遠くで雷鳴がした。
今日もまた雷雨になるらしい。
僕がこの湖畔の宿にきてから、夕方は決まって激しい雷雨なのだ。
稲妻が光り、あっという間に雷音が追いかけて来る。
僕の部屋の窓を震わせた。
青空はどこへ行ったのか。入道雲はいま、低い雷雲に変わっていた。
雨がしばらくしてから降り出す。降り出した、と思った途端に、前も見えないほどの土砂降り。
雨が余りすごいから、さっきまで空を向いていた雑草はしかたなさそうに下を向き、コンクリートは水玉模様から灰色無地になった。そして、どんどん水があふれ出す。
部屋にはねかえった雨が吹き込んで来ていることに気が付いて、僕は慌てて窓を閉めた。
X線のように全てを透かしてしまいそうな稲妻と、内臓をも揺さぶる大音響。
その間隔が縮まり、縮まり、やがて、重なったかと思うと、辺りが少し、焦げ臭くおもえてきた。
あの白い家の屋根からもひっきりなしに水が落ちているのが見えた。
そして・・・また静寂が訪れ、僕の作業は進まなかった。
僕の部屋は宿の離れの一階にあった。
庭を間近にみることが出来る。
黄色や白の小さな花が、緑の草の中で揺れる。
下界では蝉といえばまだあぶらぜみばかりなのに、ここでは向こうの松林でヒグラシが鳴いている。
僕は嵐が去った後の庭に下りてみた。
サンダルの足元はすぐに濡れてしまった。
雨くさい。
湿気たっぷりの風がゆっくりと庭をそよいでいった。
夕日は山の影に入ってしまってもう見えない。
白い家の玄関に電球が4つ、遠慮がちに灯った。
早朝、まだ宿の人が誰も起き出す前に、僕はこっそり窓から宿を抜け、西湖のほとりに立ってみた。
もやがかかっていて、向こう側は見えない。
僕は平ための小石を一つ拾い、水辺ぎりぎりのところから、「どうせ駄目だよ」と呟きながら、放ってみた。
ところが小石は僕の予想に反し、3回、ぴょんぴょんっと跳ね、ぽちゃんと沈んだ。
水が澄んでいて、石が沈んでいくところまで見えた。
僕は調子にのって何度か石を投げてみたけれど、もううまくいかなかった。
たぶん、もっと水辺によって投げなきゃ駄目だったんだな。
石投げにも飽きたので、僕は少し歩いた。
キャンピングカーのそばで誰かが動いている。
もう朝飯か。
逆方向の、岩がごつごつしたところでは、人の影と、細長い棒が見えた。
釣りをしてるらしい。
釣れますか?
僕は心の中でそっと聞いてみた。
魚があの棒を引っ張る様子はない。でも、彼は草に埋もれて魚を待ってる。何かを待っている。
僕の宿の正面は奇妙な形をしたドライブインだ。
栗のような形をしていて、かなり前からありそうな様子だ。
あまりお客が入っている様子もないが、オートキャンプ場の管理もしているらしく、そちらの方は盛況のようだ。
僕が何気なしにその建物に近づくと、白い犬が鳴きながら近寄ってきた。
飼い主があまり世話をしていないのか、かなり汚れていたけど、マルチーズだった。人懐っこく僕に擦り寄る。
首輪もつけてないし、こんなに人に慣れていたんじゃ、どこかに連れてかれてしまうんじゃないか、と思うくらい、きゃんきゃん鳴いた。
僕は犬にそんなに慣れている方とは言えないが、そんな僕にも懐いている。
ドライブイン中から人の声がする。
営業者が朝食を取っているらしい。
この犬、誰かに連れてかれないといいけど。
僕はそう思って、宿の方向に向かって歩き始める。
犬はやっぱり僕の足にまとわりついて、僕が道路を渡るまでついてきてしまった。
宿の左どなりはこんもりとした松林の斜面だ。
そこを登って行く道と、木の看板があるのがわかった。だけど、文字はにじんだのか朽ちたのか、判別できなかった。元々、僕に判別できる文字ではなかったのかも知れないのだけれど。
湖に注ぐ小川の横を、松林を横に見ながら、砂利を踏みしめて歩いた。
サンダルでは歩きにくい。
僕の前に、あの白い家が現れた。
まだ、誰も起き出していないのか、静かに朝を待っている。
洋風のその家は、まぶしいくらいに白くて、背後の松林とのミスマッチがまた僕を嬉しくした。
僕は白い家の玄関へ通じる階段の数段目に腰をかけた。
むこうに僕の部屋が見える。
僕の部屋も、緑に埋もれていた。
宿のロビーでプラムソーダを飲みながら、窓の外を見おろした。
あの小川がすぐ下を流れていて、少し奥に、白い家があった。
そのまた奥には、いやに平べったい和風の門構えが見える。
ロビーで知り合った人の話だと、あの白い家は東京から脱サラした60代の人が開いた喫茶店なのだという。
言われてみれば、喫茶店にも見えないこともない。
そういえば、道路脇に、「カレー・ケーキ」という看板が立っていたっけ。
でも、60代ならもう定年してても良さそうなのに、なんで「脱サラ」なんだろう。
僕はちょっとだけ矛盾を感じながら、ソーダを飲み干した。
明日の午前中にでも、あの白い家に行ってみようか。
夕方になり、また夕立がきて、そして去っていた。
僕は絵の具をめちゃくちゃに混ぜたような空の下、西湖のほとりに立った。
向こう岸が見えた。
案外近いらしい。
だけど、向こう側は水辺がこっちとは違ってコンクリで固めてあるらしい。
まるで、蜃気楼を見てるみたいだ。
僕は宿に戻ることにした。
あの白い家に、旅行者らしい中年夫婦が入って行くところが見えた。
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