松戸競輪




 常磐線沿線には松戸、取手、いわき平と3ヶ所の競輪場があります。松戸はもっとも東京より
なのですがそれでもローカルな感じがするのは常磐線のせいかもしれません。

 松戸競輪の最寄り駅、北松戸駅は各駅停車しか停まらない駅だが上野駅から常磐線の各
駅停車は出ておらず快速か普通に乗って取手で乗り換えとなる。快速と普通と書いたが取手
止まりかそれより先に行くかの違いしかなく意味はない。かっては普通は仙台あたりまで行くも
のがありその列車は機関車牽引で加速が鈍いためいくつかの駅を通過してバランスをとって
いたらしい。いまのように全てが電車になってしまうとその必要がなくなり同じ停車駅になったと
か。私は昭和40年代の時刻表(復刻版)を持っているがそれには北松戸駅は競輪開催時の
み停車する臨時駅となっている。おそらく当時は何もないところに競輪場だけあったのだろう。
今では考えられないが。

 そんな北松戸駅を出て2分も歩くと競輪場に着く。ゲートには「松戸公産株式会社」と施設会
社の名前が大きく書いてあり珍しい。この会社は株式会社東京ドームの子会社らしく東京ドー
ムの株式を一定数持っていると入場パスがもらえる。後楽園競輪がなくなった後ホームにして
いた山口国男・健二兄弟や尾崎といった選手たちは松戸にホームを移したがそんなことも関
係しているのかもしれない。
 民間施設らしくスタンドはバンク全体が包み込まれている大きなものである。このまま屋根を
つけたらドームになるかと思うくらいだがさすがに無理か。
 後に再訪したところスタンドの上部にはバリケードがしてあり入れないようになっていた。これ
がとっぱわれるときは来るのだろうか。
 関東には赤・黒・青の専門紙があると聞いていた。前に京王閣に行ったときに赤競(プロスポ
ーツ)を購入したので今回は黒競にしてみる。他の二つが題字がその色だからそう呼ばれてい
るのに対し黒競は新聞の名前そのものが「黒競」だった。よく考えたら単なる手抜きである。そ
のせいか後に廃刊してしまった。

 最初の松戸競輪参戦はこんな感じであまり印象がない。そんなわけで今年(2006年)ナイタ
ー開催時に再訪してみたがやはりこれといった特徴はつかめなかった。A級戦でもジャンと同
時に先行選手が駆け出す33バンクで迫力はあるがそうスジでは決まらなかった。それにして
も関東にはまだまだ競輪ファンが多い。近畿をはじめ他地区とはえらい違いである。ナイターと
いうことで仕事を終えてきたのであろう若いファンも多くそれが活気づけている。ほっとする光
景である。もっとも私にとっては写真撮影がしにくいので痛し痒しなのだが。
 「喰うものがない」と酷評されており食堂や売店も少ないのだがまずまずのものを出していた
のでよしとする。川崎や花月園と比べたらかわいそうだろう。

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