九州2001
旅とサイクリスト

  12/1 別府→大分→三重町→緒方町→尾平(泊)
  12/2 →尾平越(傾山と祖母山の間)→高千穂→津花峠→国見トンネル(笑)→椎葉村(泊)
  12/3 →椎矢峠→矢部町(泊)
  12/4 →清水峠→白水村(泊)
  12/5 →高森峠→一宮町→大観峰→小国町→鯛生金山跡(キャンプ)
  12/6 →奥日田スーパー林道(途中からエスケープ)→大山町→日田→守見温泉(野宿)
  12/7 →深耶馬渓→九重町→九酔渓→やまなみハイウエイ→湯平温泉(泊)
  12/8 →別府

12/1 別府→大分→三重町→緒方町→尾平(泊)

フェリーが別府港に到着したのは、ほぼ定刻の6時20分頃、日が昇るまで待ちたいところですが、街が動き出す前に、大分市内を横切りたかったので、直ぐに出発しました。
今回は軽量化のため?輪行袋(300grほど)を持って来ていませんから、土曜日にココへ戻ってくるまで、全自走です。

大分市街の喧噪を抜け出し、三重町に到着した頃には、空腹感を感じ始めていましたが、目に付いた食堂は、準備中でした。
ここからは、「三国峠」「大明神越」と進む予定でしたが、大型車がそちら方面に曲がって行くため、最初に越える峠を、急遽「尾平越え」に変更しました。 大明神越えは、元々その名前に惹かれただけでしたし、清川村から、「梅津越」を行くルートは、先行きの天候が思わしくないことから、時間的問題で、「行かない」と決めていたのですが、今となっては、大きなルートを残してしまったと、少々後悔しています。

そうこうする内に、開いている食堂が見つかったので、そこで昼食を摂り、その後スーパーで、今夜のキャンプに備えて、買い出しを済ませておきました。

緒方町で尾平方面に折れてしばらく進むと、「旅が始まった」と実感できる道になりました。
しばらく進むと、道はグイグイと標高を上げ始めました。
川沿いの道ですから、アップダウンを繰り返すとは思っていましたが、予想を超えています。
民家の軒先に、
「天然鮎の"うるか"あります」
と書かれた張り紙がありました。
天然物のうるか(わたの塩辛)なんて、食べたことがありませんでしたが、
「この先何処かで買えるでしょう」
と言うことで、素通りしてしまったのですが、残念ながら、その後二度とお目にかかることはありませんでした。

一つ目か二つ目の登りだったかは、もう忘れてしまいましたが、そのピークの手前の小さな集落に、万屋さんがありました。
下りに備えて着込まないといけませんし、そろそろお腹にも、何か入れておかないといけませんから、ちょっと小休止です。
温かいコーヒーを買いがてら、そこのおばさんから、この先のことを尋ねました。
「こんな感じの道を繰り返すのかなぁ?」
「ここからが急なんですよ」
「この先に、泊まったり飯を食ったりするところは、在りますかねぇ」
「尾平に、民宿と青少年旅行村がありますよ。そこで、ご飯も食べられると思います」
私はそうと聞いて、三重町で買った、地鶏弁当'75を食べる事にしました。
実はこのお弁当、フロントバッグに入れていたのですが、走っていても良い匂いがしてくるので、食べたくて食べたくて、仕方がなかったんです。
メニューは、地鶏入り炊き込みご飯や煮物などで、特別たいした物は入っていませんでしたが、どれもこれも、本当に美味しく頂戴しました。

どんな坂が待っているのか75と思いながら、走り出しますと、今までと同じ事の繰り返しに、ちょっと一安心というところです。

尾平に着いた時には、夕暮れが迫っていました。
着いてみると、尾平には、一軒の民宿と青少年旅行村だけしかありません。
旅行村では、
「台所を自由に使って良いし、広間が空いているから、そこで寝たら良い」
と言われたのですが、持っている食料は、非常食のレベルです。
「あの時に、パンで、しのいでおけば良かった」と、ちょっと後悔をしてしまいました。

後から車でやってきた登山家達は、肉を焼いたり、スーパーで売っている即席鍋をこしらえたりして、良い匂いをさせています。
私は、あまりに悔しいので、彼らが食べ終わった頃に、持ってきたコーヒーを淹れて、臭いだけは対抗しておきました。

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12/2 →尾平越(傾山と祖母山の間)→高千穂→津花峠→国見トンネル(笑)→椎葉村(泊)

尾平から尾平越えへの道は、それまでの道と比べると、走りやすい道でした。
ピークのトンネルを抜けると、谷は南向きで、ぽかぽかと気持ちが良いです。
そこで休憩をしていると、後部に大きな籠を付けたスクーターを駆る、猟師さんがやってきました。
「もう猟が始まっているんですか」
と、尋ねると、猟師さんは、
「鹿が増えすぎたので、猟期が長くなった」
と、教えてくれました。
私はそれを聞いて、
「フレッシュな鹿刺しが食べられるかもしれない」
と、瞬間的に思うと同時に、顔の筋肉が緩んでしまいました。

南向き斜面の下りは、快適でした。
途中、天岩戸神社で、小休止を入れて、高千穂に降りてきた時には、もうお腹はペコペコになっていました。
今朝は、菓子パンを二つ食べただけでしたからね。

開いている食堂を捜しながら、高千穂の街を進んで行くと、左手に、以前飛び込みでお世話になった YH が在りました。
ココは、旅館兼営ですが、非常に居心地が良かったので、特に印象に残っている YH のひとつです。
高千穂を通り抜けても、開いている食堂は見つかりませんでしたが、そのまま進んで行くと、国民宿舎があったので、そこで昼食を摂ることにしました。
メニューを見ると、「しし鍋定食」というのがありました。
こういうのは、宿屋できちんと楽しみたいところですが、今度の旅で必ず食べられる、という保証はありませんから、ココで食べておくことにしましたが、やはりというか、期待は裏切られました。

今朝立てた予定では、今日は高千穂周辺の道を拾い、椎葉村到着は明日、ということでしたが、食後、地図を見ている内に、
「今日中に椎葉村に行った方が良い」
という結論に達してしまいました。
もしも、椎矢峠に入れなかった時は、大回りをして戻ってこないといけませんからね。
椎葉村までは、峠が二つありますが、ひとつは低そうですし、もう一つは、私の地図にはありませんが、トンネルが出来ているのは確認していますから、そちらを通れば何とかなるでしょう。
「何か美味しそうな行動食は無いものか」と、捜しながら進んで行くと、一軒のおみやげ物屋さんに、「天然蜜蜂の巣」なる物を発見しました。
最高の栄養補給源ではありますが、以前ラオスで買った時、バナナの葉っぱでくるんであるのを、ビニール袋を二重にして持ち歩きましたが、あっという間に、あちこちベタベタし始め、ひどい目にあった、ということがありましたので、今回は見送りましょう。
行動食の方は、その後、あんこがたっぷりと入った、出来立ての草餅が手に入ったので、万全です。

国見トンネルへの道は、所々で拡幅されていましたが、全般的にはタイトで、車も少なく、乗っていて楽しい道でした。
トンネルの直ぐ手前には、旧道に通じる道が分かれていますが、後で聞くと、
「トンネルが出来てから、通る車もほとんどなく、荒れている」
と云う話ですから、ある種の人達にとっては、よだれ物かもしれませんね。

椎葉村まで後十キロほどかな、と云うところで、コーナーを回ると、イノシシの子供と遭遇しました。
でも、よく見ると、その回りにさらに小さいのが、
「え?これで親か」
と思わずには、いられませんでしたが、この辺りのイノシシは、そういう種類なのでしょうか。

椎葉村まで後一息という所までやってきた時には、夕暮れが迫っていました。
道路沿いに、ポツポツとある、食堂や宿屋は、閉まっています。
中心街にたどり着くと、宿や食堂が、びっしりと並んでいますが、どこも開いているようには見えません。
うろちょろしていると、坂道から二人の女性が降りてきたので、
「こんばんは、どこかに、やっている宿屋さんは無いですかね」
と、尋ねると、
「この上にあるから、聞いたげよか。私等、そこで働いてるんよ」
と、親切に言ってくれました。
渡りに船ではありますが、人を挟むと、気に入らなくても断れなくなりますから、ちょっと迷いましたが、結局お願いする事になりました。
坂道を上がると、鶴富旅館と書かれた看板が見えてきました。
自転車から荷物を外していると、中から女将さんが出てきました。
「お泊まりは、7000円から13000円、いくらぐらいがよろしいでしょう」
と、尋ねられたので、私は、
「部屋はどんなところでも良いけど、食事は美味しい方が良い」
と、答えると、
「部屋代は全て同じで、食事で値段が変わります」
と、返されました。
私は、そこで、
「値段はいくらでも良いから、しし鍋とフレッシュな鹿刺しが食べたい」
と、お願いしました。
「取れたての鹿刺しは、予約をしてもらわないと無理ですね。しし鍋用のしし肉はありますが、出汁が無いから・・・ちょっと奥で相談してきます」
と言い残して、中に消えました。
戻ってきた女将さんは、
「相当時間がかかるんで・・・」
と、丁重に断りのお言葉を並べられましたが、私はさらに執拗に、
「せっかくココまで来たんやから、食べたいなぁ」
等と、お願いすると、女将さんは、
「ちょっと時間がかかりますよ」
と、嬉しい返事を返してくれました。

部屋には、その女将さんが案内してくれたのですが、階段を上がりながら、
「ココは有名な、鶴富屋敷の旅館部ですか」
と、尋ねると、女将さんは、
「有名かどうかは存じませんが」
と、心憎い返事を返してくれました。

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12/3 →椎矢峠→矢部町(泊)

明るくなりかけた空を見ると、曇ってはいますが、天気予報では、晴れたり曇ったり、昨日無理をした甲斐が在ったと言うものです。
今日はこの旅のハイライト、椎矢峠を越えます。
宿で作ってもらったおにぎりを、フロントバッグに収めて、曇天の椎葉を後にしました。
道はタイトで、通る車もほとんどありません。
しばらく進んでいると、急に気温が下がり始め、その後、雨が落ち始めました。
「まぁ仕方ないか。ココは山やからね」
と自分に言い聞かせ、レインジャケットを羽織りました。
この辺りは舗装路で、まだ余裕がありましたが、雨は峠に着く直前まで、降ったり止んだりを繰り返したため、着たり脱いだりの繰り返しで、思うようには進めませんでした。

しばらく進むと、小さな集落がありました。
宿屋も何軒かあります。
昔々、この峠を、矢部町側から越えて来た事とがありますが、その時の椎葉は、このぐらいの集落だったように思います。
椎葉林道の入り口で、舗装が切れましたが、充分に乗って行ける道です。
この道は、川に沿ってはいますが、あまり下りがないので、助かります。

道沿いには、実に多くの沢が、流れ込んでいますが、こういう天候ですから、飲みたいとは思わなかったのですが、そんな沢のひとつに、目が止まりました。
飲めと言っているようです。
自転車を止めて、一口含むと、これが実に美味い。
私は、ボトルに入ったスポーツドリンクを捨てて、この水に詰め替えました。

正午過ぎに一台の車とすれ違ったのですが、結局その車が、林道区間ですれ違った、たった一台の車と云うことになりました。

道路には、鹿がたくさん出ていました。
出会った全てがペアーです。
毛色は濃い茶色で、お尻の所だけが真っ白です。
この辺りは保護区になっているため、周囲の山から、逃げ込んでいるんでしょうね。

峠到着は、二時を大きく回ってしまいましたが、コンロを出して、インスタントのみそ汁をこしらえました。 冷たいおにぎりだけではね。
時間には、あまり余裕は無かったのですが、もう少しきれいな景色が見たい、と言うのもありました。 とにかく前回は、何も見えませんでしたからね。

椎矢峠の矢部側は、がらがらのダートです。
ドロップハンドルの下を握り、下ること数分、腰に鈍痛が来ました。
「参ったなぁ」
これは古傷です。
腰を冷やしたときによく出ます。
「分かってるのにねぇ」と言っても後の祭りです。
鈍痛ですから、数分に一度、腰を伸ばすと、また乗れます。
とりあえず、いつでもキャンプが出来るように、水を満タンにしておきました。
しかし、今朝の天気予報では、明日は雷雨となっていましたから、下手な所でテントを張るわけにはゆきません。
下ること二時間、まだ林道を抜けられません。
途中でハンドルを、2センチほど上げてからは、少し楽になっています。
そろそろ辺りも暗くなり始め、決断を迫られました。
明るい内に安全なテント場を捜すか、日が暮れても、安全な場所まで降りるかのどちらかです。
メーターは、新しい物に換えたというのに、気温が低いときには動いていないので、ダートが後何キロ残っているのかは不明です。
ただ、幸いというか、真っ暗になる前に、路面の石は小さくなり、勾配も緩くなったので、さらに走りやすくなりました。
振動が減り、前傾姿勢も浅くなったため、ちょっと辛抱をすれば、連続走行も可能です。
「抜けよう」

日没からおよそ一時間、下の谷が明るくなると同時に、ゴーッと云う音が響いてきました。
大内臣林道の終点にある、ダムのようです。
林道を抜ける直前に、「平家の湯」なる看板が、眼に飛び込んできました。
ヘッドランプを向けてよく見ると、民宿 温泉 ヤマメ料理 と、書かれています。
「やったー!」
平家の湯はダムサイドにありましたが、閉まっています。
その前をウロチョロしていると、斜め前の家から、女性が出てきました。
「そこは、六時までなんですよ」
時計を見ると、六時半を指しています。
しかし、しばらく話していると、
「開けますから、付いてきて下さい」
と言ってくれました。
この女性が、ココの女将さんだったんですね。
「お風呂に浸かっている間に、料理を用意しておきますから」
お風呂は、きちんと成分標が張られている、本物の温泉でした。
おまけに、腰痛、神経痛にも良い、と書かれています。
この後、腰の痛みはぴたりと収まったので、案外名湯なのかもしれませんね。

風呂から上がると、何とも香ばしい臭いが、漂って来るではあ75りませんか。
部屋に戻るのももどかしく、私は、その臭いのする部屋に行くと、そこには、大きな火鉢に、たっぷりと炭がおごられ、串に刺されたヤマメが二匹と味噌田楽が刺さっています。
もちろんテーブルにも、それなりの物が、
私は、頭の中のスイッチを、何でも食べるモードに切り替えていましたから、なおさら嬉しいですね。 直ぐに女将さんがやってきて、
「生ビールとかっぽ酒があります」
と、のたまわれました。
私は、一合のお酒を、持て余すぐらい弱いのですが、かっぽ酒なんて、そう度々いただけるわけではありませんから、この機会を逃すわけにはゆきません。

女将さんは、直ぐにかっぽ酒を持ってきてくれました。
「酒は○×、かっぽ酒は熱燗が良いですよ」
私には分かりませんが、きっと銘酒なんでしょうね。
ヤマメの串焼きを頭から頬張り、竹で出来たぐい飲みに、かっぽ酒をそそいでいただく、大満足でした。

しかし、本当の至福は、この後にやってきました。
熱い物を食べ終えて、順序は逆ですが、小さな椀のフタを取ると、中には、塩辛のような物が入っています。
「うるか」かな
舌の上に載せていると、何とも深い味わいが、じわじわと出てきます5br>75。
私が知っている、鮎のはらわたで作った塩辛、うるかとは、少々趣が違います。
後で聞くと、それは、ヤマメの「うるか」とのことでした。

実は今夜もそのうるかを、熱々のご飯に乗っけて食べました。
これが最高です。
イヤー、甘露甘露。

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12/4 →清水峠→白水村(泊)

夜が明けると、青空が見えました。
昨日は暗くて気付かなかったのですが、道を挟んで、大きな生け簀が、いくつも並んでいます。
そうなんです、ココは、元々、ヤマメの養殖が本業だったんですね。
本日はイージーコースということで、少しのんびりしていると、まかないさんが、三人やってきて、料理の準備を始めました。
こんな山の中で、この時期に生ビールを置き、平日に三人で料理の準備を始める、ちょっと変でしょう。
実はこの宿、料理がメインなんですね。
昨日私がいただいた料理も、たった三千五百円で、いただけるのです。
まあ、流行るのも当然でしょうね。
でも、食堂部の方は、発電所の音がうるさいので、民宿部の食堂を使わせてもらった方が良いですね。
すぐ近くに、キャンプ場もあります。

本日は、日田方面に向かう途中ということでbr>75、阿蘇外輪山の一角にある、清水峠を越え、どこかの温泉に浸かってキャンプ、という予定です。
まぁ、言ってみれば、単なる移動日です。

矢部町に出るまでにアップダウンを繰り返し、結構脚を使いました。
ここからは、田舎道もあるのですが、国道経由なら、お昼を食堂で食べられる、という計算です。
この季節、やっぱり暖かい所で、ご飯が食べたいですからね。
というわけで、満腹で清和町を出た時は、お昼を少しばかり回っていました。
清水峠への道に折れて直ぐに、地元の人に確かめると、
「この先、何度も何度も分岐があって、ややこしい」
と、教えてくれました。
実際に走ってみると、地図で数キロ先にある集落を目標に進もうとすると、それが枝道だったり、地図からこの道が主線だと思っていたら、脇道だったり、どっちに行って良いのかさっぱり分からない所で、誰も人が来なかったりとかね。
まぁ、持っている地図が、92年発行の、二輪車ツーリングマップだという事もありますが、最新で情報量の多い、ツーリングマップルは、重いので買い換える気には、ならんのです。

峠までの道は、静かで雰囲気はなかなか良かったのですが、ちょっと平板すぎて、一日のメインディッシュとしては、食い足りない、という感じでした。
でも、ダラダラを上って、急峻な方を下るという、峠越えとしては、逆コースなにで、仕方がない、という面もありますね。

しかし、たったひとつの峠が、私の阿蘇への印象を、がらっと変えてしまうとは、その時までは、思ってもいませんでした。
切り通しの向こうに、なんやら知らんが、山が見えてきました。
ところが、近づいてゆくと、その迫力たるや、信州は白馬峰方峠のそれに、匹敵するんではないかと、思えるぐらいです。
それもそのはず、地図を見ると、見えているのは阿蘇五岳だったんですね。
まぁ、ココまで書くと、私がどのぐらい、阿蘇周辺を毛嫌いしていたか、おわかりになられる事でしょう。
ここからの阿蘇がすごいというのは、当然といえば当然でした。
とにかく、水の良さと、阿蘇がきれいに見えると云うことで売り出し中の、「白水村」の、その又上に、在るんですからね。
ここからのダウンヒルが、またすごかったです。
こんなん、ちょっと無いね。
ヘアピンカーブを下りながら、視界に阿蘇五岳の一角が、始終飛び込んで来るんですからね。
このルート、なるだけ静かそうな道を選んで、阿蘇をワープ、5という事で選んだだけでしたから、拾い物をしたなぁ、という感じです。

県道に出た後、車に乗った土地のお姉さんに、久木野村にある、共同湯とキャンプ場の位置を尋ねると、
「温泉に入った後、キャンプ場に行くまでに、湯冷めするから、白水の「遊水の館」へ行った方が良い」 と、話すと、携帯電話を取り出して、連絡をとってくれました。
「キャンプして、ご飯食べて、お風呂に浸かっていくら」
「2500円だって」
「温泉は無いけど、ココが一番良いよ」
私は、
「温泉に囲まれたところで、何で温泉抜きの所に泊まらんとあかんのか」
と、少々理不尽を感じましたが、もうこうなっては、まな板の鯉ですから、渋々行くしかありませんでした。

遊水の館は、県道から少しはずれた高台にありました。
下から来れば、阿蘇五岳の眺めに、圧倒されたかもしれません。

出てきた親父さんは、
「この下全部キャンプ場だから、どこに張っても良いけど、あのレストハウスに畳の間があるから、そこで泊まったら」
そうと聞いて、私は、ちょっと迷いましたが、明日は風呂無しキャンプになりそうなので、今日の所は、楽をしておこう、という結論に達しました。

お風呂は、浸かってビックリでした。
本当に柔らかい良いお湯なのです。
薄めて循環させているような、きれいな温泉宿のお風呂より、何倍も良いお湯でした。
サッパリしたところで、食事です。
本日のお食事は、地鶏入りのだんご汁に、自家製の野菜を使った料理です。
親父さんは、
「いつもは、自家製の豆腐やコンニャクを付けるんだ」
と、話していました。
食後しばらくすると、親父さんは焼酎を持ってやってきましたが、私が下戸だと分かると、頃合いを見て、出て行きました。
北海道によくある、「とほ宿」の乗りですね。

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12/5 →高森峠→一宮町→大観峰→小国町→鯛生金山跡(キャンプ)

本日は、奥日田スーパー林道の入り口がある、竹原峠まで、行きたいと思います。
阿蘇の東側を北上する国道265線は、交通量はそんなに多くはありませんでした。
朝の計画では、途中で国道から剃れ、ローカルロードの日ノ尾峠に行くつもりでしたが、知らない間に通り過ぎてしまい、それを良いことに、明日に備えて体力温存、と決め込みました。

箱石峠までは、途中にダチョウ牧場があったりと、毛色の違う物がありましたが、展望が利かず、肝心の鞍部には、家がA5建っていて、ちょっと興ざめでした。
ところが、ダウンヒルが始まると、その雰囲気は一転しました。
左手に根子岳を眺めながら、結構スピードの乗るダウンヒルというのは痛快でした。

阿蘇神社で、休憩を取った後、ろくに地図を見もしないで、上りと勘違いをしたため、軽装備で出発したのですが、下りが続きます。
直ぐ上りになるでしょう、と思って、そのまま進んだのですが、結局、内牧温泉までは、ほぼ下りで、すっかり体を冷やしてしまいました。
というわけで、大観方への上りは、待ちに待った上り、という事になりました。
背後に展望は開けていますが、振り返っても、もうひとつクリアーではありません。
標高差も分からないまま(いつもの事ではありますが)、ミルクロードとの交差点までやってきましたが、食堂がありません。
ミルクロードに入れば、レストハウスがあるようですが、この道は、私を阿蘇嫌いにさせた道のひとつでもありますから、行く気にはなれません。
そういうわけで、昼ご飯は、竹原峠への分岐がある、小国町までお預けになりました。

遅い昼ご飯を食べながら、随分と迷いました。
天気予報では、明日は天候が悪いらしく、風呂無しキャンプの後、雨aA5のスーパー林道という事に、なるやもしれません。
このまま真っ直ぐ日田方面に向かえば、何時かは行きたいと思っている、あの、杖立温泉があります。
要は天候と道次第という事で、ガソリンスタンドや警察署で、スーパー林道の様子を尋ねましたが、何も分かりません。
農機具関係の会社があったので、そこの人に尋ねると、
「もう、長いこと行ってないので詳しいことは分からないが、今年は雨が少なかったので、スーパー林道は大丈夫でしょう」
と教えてくれました。
これで、決まりです。

小さな峠を越えて、中津村まで来ると、かなり静かな道になりました。
土地の人に尋ねると、
「峠の手前にある、鯛生金山跡に、キャンプ場と道の駅がある」
と教えてくれました。
上手くすると・・・

ここからの道は険しいと聞いていたのですが、鯛生金山跡までは、それ程ではありませんでした。
道を剃れて、急な坂道を上って行くと、大きなキャンプ場がありましたが、閉まっています。
そのまま進むと、金山関連の建物と、道の駅がありましたが、道の駅は営業を終了しています。
受付のある建物の中には、まだ人がいたので、尋ねると、
「キャンプ場は11月いっぱいで終了、明日の降水確率は30%」
と、教えてくれました。
天気予報を聞きたいがために、色々話をしたのですが、そのため、水も出ないキャンプ場でテントを張るのに、千円徴収されてしまいました。
黙って張っとけ

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12/6 →奥日田スーパー林道(途中からエスケープ)→大山町→日田→守見温泉(野宿)

早朝、目が覚めると、どしゃ降りでした。
「こんなんやったら、昨日、杖突温泉に行っとけ」
と言っても後の祭りです。
次に目が覚めたときには、雨音が小さくなっていました。
この音は?
と思って、テントから抜け出してみると、雨は既にやみ、聞こえているのは、木々に貯まった雨水が、落ちてくる音でした。

朝食を済ませて、道の駅の方に行くと、売店の準備をしている親父さんから、思わぬ話を聞きました。 「奥日田スーパー林道は、ずいぶん前に舗装された」
と言うのです。
バックを踏んで日田に回るのも、つまらないと思っていましたが、期待していた林道が、舗装されていた、というのも、残念ではあります。
でもこれで、今日のスーパー林道行きは決まりました。
出発はちょっと遅れて九時になりましたが、舗装ならね、と思ったのが間違い15でした。
林道に入ってしばらくすると、雨が降り始めました。
強くなったり弱くなったり、やんだ、と思えば風が吹き気温が下がる、なかなか前に進めません。
入り口から十キロ少々の所にある、レストハウスに着いた時には、お昼近くになっていました。
腹ごしらえを済ませた後、地図を見ましたが、まだ、半分も来ていません。
地図には、前津江村に降りる道があるので、土地の人に尋ねると、詳しい地図を書いてくれました。 着ていた物が一通り乾いたところで出発です。
雨は上がっていましたが、今度の旅では、肝心なところで降ってくれるんですよね。
日田のバイパスを抜けた頃には、明るい内には深耶馬渓温泉に届かない、という事がハッキリしました。
持っている地図によると、ルート上には、耶馬渓の随分と手前に、「守見温泉」とキャンプ場があります。
「ここやったら届くね」
とにかく、温泉に入りたいですからね。
国道上の小さな峠を越えて守見温泉に着いたのは、五時ちょっと前でした。
憩いの家がありましたが、宿泊施設はありません。
風呂と食堂が利用できますが、共に五時までと書かれています。
おばさんに相談すると、
お風呂を出た後でも、ご飯を作ってあげる」
と言ってくれましたが、
「キャンプ場は閉まっているし、暗くなってからでは見つけられないでしょう。でも、もうちょっと先に、道の駅があって、レストハウスに畳の間があるし、その前にはコンビニもある」
と教えてくれました。
食事の心配も無くなりましたし、畳0の間では寝にくかっても、軒下で寝られるでしょう、という事で、のんびりとお風呂を使わせてもらいました。

道の駅の隣には、なかま温泉という湯屋までありました。
レストランは閉まっていましたので、途中に在った食堂に戻って、済ませてきました。
やはりというか、畳の所は明るすぎて眠れそうもありません。
道の駅の裏側には、お寺や民家があって、テントを張れる雰囲気ではありません。
仕方がないので、隣の温泉に浸かりにゆくと、これがまた良いお湯でした。
仕方がないので、体の火照りが取れて、周りの家が静かになってから、軒先に青天で寝ることにしました。
ところが、真夜中に、犬の鳴き声で目が覚めました。
近いです。
こりゃいかん、という事で、結局レストルームの床に移動して、寝直しました。
チャンチャン


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12/7 →深耶馬渓→九重町→九酔渓→やまなみハイウエイ→湯平温泉(泊)

本日は、深耶馬渓経由で、湯平温泉に向かう予定です。

道の駅辺りからは、サイクリングロードが延びています。
この道は、廃線跡を利用したものですが、川に沿っていますし、無粋なフェンスもないので、気持ち良く走れます。
耶馬渓を手前にして、サイクリングターミナルがありました。
ココ、見たことがある。
以前、ロードレーサーで、この辺りに来たことがありましたが、覚えているのは、青洞門に行ったことぐらいで、どんなコースを走ったのかは、忘れていたんですけど、ココを通ったようです。
帰宅後、写真を見ますと、深耶馬渓や九酔渓で撮った写真が出てきました。
ロードの旅は、気持ちは良いけど、印象は薄くなるのでしょうかね。

深耶馬渓への道は、ここから反れて行きます。
少し急な坂を上ると、ダム湖に着きました。
基本的に下り装備をしていたので、汗をかいてしまいました。
冬用のインナーシャツは、この天候では不要ですので、夏用のインナーに着替えました。

深耶馬渓までは、穏やかな上りで気持ちの良い道ですし、温泉も点在しています。
深耶馬渓の名所、ひとめ八景(そんな名前だったと思う)には、蒸籠で蕎麦饅頭を蒸かしているお土産物屋さんがあったので、ちょっと小休止です。
二個頼んで、ストーブに当たりながら待っていると、お茶と芥子漬けの椎茸を一緒に持ってきてくれました。
あんころがいっぱい入った蕎麦饅頭も美味しかったけど、この芥子漬けの椎茸も本当に美味しかった。 これで、140円とは、ちょっと申し訳ないぐらいでしたです。

ひとめ八景は、立ち止まって見る分には、大した物でしたが、乗っていて楽しかったのは、その直ぐ先の渓谷沿いでした。

九重町で昼食休憩ということで、釜飯屋さんに立ち寄ると、メニューに新蕎麦がありました。
私は、うどん派ですが、新蕎麦だけは別です。
実は、椎葉の旅館で、夕食の仕上げに、新蕎麦が少しだけ出てきまして、「もっと、食べたいなぁ」と思っていたものですから、思わず注文しました。
なんと言っても、香りが良いですよね。

九酔渓沿いでは、あちこちから滝が流れ込み、見応えがありましたが、視界が高すぎたので、一枚も写真は撮りませんでした。

中村で、やまなみ方面に左折し、しばらく進むと、脇に噴煙を従え、うっすらと雪化粧をした九重の山々が見えてきました。
九州でこんな光景を眼にすると'a8は、思ってもいませんでしたから、驚きました。

やまなみハイウエイから湯平温泉への道に折れると、道は鬱蒼たる杉林に囲まれた、急なダウンヒルと変わりました。
夏なら涼しくて良いんでしょうけど、この季節では、ちょっと寒いです。

湯平温泉に着いてみると、急峻な坂道沿いに、そこそこ高級そうな旅館が、ポツポツと並んでいます。 ちょっとイメージと違ったなぁ。
私は、湯治場風の温泉街を想像していたのです。
そのまま下って行くと、二人の小学生に会いました。
彼らは私の大きな荷物に興味を示し、
「中に何が入ってるの」
と尋ねてきたので、それをきっかけにして、私も、宿情報を、教えてもらう事にしました。
「この辺に湯治向きの宿はないかな」
と尋ねると、
斜め前の旅館を教えてくれたのですが、残念ながら、そこは閉まっていました。
他にないかな、という事で教えてもらったのは、右丸と言う旅館でした。
ココは、この温泉場の中でも、格の高そうな宿で、前を通った時には、気にも止めなかったのですが、今はまな板の鯉ですから、素直にそこを訪ねることにしました。

この宿には、たいそう立派なお風呂がありました。
屋上の露天風呂は、設備としてなかなかの物です。
まずは、という事で、一番大きなお風呂に入りましたが、お湯は循環させているようで、いまいちです。 私は、体だけ洗って、近くにある共同湯に行くことにしました。

共同湯「金の湯」は、歩いて一二分の所にありました。
効能書きの脇には、西のヴィッシー、東の湯平、と言われるぐらいの名湯等々と書かれています。
風呂場は、年季が入っていなが充分に手入れがされている、と言う風情で、私好みです。
お湯もぬるめながら、なかなかの物です。
地元の人がいたので、この温泉場のことを訪ねると、私が子供達と会った場所から下が、湯治宿のエリアだと聞いて、思わず苦笑してしまいました。

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12/8 →別府

今夜のフェリーに乗って、大阪に帰ります。
湯平温泉から、大分までは下り一方という事で、銀の湯で朝風呂を使い、余裕のスタートです。
出発が遅かった事もあってか、大分に着く頃には、お腹が減ってきました。
行動食を何か、とも思いましたが、今日は別府で「アレ」が食べたい、と思っていましたから、それをより美味しく食べるためにも、今は何も食べず、省エネモードで、進むことにしました。
ハンガーノックすれすれや、と言うところで、すし焼き肉食べ放題980円、なる旗がはためいています。
別府までの距離は分かりません。
私の前頭葉は、「別府まで辛抱しろ」と言っていますが、脳幹部が下す、「入れ」と言う命令には、あらがえませんでした。
食べ放題のお寿司や焼き肉を、「アレ」と比べるのはこくですね。
このお値段で、デザートには、ケーキやらアイスクリームやら迄が付いているのに、文句を言えば、罰が当たります。
充分に満足させていただきました。

お腹が満ちた後は、竹瓦温泉にでも寄って、砂湯でも浴びるとしましょうか。

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