東海道の旅

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歴史の道 問屋場跡


問屋場

宿場の公的な業務のうち、幕府の公用旅行者や大名などの荷物運搬(人馬継立)、幕府公用の書状等の通信(継飛脚)、大名行列の宿泊の手配などを担っていたのが問屋場で、宿場の中でも最も重要な施設のひとつです。宿場ではこの業務をつとめるのに十分な数の人足と馬を用意するよう定められていました。問屋場には問屋を筆頭に、年寄、帳付、馬指などの宿役人が詰めていました。

助郷

宿場で賄いきれない人馬を、指定された周辺の村々から動員することを助郷、指定された村を助郷村といいます。助郷は東海道が整備されてから交通量が増加してきた17世紀後半ごろに次第に制度化されていきました。享保10年(1725年)に定められた保土ヶ谷宿の助郷村は全部でおよそ40か所、現在の保土ヶ谷区内のみならず、旭・西・中・南・港南・磯子・戸塚等の各区域に及びました。こうした助郷村々は助郷動員の指示に対応するため、問屋場の近くに助郷会所という事務所を設けていました。

高札場

高札場は、幕府や領主の最も基本的な法令を書き記した木の札=「高札」を掲示した施設です。通常、土台部分を石垣で固め、その上を柵で囲んだ内部に高札が掲示され、屋根がかけられています。宿場の高札場には人事の駄賃や宿代などを記した高札が掲示されており、宿内の中心地に設置されました。 平成16年3月 保土ヶ谷区役所

雑記

まだ歩き始めで、こういう看板ばかり写真に撮っていました。これと共に周囲の風景も撮るべきだったなぁ。と。看板だけでは、何もわかりません。
このあたり、もう一度歩いてみようかなぁ。
横浜市保土ヶ谷区の東海道五十三次に関するホームページも充実しています。


※看板の文字を転記しています。誤字脱字はご容赦ください。





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