益田競馬・山陽オート

平成8年3月24日・25日
 かねてから益田競馬は日本一小さな競馬場として有名だった。それだけに一度は行ってみ
たいと常々思っていた。おそらく全場行く事はなくてもここだけは訪れていたに違いない。島根
県、山口県への旅打ちです。

 行きにくいと思われがちな島根県西部ですが石見空港の開港で身近になっている。しかし大
阪からの場合午前中の往復しか便はなく行きはいいけど・・・でした。そんなわけで新幹線で小
郡(現新山口)まで行き特急おきに乗り換えて益田まで行く事にする。山口線に乗るのは小学
校の時にSLに乗りに来て以来15年ぶり。風景は変わっていないようでしたが車へのシフトは
ますます進み特急だというのに3両しか繋いでいなかった。

 ごちゃついた駅前の片隅に場外馬券売り場があった。鉄道を利用する人間がそう多くないと
思われるのに駅前にあることに少々違和感を感じながら同様に新聞を持った人たちが並ぶバ
ス乗り場へ。普通の路線バスで結構本数があった。田舎のバスは1時間に3本もあれば「かな
り多い」である。約15分で国道沿いのバス停へ。競馬場前とは触れていないがぞろぞろと降り
るのだからここでいいのだろう。普通の路線バスなのでお金を入れて降りようとすると運転手
の「競馬?あっ!」という声。つまり無料バスと兼ねており競馬だと告げると無料で乗れるよう
になっていたのである。運転士は回数券を一枚ちぎって私に手渡した。帰りはこれを利用する
事となる。バス停は改修された国道沿いにあり競馬場へは細い道をたどって2・3分だった。踏
切を渡ると駐車場が見え小ぶりなスタンドがあった。線路は走っているが駅はない。仮にあっ
たとしても本数は少ないからあまり意味はないだろう。

 競馬場は内馬場も駐車場になっておりあまりいい感じではない。海外の競馬中継を見ている
と車どころかヘリコプターがとまっていたりしているがこれは文化の違いか。F1のパドックを思
い出す。レース中も車が動いたりしているが馬が気にならないのか少々気になる。もっともこの
競馬場には馬場とスタンドの間に道路があり「馬とクルマの競走」なんてことまで可能だった。1
車線少々の道路なので馬の方が速い。当然ながら駐停車禁止でゴール前には「この付近で立
ち止まったり駐車したりしないように」と注意書きがあった。訪れたのが休日だったせいか家族
連れなどで賑わっており雰囲気としては北見競馬に似ていた。ただ周辺の人口は北見よりも
小さいかもしれない。それと単独での競馬場であった事が致命的だったか。わずかな馬と関係
者で細々と運営することは難しい時代になってしまったのだから仕方ないのかもしれないが淋
しい。結局一度行っただけで廃止されてしまった。

 翌日は山陽オートに行く。市と違って町や村は同じ名前のものが他県に存在する事もあり山
陽町も岡山県と山口県にある。オートがあるのは山口県の方でJRの埴生駅から徒歩で数分と
オートには非常に珍しい駅前にある。ただこの埴生駅を通る列車は1時間に2本程度しかなく
しかも私が訪れた頃は新幹線の厚狭駅はなく小郡と新下関のほぼ中間ということも会ってどち
らで降りるか微妙な所だった。今回は益田から来たので長門市から美祢線に乗った。この美
祢線は石炭や石灰石の輸送の為作られた路線でこの頃はまだ石灰石を満載した貨物列車が
何本も行き来していた。現在は単なるローカル線になっているに違いない。厚狭で乗り換えて
埴生は一つ目だが接続が悪く駅を降りてバスで行く事にした。バスは国道2号線を走り埴生の
市街地(というか集落か)で停まった。普通の路線バスなのでレース場まで行ってくれない。レ
ース場までは1キロ少々離れているが爆音はここまで聞こえた。


埴生駅前からレース場を望む

 少し小高くなった丘の上にレース場はあった。谷底は駐車場になっておりその部分に連絡橋
があり埴生駅と結ばれていた。埴生駅の二つ先の長府駅が下関競艇の最寄り駅であるように
割合海に近い所なのだがそんな感じはしない。山間にあるという点で飯塚オートと環境は似て
いる。そういえばどうしてここにオートがあるのか不思議な気がする。かっては同じ山口県の柳
井市にあったのだが台風で施設が破壊され跡地に再建される事はなくここに移転したというが
柳井市と山陽町はだいぶ離れている。どのような客層を目当てに作られたのだろうか。やはり
かって宇部や美祢といったところにあった炭鉱の労働者なのだろうか。
 
メインスタンド                       スタートの一瞬

 この頃のオート界は各場ごとにずばぬけて強い選手がいたが(船橋の片平、飯塚の中村な
ど)ここ山陽は群雄割拠の状態だった。よってハンデも大きいのはつかずせいぜい30くらいま
でだった。オートでは選手紹介の際普通のバイクやサイドカーに先導されて1周しその後試走
に移るのだがここ山陽では先導のバイクはチェッカー君というキャラクターの描かれた大きな
旗をなびかせて走っていた。その赤を主体とした配色と周りの金色の房が珍走団(暴走族)み
たいで笑えた。もっとも今時そんな珍走団もいないかもしれない。近隣のレジャー施設としても
機能しているらしく子供連れの観客も多い。なかなか面白い光景である。

 帰りは新下関から新幹線に乗る事にする。小郡(新山口)の方が停車する列車は多いのだ
が駅弁の「ふくめし」が食べたくてこっちにした。で、こういう時に限ってというべきか単に時間が
遅かった(といっても18時ごろ)せいか駅弁屋は閉まっており思いっきり後悔することになる。
こだまに乗り広島でひかりに乗りかえる際にようやく食料を調達したのである。

山陽オートホームページ

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