船橋オート・大井競馬

平成8年8月22日

 関西在住者にとってオートレースは縁遠い存在である。私自身オートレースの存在は15歳く
らいまで知らなかった。今でこそ日本中誰でも知るようになったが最大の功労者は森且行だろ
う。かっては長居公園や園田でオートレースが行われていたらしいが創成期のオートレースは
マシンの故障が多く非常に評判が悪く長居オートはわずか2開催で休止されてしまったとい
う。 
 そんなオートレースとこれまた関西には存在しないナイター競馬を組み合わせた旅打ちです。

京葉線電車内から見た船橋オート

 船橋オートは駅から近いレース場である。爆音をたてる性格上人里離れたところに作られる
ことが多く駅から近いのはここと山陽くらいか。この船橋オートの近くを通る京葉線は東京駅か
ら出ているのだが京葉線のホームは旧都庁の下、有楽町との中間点付近にあり新幹線のホ
ームからゆうに20分はかかる。しかも本数はそんなに多くない。全く面倒なことであるがてくて
く歩き電車に乗る。この京葉線は新しい路線の為駅が少ない。103系という旧型の電車が走
っておりこの電車は本来山手線をちんたらと走る為に作られた電車なので高速走行は得意で
はない。ところが京葉線では駅が少ないので限界一杯までスピードを出しモーターが焼き付か
んばかりに唸りを上げ走っていく。車内で話すことは出来ないくらいやかましい。東京ディズニ
ーランドを通り過ぎ最寄り駅の南船橋に到着する。

 南船橋を降りると巨大な建造物が目にはいる。屋内スキー場のザウスである。これが出来た
のはまさにバブルの絶頂期であり今となってはバブルの塔である。今後二度とこんな物を作ろ
うと言う奴は出てこないだろう。あの時代の雰囲気だからこそできたに違いない。一度冷やか
しに行ってみたいなと思っていたのだが入場料に躊躇してやめた。たかが半日のスキーにレン
タルを含めて1万円以上払う気にはなれない。そして結局行けないまま2002年の9月に閉鎖
されてしまった。
 そのザウスの隣に船橋オートはある。「オートレース発祥の地・ふなばし」なんてゲートをくぐり
入場する。
 
 新聞を購入するがここの専門紙は車名を上に書いてある。競馬スタイルである。「1枠1番/
ミステリアス/岩田」なんて風に。何故か違和感があるがオートレースは「勝車投票券」なのだ
からこれが正しいのであろう。競輪は「勝者投票券」だから「車券」というのは間違いなのであ
る。正しくは「者券」か。
 ここ船橋は選手間のレベルの差が大きいのか大きなハンデが見られる。80なんてハンデは
ここでしか見た事が無い。ちなみにつけられていたのは島田信広(引退)だった。確かに強い
選手だけどなあと思いつつ試走を見ると確かに桁違いに速い。ゼロハン(ハンデ無し)の選手
より100メートルのタイムがコンマ1秒違うのである。レースは3100メートルなのでコンマ1秒
違うと3.1秒の差となり80メートルの差は逆転してしまう。(100メートルのタイムはだいたい
3秒6くらい。80メートルなら3秒をきる)実際は追い抜かなければならないのでロスタイムがあ
るがいけるだろう。オートレースではこの試走タイムが重要でしかもレースタイムが試走タイム
を上回ってしまった場合「まじめに試走を走らなかった」とみなされペナルティーの対象となる。
(天候が変わった場合等は除く)場内の予想屋も「島田で仕方なし」であった。1番人気の組み
合わせは2倍をきっていた。
 さあ、レースである。ところが中盤がごちゃつき島田は外外を回らされる厳しい展開となっ
た。残り2周でようやく3番手に上がってきたものの全くマシンが伸びない。先頭は気持ちよく逃
げており無理だろう。せめて2番手は確保するかと思ったが抜けない。結局3番手のままゴー
ルし万券決着となった。この日は非常に暑かった。おそらく前半にアウトを回らされたり強引な
追い越しをかけた為タイヤに負担がかかり「後半にタイヤがたれた」ような状況になったのだろ
うか。オートレースは奥が深い。

ザウス跡は既に更地化されておりマンション建設予定とか。んなやかましいとこにマンションというのも・・・・。

 大井競馬に向かうに当たってルートを考える。するとここから京成電鉄の船橋競馬場前駅に
無料バスが出ており京成から都営浅草線、京浜急行と行けるじゃないかと気づきそのルートで
行くことにする。
 無料バスは京葉線と高速道路をくぐり左にショッピングセンター、右に船橋競馬場を見て進
む。この船橋競馬場と船橋オートは同時開催することはない。東中山で川崎行き急行に乗り
換え立会川まで乗り換え無しで行く。立会川は小さな駅で競馬場は見えないがそれ風の人に
続いて歩いていく。5分ほど歩くと高速道路の向こうに照明灯が見えた。
 
時代を感じるスタンドと府中の新スタンドにも似た新装スタンド

 場内は幻想的な雰囲気でナイターということもありにぎわっていた。モノレールから明るい時
に見るのだが薄汚れたスタンドであまりパッとしないのだがさすがは夜である。夜目遠目傘の
内(夜や遠くから見た時、傘に隠れて顔の全体が見えない時は誰でも美人に見える)とはよく
言ったものである。この頃大井では連勝単式の発売をはじめていた。少しでも配当が高そうな
のがあればそれを買ってしまうのがばくち打ちの常である。そして玉砕してしまった。後半には
「少しでも当たるように」と枠連に変えるがだめだった。大井にはその後も数回行っているが未
だに払い戻し窓口に並んだことが無い。

 モノレールで羽田空港に向かい関西空港行きの飛行機に乗る。21時30分発の便がありこ
れにのるのだが機材の準備が整わないとのことで15分程度遅れて出発した。この便はまだあ
まり知られていなかったこともありすいており特割便で1万円という運賃だった。現在はこの値
段が知られて(少々上がっているが)満席になることが多い。
 15分遅れをそのまま引きずって23時ごろ関西空港に到着した。梅田行きのバスは22時5
0分が最終なのだが接続便なので待っているだろうと思い歩いていくと「急いでください」と叫ぶ
声がする。そして私とその後に走ってきた母娘を乗せドアを閉めた。荷物を預けていた人は乗
れなかっただろう。(当時は後方に喫煙席がありそこに座っていた私は最後の方に出た)運転
手も早く帰りたいのはわかるがこの時間だし30分(時刻表では50分)もあれば梅田までつくだ
ろう。20分くらいの遅れは取り戻せるはずなのに気分が悪い。全くこの会社はろくな社員がい
ない。関西空港は色々なバス会社が入っているのでこの会社の態度の悪さが余計に気にな
る。

 梅田に着いたのは23時40分くらいだった。やっぱり30分で着いている。すると最後に乗っ
てきた母娘が「京都に行く電車はここですか」と尋ねてきた。阪急梅田のバスターミナルなので
「もう阪急の京都行きはないですよ」と言うと驚いた顔をした。この母娘はこの最終便を利用し
たパッケージツアーで来ており今日の宿泊は京都の都ホテルだという。「JRだったらまだあり
ますよ。私も乗るから一緒に行きましょう」と大阪駅のホームに連れて行き0時5分発の快速に
3人で乗り込んだ。
 それにしても初めて関西に行くという母娘連れにこんなツアーを売るなんてどんな旅行代理
店なのだろう。どうも後味の悪い旅の最後でした。まあ母娘連れが楽しく過ごせたらいいので
すが。

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