東海道の旅

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平成の一里塚

平成の一里塚

平成の一里塚

一里塚は、慶長9年(1604年)、徳川家康が息子の秀忠に命じ、旅人たちの目安となるよう東海道や東山道、北陸道の沿道に一里(約4Km)ごとに設けられました。塚は、沿道の両脇に築き、大きさは5間(約9m)四方と決められていました。市指定重要文化財である一里塚は、起点である江戸の日本橋から14番目のものです。現存する一里塚の向い側にあたるこの近辺に、塚があったといわれています。しかし、昭和に入って、道路の拡張に伴い取り除かれていました。
参勤交代の大名行列もとおり、多くの旅人たちが行きかった東海道。記録によると、塚の右側からは姥島(烏帽子岩)が見えたと伝えられています。またエノキが植栽されていたことが、延享2年(1745年)の『東海道巡覧記』や瀑布の道中奉行が江戸後期に作成した『東海道宿村大概帳』などに記されています。
この場所は、歩道整備工事の一環として平成22年、ポケットパークとして整備され、江戸時代の一里塚と同様にエノキが植栽されています。
一里塚は、市内でも数少なくなってしまった近世茅ヶ崎の東海道の面影と、当時の素朴なぬくもりを伝えてくれる貴重な文化財です。南側の史跡「一里塚」とともに「平成の一里塚」として、末永く市民に愛される場となることを願っています。 昭和初期の一里塚付近(茅ヶ崎)

茅ヶ崎市
茅ヶ崎市教育委員会
ちがさき丸ごとふるさと発見博物館
平成23年10月

寄贈:茅ヶ崎湘南ロータリークラブ

参考リンク

一里塚

平成の一里塚について

この看板の反対側には、立派な一里塚があります。
道路拡張に伴い、看板側の一里塚は取り除かれたそうです。
都市化の波を感じます。
歴史の跡が取り除かれるのは、残念ですが、日本の近代化に伴ない、それは仕方がないことではないかと、思います。その後、このような形で記録に残り、私たちのような旅人が昔を偲ぶことができ、ありがたいなと、思います。

※看板の文字を転記しています。誤字脱字はご容赦ください。


※地図の位置は、手作業で行っているため、若干のずれがあります。訪問の際は正しい地図をご確認ください





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