日本キリスト者医科連盟第53回総会
主題:「信仰、希望、愛」ー愛を実現するー
主題聖句:コリント信徒への手紙(1)13:12〜13節
わたしたちは今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔を合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知るようになる。それ故信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も偉大なるものは、愛である。
期日:2001年8月24日(金)?26日(日)
会場:あいち健康プラザ
〒470-2101愛知県知多郡東浦町大字森岡字源吾山1?1
TEL:0562-82-0211,FAX:0562-82-0215
準備委員会連絡先
〒470-0111
愛知県日進市米野木町南山987-31
愛知国際病院内
第53回日本キリスト者医科連盟総会準備委員会
TEL:05617-3-7721, FAX:05617-3-7728,
Email:ahid@ccnet.ne.jp
内容
巻頭言 衛藤義人
総会にいらっしゃい
主題・日時
総会への招き 衛藤義人
一般総会プログラム
会場への交通
見学ツアーへのお誘い
ポスター展示の募集
音楽の時間
学生部会総会のご案内
総会に向けて
4人の講師からのメッセージ・紹介
牧師として「愛を実現する」課題をめぐって 大住雄一
死に臨んで 山田 晶
医学と福音、愛の実践 森本春子
互いに歓迎し合うこと 島しづ子
JOCSとAHIの夕べ 佐藤 光
誌上発題
1. 個人としての戦争責任の告白 ----------------原 研治
2.小さないのちを守る闘い ----------------------赤尾さく美
3.女性への暴力と看護・助産の役割:愛を実現する---加納 尚美
4.忘れられている愛の厳しさ --------------------中村健一
5.愛と死と信仰 ------------------------------籾山利雄
6.耶蘇の医者と言われて50年
------------------小林 清
7.在日外国人医療に係わって ------------------安藤 光
To JCMA members --------------------------Lincohn、宮坂
メッセージのご紹介
石川克巳 藤川晃成 林 律 大津英二 白浜雅司
巻頭言
たがいに奉仕(デイアコニア)をする
ヨハネ13章14〜15節には次のように書かれています。
「ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。
わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。」
この聖書個所は「洗足」の場面です。ここはイエスが弟子たちの足を洗うというところです。この場所にはどんなイエスのメッセージが隠されているのでしょうか。
わたしたちの医療現場では、「足浴(bed bath)」とよばれる業務があります。とても気持ちのよいものです。
ナイチンゲール著作集(1)11の2を読みますと、このように書かれています。
「皮膚をていねいに洗ってもらい、すっかり拭ってもらった後の病人が、開放感と安らぎに満たされている様子は、臨床ではよく見かける日常の光景である。しかし、そのとき病人にもたらされたものは、たんなる開放感や安らぎだけではない、ということを忘れてはならない。事実、その開放感や安らぎは、生命力を圧迫していた何者かが取り除かれて生命力が解き放たれた、まさにその徴候のひとつなのである。」と。
14節では、イエスは弟子たちに教えます。「たがいに足を洗い合わなければならない。」とはとても強い言葉です。「ねばならない」はギリシャ語原典では、負債があるので(罪があるので)、当然これをしなければならない。するのが当然であるという意味です。そして、弟子たちに、イエスに倣うようにその雛型を示したのです。とても厳しい言葉です。
本当に愛している弟子たちだからこそ、「先生」、「主」と言ってくれる弟子たちに、真実に生きるとはこういうことだと、強く教えたのです。「わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。」
わたしたちは、イエスから「洗足」というテキストをもらいました。このテキストを使い続けることにより、日々、イエスが共にいてくださることを思い出し、奉仕(デイアコニア)をすることにより、自分の罪を悔い改め、主と共に歩んでゆけるのです。
会長:衛藤義人
総会にいらっしゃい
-はじめてのかたもずっと総会に出席されている方にもー
8年前の名古屋の総会に参加されたかたは、あの総会の時に何を思われましたか。
今年またその総会を名古屋部会で企画いたします。8年間の時の流れの中に随分と医療界も経済界も変わったように思いますが、名古屋部会の総会への思いは同じです。
初めて参加される方もキ医連を初めて知った方も、またキ医連創設の時から関わり毎年総会に出席されておられる方も同じ場に立って同じ時間と場所を, 更には経験を共有することが出来るように願っています。
あなたも総会に参加する事により得る者が多いことを保証致します。会場が足りないくらいのご参加をお待ちしております。
第53回日本キリスト者医科連盟総会会長 衛藤義人
副会長、総会準備委員会委員長 太田信吉
準備委員会会計 大角淳一
総会へのお招き
日本キリスト者医科連盟会長:衛藤義人
コリント 信徒への手紙(一)の13章は「愛の賛歌」ともいわれます。主題聖句である12〜13節は次のように書いています。
「わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」
わたしは13章の中で特に12節に惹かれました。この個所では、いま(a[rti)とそのとき(tovte)という言葉が2回使われているというテキストの二重形態は、とても強いパウロの言葉としてわたしの魂を捕らえて離さないのです。
今(a[rti)とは、わたしににとり、礼拝を指しています。礼拝は聖霊の力により教会の中にキリストを呼び込み、キリストの体に触れながら、臨在を実感することが出来るのです。そして、最後に祝祷ら受けながら、次の日曜日の礼拝を待ちながら、教会をあとにするのです。
その当時の鏡は映像が不鮮明で,パウロは神を知る知識の不完全さを鏡に映る像にたとえています。
そのとき(tovte)とは、再臨の日です。そのとき(tovte)とはわたしたちが死から呼び起こされるときであり、礼拝をしているとき、感じていた臨在を現実に見ることができる時なのです。だから、時としては、今(a[rti)とそのとき(tovte)は、同じ時なのであるので、わたしたちは「主の祈り」を祈るのです。
この絶対的な同じ時間の中に「わたしたちの信仰」と「わたしたちの希望」と「神の愛」があり、もっとも大切なものは「神の愛」であるというパウロのメッセージが、コリント書全体を通して根底にながれていることを知ることができます。
名古屋で行われる第53回キ医連総会の行われる期間に、リアリテイ―をもって、この聖句を共有し、力を得て実践に向かい、「福音と医療」について語り合える場所としたいと考えています。
総会プログラム |
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日時 |
8月24日(金) |
8月25日(土) |
8月26日(日) |
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7:00 |
早天礼拝 |
早天礼拝 |
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8:00 |
朝食 |
朝食 |
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9:00 |
分団1:6時間の共同作業の始まり |
聖日礼拝 |
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10:00 |
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10:30 |
総会議事 |
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11:00 |
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11:30 |
閉会礼拝 |
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12:00 |
受付開始 |
昼食:分団で一緒に過ごしてください |
閉会 |
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13:00 |
分団2(分団1-2は同じメンバーで継続 |
希望者は、昼食後、愛知国際病院ホスピス棟見学ツアーへ |
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14:00 |
開会礼拝 奨励:衛藤会長 |
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14:45 15:00 |
オリエンテーション |
分団報告 |
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主題講演:大住雄一様 |
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16:00 |
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16:30 |
発題1:山田晶様 |
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17:00 |
写真撮影 |
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17:30 |
チェックイン |
夕食 |
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18:00 |
夕食 |
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音楽の夕べ |
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19:30 |
発題2:森本春子様 |
JCMA,JOCS,AHIの夕 |
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21:00 |
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自由集会 |
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21:30 |
全国委員会 |
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22:00 |
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25日に音楽の一時を夕食後に変更しました。
総会へのご案内
1、申込方法
本誌とじ込みの申し込み葉書にて必要事項をご記入の上、7月27日(金)までにお申し込み下さい。時間がなかなか決まらない方も多いことを思います。その方は、申し込みにある内容を記載して下記のメールにお送り下さい。ahid@ccnet.ne.jp折り返しより具体的なパンフレットをお送りいたします。
2、参加費
会員:学生(看護、医療技術、医) 15000円
医師以外 25000円
医師 30000円
家族:幼児(布団のいらない場合)食事のみ 4000円
幼児小学生:布団の必要な場合 10000円
中学生、高校生 12000円
成人 15000円
★:部分参加の方は、来場当日、受付時に宿泊・食事に応じて精算致します。振り込み時は上記の金額をお支払い下さい。
★:24日(金)26日(日)の昼食は含まれません。ご希望の方は会場内のレストランをご利用下さい。
参加費振り込み先:郵便振替 00840-6-117999
日本キリスト者医科連盟名古屋部会
3.欠席される方へ
総会は、キ医連として大切な年一回の議事も含んでいます。総会の成立のために総会委任状をご記入し郵送して下さい。
4、プログラムから
1)主題講演、発題
主題聖句を通して総会のテーマにそって講演、発題をお願いしています3名の方、 皆様キ医連の会員ではなく総会は始めての方です。学びの時を持ち、その意味を考えながら翌日の集いに活かしたいと思います。
2)6時間の集い
前回ご参加のお方は経験者です。初めての方をリードしながら小グループでのお互いからの学びの時、更に共同作業を経験してください。総会の一番の特徴は、普段は壇上でしか話しが聞けないような方も学生も一緒に話しの輪が出来ることでしょう。新しい出会いの中に新たな出発があることを経験できますように。
3)グループからのメッセージ
各グループで得られたものを皆様に発表していただくものです。ポスターも作って頂きます。グループでの共同作業です。
4)早天祈祷会、聖日礼拝
全体の流れの中で島しづ子さんを通して聖書のみ言葉を考えます。
5)子供プログラム
愛知健康の森は様々な健康体験ゾーン(展示室)、ヘルスサイエンスシアター、温水プール、公園を持っています。子供のためのプログラムで共に遊びながら学ぶことを用意しております。
6)JOCS,AHIの夕べ
特に名古屋と言うことで例年JOCSの夕べを行っておりますが、共に海外のことを考えるJCMAから生まれた兄弟団体が一緒にアジアの健康、ボランティアことを共に考えたいと思います。
7)宿泊について
愛知健康プラザ宿泊は、147人です。きっと足りないと思います。ビジネスホテル大府と厚生福祉会館に宿泊を確保しており、人数があふれた場合はそちらの利用を考えます。二つの施設間の連絡はバスを準備いたします。
8)愛知国際病院ホスピス棟見学ツアー
総会終了後愛知国際病院ホスピス棟の見学ツアーを企画しています。1999年4月に 愛知国際病院の別棟としてオープン致しました。病棟ですので短時間少人数ずつの見学となりますが、施設全体を見て頂きたいと思います。もちろんアジア保健研修所、
愛泉館も覗くことは可能です。
http://www1.odn.ne.jp/~cbg14040/inex.html/
愛知国際病院
9)皆様の活動の報告の場の設営
それぞれ全国でお働きの皆様の具体的ご活躍について発表できるよう場所をもうけます。ポスター展示、パンフレットの紹介等ご利用下さい。
10)音楽の一時
疲れたときに心休める歌声の時間を、ホスピスでの音楽療法を行っている伊神妙子さんとそのお仲間のご協力で持つことができました。ゆっくりとした癒しの時間が持てますように。
伊神妙子さんのプロフィール
1976年、愛知県立芸術大学声楽科卒業
1995年岐阜県音楽療法士
1997年全日本音楽療法学会認定音楽療法士
1999年5月より愛知国際病院ホスピス音楽療法士として、現在までホスピスでの音楽を通しての心の解放に精力的に働かれています。
ご寄付のお願い:総会運営、学生部会のために会員の皆様にご寄付をお願いいたします。一口5000 円
で何口でも結構です。参加出来ない方もサポートする形で総会を覚えて下さると幸いです。お志のある方は添付の振り込み用紙にご記入のうえご送金下さい。当日会場にても受付致します。
一般総会プログラム
会場への交通
あいち健康の森
http://www.ahv.pref.aichi.jp/index.htmlあいち健康の森
☆列車で
JR名古屋駅より東海道線上り普通JR大府駅まで13分
JR大府駅西口から知多バス「あいち健康プラザ」行き(10分)
☆飛行機で
名古屋空港からシャトルバスにてJR名古屋駅まで
JR名古屋駅より東海道線上り普通JR大府駅まで13分
JR大府駅西口から知多バス「あいち健康プラザ」行き
☆自動車で
名古屋市の中心部より自動車で約30分
ルート1:阪神高速または東名高速-名古屋JCT-東名阪道-楠JC-名古屋高速-知多半島道路-大府東海IC-国道155線大府方面-会場駐車場あり
ルート2:東名三好ICより県道54号-56号-57号線(瀬戸大府東海線)にて豊明市経由して大府市まで(高速を降りてより約40分)
住 所 : 愛知県知多郡東浦町大字森岡字源吾山1番地1
☆ 総会会場について
愛知県が健康で生きがいに満ちた長寿社会を実現するために、保健・医療・福祉・生きがいを推進する総合施設として「あいち健康の森」を整備しております。特に会場の「あいち健康プラザ」はその中心的施設でさまざまな健康に関するプログラムを行っています。新しい会場でゆったりと総会がもてるものと思っております。施設の紹介は「あいち健康プラザ」のホームページhttp://www.ahv.pref.aichi.jp/ にてご覧になれます。
愛知国際病院ホスピス棟のご紹介と見学ツアーへのお誘い
愛知国際病院は20年前に川原啓美さんがアジア保険研修所を作るときに一緒にアジアを考える拠点として出来ました。病院の精神は「神いやし、我ら仕える」です。1999年4月1日に愛知県で初めてのホスピス病棟20床をオープン致しました。その時特に市民の方々の協力を得て共に作ることができました。その流れは「私たちのホスピスを作った」(日本評論社)にて出版されています。キ医連の皆様にその建物を見ていただけることを企画いたしました。総会終了、昼食後バスにて日進市の病院まで向かいます。約40分ほどの道のりです。人数的には40人くらいまでとさせていただきます。
写真:愛知国際病院全体図,
愛泉館、AHI、愛知国際病院本館、ホスピス棟
愛知国際病院ホスピス棟
ポスター展示の募集、活動の紹介コーナー
会員の皆様が、それぞれに行っておられる活動をご紹介できるコーナーを設けます。次の要項にて募集致しますので、ご利用ご希望の方は、ご連絡を下さい。
展示内容
原則として会員、各部会の関わる活動と致します。
・ 活動の紹介
・ 参加募集、アピール等
・ 展示の採択方法については、準備委員会と相談の上決定といたします。
展示紹介方法
・ 会場に1.2x1.5mの展示スペースとテーブルを用意致します。
・ それらを利用して紹介コーナーとして下さい。
・ 展示紹介コーナーの利用は、24日午後から26日午前の総会の期間中です。ホール前のラウンジの柱を使いますので、会の間の休憩の時間にも見ることが
できます。
・ 展示は無料です。
・ 展示内容、方法についてのご希望は準備委員会にご相談下さい。
お申し込みは総会参加申し込みに記入するか、準備委員会まで直接お申し込み下さい。Email:ahid@ccnet.ne.jpが便利です。
締め切りは、総会参加申し込みと一緒で7月27日までにお願いいたします。
準備委員会連絡先
〒470-0111
愛知県日進市米野木町南山987-31
愛知国際病院内
第53回日本キリスト者医科連盟総会準備委員会
TEL:05617-3-7721, FAX:05617-3-7728,
Email:ahid@ccnet.ne.jp
学生部会総会の案内
キリスト者医科連盟学生部会の皆様へ
学生部会総会の案内
2001年度キ医連総会が8月24日(金)?26日(日)名古屋で開催されます。学生部会の皆様のご参加を募ります。それと同時に、アジア保健研修所(AHI)にて8月22 (水)
〜24日(金)にかけて学生部会総会を開催いたします。宿泊もAHIで致します。愛知国際病院と併設しております。
主題:老いの問題
老人保健施設愛泉館の協力を得て、介護の実際を体験しながら、共に思いを分かち合いましょう
総会での様々な分野でのご活躍の皆様との交わりとは別に学生が集まり共に抱える問題について語り合うと共に、今の医療が抱える問題について学びましょう。主題、講師については、まだ交渉中ですので決まり次第ご連絡いたします。
学生部会会長:草野ますみ
連絡先:masumi0214@hotmail.com
学生部会総会会場
財団法人 アジア保健研修財団 アジア保健研修所
〒470-0111 愛知県日進市米野木町南山987-30
TEL 05617-3-1950 FAX 05617-3-1990 財団法人 アジア保健研修財団
アジア保健研修所
地図は愛知国際病院のHPを参照下さい
http://www1.odn.ne.jp/~cbg14040/inex.html/
Asian Health Institute(AHI)
AHIのホームページ http://www.jca.apc.org/ahi/
AHIのEメールアドレス ahi@jca.apc.org
看護部会会員の皆さまへ
時間的には2日目に看護部会の皆さまが1時間ほど会合を持てるように配慮致します。ご利用下さい。
総会参加に向けて
1)総会の目的
キ医連とは何かという問いが1970年代に出され、その時に名古屋部会主催でなんと伊勢神宮で総会が開催されました。その時にキリスト教と対峙するような場所で開くべきかどうかという討論がなされ、キ医連の存在の意味をそれぞれが考えられました。
その歩みのあと名古屋部会では1980年にアジア保健研修所(AHI)が創設され、前 回1993年総会においてその集大成と思われる総会を開催致しました。その総会に参加されたかたはもう一度その主旨を思い出して頂きたいのです。主題としての「平和を作り出すもの」を参加者全員が同じ場に立って考え作りあげていったと思います。今回の名古屋での総会も場所は移りますが、「愛」について皆様と一緒に考えたいと思い総会を計画しております。
総会を準備するために名古屋部会ではパウル・トウルニエの「聖書と医学」をそれぞれに読み現代医療におけるクリスチャンとしての役割を考えました。21世紀の医療界は新しい技術、発見がありその応用が進み今まで想像もつかなかったようなことがおこりそうです。トウルニエの中には、科学的見地と聖書的見地について述べられておりそれらが共存する大切さも述べられています。「近代科学の堅牢巨大な殿堂を築くために、科学者たちは彼らの領域から実証的でないすべての考えを除外せねばならなかったのである。このことは理にかなったことであり、それによって多くの成果がもたらされた。これはすべての純粋な科学的研究の条件として残らなければならない。しかしそれは実在の一面のみを調査する方法である。それは人間および世界についての機械的、因果的見解だけを私たちに与えるにすぎない。それは霊的な目的論的見解をすべて除外してしまう。医学は、完全であるためには、その両方を内包しなければならない」と言います。私たちの現在も同じ視点だと思うのです。もう一度医療の基本を見つめその中でキリストに繋がる者が一致して出来ることを共に探しましょう。
これらのために今回も、発題を通しての主題への接近、「さん」づけで名前を呼ぶことと6時間の集いとグループでの共同作業を大きな方法論として考えています。
2、目的の共有化
キ医連が一つになることは難しいのかもしれません。阪神大震災の時に西宮市民体育館でキ医連のメンバーを中心に緊急医療体制を立ち上げた時、マスコミの取材を受けてキ医連の説明をした時です。「いつもは全国それぞれ違ったところで働いており同じ活動をしている訳では在りません。」というとどうしてその様な人たちが一つにまとまって救援活動ができるのか理解に苦しむようでした。日常的に具体的活動は異なっていても、同じ思いで全国に散らばっている仲間が一つのことを一緒に考える時間は年間にたった一回、この総会だけです。総会が終わってまたそれぞれの場所に戻っても同じ思いを持って働いている仲間が多くあることを確認できるようにと思います。
3、 主題から考えること
総会の主題は、名古屋部会での学びの中から生まれました。様々な医療の現場の中で、本当に確かなものとして何があるのか。それを話し合う中で主題聖句が決まりました。講師の方々からは、それぞれの立場で聖句から貴重なメッセージを頂きました。また多くの会員の方に誌上発題をお願いしたのですが、なかなかお忙しいのと愛を実現すると言うことを御自分から言うことが難しいのか、私どもがそう思えてもそうは思われないのか、残念ながらあまりご返事は頂けませんでした。お返事を頂いたかたに感謝するとともに多くのかたのお働きを覚えたいと思います。また名古屋部会の三人の方から経験に基づいた貴重な発題も頂きました。他にも短いメッセージを多くの方に頂きました。キリストが実現された愛について、私たちは感謝すると共に、実際に働いている場での生き方に還元するようにと思います。
4. 日々の働きへの転換
キ医連総会に参加して総会で元気になって元の働き場に帰ると何時の間にか元に戻ってしまうことが多いかもしれません。たった3日間ですが、あの人と自分の立場は違うから自分には無理だというのではなく、今の働き場で何が出来るかを考えて行ける様にと願います。是非、ご自分の日々の働きに生きるものを学んで行ける様に共に考えましょう。キ医連には多くの素晴らしい先輩がおられます。
5、分団:6時間の集いから
前回参加された方は思い出してください。キ医連総会では分団が持たれます。主としてテーマ別でいつもどの会に参加するべきか悩んでしまいます。でも小さな会に出たときに、初めてご自分もお話をされ出席しておられる他の会員の方とお話しできて良かったという思いも抱かれたかたも多いと思います。良い話を聞くことも恵みです。でも自分が本当に参加出来たときに、夏の忙しい時に総会に参加して良かったと思えるのではないでしょうか。
方法は簡単です。人数は1015人のグループに分けます。会の進行を進める司会者(ここでは特にファシリテーターと言います)のもとにそれぞれが一つの課題に従って話し合っていただきます。「私にとって愛を実現するとは?それぞれがどのようにそれを考えるか。」という大きな課題を話し合います。すばらしい結論がでることではなく、その話し合いの課程の中で、そのグループの人をより深く知り、共に作り上げる経験をして欲しいのです。
4人の講師からのメッセージ
牧師として
「愛を実現する」課題をめぐって
日本基督教団用賀教会牧師・東京神学大学教授 大住雄一
この総会で皆様は、「愛を実現する」という主題を掲げられました。私は牧師としてこの課題に向かい.与えられたテキストを読み.そこから何を聞き取ったかを申し上げようと思います。この課題をめぐる御言葉において一番注意すべき点は、私たちが愛「を」実現する前に、愛「が」実現しているということであると、私は考えます。愛は、行うよりも前にまず信ずべきものであり・それゆえ希望そのものであり、愛「が」実現しているということこそが、私たちの間で愛「を」実現するのではないでしょうか。テキストであるコリントの信徒への手砥は、完全なものが終わりの日に現れると言います。それ以前の霊の賜物は(私たちが愛を実現しようとするわざもその一つだと思いますが)、「鏡におぼろに映ったものを見る」ようであり、「顔と顔とを合わせて見ることになるそのとき」には過ぎ去るものです。しかし愛はすでにあり、「そのとき」にも過ぎ去ることはない。
私たち人間の現実を見ましょう。もし愛の実現が、今の私たちのわぎにかかっているのだとすれば、私たちはこの世界と自分に失望し、愛に絶望しなければならないでしょう。しかし愛は.私たちの事柄である前に神の事柄です。私たちが行う前にすでに実現しており、私たちのわざが過ぎ行くときにも過ぎ去ることはない。それゆえ、愛無き現実のただ中で、なお愛は希望として信じうるものではないでしょうか。もちろんこのことは、愛を行わない自分の現実から逃避する口実ではなく,愛の実現を終わりの日まで先送りにしてよいということでもありません。否、この現実の中でたしかな希望として信じうる愛そのものであるかた、イエス・キリストは、端的にお命じになります。「行って、あなたも同じようにしなさい。」
愛がすでに実現しているから、私たちは今や、終わりの日に向かって駆け出してよいのです。
大住雄一さんプロフィール
1955年東京生れ。両親の属する日本基督教団富士見町教会で幼児洗礼を授けられ,教会学校にお通いになり、1970年に同教会で信仰を告白されました。
法律家になりたくて、某有名大学に入学されましたが、あるとき、決意。東京神学大学に編入学。修士課程修了を終了された後、伝道師となられました。85年に結婚され、同年から、4年間、ドイツのべ一テル神学枚に留学され、神学博士を授与されておられます。偉大な医療・福祉施設群であるべ一テルに住まれたご経験から、大住さんには「医療と福音」というわたしたちのメインテーマについても教えていただけることでしょう。現在、日本基督教団用賀教会主任牧師、東京神学大学旧約学担当の教授としてご活躍中です。(衛藤義人)
死に臨んで
山田晶
どんなに医学が進歩しても。死ぬ人は死ぬ。死ぬ人は、キリスト者とは限らない。しかしどんな人でも、必ず死に臨んでは、「死んだらどうなるかと」と思うのではなかろうか。もっとも、多くの病人は、昏睡状態で無意識のうちに死んでゆくとしても。その人の枕頭に臨んで、キリスト者は何をすることができるのだろうか。自分がいつかその身になると時、自分は何を望むだろうか。それについて考えてみたい。
京大文学部哲学科を卒業、西洋中世哲学、主として、アウグスティヌス、トマスを研究。京大、南山大学で教え、現在は無職。
山田晶さんプロフィール
はじめにお断りしておく。「先生」という言葉-性別、職業、地位などによって巧妙に使い分けられている言葉を原則的に使用しないのが私の主張であるが、山田晶さんに限り、先生と呼ばせて頂く。それは字義通り私にとって「先生」であるからだ。私は未だ先生と面識がない。今から12年前、1989年、私の妻は58歳の誕生日に死んだ。私は「死の谷」を彷徨していた。その私を導き救い出してくれたのが、山田晶先生の「アウグスティヌス講話」であった。「諄々と諭す」文章は沈みこんでいた私を慰め蘇生させてくれた。幾度私は涙しながらこの本を繰り返し読んだことであろう。信仰者(深く長い)といえどもその伴侶を喪ったときの周章狼狽ぶりは平沢弥一郎さん(私より3つ年上)の本「75歳ドイツで聖書を学ぶ」によく出ている。氏は塚本虚二の威化を受けて、40年以上毎日聖書を読んでいただけでなく、新約聖書をギリシャ語から、旧約聖書をヘブル語から、さらにダンテの新曲をイタリア語から翻訳までしている。そして毎月小雑誌を発行していた典型的な無教会キリスト信徒であり、体育生理学者であった。この人が44年間一緒にいた妻に去られたとき、「彼女の命を奪ったのはこの私である彼女とは44年間一緒にいた、彼女はわたしの生き方を最後の最後まで許さなかった。彼女は死ぬ一週間まで、『あなたほど、常日頃言っていることと、やっていることがこんなに食い違う人はいない。人間の質としては最低である』といっていた。彼女はわたしよりもはるかに聖書を読み、聖書の愛を生きていた。彼女を失ったわたしは生きる希望を失った。何度か自殺の一歩手前まで追い込まれた。その後4年間、荒野をはだしで歩くような空しい日々を送っていた」私はこれを読んで愕然と悟った。殆どの男性クリスチャン(特に仕事熱心)は妻に想われているのはそんなんだろうか?
山田晶先生はまさに私にとって「荒野のヨハネ」となった。この本の初版は1986年、私が買ったのは1989年2月15日、つまり妻の死ぬ前に買ったが読んでいなかった(買ったのは朝日の書評のせい)、アウグスティヌス講話には「生きている者」の慰め励ましの言葉がたくさんあるが、そのたったひとつを引用する。「死んでしまった魂は病院に運ぶこともできず、ただ一つの慰めは祈りである。ですから、その意味で死者のために祈ること、祈りによって煉獄の魂を助け、その魂が一刻も早く煉獄の火を通過して天国に行くことができるように祈ること、それがキリスト者の大事な務め」
山田晶先生は1922年生まれである。平均寿命からいって、もうこの世の人ではないと思いこんでいた私は、先生が名古屋に実在していて講演をして下さったことにびっくりし、嬉しかったが、私は出かけられず、おはなしを聞くことができなかった。何と先生は原稿をギリシャ語で書いていられたそうである。
人生は出会いである。偶然はない。必然、運命、恵みである。
きたる総会において、山田晶先生からじかにおはなしを聞く幸運を待望する。(籾山利雄)
医学と福音
聖愛基督福音教会牧師 森本春子
驚異的な現代医学の進歩、医術の発達により(西洋医学、東洋医学を問わず)今日戦前に比して健康も向上し、平均寿命は延長して日本は、長寿国となり高齢化社会となっている。「医者を必要としているのは病人である」と医学の恵みに与からなかった人は、恐らくいないのではないかと思われる。
今日、科学の発達と共に交通事故や頻繁に起こる事件の被害者等、病人の対応に病院や医療機関には患者が絶えない。
「医は仁術なり」と多くの患者を預る医師の責任は重く、昼夜、明日をも知れない急患や重病患者の為、寝食を忘れて必死になって治療に(御愛労下さる)当たられる姿はまさに聖職者である。
しかし、医学・医療機関にも限界がある。患者を取り違えたり、正常な臓器を摘出したりとミスが起こっている。
キリストを基とした医療と福音によって霊と心と体が完全に癒され救われる事こそ最善である。二千年前、キリストと使徒達は聖霊の愛と力に満たされて神の福音を宣べ伝えました。愛の生命に燃えて病める者は癒され、盲人は見え、足萎えは立ちて歩み(マタイ9:35、14:14)、らい病人はきよめられた。イエスの愛は感染を恐れない。ナインの町のやもめの独り息子の棺に手をかけられた時、その子は生き返った。五つのパンと二ひきの魚を裂かれた時、荒野の群衆五千人を飽かしめる程の奇蹟をなされた(マルコ6:42)。癒しの原動力、奇蹟のエネルギーこそキリストの愛の燃えたぎる力でした。
福音とは、今も信ずる者に与えられる神の力です。イエスの救いは奇蹟的な霊的新生の道であり、人間革新の力です。
私は神の摂理により、この世の地位、名誉、財産凡てが備えられている医者(東洋医学)漢方医と結婚し、優雅な幸せそのものを満喫していました。ところが突然、最愛の夫が病に倒れ、植物人間同様になりました。私は、育ち盛りの子供を五人抱えていました。暗澹たる絶望感が私の前途をふさぎ、突然やって来た逆境と試練の中で焦燥の思いが恐ろしいばかりに吹き荒れました。その中で自らの無能さ無力さを徹底的に教えられたのです。私は全能なる神の御前にひれ伏し、切なる激しい叫びと涙をもって祈り砕かれました。その時、御霊の導きと臨在を強烈に感じイエス・キリストの十宇架の前に立たされる体験をしました。
人間の罪を負って聖なる神の御子が十字架の苛酷な刑を受けられ、極限の痛み、苦しみの中で十字架上に流された尊い血潮は私の罪の為であったと知り、涙が溢れて止どまる所を知りませんでした。自らの内に潜む罪を思い知らされたのです。十字架の苦難と愛の奥義がはっきりと示されたのです。
それから凡てが感謝へと変えられました。罪赦された喜び、贖われた喜びに心が躍り、キリストの愛が心に満ち、如何なる試練も神の御旨であるならば喜んで耐え忍んでいこうと決意したのです。只、神の栄光の為に全生涯を捧げて生きる熱い願いが心の中に燃え上がりました。
過去の神学的、学問的な神ではなく、今も活きて働き給う神が、信ずる者の祈りに答えて下さり、神は私を愛と生命と能力に満たして下さり、神は御霊によって語り、示し、どう行動すべきか啓示されました。神の御旨はどこにあるのか?それから神の応答に聞き従い抜きました。そして遂には運命の破局に瀕しても、神の使命に生きる者としてキリストの苦難に与る事をも喜ぶ事が出来たのです(コロサイ1:24?29)。
愛の実践
聖霊の愛(アガペーの愛)の炎に燃え立たされた私は山谷伝道に遣わされました。寒空に震える恐怖の冬期。山谷では生きる事にどろどろに疲れた人達が、病気と飢えと寒さにブルブル震えながら、体を引きずりながら助けを求め救いを求めて来ます。その悲惨な姿は「惨め」という字を百回書いても言い表せません。彼等は苦悩と悲しみを必然的に担わされ、厳冬の雪の中での凍死の危険にさらされ、遂には絶望の中でこの苦悩を忘れる為に酒に酔い、大きな声を出して暴れ、わめき、アル中、麻薬中毒の人達が、教会をぶっこわせと言わんばかりに木刀を持って暴れたり、集会を妨害し司会者の席を占領したり毎日必ず何事か事件が起きるという日々でした。
ある日、出刃包丁をもって暴れ込んで来た人を見て、とっさに私は出刃包丁を素手で取り上げていました。御霊による神の愛は十宇架を負えば負う程、心魂を満たして下さるのです。「全き愛は恐れを取り除く」包丁を取り上げられたその人は「大阪で何々の親分と言えば泣く子も黙る程有名な俺だがどうか赦してくれ」と土下座して悔い改めました。一件落着した後、共に愛餐会で食事をしていた彼の頬には涙が光っていた。
両足の無い人、片手の無い人、目のつぶれている人、顔や手に火傷を負って自殺直前の方、身も心もズタズタに傷だらけ血だらけの方、三日も五日も飢えて□もきけないフラフラの方、喘息で呼吸困難の方等々・・・生と死の狭間に立たされて救いを求めて来る人の何と多い事か?時には緊迫した危機感の裡に(吐血等)救急車三台も呼ぶ状況となる。病院側の理由?に由ってタライ回しにされ息を引きとる。人命尊重は論議で終わり、生かす人間の尊厳は傷つき、生命否定の方向に傾いている。政治の貧困からか?社会構造の歪みからか?神なき政治行政が悲惨な結果を招く。老人の餓死、凍死、病死等々・・・
彼等の罪の重荷を全身に感じて、思わずほとばしる十字架の愛のメッセージは、もはや説教ではなく絶叫となる。罪の為、呪われ罰せられてもあまりある罪人である私達の身代わりの十字架にかけられるイエス様!!尊い血潮を流される「クライマックス」それは聞く者の魂を揺り動かします。「おお父よ、彼等を赦し給え」とのイエスの叫びは私の祈りの叫びとなり、十字架の痛みは私の痛みとなり、キリストの悲しみは私の悲しみとなり、日々、伝道の熱情が胸中に燃えたぎり聖霊に捕らえられ、完全に主によってメッセージを取り次ぐようになると、聞く人々の心に感動が湧き上り、全人格が愛に燃え、驚くべき霊的満たしに浸され、語り出した火のような御言が活きて働き、アガペーの火花が散る瞬間、病める者は癒され、悪霊が追い出され、アル中や精神分裂、麻薬中毒の人々が平安を取り戻し正気になって行くのです。苦難と失望にうめく人々が疫病、神経痛、腰痛等癒され、聖霊の御業による大いなる神の栄光の頭現!!
悪霊の巣窟と言われる山谷に、今も活きて働きたもうキリストの復活の生命が、時々刻々脈々と躍動して止まない使徒行伝のペンテコステの天の愛の炎が三十年間燃え続き、四千二百数拾名の浸礼者が与えられた!!
聖霊の愛の生命に燃えよ!21世紀の新生命の息吹は山谷(ヤマ)より広がる。 全日本へとそして世界へと・・・リバイバルの炎となって!!
栄光主に在れ!!
森本春子さんプロフィール
1929年、熊本県生まれ。聖愛基督福音教会および聖川基督福音教会「よみがえり祈祷館」主任牧師。「愛の絶叫」(野口和子編著・一粒社)、「写真集・山谷の母、神の愛を叫ぶ」(同書出版委員会)
「この世で最も価値のある生き方は、犠牲を払って神を愛し、自分を愛するように人を愛しぬく人生です。」捨て身の愛を文字通り実践しておられる「山谷の母」森本春子さんを、第53回総会にお招きできることは、誠に大きな喜びです。復活の命と十字架の愛の力を原動力に、30年の長きに渡って、殉教覚悟で救霊のわざを続けておられる先生の、「アガペーの火花が散る」メッセージに御期待下さい。(大角淳一)
互いに歓迎し合うこと
聖書 ルカ福音書15章25節?32節
名古屋堀川伝道所代務者
障害者通所施設大地の家代表 島 しづ子
待ち続ける神
放蕩息子の譬話は有名です。父が生きている内に、父の財産の分与を願い、それを持って家を離れた弟息子。彼は財産を使い果たし、食べるにも事欠き、そうなってやっと、父の家に帰ろうとします。家路を辿る彼の足取りは重く苦痛に満ちていたでしょう。お詫びの言葉を反芻しながら、迷いながら彼は歩いたことでしょう。そんな彼を遠くで見つけて父親が駆け寄ってきます。父は待ち続けていたのです。父は息子を歓迎し、再び息子として迎えたのです。そして歓迎の祝いをするのです。
わたしたちは思います。「こんな調子のいい話があるものか、これでは善人が損をするばかりだ。」と。しかし、この息子がわたしたちだとしたら、どうでしょうか。わたしたちの心の中に「従順でなければ愛されない。成功しなければ認めて貰えない、だから自分はだめだ。」という諦めがあります。
イエスがこの譬話をした背景には、次のような事情がありました。イエスが「罪人」と呼ばれる人々を歓迎し、食事を共にしている、という非難を宗教家達がしたのです。
イエスは、神が、失われた羊を捜す羊飼いのように、銀貨を無くして捜しあてた女のように、放蕩息子を迎える父のように、「失われた罪人達」を歓迎していることを語りました。
わたしたちも「家」に帰りたいと思います。どこにこの自分を受け容れ、安らぎを与えてくれる家があるのでしょう。思えばわたしたちは、歓迎を勝ち取るために生きてきました。立派に見えること、尊敬されること、なにがしかのものだと思わせること。ところが、この歩みはいつもわたしたちを駆り立て、ますます不安にします。名古屋で野宿する人々が増え続けています。その人々を支援する「いこいの家」でのことでした。その頃、母が入院中で私はホームレスのKさんに言いました。「来週は来れないかもしれないので、皆さんで開館して下さい。」すると彼はこういいました。「いいよいいよ。無理しないで。だけど待っているからね。」「待っている」この言葉を聞いたとき、心の中に「私を待ち、歓迎してくれるのだ。」という有り難い気持ちがふんわりと私を包みました。
私が求め、皆さんが求めているのもこのことではないでしょうか。「誰が私を愛し、受け入れ、歓迎し、共に時を過ごしてくれるの?」
わたしたちに必要なことは、神のもとに帰ること、神が無条件に自分を受け容れてくれていることを知ることであり、味わうことでしょう。
神の忍耐と苦しみ
父は待ち続けています。払った犠牲は、財産と息子に棄てられ、息子が苦しむのを見守るしかないというものでした。神が人間に良き賜物を託し、失敗すら見守っている。すべてを失い、神をふり仰ぐと、神は無条件に歓迎しているという。その歓迎のかげに神の忍耐と赦しがありました。神の忍耐と赦し無くして歓迎の宴は開かれませんでした。このような神の愛を味わいながら、他者を歓迎する者へと変えられていきたいと思います。しかし、十分に隣人を愛せないからといって自分を否定しないでいましょう。(この様なものが許されているという)赦しに預かりながら、生きるのです。今まで、わたしたちは、自己中心性 狭さ 愛の無さに無力感を感じてきました。ありがたいことに、神はこの人間に代わって罪の償いをイエスによってして下さいました。それほどに互いは価値があり、待たれ、帰るなら歓迎される者なのです。 イエスを非難した宗教家達のように、わたしたちもみな条件付きで互いを見、その価値観が自分をも裁いています。誰がこの自分を歓迎してくれるのか。
私は社会から取り残されたホームレスの人々や「障害」を持つ人々から「待たれ、歓迎される」という嬉しい体験を通じて、神様と小さい人々の近いことを感じさせられます。社会ではあまり価値とされない人々こそ、本当のことをわたしたちに示してくれるのは不思議なことです。
総会でも、皆様をお持ちし、心から歓迎いたします。
島しづ子さんプロフィール
1948年長野県生まれ、農村伝道神学校卒業。1974年夫島勉牧師の日本基督教団鳴海教会赴任に伴い名古屋市に転居。1978年、勉牧師の召天後、同教会の主任牧師となり、9年間牧会されました。長女陽子さんは百日咳脳炎により重症身障害となられました。しづ子牧師は現在、名古屋堀川伝道所代務者として、また教区の身障者の教会委員会のリーダーとして活躍、障害者が地域で暮らして行くことを考える「みどりファミリー」を主唱し、障害者通所施設大地の家の代表者として共にケアにあたっておられます。また女性や日雇い労働者の人権を守る運動等に力を注いでおられます。
1995年1月長女陽子さんが天に召されました。1995年6月23日より老人保健施設愛泉館の聖書集会に月一回来て下さるようになり、教会内の言葉遣いではない「普通の言葉で語る。」ことに努めて下さっています老人の人をつよい聞き手として苦しみや悲しみに耳を傾けて下さいます。高齢者には女性が多いので島先生の様な牧師が求められます。
AHIの評議員として、共に苦労を分け合って下さっています。
島先生のお若い頃のことは、故清水恵三牧師や太田愛人牧師から伺っていました。故清水恵三牧師は信州に生まれ信濃伝道所で牧会後、川原の姉の属する三鷹教会を牧会されました。太田愛人牧師は末弟が鹿島槍ヶ岳で遭難死した時色々力を貸して下さいました。真宗は私の第二の故郷のような気が致します。日進の地で、島先生と親しく交われることは私の喜びです。(川原暁子)
JCMA, JOCS, AHIそしてーJOCSの夕べのおさそいー
佐藤光(アジア保健研修所事務局長)
戦後生まれだが60才に手の届くJCMA、1960年生まれのJOCSが40才、そして一番の若手のようなAHIも誕生してすでに20年が経ちました。それぞれこの社会の中でどんな役割を果たしてきたのか、いまどんな課題を抱えているのか、そしてこれからの夢、役割は?そんなことが語り合える場を考えています。名古屋での総会ということで、いつものキ医連総会での「JOCSの夕べ」にアジア保健研修所も仲間入りさせていただきたいと思います。
この1年間の間に、JOCS、AHIから、「社会に存在する理由として、今自分たちの役割をこう考える」という文章が出されました。今年1月のJOCSバンコク会議では、これまでの10年を振り返り、今後へ向けて「バンコク会議覚え書き」(www.jocs.or.jp参照)をまとめました。AHIは、1年間の協議の末、昨年、今後の方向性を提案する「ミッション委員会答申」(www.jca.apc.org/ahi参照)を出しました。それぞれ、最終的な決定事項というより一つの中間のまとめ、「たたき台」として作られたものです。これらを一つの材料としながら、それぞれの組織が、自分たちの役割をどう捉えているのかに迫る事もできそうです。
このところ、自分の団体のユニークさを堅持しつつ、他の同じ思いを持つグループ・団体と、また目的は違うが同じ地域で活動するグループとゆるやかにリンクする、つながるという現象があちこちで進んでいます。これまでも同様の動きはあったのかもしれません。しかし自分たちの団体のアイデンティティを確立することに主眼を置き、それに役立つかというポイントからの連帯、連携であることが多かったように思います。しかし今、もっと広い視点で、アバウトな境界線でのつながりが起きているようです。そこでは、組織プロでない人たちが自分たちの生活感覚で近所をつなぎ、地域をつなぎ、地方をつなぎ、国をつなぐ、そんな光景が少しずつですが展開しています。
このような動きが加速している理由の一つには、事柄が世界化してきて一地方一地域だけで解決しない事柄が増えた事があります。一番わかりやすいのが環境破壊でしょう。そのために、他の地域、他の国の同じ課題を背負っている人同士がつながることがでてきました。これは、同課題を異なる地域で一緒に考え担うと言えます。
理由の二つ目には、課題同士が複雑に絡み合っていて、一つの課題に取り組むだけでは解決の糸口が見えないためです。同じ地域の一見違う課題を担うもの同士で一緒に考えていくなかで、その必要性と有効性が見えてきたとも言えます。これらの作業を可能にするために必要なことは、いったいいま自分はどう生きているのか、何を大切にしているのかという強烈なまでの「自分を見つめる」濃縮作業と、同時に思い切ってそれを人の中に拡散させていっても自分を見失わないしなやかさの両方を持ち合わせていることでしょうか。確かに、私の身の回りでも、この一見矛盾するような性質を持った人、グループが現れています。
このような時代に、JCMAは、JOCSは、AHIは、それぞれいったいどこと、どうやって、つながるのでしょうか。これまでのような真空の中でのJCMAとJOCSの関係というのでない、もっと広やかな人と人のつながり、グループとグループのつながりが作られていく可能性はないでしょうか。
そのつながりを通して、今「みんなで生きる」ことを困難にし「自立のための分かちあい」を阻害している現状を越える手がかりが見えてくるようです。
おいでをお待ちしております。
誌上発題
個人としての戦争責任の告白
議長 原 研治
この間わたくしは、父母の世代が戦争で酷い目に合った聞かされてきました。しかしこの2000年の末に当たり、ずっと、もし自分が、大陸の武昌に生まれた、中国人に生まれ変わっていたら、どう考えるのかと考えるようになりました。ちなみに武昌とは、義父の名前です。彼はこの地に関係を持つ為にこの名前をもったのです。私の父母も軍関係で、ビザもなく、大陸にいっています。戦死者はロンボック海峡で一人、北支を転戦した兵士も何人かあり、父も大陸から、インドネシアを転戦しています。
キ医連の活動が、この中国、アジアへの医療奉仕に始まったのは周知の事実ですが、身内にかくも多くの軍人を出し、アジアの、特に南京を含む中国民衆に、いくら蒋介石政権が、暴報ゆるに特をもってするとの声明があったとしても、実態として、申し訳のない、日本人の末裔である事を告白し、植民地支配の残酷な現実、韓半島の神社参拝の強要や、中国の旧満州の医学的人体実験や、南京の民衆の虐殺に関わった事実を認め、戦争犯罪を告白し、残虐な日本軍国主義の政府を選び取った犯罪を神の前の告白し、神の子のおん血の贖いによって、お許しいただけますようお願いいたします。
ひるがえって、アジア太平洋の医科連盟に対し、許しを請い、医療協力にともに参加できますよう、それが、主の宣教の御業でありますがゆえに、和解とと協力を、主にある兄弟として、お願いいたします。
2001年1月8日
※原議長よりは1月の全国委員会でのメッセージを総会へのメッセージとして頂きましたのでそのまま掲載させていただきました。(太田)
「小さないのちを守る闘い」
名古屋部会 協立総合病院助産婦 赤尾さく美
助産婦の私が職場で見るもの、それは夫立ち会いのもと出産し、涙を流して喜ぶ幸せそうな夫婦、産まれてきたこの上なくかわいい赤ちゃん、その一方で誰にも愛されず殺されていく胎児・・・。ある人にとって産婦人科は、明るく喜びをもたらしてくれる場所であり、また別の人にとっては暗く、二度と足を踏み入れたくない場所でしょう。
助産婦は文字通り「産むのを助ける人」のはずでした。しかし業務の中に中絶の介助は含まれていました。その小さな肉体を引きちぎられ、ホルマリン入りのびんに入れられていく胎児を見ながら、私は殺人の手伝いをしてしまっていることに罪悪感を感じ、葛藤しました。そんなときに辻岡健象著「小さな鼓動のメッセージ」を読み、辻岡先生が中絶しようとしている女性を説得し、小さな命が守られ、その赤ちゃんが愛のあるクリスチャンの家庭にもらわれていくという働きを知り、「私もこの働きをしたい!しなくてはいけない!」という思いがきて押さえられなくなりました。そして「これが神様のみこころなら、道を開いてください。」と祈りました。就職して3年目の96年のことでした。こうして「小さないのちを守る会名古屋支部」ができ、病院の方でも中絶に対して新しい動きが始まりました。
それまでの産婦人科外来では、「中絶したいんですけど・・・。」といって来た女性に、充分な説明や話し合い、指導のないまま、手術の日が決められていました。中絶は単なる手術ではなく、一つの命に関わり、また女性の心身を一生ひどく傷つけるものです。しかし多くの女性が中絶しか道がないかのように思い、安易に中絶してしまうのです。私は、中絶を決定する前に、普通手術前に行われる「インフォームドコンセント」をし、もう一度考える時を持ってもらおうと提案しました。どうしても育てられないなら産んで養子に出すという方法があること、この赤ちゃんを待っている夫婦がたくさんいるということ、世間の目が気になったり家族の大反対を受けるならホームステイ先があること、分娩費用は支払わなくていいこと、もし未婚でシングルマザーとしてがんばるなら公的援助が受けられること、中絶によって様々な医学的障害が起こりうること、それよりも心の問題が大きいこと等を中絶を決める前に伝えるようにしました。スタッフたちも協力してくれました。
すると早速「養子に出したい」という人が二人現れました。経済的困難のある二人は「産む使命」を果たし、「育てる使命」は別のクリスチャン夫婦にゆだねました。一組の牧師夫婦には赤ちゃんができませんでした。あきらめかけていましたがもう一度子供が与えられよう強く祈らされるようになりました。その数日後、協立病院で産まれた目のパッチリした女の子を迎える話が舞い込んだのでした。もう一組の夫婦にはすでに自分たちの子供が一人いましたが、今度は養子を迎えたいと願っていました。「『中絶反対!』と叫ぶだけの者ではなく、殺されるはずだった赤ちゃんを自分の子どもとして迎えることで、生きた証し人になりたい」という思いが結婚当初からあったそうです。そんな夫婦の祈りに答えて神様は協立病院で産まれた顔のまあるい赤ちゃんを与えられたのです。このお父さんは涙を流して喜ばれたそうです。
こうしてこれまでに6人の養子縁組があり、中絶を取りやめ自分で育てることにした女性も何人かいました。これらはうまくいった例ですが、中には養子に出そうと決心したのに家族の大反対で泣く泣く中絶をして傷ついた女性、夫や親は産んでほしいのに本人の固い意志で中絶をして結局ひどく後悔した女性、学校にバレると困るといって夏休みに中絶に来る高校生等悲しい例もたくさんあります。
望まない妊娠をして来院した女性との関わりは非常に重い任務です。ほとんどの同僚たちがそういった関わりの中で傷つき、自分の力のなさに落ち込みます。中絶自体をお断りした方がよっぽど楽でしょう。しかし、もしかしたらこうした関わりの中で守られる命があるかもしれないと思うと闘うしかありません。一つでも多くの命が守られ、そして産む決心をした女性たちが救われるよう、また望まない妊娠をした女性と接する産婦人科のスタッフのためにもお祈りくだされば幸いです。
「小さないのちを守る会名古屋支部」の方では、約3年半定期的にカウンセリングと聖書に基づく性について勉強会をした後、2000年からはホームページを開設し、そこで「聖書に基づく性」のオンラインセミナー、本の紹介をしています。性、結婚、同性愛等、教会内では聞きづらいような内容がたくさん分かりやすく書かれていますのでぜひご覧になってください。また、名古屋支部オリジナルの性に関するリーフレットも3部作で作りました。「『愛し合っていればいいんじゃない・・・』と思っているあなたに。(男子用、女子用)」と「 産む、産まない、それとも・・・?」(望まない妊娠をして悩んでいる女性用)です。また、自分の教会でセミナーをしてほしいという方のために「水谷潔牧師の出張セミナー」もありますし、早ければ今年、水谷牧師の本を出版する予定です。
こんなちっぽけで何度も罪を犯すどうしようもない器を何度も洗って使ってくださる主は本当に偉大ですばらしい「リサイクル、リユースの達人」だと思います。これからも微力ながら「破れ口に立つ者」として活動していけたらと願っております。
小さないのちを守る会名古屋支部ホームページアドレス
http://homepage1.nifty.com/PLJNAGOYA
「女性への暴力と看護・助産の役割:愛を実現する」
聖路加看護大学看護教師 加納尚美
助産婦教育に携わっている私は、必然的にケアの対象として女性にかかわることが多い。病院で助産婦をしていた頃は毎日分娩室で産婦さんに出会い、時々その夫や家族の世話もしたという程度。私は職場では男性には全く縁がないのよ、などと友人に話していたところ、陣痛のきている産婦さんに陣痛の合間の間歇時にお見合いの話を持ちかけられたことがあった。でも最近の病院では分娩室に夫が立ち会うのは日常茶飯事で、とにかく夫婦の機微を推し量りながら、夫の疲労度を察しつつ、立ち会いが円滑にいくように計らうのも助産婦の大切な役割の一つになっている。また、出産後まもなく新父親がうまれたてほやほやの赤ちゃんをじっと見つめて壊さないように抱いている姿を見るといつも心底ジ?ンとさせられる。
とはいえ、気になる夫婦やカップルにも出会ったり、臨床の助産婦から話を聞くことがある。何も口を出さないでも助産婦以上に親身になって妻の世話をする夫もいれば、稀に陣痛で苦しむ妻の脇で漫画本を読みだす夫と様々である。助産婦学生の実習をお願いする際に、妻は承諾しても夫が断る場合もある。極端な例だと、妻の健診に必ず付き添い医療者側が妻と直接話す機会を作らせない夫や、出産給付金を使い込んでしまう夫などなど。
一方、最近親または養育者による子どもの虐待を報じるニュースをしばしば耳にする。虐待防止については保健医療関連でもここ数年随分と取り組まれるようになってきた。頻回な妊娠、人工妊娠中絶、妊娠受容の拒否等は助産婦としても念頭におきながら妊産婦を支える必要性がある。妊産婦以外の問題、つまりそのパートナーとの関係も今後はもっと気に留める必要があるかもしれない。東京都女性財団や旧総理府の行った調査でも、女性の20%?30%は夫または恋人からの暴力を受けたことがあるという結果がでている。また、昨年WHOから出された「女性への暴力に関する多国家間の研究」報告でも多くの国でも同様な実態が報告されている。子どもを産んだ、あるいは育てている女性に必要なのは女性自身へ注がれる親しい者たちからの愛情である。それがエネルギーとなり子どもにも向き合っていけるのである。
さて、話は変わるが、昨年10月16-18日にイタリアのナポリで開催された「女性への暴力」に関する国際会議に参加した。主催は、世界産婦人科学会、イタリア産婦人科学会、国連人口基金、WHOが協賛。参加者は150人前後で、参加国は欧米、アジア、アフリカと多岐に渡っていた。日本から私を含めて助産婦2名の参加のみだった。
この国際会議は、「女性への暴力に対して保健医療はどのような役割を具体的に担べきか」という点が最大のテーマであり、この問題は最近ようやく日本でも論じられ始めた内容を含んでいる。 1970年代に初めて女性たちの草の根運動レベルで、女性の人権問題としてその実態が明らかにされてゆき、国際的運動としての顕著な成果が現われたのは1990年代に入ってから。1993年に国連主催の会議で、「暴力と人権問題」、1994年の世界人口会議、1995年の世界女性会議で世界に共通した問題として取り上げられている。「女性への暴力」という定義の中には、ドメスティック・バイオレンスから、強姦、セクシュラル・ハラスメントと多岐にわたる暴力を包含した意味が込められている。
会議内容は、基調講演、各国あるいは各団体からのプレゼンテーションと、各地域毎のグループミィーティングがミックスされた魅力あるものだった。特に「女性への暴力」構造を様々なレベルで十分にとらえ、保健医療だけでなく民間支援団体等とネットワークを組み活動を行っていた。そのようなフロンティアーは圧倒的に女性の保健医療の専門家だった。例えば、南アフリカの性暴力被害者のネットワーク活動を展開している女性の病理専門医師、インドでドメスティック・バイオレンス被害者支援を行う女性医師、アメリカで性暴力被害専門支援看護婦(SANE)として働き、またその養成にも関わっていた女性の看護婦、というように。
最後に、私自身にとってこのテーマは、6年前くらいから性暴力被害者への看護を考える自主グループ(クローバーの会)や、2年前から様々な人たちが関わっている「女性の安全と健康のための支援教育センター」(現在、NPOとしての認可を申請中)の運営委員としての活動を通じて、最も関心の高いものだった。2000年度は日本で初めての性暴力被害支援看護婦養成講座を他のメンバーたちとともに立ち上げ、なんとか一連の講座を先日終えたところ。子どもへの虐待の問題がクローズアップされる中で、その背景には夫婦間暴力の存在を女性たちの支援をしている人たちは指摘している。女性と濃厚な接点を持ち得る助産婦や看護婦の役割は、国内外を問わず重要になってゆくだろう。但し、さまざまな分野の人たちとネットワーキングしていきながら、ということが常に求められていくことを、この国際会議では教えられた。
こうした「女性への暴力」に関する理解が多少なりとも深まるにつれて助産の臨床場面で出会う夫婦や家族について、また、医療者とクライントの関係について「もう一つの視点」を持つ自分を発見する。調和の関係か、支配と被支配の関係か。
忘れられている愛の厳しさ
古河電工(株)衛生管理センター医師 中村 健一
「わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。主から懲らしめられても、力を落としてはいけない。なぜなら、主は愛する者を鍛え、子として受け入れる者を皆、鞭打たれるからである。」
(ヘブライ人への手紙12章5〜6節)
最近のわが国では、愛のやさしさだけが強調され、その厳しさが忘れられているように感ずるのは私だけであろうか。忍耐、努力、自制、向上、協調、などという言葉が死語となり、「個性の尊重」、「管理教育反対」などの言葉が一人歩きして、やりたいこと、楽でカッコよいことだけをやり、他人のことなど考えない若者を増やしているように思う。不登校生徒の増加、大学生の学力低下、青少年の非行や犯罪の増加、非婚・少子化などはその一連の結果ではないだろうか。医療の世界もこの風潮から逃れられず、一部のわがままな患者のために医療者が振り回されて、他の患者のケアに支障が生じているケースもあるようである。
このまま推移すれば、明治維新以来百数十年に亙って築かれてきた(その間にもちろん侵略、戦争、敗戦という大きなつまずきがあったが)近代国家としてのわが国が、戦争や災害のためではなく、国民の量的質的衰退によって内部崩壊を起こすのではないか、と心配している。(どうせそれはお前がこの世から消えた後のことだろう、といわれればそれまでであるが)
「愛の実現」はキリスト者の究極の目標であるが、それが人を単に甘やかす愛ではなく、その肉体、精神、霊性の成長を促し、神が作られたこの世界の安寧と秩序の維持、人類の健康と福祉の向上のために貢献する人々を育てる、厳しさを伴う愛であってほしいと願うものである。
愛と死と信仰
名古屋部会外科医師 籾山利雄
何という因縁、巡り合わせであろうか。コリント前書13章13節は、今から42年前(1959年)、私が好川程子と婚約したとき交換した聖書の扉に彼女が書いた文章である。その程子が死んで12年たった今日正直に告白できる、当時私は実に困惑した。そして私が彼女に与えた聖書に書いた文章は「愛はいつまでも絶ゆることなし」である。甚だ後ろめたい気持ちで、彼女とその父親とは矢内原忠雄の忠実な弟子であった。つまり無教会キリスト信徒であった。一方、私は黒住教という神道家庭に育ったが無信仰であり、33歳の気鋭な生物学者であり、性ホルモンを一杯発散していた青年である。愛イコール「エロス」と想っていた。アガペーなんて言葉も知らなかった。愛なんてものは生物学的には永続し得ないと考えていた。そして事実結婚後も「浮気」をして彼女を苦しめた。
彼女の存命中、聖書なんて殆ど読まなかった。正しくは何十回も読みかけた。読もうと努力したが日本語聖書の文章の幼稚さと反復の多さに我慢ならなくなって放り投げたのである。この理由の大半は昨年やっと田川健三さんの「書物としての新約聖書」で永解した。この本は実に痛快である。それまで分かっていても感じていてもキリスト者として教会員として言えない、言ってはいけないことがあったのである。聖書を素直に読めば当然感じる疑問や不安不満を信仰不足のせいにして表現できなかったのだ。
さて私は実に仕合わせな家庭生活に恵まれた(幸せな結婚なんて50%にも満たない?)そして結婚とはエロスをアガペーに昇華させる行為であり、それには長い(20年以上)時間と工夫努力忍耐が必要である。そんなに快活で健康な女房(生命保険なんて一銭も入ってなかった)に先立たれるなんて夢想いだにしなかった亭主(外科医として仕事に夢中)が妻に先立たれて大恐慌であった。本当にこの世の終わりと想った。この世と縁を絶ちたかった。その私が彼女の死後12年もどうして生きながらえてクリスチャンとなったのか?それは殆ど大部分忘妻のせいである。程子の死は終わりでなく新しい生活の始まりとなった。
程子は私のまわりに「人垣」を作っておいてくれた。私自身も開業医という職業にも恵まれた。しかし人工透析患者8年目として、74歳になって、とても疲れる。仕事量はうんと減らして本が読めるようになった。老年の楽しみを見出した。「親業」というものの大切さ、難しさも分かりかけた。「生き永らえる」ことは親の第一義務である。
昨年読んだ須賀敦子全集でイタリアの(カトリック教会)キリスト教徒と日本の教会員の違いに気づいた。まず、第一に歴史の長さ、イタリア人の生活の中に教会が入り込んでいる。日本の教会は日常とかけ離れた存在である。それと私が最近自覚したのは、私たちの歴史認識である。皇国史観を全否定されたままで確固とした知識さえもない。そういう人間がキリスト教史とどうかかわるのか。さらにムラという共同体の伝統行事と神仏行事とどう折り合いをつけるのか?キリスト教とは抽象的存在ではないのか?
もう一つ若いとき気づかなかったが、最近気づいたのは「偶像」崇拝禁止条項の重大さ困難さである。私たちのまわりは昔から今日まで偶像だらけである。多神教と山川草木悉悉皆成仏という思想も根づいている。わが国の歴史でも世界中(古今東西)でも問題となっている。
現在も過去も、日本の最大の問題は天皇制である。私は昔から(敗戦)天皇制を廃止すべきと考えている。しかし、日本の歴史を正しく知りたいし、伝統を大切にしたい。
科学技術が急速にしかも加速度的に進化している。ついこの間までおぼろげにしか分からなかったことが分子レベルで解明されて来た。しかも繁栄(日本史上空前)の日本社会は崩壊寸前である。人間が(昔人間の私には)人間らしくなくなって来ている。
今こそ私たちは古い垣根と観念をとり払って、聖書を素直に読み、普通の人と日常の言葉で話し合おうではないか。
日本キリスト者医科連盟会員、耶蘇の医者といわれて50年
名古屋部会医師 小林 清
私は、愛知県南の海岸、人口7万の小都市、碧南市に住む開業医である。と言っても、もともとは外科医であるが、年齢85歳、敗戦直後にこの地方で医院を開業したが、本業の医者の方は息子にゆずって、今は老人保健施設「ひまわり」の施設長となって、もっぱら、お年寄りの話相手になっている。
50年前、仏教の非常に盛んなこの地方で、病院伝道を始めた。その頃の教会青年たちは、みな社会人になって、碧南教会の中枢に立って活躍している。その頃に建てた木造の教会堂は著しく老朽化したので改築を計画し、この3月17日には、十字架と鐘楼のある美しい教会堂の献堂式が行われようとしていると、ここまで書くと、読者は、地方の大教会を想像するであろうが、クリスマスや復活節は別として、毎週の聖日には、相変わらず20名そこそこの教会員が、小さくまとまって礼拝を捧げている。日本中多くの教会が総であるように、ここにも老齢化が進み、教会学校の生徒は0に近いことがたびたびである。この数字を多いと見るか、少ないと見るか。評価はまちまちであろうが、神に選ばれて教会を担う者として、答えが決して甘くはない。どんなに美しく見ようとも、ここはホテルの結婚式場ではない。礼拝が命である。主の言によって生かされ、信仰によって、証し人として世の人に用いられてこそ教会である。
私は、年齢こそ教会の最長老であるが、長い間、何をしてきたであろうか。これまでの人生を振返ると、幾つかの決定的な出来事があったように思う。学生時代から今に至るまで、何人かの良い師、良い友にめぐりあって、レーマンとしては、めったに出会えない貴重な神学研鑚のチャンスを与えられた。そのことは、今でも、言葉に言い尽くせない有難い財産だったと思う。しかし、その宝を私は何に使ったであろうか。思えば道を求めて教会に尋ねてこられた人に、教えるような顔をして、いただいた神学と言う宝を武器にして指導のようなことをしてきたが、その裏で、道を求めてこられた人、実は、はるかに神に近い人を傷つけてしまうことが、本当になかったであろうか。
例えば、クリスチャンなら誰でも知っている、「父、子、聖霊の三位一体の神」などという言葉にしても、不用意に使えば、初めて見えた人には、何のことか全く分からないで、異言を語った昔の人の例を見るまでもなく、二度とその教会を尋ねることは、なくなるであろう。正に、言葉が人を傷つけてしまう一例であろう。JCMAが母体となって作り上げたJOCSの中にC(キリスト教)が邪魔だから取ってしまいたいという意見があるそうである。神の言は、取り去りたいほど、力がなくなってしまったのであろうか。神は死んでしまったのであろうか。
一体、私たちが語ってきたキリスト教は、何だったのであろうか。パウロは、「生きているのは、もはや私ではありません。キリストが私のうちにおられる」と言われた。私たちは、教科書通りにキリスト教の教理を語ったつもりだが、キリストを語っていなかったのではなかったろうか。私たちは死んだ言葉をしゃべりすぎていたように思う。今こそ、どこに立っていたかを見つめ直す時ではなかろうか。私たちの言葉は死んでもよい。言葉が通じなければ体を差し出そう。握手をしよう。そして無力な私たちの言葉を乗り越えて、主が直接語って下さるのを祈ろうではないか。答えは主におまかせして!
教会を離れてしまった教会学校の生徒がズボラだったのではない。教会学校の教師である私たちが、キリストと共にキリストを語っていなかったからではなかったろうか。アジアの貧しい人たちのために全力投球を続けている若者達に、教会は何をしてきたと言えるのだろうか。小さな物的支援以外、実は何もしなかったのではないか。
私は総会の準備
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