海外版 《GOOGLE》 【MSN】 【YAHOO】 (Overture)
《趣味のはなし》A
僕が鉄砲を持ちたいと思ったキッカケは得意先の近くにその銃砲店があったからである。何回かその店を訪れたある日
店主より狩猟免許の取り方など説明を聞き、その講習終了書が必要との事で日にちを決めて取得し、地元の警察署へ申請にいった。
しかるべき書類を係りの人に渡し待機していたが、いつまでたっても呼び出しがない。だからと云って他に対応をしてる人も居らず、その係員はただ ぼーとしてるだけである。
おかしいな?と思ったが、待てよ。これは彼が僕をテストしとるんではないか?と気付き僕も腹を決めて我慢した。
何しろ普通は現役知人の紹介とか猟友会を通じて行うのが良いのかも知れないが、僕の場合も近くにその人が居たにはいたが、あえて単独で行ったのである。
そんな訳で約1時間ほど待たされて手続きは終わった。そしてその足で銃砲店へ向かった。初めから散弾銃ではちょうときついと思い空気銃を選んだ。
なぜなら僕はグループと行くのは好まず、いろいろ制約されるし、一人で行く方が自由行動がとれてだんぜん僕には面白い。
それに、いまどき、空気銃でエヤーライフルと云って競技こそあれ狩猟に行く人はまずいないし複数行動はありえない。
でも狩猟用としての銃があり、競技用の玉は4.5mmだが、狩猟用は5mmでありパワーも大きい。獲物はきじ鳩や雀が主になり、その他の小鳥はみな禁止となっており、撃ち落としてはいけないのであるが、よく承知で間違えて?その種の鳥を落としてしまうことが多々あった。
たとえ空気銃でも猟友会には入らなくてはいけないし、空気銃だからシヨットガンより規制が甘いことなどありえない。ある日担当の警官は僕が(空気銃はあまり音がせんにのに..)と聞いたら彼は(音がせんから怖いんや)と言ったことがある。
また そのエヤーライフルはおもちゃではないのだから、性能的には抜群と云える。
ズームスコープは付けるのは当然であり、よく調整された銃を固定で撃つと針ぐらいは弾き飛ばすと云っても過言ではない。
事実、家の中でもそれで遊ぶ事が多かった。そして その精度の良さに満足したものである。
まず狩猟?に行くには当然車でである。そして鳥を見つけても車に乗ってる限りはその鳥は逃げない。でも一旦車より降りたら鳥はすぐ飛び立つ。でも規則では、車から発射するのは空気銃とて許されていない。
でも云った理由により車中から撃つ。先ず100発100中である。この規制違反はこれからも多々出てくるが、あくまでもフィクションであると考えてみてほしい・・・?。
これからは 空気銃時代の思い出を記したいと思う。ある日のこと奈良県の大和川支流で雉の生息を知った場所へ弟と早朝に出かけた
川辺を最徐行で進み 弟は目が良いので雉を見つける役である。すると発見したと云う。車を止めてよく見ると確かにグリーンの光るのが見える。
先にも云った如く車中に居る限りは雉は逃げない。銃の精度は保証付きだ。距離はわずか5Mほどだ。頭を狙えば確実に獲れる。しかも空気銃で雉の大物をとったとなれば自慢出来る。
だが 初めてのことである。心が動揺して、いままで話した理屈の判断が出来なかった。だから当たる方に確実性をとって背中を狙ったのだ。
雉は飛び立った。そして10Mぐらいの所へ降りた。そこで僕は失敗だったと決めつけてその場は去った。
だが 後々知識を得ると、あれは確実に背中に命中したことがわかった。
何故なら雉は逃げ立つとき確実に100m以上は飛ぶ去る。それが至近距離で落ちたのは手負いをおった何よりの証拠である、だが その雉はこれも後々で知った事だが、決して落ちたその場所に留まることはない。あらん限りの余力をいかして猛然と走り去って行ったに違いない。
そして力尽きるとそこで生か死の道を辿るのである。
次にこれも川のほとりだが、きじ鳩の休息する大木を見つけたので、奴らに見つからない場所を決めてそこで座り込んで鳩が止まりに帰って来るのを待つのである。すると10分置きぐらいで次々と鳩が戻ってくる。もちろん場所は禁猟区である。実際猟場では、鳩一羽見つけるのすら大抵ではない まさに死の世界である。せっかく料金も支払ってるのだし、まして空気銃だから撃ち落とせなくては意味がない。
先にも云ったように的中率100%である。撃った瞬間に体の向きを反転し、ころりと落ちるあの瞬間が趣味の醍醐味なのである。野鳥だから食べれば美味いらしいのだが僕はそのまま捨て去る。まあこれでは僕が死んでもおそらく極楽には行けないことだろうと思う。捕る気であれば10羽以上は得られたろうが5羽ほどでやめた。
今度はこじゅ鶏のはなしである。これは弟と石川の竹藪でのことで車で徐行しながら獲物を探してたら竹藪の隙間をこじゅ鶏の一群が歩いているのを発見した。僕は瞬間的にその方面を撃った。
たった5mmの玉一発が足早に歩いてる小鳥に当たる確率は0に等しい。それでも撃たねば気が済まない。僕らは撃ちに来てるのだから・・・。
ところがである 一群の中の一羽がたおれたのだ。それを確認するや弟は素早く捕らえに行った 弟には悪いがこの場合は猟犬の役目である。するとその鳥は完全に死したのではなくバタバタと逃げる。それを弟は帽子を網代わりにしてやっと捕らえた。
僕らはそれを家に持ち帰り元気を取り戻したそのこじゅ鶏を数ヶ月は生きていたと思う。そして毎日チョットコイ 々と
鳴く声を楽しく聞いたものであった。
他に野池での待ち撃ち。これは時間をかけた割には成果がなかった。夕方にその近くの畑に餌をつんざく雉を発見。空気銃を狙いつつ雉を追いかけたが、その雉は飛び立とうともせず、ひょっこ 々と走り行く。まるでそんなもんで当たるか
となめられた様な仕草である。僕はそれでもたった一発の弾を撃ったが云うまでもなく当たらず雉は悠々と藪の中へ消え去った。
三重県のある山道を走っていたら右側に小高い畑に何故か登りたくなり車を止めて上がったら はるか前方にうごめくものを見つけ初めは犬だろうかと思ったが、良く見ると数が多い。そしてそれが猿(もちろん野生)の一群だと確認した。
距離にして100m以上はあったろう。
まあ散弾銃でも当てるのは難しいだろうが、それでも僕はその方面へ向けて空気銃を発射したのだ。散弾銃のような大きな音が出るわけもなし(プシッという音)猿に対しては何の驚異もありようはずが無く馬鹿げた行為のはずが、そうでなく猿たちは山中へと散り去ったのである。
僕にすれば大阪の箕面あたりの餌付けをされた猿でなく本物の野生の猿の軍団を見られただけでも大きな収穫であった。
2年ほど使用した空気銃(エヤーライフル!)を今度は散弾銃(ショットガン)に変える事にした。先にも書いたとうり
狩猟免許は同じでこっちが勝手にエヤーを選んだだけなので特に試験などは不要である。
獲物は鳥類でメインは雉であるが、これが禁猟区以外では出会う事が少なく数年やった中で捕獲出来たのはたったの1羽
だけであった。もちろん出会って発砲したのは10羽を越えるがあとで述べるがみな取り逃がしている。
本来 雉を獲るためには犬を使うのが常識でその種類もほとんどがポインターでまれにセッターも使う。ポインターは主に雉獲り用にイギリスで造られた犬で例えばその犬を連れて猟場へと行く。犬が匂いで雉を捜索しそれを見つけるとその雉の側でピタリと止まり右前足を折り曲げて主人に雉のいることを知らせるのであってこれをポイントすると云いポインターの名前の由来はここからきたのである。
この動作だけは何の訓練せずとも生まれつきその習性を持っており、その遺伝の伝達には驚かされる。だから別の意味で はっきり云って馬鹿犬からの子供は馬鹿犬しか生まれないのである。
ポインターのこの動作以外は訓練しなければやがて雉を蹴散らしてしまう。だからこちらの指示どおりに動く様に子犬の時から(待て)と(良し)の訓練をする。
この訓練は誰にでも簡単に出来る。それは餌を与える時に仕込むのだ。この訓練の出来た犬は雉を見つけてもポイントしたままでこちらが(良し)の号令をかける迄は決して突っ込まない。
だからこちらはゆっくりと銃に玉を込めて何時でも撃てる体制が出来たら(良し)と号令し雉を撃ち落とす段取りとなる。この方法では慌てる必要がないから、的中率は高い。
狩猟講習の時ビデオでその場面をみたとき あたかも自分が行ってる錯覚にとられ興奮し
たもので、雉がころりと反転しわずかの羽毛を散らして落ちる瞬間が最高なのだ。
その落ちた雉を犬がくわえて持ってくる。この作業が犬なくしては不可能に近い。実際に
僕も一応はポインター同伴では行くのだがその犬の恩恵を受ける事が出来なかった僕は確実に落とした雉を1時間探しても見つからなかった。その役に立たない犬の話は後述するが、狩猟のときの犬の大切さが身に沁みるほどに感じるものである。
家の近くに狩猟の先輩がいてポインターの仔が生まれたので1頭譲ってくれた。それは
米国産の競技用に造られたエルフュー系だったと思うが英国系では競技用としてはとろい為に敏捷さを重視された犬であった。
僕は喚起してその犬を育てたのだがある日のこと犬の強敵フィラリアにかかった、初めから予防接種をと言ってくれたら僕は当然注射をしに行くのだが、何も知らない素人の僕には判ろうはずがない。懸命の努力の結果命はとりとめた。だが今になって考えるに僕が犬に恵まれずに狩猟を終えたそもそもの発端であった。
犬がフィラリアに罹ると脳がいかれる。だからその犬は可哀想だが淘汰すべきであったのだ。だがそれも知らない僕はその犬に賭けた。能勢の訓練所にも預けた。そして一緒に福井県まで訓練に同行したこともあった。
譲ってくれた人には悪いが、その犬は性能が?良くなかった。その上フィラリアにかかっている。はっきりいって全然使い物にならなかった。だからその犬によるブランクは大きかった。でも情もありその犬を捨て去り難かったのも事実である。
その犬は雉を鼻で見つける事などなく、走り回って偶然居たと思われる雉を追い散らすのが常時で
(解禁前の奈良県の法隆寺や石川での 禁漁区での訓練中)知識がないばかりに数年それを使っていたが、その犬との狩猟が大半なので、記録とすればほとんどが犬によるいい目をしてない。仕入れは山口県のある犬舎からだがポインタ^ーの最終に仕入れた犬が抜群に優秀で他の犬とは問題にならない仕事をする。
訓練のため大和川づたいに山手まで行くのだがその間必ず一羽はキジをポイントする。そして良し!と号令すると飛びかかる。キジはばたばっと飛び立ち僕は持っていた棒を鉄砲に見立ててバーンと声をだす。その訓練だけでも楽しかった。
そして頭のいい犬は唄をうたう。その頃よくテレビで唄う犬を放映していたが、決して珍しくもなく今では放映するTV局もなくなった。
これはその犬が如何に優秀であるかの証明であると言える。だが残念な事に狩猟には充分に使うことなく早死にした。
名前はゴンであったがこの犬だけは丁寧に埋没した。
でも一猟期だけ2.3回連れていくチャンスがあった。まだ訓練も途中段階だし、猟場となればそうそうキジもいず一度だけ出会いがあったが、そこは道路上で曲がった時にキジの方が先に察知して側にある高い木の塀を潜るように逃げ去った。
だが、僕がこじゅけいを見つけ隠れたその場所を撃ったらゴンがさっそうとその草むらの中へ入り何とその口にはコジュケイを銜えているではないか。
そしてそれを高く掲げさも自慢そうに僕の前を行ったり来たりするのである。
ゴンには、待て よし の訓練以外に 持ってこい の練習をしている これはウズラを小鳥屋で買い初めは逃げられないようにしたのを何処かの草むらに隠してそれを見つけさせる訓練をし、ウズラが弱ったり死んだらそれを投げて 持ってこい をさせるのである。
その成果が猟場で発揮してくれたのである。この優秀な犬をせめて何年かの猟場での行動を共にできたら.、、と考えたら世の中皮肉なもんでいまだに悔やまれるのであった
前後するが、実際に狩猟犬を飼ったのはポインター4頭。ビーグル1頭。柴犬1頭。である
。
当時僕はある市場に電気店を出しておりそのガレージで犬を飼っていた。ビーグルと柴犬は実用と言うより愛玩に飼ったのだが、ある夜ビーグルはそれぞれが首輪でつないでいたのをポインターとふざけている内にひもがポインターに絡んで短くなりポインターの腹あたりで
首吊りになり死亡した。もっとお互いに離して繋ぐべきであったが後の祭りである。
柴犬は市場の肉やさんがほしいとのことで譲った。
これからは狩猟のエピソードを書く。例の如く馬鹿犬は勝手に遊んでいるので無視する。
その前に同じ狩猟をやるのなら大物のイノシシから熊に至るまで経験したい野望はあるのだが僕のように一人相撲で大阪住まいでは不可能なのだが、一応は大物用の弾丸は用意する。例えば熊などにはロケット弾といって鉛が一個のもの。次は9つぶ弾でイノシシなどに使う。弾はその用途によって鉛の大きさが種々ありクレー射撃などはその種類が決められている。小は雀用まである。まあこれはあまり使用されないので銃砲店でも置いてない。
鴨撃ちなんかも行きたかったがこれには水中での泳ぎの得意な犬がいないと話にならない
ポインターではその役は果たせない。たぶん使用する犬は毛の豊富な水にも強いセッターだったと思う。
さて 僕が初めて雉を撃ち落とした話をしよう。これは解禁日の時だったと思う。雉は自然もののヒネは賢くて数も少ない為 猟友会が何ヶ月前かに若鳥を放鳥する。だから対象のほとんどがそれになる。
三重県の山裾のあぜ道を探索してたら足下左側でガサッと云う音をかすかに聞いた。高さ1Mほど下は草むらである。何かがいると判断した僕は全神経を使ってそのあたりを見つめた。
するとわずかに動いた雉がちらりと見え、すぐに見えなくなったが、音から判断しても雉はそのあたりにうずくまっているはずだ。僕は落ち着いて発射の態勢をとった。馬鹿犬
は遠くでかけずり回って勝手に遊んでいる。これが幸いだった。もし近くに馬鹿犬がいたら何もかもふいになる。
用意の出来た僕は右足で草を蹴り音を立てたと同時に雉が飛び立った。距離にすると5〜6Mか、ちょっと発射には近すぎるが10Mまで待つ余裕などない。直ぐに発射した。
すると見事に雉は落ちた。そして僕は下へ降りてその落ちたあたりを探したが、見あたらない。でもよくよく探した結果 頭を地中にうづまる様な形で雉は死んでいた。
見事なグリーン色した雄雉である。雌は繁殖の意味で狩猟禁止である。僕は本で知識を得たとおりに直ぐに小川ではらわたを取り血を流水で流した。この処置をするのとしないでは食味に大きな違いがあると知っていたからである。
はらわたは本来ちゃんと働いた犬にご褒美に与えるものなのだが、仕方なく馬鹿犬に与えた。
帰ってからは、すき焼きにして食べたが口に表しがたいほどに美味である。おれは決してオーバーではない。
普通店などで食する雉料理の雉は高麗雉でそれも養殖した冷凍ものだから、食味の違いは
いわすもがなである。
本来日本雉の養殖は禁じられているし、ましてや野鳥の雉を味わえるのは猟師なればこその得点であろう。
事実僕も高麗雉を飼っていて、それをしめて食べたが食味の違いは話にならない。餌の違いも関連するものと思う。また まったけでも国産と外国産では違うのと類似している。
これは農家の野菜。漁師の魚。でも言える事でいくら活かした魚でも時間をかけて移動させたものは確実に味は落ちる。魚を弱らせるからである。だから鯖などは船上でしめて料理店へ運ばれる。話が横道にずれたが、これも三重県でのことであるが突き当たりと両サイドが小さな山である野原を歩いていたが10Mほどのすすきの中をこじゅ鶏ぐらいはいるかもと探したが何の反応もなく側の小山をあがりまた降りようとした時にそのススキからヒネの見事な色をした雉が飛び立ったのである。
距離は8Mほどか僕は慌てて撃った。するとその雉は垂直に落ちた。下は茶畑である。
僕はやったーと小躍りしながら また窪みにはまりながら急いで落ちたあたりを探したが見あたらない。何と探すこと1時間 ついに発見出来なかった。
馬鹿犬も匂いをかぎながら近くの林で立ち止まっていたから そのコースまで走り去ったものと考えられる。あるいは当たってもいないのに落下して走り去り逃げたものかと疑いたくなる。
何故なら空中では落とされる危険があるからだ。最初あれだけススキを探索しても逃げなかった奴である。それぐらいの知恵があったとしても不思議ではない。
また 近くで死んでいたのなら いかに馬鹿犬といえども見つけるはずだからである。
したがって明らかに幾多の危険を乗り越えてきたヒネ鳥には違いないのである。
再度云うが見事に鮮やかであった。逃がした魚は大きいと言うが、事実おおきかったのである。
次に後先になるが、狩猟解禁日が近くなるとどの県へ行くか決めねばならない。というのはその府県に対して狩猟させてもらう料金がいるからである。だから何処へでも行ける訳にはいかない。
むろんカネさえ支払えば問題無いのであるが、多くの人は多分一府県だと思う。その印にその府県のバッチをもらい それを帽子につけるのが常套手段である。
だから県境で狩猟する人は見かけない。両方のバッチがあるなら問題はないのだが、そうもいかないから危ない橋は渡らないのが通例である。だからその場所には必ずと云っていいほど雉は生息している。
僕はその場所を狙うのである。主に僕は三重県と岐阜県の県境の近くの山へよく行った。はじめは大阪府。そして奈良県三重県とだんだん遠くなる。
家の近くに西名阪高速道路の松原インターがあり奈良県三重県愛知県と一直線である。だから
桑名あたりより北へと山麓目指して行くのであるが、そこでひとシーズンに2〜3回は雉君と
出会うのだがなかなか当たらない。
とにかくあれ以外は1羽も落とした事がない 恥ずかしい事だが、犬はいても飾りだけで何の役にもたたないのが実状だから、何時雉が飛び立つかわからず、ふいにばたばたっと飛び立ってそれを撃つには撃つのだが、慌てているのと腕の悪さで結局鉄砲の音を聞くだけに終わるのが常であった。
また、山頂に近いため積雪が多くかんじたを履いてないから雪に食い込む。歩くのに苦労しながら行くうちには窪みに落ちた事もあった。
幸いわいにも怪我はしたことが無いから良いようなものだが、仮に骨折でもして歩けなくなったら一人旅故にその山で凍死または餓死もあり得たかも知れない。
同じくその山で雪に人の足跡など見たことがないのは勿論だが獣みちだったのか、いろいろな
足跡をみつけた。
3〜4種ほどの大きいのは鹿だろうかイノシシか、夢は広がった。僕はまだ獣の足跡が何かは知らない。まあせいぜいウサギかイタチぐらいは判る程度である。
そこでこれも違法だが真夜中に狙うことを思いついた。早速カシワの頭(ポインターの餌)や
他の餌も用意してある日弟と二人で出かけた。そして着いた時は0時を過ぎた頃だったと思う。
いやに静かで山の妖精がいるような妙な気分であったことが思い出される。とりあえずは足跡の見つけた近くに餌を置き10Mほど離れた場所に車を停めて車から発射出来る位置で待機した。長いこと何も来なかった。
僕は月明かりだけで双眼鏡を覗いてる。すると3時間ほどたった頃 下の野原を歩いている
キツネらしきものを発見じた。そして徐々に餌場へ向かってくる。僕の気持ちは高ぶってきた
その獣は僕の思いどおりに餌場の近くを行き過ぎたり戻ったりしている。
その時分の僕は獣は夜中でライトを照らしても驚かない事を知らなかったし、違法行為だから明るくは出来なかった。
そのオオカミほどある(そう見えた)獣は餌を食べ始めた。僕は動揺を抑え銃をウインドに固定して発射した。獣は倒れたように見えたが何しろ暗いからはっきりとは判らない。
弟が懐中電灯を持って見にいきすぐ戻ってきて あれは犬だったと云った。仕方なく僕は急いで来た道を戻らず山を越えて帰宅した。なんと云っても深夜の静かな山中で、大きな発砲音
を出したのだから、心中穏やかでない。一刻も早く離れたかった。悪事を働いて逃げる心境である。事実悪事であるに違いないのだが..。
だが あれが犬であるはずがない確実にキツネだ。野良犬が深夜に獣道を通るはづがない 弟も恐怖ではっきりと確認出来る状態では無かったし、だから早々に切り上げよったものと、いまだにそう思ってる。
びくびくせずにライトをつけて行っていたら、確実にその獲物は持ち帰ることが出来たであろうが、初めて行う悪いことはスリルだけ感じて うまく成功しないものと感じた。さりとて二度やる勇気?はない。
つぎに これも三重県だが狩猟解禁前に下見するそのひとつに10Mほどの丘の上に車を停めて下の広い麦畑を夜明け頃に双眼鏡で雉を見つけるのである。
もともと雉がいる保証はないが、そこを見つけるのだから容易ではない 丹念に隅々まで調べるのである。そして予想が的中した 確かに雉が餌をついばんでいる。時々立ち止まるような
仕草をするが また餌を食いはじめている。
その場所を見つけたので、明くる解禁日にその場所へ暗いうちに行く。発砲して良いのは夜明け時間である。そして雉が藪から出てくるのを見つけた 僕はそこではいつくばった。
距離が少し遠すぎる 50Mはあるが ここで前進して動くのは危険である。敏感な雉はすぐに気配を感じて逃げられてしまう。
少々無理な距離と判っていても逃げられるよりはましである。そして夜明け時間と同時にすこし上目を発砲した。雉はすぐに消え去った。飛び立たなかったから当たったのか それともぜんぜん当たらずして藪に走り去ったのか判らない。
それでもいいんだ 魚釣りに行ってつれなくても満足するのと似たようなものである。
現実に野生の雉を見つけてそれに発砲出来たんだから…。また たった一羽のその雉を見つけるのにどれだけの時間とガソリンを費やしたことか。それが遊興と言うものではないだろうか。自分で楽しんでやってることである。
このような時はうちの馬鹿犬は連れてこない 邪魔になるだけである。換えって僕の猟を荒らされるだけだ。
後にこの麦畑でキジ鳩とカラスを撃ちに何回か行った。収穫はあまりなかった。まあ少しは落としたけど持って帰るわけにもいかず撃ち落とすだけの楽しみである。
ある時は山麓のやや平坦な畑路を これは友人と二人でいった時だが歩いていると僕の右手(友人は左)から後ろ方面へ猛烈な早さで飛びゆくキジ鳩を認めた。
僕は素早く銃口を後ろ手に送り速射した するとその鳩は見事に落ちた 距離にすれば20Mはあったろうか。
その時の友人は一言も語らなかった普通はお世辞にでも”巧いな−”の一言ぐらい出そうなものなのに、あまりの見事さに どうせ胸中はまぐれ当たりや ぐらいに思ってたろうが まぐれだけで落とせるものでもない。
やはり基本道理にその鳩の通った軌道を辿り 鳩を追い抜きざまに銃を停めずに発射したから当たったのであって友人はその撃ち方も何も知らないから無理もないことだが・・・。
クレー射撃も何度か行ったが当たるには当たるんだから 腕はまんざらでも無いと自分ではそう思っている。鳩は勿論のことカラスを送り撃ちで落とした時は鳩以上に気分が良かったが、はんりょのカラスが鳴きつつ周辺を飛び交うのには複雑な心境であった。
僕は何も好んでカラスを撃つわけではない 他に獲物がいないからである。きじ鳩ですら猟場では特定の場所以外はめったに出会わない。
奈良県でも特に西名阪道路近郊の山はあえて言うがほとんど死の世界である 小鳥一匹見あたらない。だから徐々に徐々にと足を延ばすことになるのだが、僕は三重県止まりで狩猟をやめてしまった。
この様なわけで仕方なくカラスに的を絞ることになるが、ご存知の如くカラスは賢い動物で鉄砲を持ってる人間には近かよらずその頭上を通過する時は撃っても当たらない距離をとっている。
だからその軌道を定めて林の中などに隠れて撃つ。だが実際はなかなか落とせるものではない。何故ならさて 今から撃つぞ、と言う心構えがないからだと思う。以前僕がおとした
キジの時もその時間があった。
訓練されたポインターとなら尚更であるクレー射撃ですら ヨシ とか何かの合図をする それから撃つのだからその態勢が出来ている。
それがあるのと無いのとでは当然命中率が違うと思う。 犬なし状態の僕の場合は何時でも発射できる状態で山道などを歩き耳をすまして羽音を待つ、そしてバタバタッと飛び立つと同時に発射するのだから、違法狩猟の多い(フィクション?)僕の場合は確かに人より出会いが多いはずなのだが、落とす確率は断然悪い。
違法ついでに話すが、パトカーが来たときが2回ある。その時僕は何故来たのか理解できずポリさんとぶっきらぼうに対話しておわりなのだが、後で考えてみるに僕は禁猟区で発射している。
当然住民が警察へ通報したものと思われる パトカーが仕方なく来る。何故ならその警官はその事には微塵も触れない。ぞくに云う世間話である。
僕は警官が嫌いだ(好きな人はイナイ)弟が警官ではあるがこれは別問題だ だから話がブッキラボウになる。
警官側も現行犯?でない限りは手を出せない。そら厳密に調べるならば、銃口を触ればその温度でわかると思うがそこまで警官はしない。
現に僕は大和川近くに住んでいるが、つい数年前まではキジがおり、よく銃声の音を聞かされた。その音を知らない人には(いまの何の音)ぐらいで済んでしまうが僕にはそれがわかる。
それに、外れとは云えここは大阪市内であり しかも交番がすぐ近くにあるのである。 だが2発ぐらいの音ではいちいち警官も見にはいかないだろう。
ここで、あの優秀犬ゴンの入手経路などの話をしよう。
近所の人から譲り受けたエルフユー系の犬の失敗でその犬の断念を決し月刊雑誌狩猟より山口県のある犬舎に英国系のポインターを注文した。
その犬はあの馬鹿犬と違い少しおっとりした性格だが、品がありさすがに英国産を思わせるに充分であった。
そして奈良の法隆寺などへ訓練に連れていくと高鼻を使い(キジの匂いをキャッチすると鼻を高くすること)如何にもこれは訓練次第では使い物になると思わせた。
そして事実その周辺からキジは飛び立った。今度は犬に恵まれると云う期待を膨らませつつ訓練にいそしんだのだが、なぜか1年ほどで急死した。
フィラリアの注射は済ませてるし蚊のより媒介する○も充分に気を付けていたのに..
獣医も原因が判らないと言う。
そこで山口県の犬舎にその宗を伝えると、変わりの犬を送ると言うので なかな良心的だなと思いつつ天王寺の駅まで取りに行ったのだが、その犬は見るからに痩せていて神経質そうに脅えている。
駅の係員もこの犬大丈夫かな?と不安そうに云ったぐらいである。
家に持て返り様子をみると確かにおかしい 完全に病気の様子である。僕は獣医に診せる価値もなしとその犬を山奥へ捨てに行った。
そして、犬舎に強く抗議したら、こちらから犬配送用の小屋を送ったら何とかするという。
そこでスチール金具でそれを組み立てて送ったら斑点がレモン色の見るからに賢そうな犬が届いた。
何でもそうだが、特にポインターなどは、品あり頭脳明晰などがひと目でわかる。
その犬がゴンなのだが、なぜこの様な良いのをしかも無料で呉れるのかと云うと、ただ斑点の出方が悪いと云うだけで沙汰されるらしい。
だが、それは外見だけのことで、その犬の優秀さには何ら関係がない。おそらくまともに商品としての値段だったら何十万としたことだろう。
そのゴンが1年ぐらいになった頃、店が不況の煽りで潰れてしまった。だからゴンの住まいであるガレージも引き払うため、団地のテラスがゴンの住まいになった。
ゴンにすれば家族と一緒の生活になり賑やかで初めは環境も良かったとは思う。
僕は訓練や躾役のただ厳しいだけのボスであり、妻は食事役だが、心から通い合ってたのは娘である。
やはり上辺だけでなく愛情が通じ合うのかゴンは娘が帰ってくると、すごく喜んだ。
そして歌なども娘とよく謡った。
その頃は猟も止めていたので訓練も次第に遠ざかるようになり散歩も怠りがちになり、運動不足を補うために夕方には放し飼いにした。
もちろん陰では文句云う人もいたとは思うが、さして迷惑かけてる様子もなししばらくその様にしていたら事故が起きた。
ゴンが近くで死んでいると通報があり、近所の息子がそれを抱いて連れてきてくれた。僕はそれを目の前にして一応大声でゴン!と呼ぶとゴンは薄目を開け それが最後であった。
その結末に大声で泣いたのは娘であった。
僕たち夫婦は言った。ゴンはまれにみる賢い犬だったから、生活環境に無理があると察して自ら身を引いたのであろう。と..
僕たちは今まで飼った犬の中でも初めての土葬して弔ったのである。( 終わり)
僕の釣り歴はそのプロ級クラスには入らない。なぜなら多趣味でありそれがある程度までの域に達すると、もう次の趣味へと移行するからである。
俗に釣りは鮒釣りに始まって鮒釣りに終わると言われるが、僕の場合は鮒釣りに始まってメジロ(鰤の下ハマチの上)釣りに終わるだろうか。
子供の頃は悪童たちと10キロもある川まで歩いて鮒釣りに行ったり、(住処は布施市横沼)金網を張り巡らしてる池の中へ入り込み(養殖池?)釣ったこともあり餌はみみずだが投入するとすぐ浮きが沈んだこともあった。
この様に住んでる場所が海までは歩くには少々遠過ぎたので、ほとんどは池づりだったと思う。
僕が10才ぐらいの時向かいのお兄ちゃん(中学生)が海釣りに誘ってくれたのが、海へのはじめての体験であった。
行く先なども判らず、ただ彼任せで電車とチンチン電車での記憶しかなかったが、後年になってから辿ってみると堺市の出島の波止ではなかったかな?と考えられる。
その当時の海は大阪湾といえども青々と澄み渡っていた。そして何よりも嬉しいのは小魚ではあるが種々様々のが釣れる楽しみがあることであった。
つまり五目釣り いやそれ以上であったと思う。
少し大きくなった頃は武庫川尻へ足を延ばしてはぜ釣りにも良く行ったものだった。
その獲物を持ち帰ると親父が興奮気味で(はぜは上等うどんの汁に使われる)と説明した覚えがある。
父は三重県尾鷲の出だから当然海釣りは常時であったろうし、共感するものがあったのではないだろうか。普段はめったに語らないからである。
今の妻と結婚して(一度だけ?)新居は大和川側の4F市営団地であるが、その頃は側に馬池という大きな池があった。
僕は休日には川へは行かずその池で時々釣りをするのだが、何故か釣れた記憶がない。
そこで夜釣りを決行したところ10センチクラスのウナギが釣れた。
その池での成果は期待出来なかったが、妻が途中で頼みもせんのに海苔巻きや茶を持って来てくれるのが嬉しかった。新婚時代の1ページではある。
ある夏のことであるが、理由があって長期休暇をとることになった。(3ヶ月)
その間に南紀潮の岬へでも行って石鯛でも釣りに行こうと計画していた。といってもそんなことしたこともなし、せいぜいサビキづりを少しした程度の腕前でそれも単独でいくのだから無謀ではあるがそれが僕のお定まりのコースである。
石鯛竿などは現地で調達することにして取り合えずは手持ちの道具を用意して仕事に使ってる1000ccのトラックが足である。
そのトラックはN電器のマーク入りで扱いが乱暴なので荷台などべこべこに凹んでいた。
つまり外観が良くないのである。
ある時など10トントラックと喧嘩してこちらから体当たりしたこともあった。そして言いたいことだけ怒鳴った結末はへこみ損である。
その様なボロ車ではあるがまだ2年ほどしか経ってないのでエンジンの調子は上々であった。
そのころは今のような高速道路などなかったから、旧26号線から和歌山42号線の海伝いのコースである。
深夜ではあたりを100キロ近いスピードでただ驀進中だった印象が残っている。いまと違って他の車と出会うことなど珍しかった。
昼過ぎに串本町へ入り手ごろな民宿を見つけたので昼食をとった。そこでは磯までの渡しもやってると言うので、休憩を兼ねての磯入りをすることにした。
10分ほどで到着したのでいそいそと(笑うとこではない)磯に足をかけた時ハプニングが起きた。
足をすべらせたのである。僕は必死に磯にしがみついて海に落ちまいとがんばっていたが、ふと船の方を見ると何とどんどん僕から離れていくではないか。
(このガキ! 客がはまりそうになってるのに逃げる気か!)
船頭は適当な距離で船をとめて悠然とこちらをただ見てるだけである。僕が何とか這い上がって助かったからいいようなもんの、もし海に落ちてたらどうする気やったのかと今でも疑問に思う。
確かに船が側にいたのでは波の勢いで磯と船とで挟まれる危険があることは判るが、それにしてもあまりにも離れすぎていたように思える。
磯には地元の人と思われる二人の先客がいて40センチクラスのグレを2匹磯の水溜りにねかせていた。
大阪で見れるグレは大抵手のひらサイズなので、さすが南紀やなー。桁が違うで、、、。
暫らくはその様子を見ていたが僕も反対側で竿を投げた。
餌はゴカイだが釣れるのはべらだけであった。わざわざ遠路南紀まで来てべら釣ってるようではしゃーないな。
宿の奥さんは泊まることを勧めたが断ってまた南下した。
夕方には目的地の潮の岬へ着いたので、宿を決めてから町の釣具やで竿や餌のさざえを買った。
さざえと云っても小さな子供のようなものだった。
釣り具やでは他の人もいて(にーちゃんの体ではよう引き上げるやろか?)と期待をもたせることを言う。
ひととうりの物を買って宿へ帰り食堂で夕食をとった。平日でもあり泊まり客は僕だけのようである。
2階の部屋へ案内され奥さんが下へ降りるときガチャッと鍵をかける音がした。それを確かめに行ったら鍵がかかっていた。
(何んちゅうこっちゃ! もし夜中にトイレ行きとうなったら如何すんなんや!そんなに信用出来んのやったら先金をとれ。さきがねを!)
と心中思ったが、幸いトイレはなかった。でも気分が良くない。
確かにボロの電気屋の車でそれも大阪から一人で来たんやから不審に思われても仕方ないが、金は充分用意しとる。心配なら手付をとっとけ!
でも当時の僕は純情?で言いいたいことも今ほどずけずけ言えなかったから仕方ない。
朝暗いうちに磯までわたり宿主の指定した場所で釣りをはじめたが、悪いことに海が荒れていた。
船は見える位置で待機してるのだが、早めにこちらへ来て(今日は無理や)と引き上げを誘うが、僕は延期を要求し釣り続けた。
確かに波が荒いから釣れそうもないが、それでも2度ほど強くひく気配を感じた。
それはただ単に針が岩に引っかかっただけかも知れないが、初めての僕には今のは石鯛が食ったのでは?と思わせる。これが釣りの妙味なんだ。
結局は何も釣れずに帰途に着いた。
だが、後日あの鍵までかけよったことが気にかかる。
そこで俺はあやしいものではないと証明させる為に意地でもと今度は息子を同伴させた。
同じトラックでである。
磯の場所はこの前と反対側を指定された。するとよく引く。つり上げてみると何と手のひら大の熱帯魚である。
多分ちょうちょう魚の仲間だろう。引きは強いしよく釣れるし息子は喜んだが、僕はあくまでも石鯛狙いに来たのだから面白くなかったが、つり味は確かによかった。
船頭は子供ずれだからそこを選んだだろうが、俺の意思を無視した行いである。
だが息子が喜んだことだし息子に免じてゆるしたろ。
その正月にはそこからの年賀状が来た。僕はそれを見て腹の中で言った。
「だれが行ったるかー。絶対に2度といかんぞー・・・。」
バブルが弾けたころに、社長から僕にチエン店を持たせる話があった。場所は家の近くのある市場内である。
普通なら喜んでお受けするべきことなのだが、僕は時期的に悪くその先が読めていたので断ったのだが、1年後にはやらざるを得なくなったので、仕方なくその場へ移転することになった。
僕のお得意さんのほとんどはそのままで維持をするのだから、断る理由がないように思えるのだが、
そこに落とし穴があるのを見抜いてたのだ。
つまり店が潰れたら辞めざるを得ない仕組みである。
だが、いくら努力してもあかんものはあかんのであり僕ははじめからやる気がなかった。
本来僕は営業向きではないので、本店の店長時代から営業作業などしたことがない。
得意先も○○組とか連れ込みホテルなど恵まれていたので、先方からの依頼仕事以外は遊んでいたし
その得意先のほとんどは先輩らがつかんだのを引き継いだだけで、僕自身で獲得できた得意先は○○組だけである。
だが、その○○組の売上は常にトップでもあったしその影響は大きかった。何しろ事務所は勿論のと本宅やその関連や各組長の一部も含まれるからである。
そのお陰で店が持つのはせいぜい2年だと見込んでいたが5年持ったのであった。
店は妻まかせだし、冷蔵庫の配達やクーラー。アンテナ工事などは息子を助手に連れて行ったがその為高校受験時の息子が勉強が出来ず本来ならひとクラス上の高校へ入れたのに、、と妻はよく愚痴をいったものだった。
でもその息子も30代で警部補だから高卒としては出世コースだと僕は思ってる。
だから、その5年間は経済の許す範囲は遊びまくった。冬は狩猟。猟犬飼育。暖かい時期は海釣りが主である。
はじめは行き先も決めずに例のトラックで和歌山へと走った。
道路は幾分進歩しており新26号線を利用し、泉南市から和歌山の海南市までは高速道路が出来ていた。
それも何れは白浜あたりまで延びることだろう。
深夜、有田あたりを過ぎて走ってるとき左側に大きな釣り船の看板をみつけた。
「よし! ここにしょう」
そう決めてついた所は由良町であった。深夜にもかかわらず一人のおばさんがいたので船釣りにきたので案内してほしいと頼んだら快く紹介してくれた。
はじめての船釣りのスタートはここから始まったのである。
そこのよく行く漁場は友が島の近くであった。時間にして30分以上かかったと記憶している。竿はそちらで借り(有料)あじ さば狙いなのでさびき釣りではあるが、大阪湾で釣れる雑魚とは違い30センチはある。
僕は家で海水魚を飼っていたので、あじなども時には活かして持ち帰つたが、長くは持たなかった。
何回か行くうちにあじやさばは適当にとれたら仕掛けを単独に換えて他のえものを狙った。
その餌としてのこ海老も持参して釣るのである。
これの楽しみは何が来るのかの期待がある。たな(深さ)もそのつど適当にかえて行うのだが、事実、何種類かの魚がかかった。
一度は鯛に近いがあまり見たことのないのが釣れてそこの奥さんは(これ えびす鯛や)と言った。
またいやに重たいのでゴミでもかかったのかと引き上げてみるとエイであった。
それをクーラーに入れると雇われ船長は(もって帰るの?)と怪訝な顔をしたので、「釣れたと言う証拠品や」 と言い返した。
20センチほどのとらふぐを釣った時はさすがに持ち帰らず船長に渡したら引っ手繰るように受け取っつたことがある。
調理さえできたらこれほどの獲物も珍しいのでは?と感じた。大きいものなら1万円はするだろうから、、。
ある時のことである。常にとも(船尾)に陣取る僕は鯖つりにも飽きたのでふと船尾をみると1メートルはあるシイラが10匹ちかくたむろしてるのを見つけた。
だぶん流れ込むあみ海老を狙ってのことだが、僕はさっそく10号のテグスに石鯛用の針をつけて浮きもなしの簡易仕掛けをつくり餌は釣った鯖の切り身を手釣りで投げた。
するとすぐにシイラは食いついてきた。そしてみるみる釣れて5匹ぐらいになった頃、船頭はただ黙って錨をあげその場を移動した。
でなければシイラは全滅したことだろう。それほど貪欲で人の怖さをしらない魚ではあった。
1匹を隣の人に上げたら大変喜ばれたが僕はあまり好きではない。例の独特のくせのある味が気にそわないのだ。料理の仕方があるとは思うが、、。
バブルが弾けたころに、社長から僕にチエン店を持たせる話があった。場所は家の近くのある市場内である。
普通なら喜んでお受けするべきことなのだが、僕は時期的に悪くその先が読めていたので断ったのだが、1年後にはやらざるを得なくなったので、仕方なくその場へ移転することになった。
僕のお得意さんのほとんどはそのままで維持をするのだから、断る理由がないように思えるのだが、
そこに落とし穴があるのを見抜いてたのだ。
つまり店が潰れたら辞めざるを得ない仕組みである。
だが、いくら努力してもあかんものはあかんのであり僕ははじめからやる気がなかった。
本来僕は営業向きではないので、本店の店長時代から営業作業などしたことがない。
得意先も○○組とか連れ込みホテルなど恵まれていたので、先方からの依頼仕事以外は遊んでいたし
その得意先のほとんどは先輩らがつかんだのを引き継いだだけで、僕自身で獲得できた得意先は○○組だけである。
だが、その○○組の売上は常にトップでもあったしその影響は大きかった。何しろ事務所は勿論のと本宅やその関連や各組長の一部も含まれるからである。
そのお陰で店が持つのはせいぜい2年だと見込んでいたが5年持ったのであった。
店は妻まかせだし、冷蔵庫の配達やクーラー。アンテナ工事などは息子を助手に連れて行ったがその為高校受験時の息子が勉強が出来ず本来ならひとクラス上の高校へ入れたのに、、と妻はよく愚痴をいったものだった。
でもその息子も30代で警部補だから高卒としては出世コースだと僕は思ってる。
だから、その5年間は経済の許す範囲は遊びまくった。冬は狩猟。猟犬飼育。暖かい時期は海釣りが主である。
はじめは行き先も決めずに例のトラックで和歌山へと走った。
道路は幾分進歩しており新26号線を利用し、泉南市から和歌山の海南市までは高速道路が出来ていた。
それも何れは白浜あたりまで延びることだろう。
深夜、有田あたりを過ぎて走ってるとき左側に大きな釣り船の看板をみつけた。
「よし! ここにしょう」
そう決めてついた所は由良町であった。深夜にもかかわらず一人のおばさんがいたので船釣りにきたので案内してほしいと頼んだら快く紹介してくれた。
はじめての船釣りのスタートはここから始まったのである。
そこのよく行く漁場は友が島の近くであった。時間にして30分以上かかったと記憶している。竿はそちらで借り(有料)あじ さば狙いなのでさびき釣りではあるが、大阪湾で釣れる雑魚とは違い30センチはある。
僕は家で海水魚を飼っていたので、あじなども時には活かして持ち帰つたが、長くは持たなかった。
何回か行くうちにあじやさばは適当にとれたら仕掛けを単独に換えて他のえものを狙った。
その餌としてのこ海老も持参して釣るのである。
これの楽しみは何が来るのかの期待がある。たな(深さ)もそのつど適当にかえて行うのだが、事実、何種類かの魚がかかった。
一度は鯛に近いがあまり見たことのないのが釣れてそこの奥さんは(これ えびす鯛や)と言った。
またいやに重たいのでゴミでもかかったのかと引き上げてみるとエイであった。
それをクーラーに入れると雇われ船長は(もって帰るの?)と怪訝な顔をしたので、「釣れたと言う証拠品や」 と言い返した。
20センチほどのとらふぐを釣った時はさすがに持ち帰らず船長に渡したら引っ手繰るように受け取っつたことがある。
調理さえできたらこれほどの獲物も珍しいのでは?と感じた。大きいものなら1万円はするだろうから、、。
ある時のことである。常にとも(船尾)に陣取る僕は鯖つりにも飽きたのでふと船尾をみると1メートルはあるシイラが10匹ちかくたむろしてるのを見つけた。
だぶん流れ込むあみ海老を狙ってのことだが、僕はさっそく10号のテグスに石鯛用の針をつけて浮きもなしの簡易仕掛けをつくり餌は釣った鯖の切り身を手釣りで投げた。
するとすぐにシイラは食いついてきた。そしてみるみる釣れて5匹ぐらいになった頃、船頭はただ黙って錨をあげその場を移動した。
でなければシイラは全滅したことだろう。それほど貪欲で人の怖さをしらない魚ではあった。
1匹を隣の人に上げたら大変喜ばれたが僕はあまり好きではない。例の独特のくせのある味が気にそわないのだ。料理の仕方があるとは思うが、、。
何回かそのつり宿(泊まったことはない)へ行った時、海は荒れていた。そしてその時の船頭は嫁の父にあたるじいさんであった。
どうやらその人がその宿の元祖で、たまに嫁婿が船頭をやるが主に雇われの兄ちゃんであった。
だが海が荒れているときは決まってそのベテランのじいさんである。他に同行の船など見かけないのに見事な?手さばきで現地まで行く。そして(釣りは無理やなー)と帰途につく。
そして燃料代だけを徴収するのである。初めての乗船するにはその手口がわからないものだから、誠意ある先導やなと錯覚する人がいるかも知れないが、僕のように何回も来た者には馬鹿らしくて腹が立ってくる。
いくらベテランといえども何時転覆するやも知れない事だし増してや救命ジャケットなど誰もつけていないのである。
そして何回目かの時に、じいさんが毎度の如く(今日はあかんなー)
と云った時、僕はそのじいさんに聞こえよがしにこう言った。
「あかんのは初めから判ってることや! それやったら初めから来んといたらええやんけ!」
その場は何事もなかったし、僕も当然のこと言うたまでやしその事はすぐに忘れていたが、当人にとってはそうは行かない。
彼らにすれば営業妨害?にあたるし招かざる客にあたることだろう。
その影響が次回に行ったとき出た。おばはんの態度が悪いのである。周囲の人も明らかにわかる態度であり雰囲気であった。
今の僕なら弁舌と怒鳴りでやり込める自身があるが、(自称やくざ)当時の僕は修行が足りないのか、奴のペースに乗ったら喧嘩になるだけで、遠路ここまで来たのが無駄になると計算して反撃はしなかった。
考えたら俺はあくまでも客である。しかも上得意のはずや。でもいまさらまた乗り換えるのも面倒だし、だがいまの俺ならこう言ってやる!
「おい! こら! えらい態度悪いやんかい! 何が気にいらんのや!そない来ていらんのやったら、電話のときことわらんかい! 電話で了解したんやろ!それやったら契約不履行や!ちやうんかい!こら!」
とこう云った調子だろうか。でも長いことなじみになったことやし、相手も本当に来ていらんのやったら電話のときことわりよる。
それにまだ鯛。いか。メジロ。を卒業していない。
じっと我慢のこであった。
海釣りとしては由良港ばかりでもなかった。武庫川突堤。大阪南港。泉大津。岸和田突堤。泉佐野。
加太。などである。
一番多く行ったのはやはり泉大津である。小あじやいわしがメインだが、たちうおを釣ってきて刺身で食べたが、思った以上に美味であった記憶がある。
僕はどんな魚でも釣ったら必ず〆ることにしている。あじや鯖のように多くとれた場合は釣りの終わりごろのをさしみ用としてしめる。
理由は時間的に新鮮だからだ。漁師でも料亭行きのさばは必ず〆てから売る。そうする事により味が全然ちがうし値も高く売れるからである。
泉大津ではいわしを一晩で300匹ほど取ってきた。、日干しにするのに生のまま干したので失敗した。
一度湯がいてからするのを知らなかったからである。結局全部捨てるはめになった。
加太方面の途中で小船用の小さな船着場をみつけ加太へ行く予定だったのが、そこで釣ることにした。
さびき釣りでこあじが面白いように釣れた。暫らくしてから数人の人が浴衣姿のままで釣りにきた。
どうやらこの場所はその民宿の釣り場らしい。
僕は知らない振りをして釣っていたが、宿主らしい人は何も言わなかった。胡散臭そうな顔をした泊まり客の一人がいたが、僕は無視した。
彼らにすれば金払って釣ってるわけだから、タダで釣る僕が面白いはずがない。でも何事もなく続行した。
昼過ぎに女の人がポットにコーヒーを入れたのを持参して客人に配り始めた。僕は別人だから関係はないと思っていたら僕にもサービスしてくれた。
その人は僕も客人の一人と見たのかまたは知っていてサービスしてくれたのかは、いまだに疑問である。
その場所へは何回かいった。そしてさよりが回ってくるのでそれもよく釣った。
宿主はその浅瀬に網を引き餌のあみを撒いて多くのこあじが寄ってきたとき網をひきあげる取り方をしてバケツいっぱいにして帰っていった。夕食のおかずにするのだろう。
その場所は本来はひらめがいるらしく、泊まり客はそれを目当てにくるらしい。だが釣れたのは見たことがない。
はなしは船釣りに戻るが、鯛釣りには3回ほど行ったが3回ともボーズだった。釣れるのは3匹ほど
の人もいたが、全体的にボーズが多かった。
よく新聞などで一人の釣り果が5匹とか書いてあるが、あれは嘘である。
まあその船全体の釣り果とみて間違いがない。だから一人で5匹釣ったら他のひと全員がボーズと言うことになる。
釣り人はほら吹きが公然と通用するようである。まあ鯵 鯖 烏賊のように数が釣れる場合は別だろうけど、ある場所では誰もがボーズなのに新聞では何匹とか書いてあったので、その釣り店へ電話したことがある。
烏賊釣りのシーズンに入ったので行くことになった。もちろん生まれてはじめてのことである。
つりは当然夜釣りである。
仕掛けは全部借り物である。竿など使わずに手巻き釣りだ。
僕は釣りは楽しむというより一匹でも多く成果をあげるタイプなので、釣れるときは一心不乱に働く。
趣味ではなく漁師そのものである。親父が尾鷲出身だからその血が流れているのかも知れない。
だから手巻き釣りではすぐに指がいかれる。
でもそんな事などかまっていられない。そしてほとんど立ちっぱなしだ。かなり重労働である。
でも次から次はと釣れるので疲れなんか感じない。それでも何回かのうちにはボーズの時もあった。
その時は冷凍烏賊を10匹づつ配ってくれるのでそれがこの店のいいところでもある。
烏賊はするめいかが主だがたまに白いかが混ざる。何れにしろ烏賊は釣れたてもものを食するに限る。
普通では味わえない味覚があるからだ。よく店で活けづくりと云ってそれを売り物にしてるが、輸送中のつかれでだいぶん味が落ちている。
それと烏賊は冷凍に強いことだ。つまり少々日にちが経っても味が変わらない特徴がある。
だから沢山とって来ても何時までも楽しめるということだ。
僕は墨や腸をそのままにして油やきが好きだった。新鮮なればこそ出来ることである。
とにかく烏賊つりは計算的にもひきあうよい遊びである。
ある時顔色の悪い80才以上のおじいさんが、烏賊釣り船で見かけた。多分息子か孫に死に土産に来たものと思うが、その年ではちょっときついのではないかな。
この頃は○○組請負建築業のO君と仲がよかったので由良港へは二人で行くことになった。
烏賊つりもいったが、はまち釣りが多かった。
彼は釣り経験があまりなく、竿など一式をある店で買い揃えて同行したが、なぜかはまち釣りの時はいつもも負けた。
購入した店主から何かの伝授をうけたのだろうか。まったく同じ動作をしてるのに差がつくのである。
実に釣りというものは理解できないことがあるものである。
彼との珍事をぼやきに載せたのが次である。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
僕は友人(A)と二人ではまち釣りに出かけた。場所は和歌山の由良である。
船の一番良い釣り場所は潮流の関係で船尾(とも)やと知っていた僕はその
友人と打ち合わせて その場所の確保を誓った。
僕はクーラーを大小2つ持っていたが、敏捷に動ける為に小さいのだけ持って
その場所の確保を狙った。
大きいクーラーは岸壁に置いて後から取りに行けばいい。
すると場所取りに ある男とかち合い あやふく口論となりかけたが よく相手
を見たら なんとその男は友人(A)であった。(大笑い)
その彼も今は居ず酒飲みだった為に動脈瘤で亡くなったのである。
さて 次はいよいよメジロ釣りである。場所は日の岬沖で釣り船はなんと100隻はいただろうか。
これでは釣れる割り当ても少ないはずである。ほとんどは向こう合わせなので竿は置きっぱなしの人が多かったが、ある人がメジロではなくヒラマサが釣れたときは羨ましかった。
といってもどれがひらまさかメジロかの区別など知らず人がそういうからそう思っただけで今でも知らないのが事実である。
釣れる数は大体一船で5匹までが普通であり30人ほどいるのだからその確立は少ない。
僕も3回目にようやく1匹釣れたがまあ運の良い方と云えるのではないだろうか。
それも(ひいてるぞ!はよあげんかい!)とおじいさん船長に言われて釣れたのであった。
僕は少し近眼だが眼鏡を掛けていても浮きなど見えなかったのだが、じいさんとは言えさすがプロと言うか目がいいんだなと思うと共に僕のことにきずかいをしてくれたことに感激をしたのであった。
さっそく〆て鮮度を保つための多量の氷で囲みいそしんで帰途に着いた。そしてこれはひらまさとちゃうか?いや合いの子やで、、。などと楽しんで妻がさしみと煮物で料理したんだが、そのうまかったこと、頭まで煮込んで食したが云うことなかった。
やはり〆て鮮度を保った魚は市場では買えないそれだけの値打ちがあると思った。
それからも少しは行ったが趣味の釣りはメジロで終結とした。
終わり。