東海道の旅

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東海道川崎宿史跡めぐり

江戸時代のこの辺りは・・・・八丁畷

宿はずれのこの辺りは、隣の市場村まで、田んぼに囲まれたまっすぐ畷道(なわてみち)が続いていました。
かつては道の両側合わせて松28本、杉249本、榎7本の並木(寛政年間・石井家文書)があり、現在の下並木の地名の由来だそうです。上並木という地名もありましたが、現在は公園の名前としてのみ残っています。
市場村との村境には棒示杭が建っていました。木造だった棒示杭は、現在は残っていませんが、絵図などを見ると非常に立派なもので、建替えに代官の許可がいる公的なものでした。川崎宿に幕府の役人や地方の大名などをお迎えする際、川崎宿の名主や問屋の役人は、この棒示杭まで、お出迎え、お見送りしました。
また、ここから神奈川宿方面、約1キロ先には、日本橋を出てから5番目の一里塚が残っています。

東海道川崎宿

徳川幕府により、東海道に宿駅伝馬制度(街道沿いに宿場を設け、公用の旅人や物資の輸送は無料で次の宿駅まで送り継ぐという制度)が敷かれたのが慶長6年(1601)のこと、川崎宿はそれよりおくれること22年後、元和9年(1623)品川~神奈川両宿の伝馬負担を軽減するため開設されました。宿駅は小土呂・砂子・新宿・久根崎の4つの町で構成していました。

【東海道川崎宿2023】

江戸時代、東海道川崎宿ができた元和9年(1623年)からちょうど400年目の2023年にむけて、東海道川崎宿の歴史を活かしたまちづくりを地元の人が中心になって進めています。

雑記

思わず、たくさん入力してしまいました。誤字脱字ありそうです。
この地図を見ていると、歩いた旧東海道だと思って歩いた道が、旧東海道でなかったことが判明。
今度は旧東海道を正しく歩きたいです。


※看板の文字を転記しています。誤字脱字はご容赦ください。



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