月 宝塚記念へ向けて調教中故障発生。そのまま引退へ。



キョウエイマーチ

 

 
桜花賞(1997.4.7) 雨の降りしきる不良馬場。そんな中華麗に逃げをうったキョウエイマーチと松永幹夫はそのままゴールへ。完勝だった。
オークス(1997.5.25) 距離が長いのではと危惧される中、またもや重馬場。しかし今度は直線に向くとずるずると後退。11着という無惨な結果に終わった。
ローズS(1997.9.21) 強敵シーキングザパールとの対決。2番人気ながらも得意の逃げでシーキングの追撃をかろうじて交わしての勝利。秋華賞への期待が膨らむ。
秋華賞(1997.10.19) メジロドーベルとの2強ムードが漂うレース。華麗な逃げで直線伸びるがドーベルの追撃に耐えられず惜しくも2着。
京都金杯(2000.1.5) 負担重量が重いがいつも通りの逃げをうち、今回は華麗に決まる。マイル転向してからの初勝利。長かった。
フェブラリーS(2000.2.20) 調子上向き。2度目挑むフェブラリーダート。大逃げはしないものの順調に道中進むが、直線粘りきれず11着惨敗。
マイラーズC(2000.4.15) 2番人気と支持されるも重量は重し。やはり道中逃げるが、直線を向いての失速。結果は6着。もう年……。



ナリタトップロード

 

菊花賞制覇
おめでとう ナリタトップロ−ド
おめでとう 渡辺薫彦騎手