飯塚オート



平成7年3月13日
 かって筑豊には網の目のように国鉄の線路があった。もちろん石炭の輸送のためでありそ
の支線が全て集まる筑豊本線は複々線だったという。もちろんひっきりなしに通るのは石炭を
満載した貨物列車で人はおまけだった。本来貨物列車には行き先を書いた札をつけるのだが
間に合わないので石炭の山の上に○や△を書いた木の板を突き刺して区別していたという。
積出港である若松か製鉄所のある八幡しか行き先はなかった。直方や飯塚といった町には映
画館や劇場が立ち並んでいたというから公営競技場もあって当然だろう。むしろオートしかな
い方が不思議な気がする。

 私が初めて飯塚オートを訪れたのは九州旅行のついでだった。途中で買った西日本スポー
ツの広告に「新飯塚駅から無料バス」とありそれだけを頼りに行った。当時はそれくらい情報が
なかった。新飯塚駅に着くがバス停は見当たらない。とりあえず軍資金をと向かいの信用金庫
に行き戻ろうとすると目の前に新聞を持った人が並んでいるバス停があった。雰囲気からして
間違いなさそうである。すぐに無料バスはやってきて旅行かばんを持ったまま乗った。山道(と
いうほどでもないが)を10分ほど走りレース場についた。山陽オート同様山に囲まれたところ
だった。

 かなり以前に浜松に行ったきりで私にとって2回目のオートだった。「フジ」「トライアンフ」「トー
ヨー」だった競走車は殆ど「セア」になっておりたまに「メグロ」が混じっていた。オートのない関
西ではオートレースに関するニュースも流れない。一斉乗換えがあったことを知ったのはだい
ぶ後のことである。よって何もわからないまま試走と新聞の予想を参考に車券を買った。誰が
出ていたのかも含めてはっきり覚えていないし車券が当たったのかどうかの記憶もない。4レ
ースほど見て帰ったのだが帰りのバスが有料なのでびっくりした。九州ではそう珍しいことでは
ないと後に知るのだがお金がなくなった人はどうするんだろうかと思った。

 2回目に飯塚オートを訪れたのはその3年ほど後だった。日本海側は大雪と天気予報は伝
えていたが九州だし、と思いつつ私は伊丹空港から福岡行きの全日空機に乗り込んだ。道中
はかなり揺れずっとベルト着用ランプが点いたままで禁煙のランプが点いても雲の中を飛び続
けて地上の風景は見えなかった。そして着陸寸前という状態になってようやく雪に覆われた福
岡市内が見えた。機内から「わぁ」という声が上がった。福岡は日本海側なので割合雪が降る
とは効いていたがやはり実際に見てみるのとは違う。よくこんな状態で着陸できるものである。
飯塚まで高速バスが出ているのをこのときには知っておりバスセンターに行くが雪で運休とい
うことだったので前回同様JRにする。バスが運休で混雑することは明らかなのに「赤い快速」
は通常通りの2両のままで発車の20分前から車内はすし詰め状態だった。少しは考えろよ。
結局新飯塚まで立ちっぱなしのまま着き前回同様無料バスで向かった。

 飯塚は山沿いということもありコース内は除雪されていたもののフィールド内は雪が残り空も
曇ったままだった。最後までいるつもりだったので(というより寒い)特別観覧席に入ることにし
王将という予想紙を買った。ここ飯塚の予想紙は九州の競艇場でも見られるように場内の予
想屋さんが出しているようで同じ屋号の予想屋に見せると直前予想をただでくれた。オートは
試走で変わってくるだけにありがたいシステムである。もっとも「試走を信じすぎるな」という格
言もあるのだが。

 特別観覧席といってもかなり古くサッシ窓で曇っており見にくかった。もっとも今日のような底
冷えのする日に外で見ようとは思わないがやはりオートは爆音を聞いてナンボである。できる
限り外で見ようと思う。
 レース中にも雪は降り続きレース開始を遅らせるほどだった。積もるほど降るわけではなく時
計が見えないから、という理由らしい。競艇ならこれくらいでもやるよと言いたかったが。博多
駅で買ってきためんたい弁当をぱくつきながらレース開始を待ち、あるいは検討しメインレース
の時間となった。この日は決勝で若井や森といった川口勢が出ていた。レース前に選手紹介
があり黄色い声援が飛んでいた。と言うことを覚えていながら肝心のレースは全く覚えていない
のが私らしいところである。

 有料バスでバスセンターまで戻ると高速バスが運転再開したということで乗ることにする。ま
だ都市高速は通行止めだということでかなりの渋滞が予想されたが寝ていれば着くだろうとそ
のまま乗り込んだ。約1時間遅れでバスは着いた。

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