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転職体験談


1C氏の場合、 2A子の場合、 3B氏の場合


1. C氏の場合

C氏は4回会社をかわる経験をし、転職試験は約10回ほど受けた事になる。今振り返ってみて
初めの会社に留まって今日を迎えていた場合、今現在のC氏の経済水準は得ることが
出来なかったと断言出来る。転職の比較的珍しかった時代よりこの四半世紀強、

日本では比較的賃金の安い技術者として一貫して仕事をし、なおかつ終身雇用制度の
日本のなかで転職を繰り返したにも関わらず経済的にも精神的にもまあまあの成功で有ったと
言えると思う。C氏の性格上、今又困難に直面していて現状は決して満足できる状況には無い。

しかし悔いは全くない、今までにそれなりの転職の成果は既に得ているのである。
又、経験的にピンチはチャンスなのである。ピンチに成らないと現状に満足してしまい
大きな飛躍は出来ない。今又新たな挑戦を始めている。

第1話

初めての就職は一部上場のある自動車メーカーであった。入社当時は就職試験倍率が
非常に高い就職難であった。大学の成績が悪かったC氏は数社を受験しこの会社に非常に
幸運にも奇蹟的に入社合格が出来たと言った状況であった。幸運は続き希望の



乗用車設計部に配属され、更に同期の皆が希望した課に迄只一人配属される事と成った。
大学の成績は非常に悪かったが、車が好きで車の知識はかなりあったC氏は仕事は非常に
順調にこなした。至極順調で有った、2〜3年程して更に先行開発課に配属さた。同期の

中では大学のランクも成績も一番ビリのC氏が全く逆に一番の注目の的と言っても良い存在と
成ったのであった。しかし会社の経営は思わしくなかった。そのためコスト低減の
プロジェクトチームが組まれ全社的な改革が行われる事となった。

この全社改革プロジェクトチームに、再び全くの幸運にも参加する事が出来たのだ。全社的
プロジェクトチームに所属し、全社を見渡すと会社の欠点が非常に目につく事となった。
大企業病に蝕まれ、組織は効率的に機能していないのだ。各部門が各部門の利益のみ追求し、

お役所仕事的な非効率な仕事の進め方をしていたのだ。それを各部門自身は全く認識
していない酷い状況なのであった。更にはコスト低減の策として他社系列の特にトヨタ系列
の部品メーカーとの取引を新たに導入してみると、部品メーカーの力の差、対応の差は

歴然としていた。この親にしてこの子ありの例えに有るように、トヨタ系列のメーカーは実力、
対応の態度全てが素晴らしく一流であった。一方某社の系列メーカーは実力、対応共にお粗末な
状況にあった。グループ力の差は歴然とし過ぎていて話に成らない状況とC氏は判断した。

更には新車開発企画が某社内部の製造設備に都合の良い事のみに配慮された、時代の
趨勢や消費者指向を逸脱した物と成った事に及び、C氏の気持ちはハッキリと固まった。
この会社に長く居ても将来が不安だ、転職しようと。設計部の人々は皆良い人で、

技術的にも伝統的に優れた知識を持った人たちではあったのだが。会社を退職する時には
直属の上司から、君の考えている様な理想的な会社は日本には存在しないよと
言われたのが印象に残った。



転職の志は高かったが、今から思うと転職先の選択は我ながら非常にズサンな物であった。
大学の同期の成績の優秀だった奴が一人ソニーに行っていた。そいつの給与を聞いた所、
自分より高かった。そこで早とちりにも、C氏は電気電子業界の方が自動車業界より給与が

高いのだと誤った判断をしてしまったのだ。電気業界も悪くはないなと思い選択の範囲内とした。
更には自分の都合で余り遠くへは行きたくない通勤範囲内で等と言う虫の良い条件で
転職先を捜し始めた。ホンダ、ゼロックス、そして某電気電子業界メーカーが条件に合った
中途採用を募集していた。

それらを受験する事にした。書類選考及び一次の筆記試験は3社とも突破出来た。3社とも
筆記試験には100〜200人程度が受験したのであった。面接では本田とゼロックスが
個人面接であった。こちらが1人に対し2〜3人の実際に採用する部門の人間が主に

質問を行ったと推測される。C氏の今の会社の商品企画が余りにも会社自身の都合に流されて
消費者指向や時流から外れている事、組織が硬直化し機能していない等の転職の動機、
会社はどう有るべきであるとC氏は思っているか等、この二社に関しては自分の信じる事が

充分に主張出来た。C氏本人は面接は成功であったと思った。一方某電気電子メーカーでは
グループ面接であった。6人が一緒に成って3人の面接官から質問を受けた。6人の中に一人
超雄弁な奴が居て立て板に水の如く質問への答えを展開した。横から聞いていてもその雄弁

ぶりは見事な物であった。これに圧倒されてしまい、C氏自身は自分の設計能力の一部の説明が
出来たのみに留まり面接は終わってしまった。C氏自身はこの面接は大失敗であったと思った。
合否通知の結果は私の予想とは全く反対の物であった。C氏自身が面接に成功したと思った2社

からは不採用の通知が来た。そして完全な失敗と思った某社から指定日に来るようにとの
連絡を受けた。行ってみるとC氏ともう一人の二人だけであった。そしてあの一緒に面接を受けた
超雄弁な奴は何故か居なかった。人事部門の人が出てきて給与条件、勤務場所、配属先等の

採用条件の説明がありそれらに同意した。健康診断を会社内で受け帰り際に、面接の合格者は
この二人だけですかと聞いて見ると、そうだと言う。C氏には非常に以外であった。
あの超雄弁な奴は落ちたのだ。



転職先の会社の企業業績は過去五年間大幅な伸びを見せており、申し分の無い物であった。
今までいた会社とは業績は比較に成らない位に素晴らしい物であった。但し入社時の給与条件は
それほど満足出来る物では無かった。しかし入社後の実力次第で給与はどうにでも成ると言う

人事部門の説明を信じ入社を決めた。説明とは異なり実力主義では無く年功序列型の強い
人事制度であった事が後になって分かる。更にその後相当の時間がたち色々な経験をしてから分った

事で有るが、この中途入社条件の交渉が非常に難しい。中途入社の場合その時点の金額は
非常に重要である。ある程度交渉次第で有利な条件が得られる場合が多い。但し強硬に押し
すぎると中途入社に失敗する事となる。

C氏は中途入社にも関わらず直ぐにビデオ研究所に配属された。初めの就職時には車の知識は
かなり有ったが今度はビデオのビの字も知らぬ全く無謀とも思える転職であった。
この時ビデオ研究所ではビデオ規格戦争の勝利がほぼ見え次の方向を模索している時期であった。

そのため超幸運にも入社後直ぐに急ぎの仕事は与えられずビデオの勉強の期間が取れた。
3か月間程のビデオの解説書による勉強及び研究所のビデオフォーマットを決めた日本では
技術的に稀に見る天才的才能の持ち主である次長等からの講義も受ける事が出来た。

これらにより大まかなビデオシステムの仕組みが理解出来た。更に磁気ヘッド及び磁気記録媒体の
革新や性能向上により記録密度が大幅に向上しシステムの小型化が進行する言う今後のビデオの
方向が自分なりに見えてきた。

C氏自身が今後の方向が見えて来たと時を同じくしてC氏の個人的な予想の通りビデオ業界では
新たなフォーマットを模索する、各社新フォーマット提案による超小型化競争が開始さた。
これに対抗して現状の優位を如何に保持しなければ成らないかと言う課題をビデオ研究所は

一身に受ける事と成った。状況は一変し開発を非常に急がねばならぬ状況と成った。
現状の優位なビデオフォーマットや互換性を守りつつ大幅な小型化を成功させる秘策を研究所では
既に用意していた。この秘策を実現させる鍵と成る技術を異業界から転職早々のC氏は幸運にも

開発する事に成功する。後に社長表彰される事と成る。その後も新たな方式のプロトタイプ
を試作する等し、特許出願件数では社内で1〜2位を続ける等業績はそれなりに残した。
しかし年功序列型の賃金体系の為、当初説明に反し給与は上がらなかった。これに腹を立てた

C氏は他社の中途採用試験を再び受ける事とした。給与条件が良く業績も良い2社を受験した。
健康診断も受け殆ど採用段階と成った。しかし、その会社は現在の会社とビデオ関係で大きな
取引をしており関係悪化の懸念から、最終的に相手会社側からの引き抜き許諾願いが会社に

届く事と成ってしまった。そして所長の知る所となりこの許諾願いを拒絶した為にこの転職は
実現しなかった。この事で所長は感情を害し、以降特に愛社精神の強く保守的で古い考え方の



所長とドライで否情緒的論理的なC氏の関係は更に悪化して行った。遂には昇進からはずされ、
仕事も良いものからは、はずされる様になる。そして精神的に会社に留まっている事は出来ない
迄に追い込まれる事となる。

続く


2. A子の場合

A子は某女子短大を卒業。英語の能力(準一級) を生かし全日空系の子会社に
グランドシュツワーデス (空港内の外国系エアライン乗客の案内係) として就職した。
勤務場所は成田空港であり勤務時間の関係から空港近くに住む事が義務付けられ

ていた。勤務時間が非常に不規則で有ることや超過勤務が法の範囲を越えて多い
事などから、体を壊し一年余りで会社を変わる事を決意する。中途採用試験を数社
受け、有名複写機メーカーに転職をする事となる。このメーカーでの試験は先ず、

筆記試験による一般常識、適正,能力試験が行われた。一次筆記試験時に簡単な
集団面接が同時に行われた。一次試験通過後個人面接が行われ、その後実際の
配属先上司の面接があった。そして採用と成り、部長秘書兼庶務の仕事につく

事となる。この転職試験の時の倍率は正確には分からないが、2 〜30名のクラスが
数クラスあったと推測され、少なくも100 名程度は受験していると推測される。

そして採用された人数は2人であったと思われる。
数年経過後会社の合理化方針により、部長等が転任しベテラン秘書を含め、
数名が秘書から総務部門へ配置転換となる。

秘書職が希望のA子は是を機会に再度転職試験を受ける。運輸関係の大手が
秘書室の人員を募集しており、是を受験する。但し募集資格が大卒以上と
明記されていた。A子は募集会社に直接電話をかける。短大卒であるが受験を

させてもらいたいとの願いを伝え、受験をさせて貰える事となる。一次試験は前社と
同様な物であり、筆記試験は通過した。次に面接試験が集団面接でおこなわれた。
面接の同じグループに放送局で秘書をしていたと言う非常に外見も華麗な実力のある

雄弁な人が人が一人いた。A子の感じではこの人はきっと受かると思った。
集団面接後一次面接合格の通知があり、次の個人面接試験を受ける事となる。そして、

A子が秘書室の一員として採用される事と成る。この場合の倍率はやはりはっきりは
しないが、10〜20名程度のクラスが何クラスかあり、その内で採用されたのは
唯の一人であった。

A子は競争倍率の高い中 2回の転職に成功しているが、この原因は第一は英語の
準一級と言う能力であり、第二には人当たりの柔らかさと対人対応の誠実感であると、
私は推測している。但しこの高倍率な転職試験にも係わらず、いずれも本社員では無く

契約社員としての採用であった。今後企業は賃金抑制の為、各航空会社が
シュツワーデスに契約社員を採用する事に成ったと同様に、このような女性の契約社員の
中途採用を増加させていくと考えられる。転職による女性の正規社員への道は
非常に狭く、今後不可能に近いものとなって行くと個人的に推測している。

もう一つの興味ある内容は、やはり余りに有能と思われる人材は、現場の上司が
敬遠する可能性が高いと言う事実をA子の試験でも、現実に見てとることが出来る
事である。実に日本的な悪習が今後も継続し、会社の成長を阻害する要因と成ると

考えられる。出る杭を打つと言う悪い社会習慣を改革しない限り今後の国際競争にも
破れ続ける確立が高く、日本の競争力は回復が見込めない状況が続くと個人的に推測する。


3. B氏の場合

C電気電子メーカーに10余年勤めていた高周波回路設計者のB氏の場合。
B氏の勤めていた某電気電子メーカーはかつては栄光の時代もあったが、
近年長期低迷を続けており、かなり以前から転職は考えていた。会社では

既に何人かの転職による退職者があった。そして、仕事が忙しく残業が極端に
多くなった時点でそろそろ考え時だとB氏は思っていた。そこにかつて転職した
仲間の紹介による人材紹介会社からの転職の勧誘が来る。ケンウッドを含め
数社が技術者を募集しているとの勧誘であった。

B氏はその中から、業績がその時点で好調であり、通勤に便利な一部上場企業
であるD電気電子メーカーを受けてみる事にした。試験は書類選考、筆記試験
など一切無く、いきなり実際の担当部門の部長課長による個人面接のみであった。

それも試験を受けたのはB氏のみと言う状況であった。転職の動機、実際の
設計経験、今後手掛けたい技術分野などの質問応答が行われた。

午前中に面接を済ませ、会社に出社し仕事を続け深夜に家に帰ってみると
D社から内定のファックスが既に届いていた。

会社の印象もまあ良く条件も良く通勤もかなり近くなり不満は殆ど無い
B氏は転職を決断する。D社からの要請は来月からでもすぐに出社出来るよう
話を進めて欲しいとの事であった。しかし10余年間いた会社でもあり、

人間関係は悪化させない円満退職が希望のB氏は仕事の引き継や感情への
配慮に苦慮する。まづ直属の上司である課長へ退職の意志を伝える。
課長への説得は会社の状況から比較的すんなり納得してもらえたが、課長が

上司である部長への話を通し難いらしく、あれこれと残る事を勧める。粘り強い
説得の末諦めたのか部長へ退職の意志表明があった事を伝えて貰う事ができる。
そして部長より直接の話合いで呼ばれる事となる。残業時間と通勤時間の問題、

体調の問題等色々の説得の末、部長は組織としては今後の仕事の停滞等影響が
大きく認め難いが、個人的に考えれば転職が間違った判断では無いので、
まあ仕方無く認める以外無いであろうと言ってくれる事となる。

B氏は世話になった先輩等にはプレゼント攻撃で凌ぎ、引き継ぎを充分入念に
済ませた。転職入社期日は相当に延期したが、円満退職する事が出来るに至る。
又、転職後数カ月は後任の仕事の手伝いをファックス等で毎日の様に行い後任の
仕事を助け何とか仕事の停滞をあまり大きく無く済ませる努力を怠らなかった。

実際に勤めて見ればD社は外から見るよりは色々の問題がある事が序々に分か
って来る。しかし基本的な待遇ベースは以前よりは改善した部分が多くそれらを
カバーして余りのある状況である。現在B氏はD社で設計の仕事を続けている。


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