三条競馬・弥彦競輪



平成8年X月X日

 大阪から距離以上の遠さを感じるのが新潟である。鉄道なら北陸回りが普通考えられる行き
方だけど5時間以上かかる。乗り換え無しで行けるのはいい(現在は夜行を除き直通はない)
が速さとなると東海道、上越新幹線を乗り継いだ方が速いのである。(約4時間)もちろん遠回
りだから運賃も特急料金も余分にかかる。ということで飛行機で行くのが普通、となるのだが大
阪新潟線は日本エアシステムしか運行しておらずしかも搭乗率が非常に高く予約は困難であ
った。しかも単独路線だから航空券も割高。現在は全日空も運行しており本数も増えているの
でそんなことはないが。で、この時も行きしか予約できず帰りは成り行き任せにする。ま、いくら
でも方法はある。

 伊丹発の新潟行きは7時40分発なので始発の空港バスで伊丹空港に向かう。始発は6時2
0分なので少々早いのではと思われるかもしれないが朝のセキュリティーチェックの混雑ぶりを
考えたら余裕を持った方がいい。現在は旧国際線ターミナルの部分に全日空が移転し広くな
った伊丹だがこの頃はかなり手狭でゲートは4つくらいしかなかった。どの列も40人以上並ん
でいたものである。ここまで混雑していたらかなりチェックも甘くなっていたのだろう。腰につけ
ていた携帯電話が金属探知器に反応しなかった。現在のようなプラスチック製の軽いものでは
なく金属部分の多い重たいやつである。2001年の9月以降厳しくなっているから今は混んで
いるからと行って甘くする事はないだろうが。

 飛行機に乗り込みアテンダントから新聞を受け取り目が点になる。当時私の勤務していた会
社の親会社に大阪府警がガサ入れに入るという記事である。今さらどうにもならず会社に電話
したところで大混乱なのは間違いないだろうしなるようにしかなるまいと思いシートベルトを締め
る。機内はほぼ満席であり余計に息苦しい。アテンダントが実演で救命胴衣の付け方を説明し
ている。普段ならこういう真面目な事をしているのを見ると笑わせたくなるのだが今日はそんな
気にならない。ちなみにこの実演で使用する救命胴衣はサンプルで引っ張っても膨らむ事はな
いのだがたまたま本物を使用してしまい実演中に膨らんで思いっきりあわてていたアテンダン
トを見たことがある。最近は小型の飛行機でもビジョンをつけたものが増え実演を見る事は少
なくなったなあ。それでもいつだったかジャンボでビデオの調子が悪いからと10人以上のアテ
ンダントが並んで実演しているのに出くわした事もある。どこかの国のマスゲームを思い出す。

 三条競馬について開催日以外の予備知識はなくとりあえず三条につけば何とかなるだろうと
思い空港から新潟駅でバスで向かう。新潟駅から三条へはJRと高速バスがあったがJRを選
択する。これは失敗だった。理由は後ほど。普通列車に乗り込みのんびりと進む。思ったより
も遠く1時間近くかかった。駅前のバス停にそれらしい人たちが並んでいたので行ってみると無
料バスの乗り場だった。無料バスは2本しかなかった。うまく乗れたのは日頃の行ないがよか
ったのか。バスは信濃川を渡り15分ほどで競馬場へ。

 それにしても小さな競馬場である。小回りである上に内馬場では畑があり野菜が植わってい
る。手入れをしているおばさんまでいる。なんとものんびりしたところである。新潟県競馬組合
はこの三条と新潟競馬場で開催していたが広い新潟と狭い三条、両極端である。中に畑があ
るというインパクトが大きすぎその他の事を覚えていないのは情けない。そして再び訪問する
事はできないまま廃止されてしまった。

 3レースほど見て弥彦競輪に向かう。バス停で燕三条駅行きのバスを待ってたら反対側のバ
ス停に高速バスが停まった。新潟から三条に向かう高速バスはこの競馬場前に停まるのであ
る。新潟駅でバスを選択していたらもっとすんなり来る事ができたのである。どこが日頃の行な
いだ。まもなくこちら側にもバスがやってきた。燕三条駅までは10分もかからなかった。弥彦
線というローカル線に乗る。普段は1時間に1本程度だが競輪開催日は増発される。臨時列
車は全国版の時刻表にも掲載されておりそれで開催日がわかる(笑)弥彦駅は神社と間違え
そうな朱色の宮作りで観光駅長と言う可愛い娘さんがきっぷを集めていた。

 弥彦競輪は全国唯一の「村営」である。村の小学校の副読本では財政にいかに競輪が貢献
しているか説明しているという。ぜひとも泊まっていきたいところであるが休みの都合もあり次
回にかけよう。旅館の送迎バスが並ぶ駅前を抜け細い道を抜けると杜が見える。弥彦神社の
境内であり弥彦競輪はこの杜の中にある。樹齢○年というような立派な木が多く競輪場の雰
囲気まで厳かに見える。入場門は小さなブースがあるだけでスタンドも小さいが観客の声援は
熱い。それにしても当たらない。実は三条競馬から1レースも的中していない。結局ここでも払
い戻し並ぶ事はなく同じ道をもどっていった。弥彦競輪にはのちに再度訪問するのだがこの時
も1レースも当たらなかった。よほど相性がよくないらしい。弥彦村の財政には大いに貢献した
事になる。のちに弥彦で行われたふるさとダービーの場外発売で万券を当てようやく面目を施
したのである。

 こうしてオールスカで終わった以上安く帰るしか方法はない。新潟は米から魚から蕎麦からな
んでもおいしく何かを食べて帰りたいところだけど懐具合を考えると蕎麦しかない。駅前のパチ
ンコで最終勝負も考えたけど蕎麦さえ食べられなくなるかも、ということであきらめる。せっかく
新潟まで来たのに蕎麦だけで帰るのか。

 急行きたぐにの自由席に乗り込みこれで帰る事にする。急行きたぐにには寝台車とリクライ
ニングのあるグリーン車、普通の座席の自由席があるがその自由席である。お客が少なけれ
ば4席を占領していけるが進むに連れてだんだん乗り込んできた。多くの乗客がトランクを持っ
ている。関西空港から海外に向かう人たちなのである。海外への団体旅行の場合空港に10
時集合なんてのが多いけど北陸から海外に向かう人たちにとって非常に便利な列車なのであ
る。

 翌朝新大阪につきシャワーを浴び着替えて出社する。子会社とはいえ書類の多くが押収され
各個人の机もすべて開けられたらしい。捜査終了後書類は戻ってきたのだが調べた形跡はな
かったという。とりあえず何でも押さえてしまえ、ということなのか。
 なおこの旅打ち日記はこのような事情により日付を伏せさせていただきます。

弥彦競輪ホームページ

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