桐生競艇


平成10年1月17日
 桐生競艇を最初に訪れたのは関東平野に雪が降った寒い日だった。
両毛線を岩宿で降り通常とは反対側の出口へ向かう新聞を持った人の流れに乗る。人の流
れといっても1時間に1本の電車に10人ちょっとなのだから少々淋しい。裏口にはタクシーが8
台ほど停まっておりこれが競艇場行きの無料タクシーだった。駅前の道は日陰ということもあり
15センチほどの積雪が残っていた。タクシーはチェーンもつけず轍をずぶずぶと踏みしめて
走っていたが私の乗った車はちょうど競艇場から戻ってくる空車とぶつかり轍を外れてしまっ
た。そしてそのままタイヤは空転して動かなくなってしまった。ドライバーは対向車にぶつぶつ
文句を言いながら我々を別の車に案内した。表通りに出ると除雪されていたのか雪は跡形も
無くすいすいとタクシーは走っていった。

 ここ桐生競艇は阿佐美沼という池で開催されているがちょうど池の真ん中をスタンドがぶった
ぎっており池そのものは2分割されている。もちろんスタンドは水に浮いているわけではなく真
ん中の部分は埋められている。スタンド裏は競走水面でない方の池なので入場口は1マーク
側と2マーク側にあるがどちらも競うように大きな門をしている。2マーク側の北門が私が入場
した岩宿駅側になり反対側は東武鉄道の新桐生駅(阿佐美駅)側となる。どちらにもかなり広い
駐車場がありクルマ社会の北関東を認識させる。そして軽トラックが目立つ。

 雪あがりで空は晴れ上がっているが気温は低い。そして北からの風がとてつもなく冷たかっ
た。氷水に突っ込んだ手に針を刺すような痛冷たい感覚というか。そんな天候のせいか来場
者自体非常に少なくまた数少ない来場者もオープンのスタンドを避けて室内でモニター観戦し
ていた。こんなに冷え込むのなら三国のように室内化すべきだろうにと思った。食堂もスタンド
内ではなく一旦外に出ないと行けない構造だった。冷静になって考えてみれば選手はもっと大
変なはずだがなぜかそこまで気は回らず早々に退散してしまった。舟券も当たらなかったし。
当時桐生にはミズアムという場外発売所があった。スタンドとはちょうど反対側の競走水面の
向かい側にありバック側からレースが見られると聞いたことがあった。そんなわけで帰りに歩
いて行ってみることにした。思ったよりも遠く20分はかかっただろうか。狭いこともあって場内
よりも混雑しているような感じがした。で、競走水面を見ようとしたら遠すぎて見えなかった。来
るんじゃなかったと思いつつ30分以上かけて岩宿駅まで歩いていった。さすがに雪は溶けて
いた。

 そんな桐生に再び行ったのはナイターレースが始まってからである。前回はJRだから、とい
うことで羽田から京浜急行と都営浅草線で浅草へ、さらに東武鉄道と乗り継いで新桐生に向か
った。かって走っていた停車駅の少ないA準急はなくなっていたので特急りょうもうに乗り込ん
だ。新桐生は桐生市のいわば看板のような駅を想像しある程度の規模を予想していたのだが
実際はとてつもなく小さな駅だった。駅の裏側にはパチンコメーカー、平和の本社があるが出
口はない。通勤はみなクルマなのだろう。無料バスがあるということだったが狭い駅前にはバ
スはおらず迎えの自家用車でひったがえしていた。そんなクルマが全てはけた頃バスはやって
きた。わずかな客を乗せ無料バスは競艇場に向かった。現在新桐生駅からの行きの無料バ
スは廃止され岩宿駅同様無料タクシーになっているが正解だと思う。

 競艇のナイターは照明がアスファルトや砂に反射する他競技と違い水に吸い込まれるせい
か暗く感じるがここ桐生の場合は周りの灯りがないこともあってさらに暗く感じた。水面はまっく
ろで事故艇を避けきれるのかなという気もした。山に囲まれていることもあり日没は早い。6時
過ぎにはナイターの香りがたちこめてきた。この頃は主催者である桐生市と施設会社の間が
ごたごたしておりあまりやる気が見られなかった。マークカードを導入していない競艇場(どころ
か全ての公営競技場か)はここが最後だったと思う。久々に口頭で「2−6、500円」などと言っ
て購入したのだがかってはこれが当たり前だったのになぜか「よくこんなええかげんなことが出
来るなぁ」と思ってしまった。
 ナイターなのにお客さんも少なくスタンド裏の食堂もすいていた。ソースカツ丼を頼むと揚げた
てのカツが出てきた。さすがにおいしい。すいていたらいいこともある。こんな事だけで印象が
変わるのだから私もええかげんなものである。
 この日の舟券は好調だったが最終レース終了後払戻を受けると無料バスに乗れなくなると
聞いていたので12レースは買わずにバス乗り場に行った。数台のバスが並んでおり今日の宿
をとっていた熊谷行きのバスに乗る。最終レースが終わりぱらぱらとお客さんがやってきたが
私のいるバスには一人しか乗ってこなかった。その一人の客も途中で降り、私一人が熊谷駅
近くの終点で降りた。この無料バスは間もなく廃止されたがこれでは仕方あるまい。

 前述のごたごたはさらに激化し結局桐生市は撤退した。廃止の岐路に立たされた桐生競艇
だがもう一つの主催者である阿佐美水圏組合が肩代わりすることになり今度は施設会社と一
体となって改善を進めていったようである。2005年にはオーシャンカップを開催したが現地に
行った人によると非常に良かったということなので私ももう一度行かねばなるまい。


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