東海道の旅

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一里塚

いちりづかあと

一里塚跡

かつて、このあたりの道路の両側に一里塚がありました。一里塚は、主要な街道の一里(約四キロメートル)ごとに江戸幕府が設けたもので、旅程の目印として利用されていました。崖上の高さまであった江戸時代の東海道を掘削改修したのが現在の道路で、一里塚も崖上にありましたが、今は何も残っていません。
 左図は往時の面影を伝える史料の一つです。画面上部の道が東海道、くの字に曲がるところに遊行寺が描かれています。その右手に「一りづか 榎三」と記され、街道の両側に植木のような描写があります。今の遊行寺坂より遥かに急な坂道で、その坂の上に遠くからでも分かりやすいように、盛土されて榎が植えられていた様子がうかがえます。急坂の上、榎の木かげで一休みする旅人の姿が浮かんでくるようです。

天保12年(1841)版

『東海道分間絵図』より「藤沢」

平成二十年(二〇〇八)三月

藤沢市教育委員会



一里塚跡




一里塚について

東海道を踏破するにあたり、何度も目にしてきた一里塚。ここの一里塚を通過したころは、まさか私がこんなホームページを作るなんて考えてもいなかったので、こんな写真しかないのが残念。
もうちょっとまわりの様子などがわかるような写真があればよかったんですけどね。
箱根駅伝でおなじみの遊行寺の坂です。




※看板の文字を転記しています。誤字脱字はご容赦ください。






※地図の位置は、手作業で行っているため、若干のずれがあります。訪問の際は正しい地図をご確認ください




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