小倉競馬・中津競馬・熊本競輪


平成9年8月24日、25日
 小倉競馬は冬か夏しか開催がなくJRA全場の中でも特にローカルさを醸し出しています。人
口でいえば北九州市は函館市、新潟市、福島市、豊明市(中京)はもちろんメイン開催場であ
る宝塚市(阪神)や船橋市(中山)、府中市をも上回るのにそう思ってしまうのは小倉競馬場が
市街地から離れていることと現在馬産の中心となっている北海道からは最も遠いといったとこ
ろが原因でしょうか。そんな小倉競馬と今はなき中津競馬、そして熊本競輪を組合せてみまし
た。

 新大阪を朝6時のひかりに乗り小倉に向かう。小倉(北九州)にも空港はあるが東京便のみ
なので大阪からは利用できない。かっては伊丹からの便もあったらしいが新幹線開通でなくな
ったという。そんなわけで新幹線の割引きっぷは大阪から博多までと小倉までが同じ値段とい
う殿様商売をしている。もっとも新空港の建設も進んでいるようでそうなれば伊丹線の復活も
考えられようし新幹線も安穏とはしていられまい。とはいえ500系のぞみで新大阪小倉間は2
時間をきっておりたとえ便利な伊丹でも厳しいかもしれない。
(現在500系のぞみは新神戸と新山口に停車するようになり2時間をきるものはなくなった)
 9時前に小倉に到着しそのままモノレールで競馬場に向かう。現在は小倉駅の中からモノレ
ールは出ているが当時は少々歩かなければならなかった。もともと接続する計画だったのだが
商店街が寂れるからと地元が反対したらしい。なんとも馬鹿げたことである。モノレールの競馬
場前駅から競馬場は直結しており非常に便利である。ここまで駅に近いところは他にない。強
いて言えば富山競輪だがここは敷地内に駅はあるが入場するには駐車場を通り抜けなけれ
ばならない。モノレールが出来て18年くらいにはなると思うがそれより前はどうやって競馬場に
来ていたのか不思議に思う。聞いたところによると当時の九州では競輪や競艇が巾を利かせ
スポーツ紙の予想面における中央競馬の記事や馬柱は小倉競馬開催時でさえ1面の半分くら
いしかなかったという。そんな地元での人気の無さ、盛り上がりに欠ける状態が最初に書いた
ローカルさにつながっていたのかもしれない。

 そんな小倉競馬もブームも手伝って人気となり改装の順番が回ってきた。実はこの日を最後
に休催となりスタンド、コースとも全面改装されるのだった。場内ではパネル展で昔の写真など
が展示されたり「さようなら、また会いましょう」などと幟が立っていたりした。九州の夏は暑くす
ぐにスタンドに入った。エスカレータを登っていくと「いらっしゃいませ」と例の緑色の制服を着た
女の子が迎えてくれた。仁川や淀だとどこかの派遣会社から来たようなケバイお姉ちゃんのと
ころがここは高校生のバイトのような幼い感じを残した娘で妙にほっとする。夏休みの開催だし
競馬場の向かいは市立の大学で学生のバイト先としてはいいところだろう。時給は高いし。
 3階建ての小ぶりなスタンドは昔の阪神に似ている。テレビの競馬中継を見ていると3・4コー
ナー奥にセメント工場があって非常にのどかな感じなのだが実際には向こう正面にはマンショ
ンなんかも建っていてけっこう街中である。まあ大学があればワンルームのマンションなんかも
結構あるだろうし。もう少しいたかったが今日は中津にも行かなければならない。午前中で切り
上げ再びモノレールで小倉駅に戻る。

 特急にちりんに乗り中津に向かう。当時の九州の電車はなぜか赤や黄色の原色に塗られて
いることが多いがそれが青い空にマッチしてきれいだった。緯度による太陽の見え方が原因だ
と聞いたことがある。イタリアで真っ赤なフェラーリが似合うのと同じことか。
 中津駅につくと観光案内所から何まで福沢諭吉一色だった。印刷された福沢諭吉は好きだ
がその他は別にどうということはない。普通は案内所なら出走表くらい置いていてもよさそうな
のだがなかったことで余計にへそを曲げてしまった。
 バスターミナルがあったがバスはいない。いやーな予感がして時刻表を見るとバスは1日に
全路線合わせて15本ほどしかなく案内書きも不親切で競馬場を通る系統もはっきりしなかっ
た。別にそう珍しいことではないが淋しいものである。仕方なくタクシーに乗り競馬場までと告げ
る。700円くらいだった。競馬場の周囲にトタン張りの厩舎群があるのは地方競馬では見慣れ
た光景である。

 正直に言うとこの中津競馬場の様子は全く覚えていない。それくらいこの日は暑かった。タク
シーを出るや否やもあっとした熱風に襲われスタンドの陰に隠れたものの熱風は容赦無く襲っ
てきた。スタンド内に空調はなくべったりと肌にはりついたシャツにうんざりしながら2レースほ
ど見て再びタクシーで退散してしまった。今にして思えばとんでもないことだが当時は近い将来
廃止とかそういう話は一切なかった。また全場を制覇しようと夢中になっていた時期だったこと
もあってこんな訪問で終わっている。この頃の私の職場は土日にかけて休みを取るのが不可
能で土日しか開催のない両場を回ろうとすればこういう日程にせざるを得なかった。仮に先に
涼しい午前中に中津競馬に行き昼から小倉に行けば印象はまた変わっていたかもしれない。
それだけに非常に残念である。

 翌日は小倉のホテルから熊本に向かう。九州は高速バスが発達しており小倉から熊本への
バスもあるということなので泊まっていたホテルから程近いバスの車庫に向かう。この砂津車
庫はかっての路面電車の車庫でレンガづくりの建物が残っているクラシックな車庫である。路
面電車のかわりにバスが出入しているが。そこで8時発の熊本行きのバスに乗ろうとしたら「満
席です」と言われてしまった。予約をしない、行き当たりばったりの旅の宿命である。次のバス
は10時でこれに乗ると熊本着は13時過ぎになるのであきらめて電車で博多まで出る。そのま
ま熊本まで行けばいいものをなぜかバスにこだわり交通センターから熊本行きのバスに乗っ
た。ここからは10分間隔で熊本行きは出ている。それでもほぼ満席になってバスは出発した。
動き出すとすぐに眠ってしまい約1時間後目が覚めた。バスが停まっているような感じなので
「もう熊本のインターについたのかな」と思ったら「キュイーン」と飛行機の音がした。まだ福岡
空港付近だったのである。まだ太宰府インターまでの都市高速は全通しておらず道は大渋滞
していた。本来なら久留米あたりにいるはずの時間にようやく高速に入った。この例に限らず
当時の九州の高速バスは時刻表などあってもないようなもので2時間で行くところが3時間か
かるのは当たり前だった。それに甘えていたのかJR九州でさえ15分くらいは平気で遅れ詫び
の一つもなかった。いずれにせよバスにこだわって失敗しているのだから自業自得である。も
っともバスは非常に安かった。JRも今のように「2枚きっぷ」のようなものはなかったし。

 水前寺公園の近くに競輪場はあると聞いていたので県庁前でバスを降りた。しかし競輪場が
近いような雰囲気はどこにもなくだいぶ歩いてようやく見つけた。この日もかなり暑かった。50
0バンクでしかも滑走路との異名を取る長い直線は全部がコーナーのようなバンクの奈良や西
宮を見慣れていると全くの別物で力勝負向けのバンクに見えた。それだけにこの日のようなヒ
ラ開催だと間延びした印象はぬぐえず、物足りないように思えた。バスは延着ししかも結構歩
いたのでとうに昼を過ぎており食堂の1軒でちゃんぽんを食べた。長崎に限らず九州の殆どの
公営競技場でちゃんぽんはメニューにあるがどこで食べてもまずまずの味である。しかも1食
ずつきちんと作っているところが好感が持てる。時間を短縮し数をこなそうという発想がないこ
とは評価できるのだが急いでいることもありそんな時はいらいらする。まあ1レース見のつもり
でゆっくりと食事をする方が理にかなっているか。この熊本競輪場のちゃんぽんは「仕事をして
いる」とまではいかないがなかなか美味しかった。

 この二日間で汗だくになったこともあり風呂に入って帰ろうと思い競輪場からバスセンターに
向かう無料バスの中で見かけたサウナに出掛けた。割合居心地がよく予約していた19時の飛
行機に乗ろうと熊本駅前のバス停に行ったところ・・・既に接続の空港行きのバスは出ていた。
バスでの空港までの所用時間は40分ということで次のバスだと確実に間に合わない。そこで
いくつかの方法を考えた。在来線と新幹線を乗り継いで帰る、博多まで出て福岡空港から関西
空港行きの最終に乗る、タクシーで熊本空港まで行く・・・とルートと費用を瞬時に計算しどれが
一番得かを考えると間に合えばタクシーが一番安くなりそうだった。そこでドライバーに「19時
の飛行機に間に合いますか」と尋ねると「やってみます」との返事なのでこのドライバーに賭け
てみることにした。バスが市街地の中を通るのに対しタクシーなら外れた道を通るだろうと思っ
た読みは正しく15分ほどで郊外に出て一気に飛ばしていった。ストップウォッチの如くカウント
を刻むメーターにヒヤヒヤしながらも5000円を過ぎたくらいでメーターは止まり30分弱で空港
に着いた。
 結局この旅打ちで「勝った」ギャンブルはこれだけだった。

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