東海道の旅

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神奈川宿歴史の道

神奈川宿歴史の道

東海道五十三次の日本橋よりかぞえて三番目の宿場が神奈川宿である。この地名が県名や区名の由来であり、またここが近代都市横浜の母体でもあった。上図は、江戸後期に瀑布の絵道中奉行が作った「東海道文間延絵図(トウカイドウブンケンノベエズ)」である。図中央に滝ノ橋、この橋の右側に神奈川本陣、左側に青木本陣が描かれている。右端は江戸川からの入口で長延寺が描かれ、左寄りの街道が折れ曲がったあたりが台町である。台町の崖下には神奈川湊が広がっている。
この神奈川が一躍有名になったのは安政元年(1854)の神奈川条約締結の舞台となってからである。その4年後に結ばれた日米修好通商条約では神奈川が開港場と決められた。開港当時、本覚寺がアメリカ領事館、長延寺がオランダ領事館になるなど、この図に見られる多くの寺が諸外国の領事館などに充てられた。
神奈川宿の歴史の道はほぼこの図の範囲を対象とし、神奈川通東公園から上台橋に至るおよそ4キロの道のりとなっている。

雑記

立派な看板が建っていました。この「ガイドパネル」は横浜市神奈川区が作成したようで、ホームページに、パンフレットのPDFのデータもありました。すごく立派です!ガイドパネルの内容はほぼほぼこのPDFと同じなので、正確さを求める方は、そちらをご覧くださいね♪
相変わらず写真を拡大して早打ちのように文字を打っているので少々自信がありません。


※看板の文字を転記しています。誤字脱字はご容赦ください。





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