東海道の旅

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戸塚宿の看板たち

宝蔵院

真言宗のお寺で天文十六(1547)年に阿闍梨朝興法印が東峰山光圓寺として中興し、本堂を宝蔵院と称しその後は現在地へ移転しました。本尊は不動明王で境内には地蔵堂、日本舞踊芸道精進の扇塚などの石造物があります。


脇本陣跡

脇本陣は、本陣に差し支えが生じたときなどに利用されました。本陣とは異なり大名などの宿泊がない時は一般旅客の宿泊に供することができました。規模は本陣よりも小さいですが、諸式はすべて本陣に準じ、上段の間などもあります。戸塚宿には三軒の脇本陣がありました。

鉄砲宿と鉄砲宿と影取池の昔話

昔々このあたりに(住んで)いた長者が自分の蔵に住み着いた大蛇を水神様のお使いとして「おはん」と名付け、大層かわいがっていました。ところが長者の家が没落し、大蛇への餌もままならなくなってきました。それをみた大蛇は長者様に迷惑はかけられないと、近くの池へ去ってゆきましたが、そこには十分な食料が無く、元々大食だった大蛇は空腹に耐えかねると池のほとりを歩く人の影を食べて上を凌いでいました。ところが影を食べられた人はだんだん弱ってしまうので、村人はこの池を影取池と呼んで恐れるようになりました。大蛇を退治しようとしたのですが、鉄砲を見ると大蛇は水底深く潜ってしまうので退治できません。村人は一計を案じ鉄砲の上手い猟師に頼み、昔の長者様のように「おはん」と名を呼びました。昔の飼い主が迎えにきたと思いこんだ大蛇は姿を現すと、ついに撃ち殺されてしまいました。いつしか影取池は埋められ影取の名と悲しい話だけが残されました。この大蛇を撃った猟師が住み着いたところを鉄砲宿と呼ぶようになったといいます。


※看板の文字を転記しています。誤字脱字はご容赦ください。





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