このホームページについて
1999年8月から2000年4月までの9ヶ月間、出張で工業都市・新竹へ滞在していました。週末も仕事をする日々が続きましたが、2月に入ってからは大分落ち着き、週末に地方の都市を訪れることが出来ました。昨年手に入れたデジカメとIBMホームページビルダーで始めてのホームページを作ってみました。街の紹介や旅行をする際の参考になれば幸せです。

台湾の歴史
1911年、中国で辛亥革命により清朝が滅び中華民国が建国されました。第二次世界大戦中は台湾は日本の統治下にありましたが、1949年、本土で毛沢東氏率いる共産党が中華人民共和国を樹立すると、これに追われた国民党を率いる蒋介石氏が軍隊ごと台湾に移り中華民国の国号を保持したまま国連に常任理事国として承認されました。その後中華人民共和国の台頭と共に国連に追われ、日本とも国交が失われたまま現在に至っています。
戦時中は日本に統治されながらも、日本が鉄道を敷いたり工業を発展させたりした為もあり、反日感情はほとんど感じられません。65才以上のおじいさん・おばあさんは日本の教育を受けたため日本語を話せますが、当時のことを懐かしそうに話してくれました。逆に戦闘機に乗って飛び立ち帰ってこなかった青年達のことを同情していました。
現在、人口は2000万人を超えますが、98%以上は漢民族で、原住民(タイヤル族など)は2%以下になってしまいました。

近頃の台湾
1999・9・21の震災は死者二千人越す大惨事となり、台中地方は大きなダメージを負いました。今も復興途中で、日月潭や阿里山などの山間部では今も電車が不通の場所が残っています。
2000・3・18に2回目の大統領選挙があり、これまで民主主義を築き上げてきた国民党が破れ、民新党の陳水扁氏が大統領に選出されました。国民党の党首・李登輝氏は任期を前に退陣に追い込まれ、革新政党の陳氏と「一つの中国」を主張する中華人民共和国(中国)との対立が懸念されています。
2000・5・18になってもM5.3の地震があり3人の死者が出ています。震源は日月潭の近くで前回の大震災の時からも離れていません。台中へのお出かけは気を付けましょう。
2000・5・20に陳水扁氏の大統領就任式が行われました。「民主・自由・対等」の民主主義の原則に則りながらも、将来の「一つの中国」問題解決に向けて努力していくことを宣言しました。中国が武力行使をしない限り、彼の任期中には台湾の独立は無いと約束もしています。

言葉
北京語が常用語ですが、若い人は日本人以上に英語が話せます。65才以上の老人は日本語が話せる人も多いようです。下記の言葉ぐらいは覚えておくと役に立つでしょう。
一(イー)、二(アー)、三(サン)、四(スー)、五(ウー)、六(リョウ)、七(チー)、八(パー)、九(チュウ)、十(スー)、百(バイ)、千(チェン)、ハロー(我好:ニーハオ)、さようなら(再見:ツァイジェン)、ありがとう(謝謝:シェーシェ)、いる(要:ヨウ)、いらない(不要:ブーヨウ)、いくら?(多少銭:ドゥーシャオチャン)

電力と水
110V60Hzなので日本の電気器具はほとんどがそのまま使えます。飲み水はミネラルウォーター(500ccで100円以下です)を買ったほうが良いでしょう。うがいなどは水道水でも平気です。

貨幣
台湾独自のニュー台湾ドル(NT$)。中国同様に元という単位で表すこともあります。1NT$=3.5円程度。日本円への換金には、日本円からの換金をしたときの証明が必要となります。

電話
公衆電話からも国際電話がかけられるものが多いようです。100NT$のテレホンカードは空港などの自販機で購入できます。002+81(国番号)+(0を除いた日本の電話番号)で日本直通。市内電話は3分1NT$程度で非常に安価。インターネット利用には嬉しい限りです。

台湾の気候
北部は亜熱帯、南部は熱帯に属します。平均気温はそれぞれ21℃,24℃程度。気温差は3℃程度ですが数字以上に北部は寒く、南部は暑く感じます。特に北部の冬は、中級以上のホテルでも暖房が入らないところが多く、タクシーや電車では冬でも冷房を効かせるので、気温から考えた服装に加えてもう1枚羽織るものを持って行くと良いでしょう。参考までに下表に台北の気温を載せておきます。
10 11 12
最高(℃) 19 19 21 26 29 32 35 34 31 29 26 21
最低(℃) 11 11 13 17 21 24 26 24 23 21 19 15
* 気温はおよその値です。

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