東海道の旅

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牡丹餅立場(牡丹餅茶屋)の跡

牡丹餅立場(牡丹餅茶屋)の跡

徳川家康は、慶長6年(1601年)、東海道に宿場を設けて伝馬の制度を定めました。その後、宿場と宿場の間にも旅人などが休んだりする立場という施設ができてきました。
藤沢宿と平塚宿の間には、四谷、牡丹餅、南湖、八幡の四つの立場ができました。
立場には飲食ができる茶屋がありました。「牡丹餅立場」は牡丹餅が名物なのでそのように呼ばれていました。
また、牡丹餅立場には、紀州の徳川家が江戸屋敷と国元を結んだ専用の飛脚中継所である七里役所も設けられていました。
平成19年1月吉日
茅ヶ崎市教育委員会
菱沼茶屋町稲荷講中
国土交通省
茅ヶ崎郷土会長 三崎伊勢松書 東海道細目分間之図 東海道細目分間之図 解説

東海道細目分間之図

元禄三年(1690年)に浮世絵師菱川師宣が描いた東海道図のうち当市域の一部、小和田村から浜之郷村の間です。
東海道沿いに、牡丹餅茶屋、一里塚、南湖立場の茶屋、鶴嶺八幡社などが描かれています。
海には姥島が見えます。
元禄時代には、牡丹餅、南湖の両立場が成立していることがわかります。

東海道細目分間之図について

東海道を歩くようになって知ったこと、たくさんあります。
そのうちの一つ東海道細目分間之図。
この牡丹餅立場の看板に表示されている東海道細目分間之図は、地図に、わかりやすく言葉で示されているので、一目でわかるようになっています。
わかりやすい工夫に感謝!


※看板の文字を転記しています。誤字脱字はご容赦ください。


※地図の位置は、手作業で行っているため、若干のずれがあります。訪問の際は正しい地図をご確認ください





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