徒歩、といっても、大した距離ではない。
わたしたち一行は石川門のところで会ったタクシーのおじさんに言われた通り、金沢市長町の武家屋敷跡を目指すことにした。兼六園に行った後に、特にどうするとか決めていたわけでもなかったし、どうせなら観光地を見て周りたいから、これ幸いと従ったのだ。
兼六園を出てからは、暑いからできるだけ日陰を見つけて、歩くようにしているのだけれど、それでもさすがに喉が乾いたので、わたしたちは香林坊のコンビニエンスストアで缶ジュースを買って、再び長町を目指した。
てらちゃんのサンダルが、突然壊れてしまった。止め金が取れてしまったようだ。
「驚いたね、さっきのおじさん、金沢城の人と同じこときいてくるんだもんね」
近くの大きな通りで三人で待っていると、やがてグレーの乗用車が横付けした。
午前一時を回って、わたしたちもすっかり打ち解け、ビール類は一段落して、話に花が咲くようになった。
寝ちゃ駄目だ、寝ちゃ駄目だと言い聞かせている内に、肩に力が入ったまま寝てしまったらしい。起こされたとき、ひどく肩が凝っていた。
寺を拝観するのに、予約がいるとは、全く想像しなかった。
昨日、武家屋敷でおじさんに言われた通り、わたしたちはバスに乗って犀川のちょうど反対側の浅野川に出た。
「やっぱり、このあたりがわたしたちに妥当だよね」
一日目 切符 ¥2,260
二日目 兼六園 ¥300
三日目 忍者寺拝観料 ¥700
四日目 バス代 ¥200
合 計 ¥11、820
Copyright (c) arinomi workshop , 1999
T 厄病神と一緒に・・・・・・
だいたい、七月の終わり頃からどうも調子がおかしかったのだ。
たとえば、語学の前期試験をまんまと寝過ごしてしまった。大学一年の前期からやらかすとは、わたし自身想像もしなかった。幸い、担当の教授がホトケみたいにやさしかったから、これまでに受けた小テストの成績で、単位だけは保証してくれたのだけど、この一件でわたしは確実に寿命を三年は縮めた。
そんなこんなで、ようやく出発までこぎ着けた旅行なのに、こんなところでいきなり足止めを食らうとはっ!
外は相変わらず八月の夏空が湖の向こうの方まで広がって、すっかり止まってしまった電車の中で、何もすることがなくてただ苛立っているわたしたちを、馬鹿にしているみたいにも見える。
浜松からは電車が意外と混んでいて(私たちと同じことを考えて、鈍行旅行する人が結構いるみたい)、座れなかったので、通路に大きな旅行鞄をどかんとおいて、その上に座り込んでいた。わたしは横でふてくされて居眠りを決め込んでいるてらちゃんを見た。ついさっきまで、バイトの家庭教師の予習をしていて、わたしに数学の問題を解かせていたけど、それも終わってしまったらしい。
まったく、信じ難いとはこのことをいうのだ。
わたしたちは金沢の大学に行った高校時代からの友人(というか妹分)のはるなちゃん家に遊びに行くべく、今朝七時四十分東京駅を発った。
財政上、どうしても貧乏旅せざるを得ないわたしたちは、『青春18きっぷ』なるJR全線乗り放題切符を使うから、鈍行をなんとか金沢まで乗り継がなくてはいけない。わたしは計画係を仰せつかってしまったから、大学生協で七月の終わりに切符を買ったとき、一緒にポケット時刻表を買って、乗継ぎの計画を立てた。
東海道線で琵琶湖まで出て、北上するルート。西日本は殆ど来たことがないというてらちゃんは逆に喜んだから、わたしも久しぶりの琵琶湖や浜名湖を楽しみにすることにしたのだったけれど・・・・・・。
目の前には楽しみにしていた浜名湖がちゃんとある。有無も言わせず、ある。
でも、まさか、電車がこんなところで止まるとは、想像つくわけもないじゃないの。昨日までちゃんと運行してたのに、今日に限って豊橋の信号所で故障だなんて。
そうなのだ。浜松でどういうわけだか(鰻ではなく)、昼飯にカレーを食べてから、二度目の乗り換えしてやれやれといったところで、豊橋を前に、信号故障で鈍行列車は立ち往生してしまったのだ。
確かに、通学電車なんかではよくこんなこともあるけど、今日に限っては次の乗り換え、引いては金沢でのバスの時間があるのだ。最終バスには間に合わなければっ。
なすすべもなく、わたしは時計と睨み合いながら、てらちゃんは居眠りをしながら、一時間ほど。
その間中、わたしは法学部なんだからJR東海に裁判起こしてやろうかとか、しょうもないことばかりぶつぶつと考えていた。
そして、車内放送の声と共に、列車はようやくもって動き出した。
てらちゃんはむくっと起き出して、ようやく着いた米原で乗り換えて、ひと息つくと琵琶湖の風景にわいわいと喜んだり、敦賀で夕暮れ前に途中下車したときもアイスクリームなんか買って、旅行を楽しんでた。
高校時代から『腐れ縁』というべきか、比較的仲のいいてらちゃんは、粗忽でおっちょこちょいなところが、わたしと似ていたけれど、決定的に違うのは、彼女が心配症でないというところだろう。
いい加減だけど『心配症』のわたしは、午後九時、予定よりぴったり一時間遅れで金沢に着いて、改札まで迎えにきてくれたはるなちゃんの顔を見るまで、心臓が止まりそうだった。
旅行は三泊四日、まだまだ先は長い。その第一日目から、まったく疫病神でもついてたとしか思えない。
心配症は昔からだけど、それにしたって今日の一件を含めて、この一ヶ月でわたしは確実に寿命を五年は縮めてしまったぞ、きっと。
U トノサマとみぞれ
一瞬、どこにいるのかわからなくて、白く塗ったばかりの天井を見上げたまま、ちょっと考えていたら、はるなちゃんが覗き込んで、
「おはよう、起きた?」
あ、そっかわたしたち、金沢まで来てたんだっけか。
昨日はよっぽど疲れたらしく、高校時代からわたしたちの妹分みたいなはるなちゃんが、意外と慣れた手つきでチャーハンを遅い夕飯に作ってくれたところまでは覚えていたけど、そこから後はどうやって寝たのかも覚えていない。でもまぁ、この様子からすると、しっかり3人でザコ寝だったようだ。まぁ、この貧乏旅行、期待なんかしていないから、これでいいのだ。野宿じゃなくて、食事が出ただけでも上出来。
それにしても、はるなちゃんはわたしに「おはよう」なんていったけど、決して早くはなかった。時計は十時をとっくに過ぎていた。
「今日はどこ行くの?」
朝飯、というか兼昼飯のトーストを食べながら、わたしはきいてみた。
「兼六園行って、それから片町の方、行ってみようよ。片町ってこの辺で一番開けてるとこなんだよ。それに、今日はお祭りやってるみたいだから、きっと賑やかだと思うし」
「へぇ、さすが、地元民って感じじゃん、はるなちゃん」
「うん、なんか、はるなちゃんらしくない」
「なによ、それ、うるさいわねっ」
懐かしい、はるなちゃんの口癖『うるさいわねっ』に、わたしとてらちゃんは思わず、笑いだす。
高校時代、はるなちゃんはどうも一人っ子の典型みたいに頼りなかったから、卒業間際に金沢で一人暮しすると聞いて、わたしははっきり言って驚いた。でも、なんだか料理もわたしなんかよりうまいし、しっかりやってるみたいじゃないの。
高校の時からはるなちゃんの『保護者』と称していたわたしたちとしては、嬉しいというか、なにか一つの時代が終わってしまったような変な気持ちになって、互いに顔を見合わせた。
「あ、そうそう、今日はね、大学の友達が夕方から遊びに来ることになってるから、みんなでボウリングでもしに行こう」
「へぇ、でも、わたしは麻雀やりたいな。メンツ集まんない?」
そういって、最近麻雀にはまっているてらちゃんが立ち上がったのを合図に、わたしたち三人は徒歩で兼六園を目指すことにした。
昨日は気づかなかったけど、はるなちゃんの家は結構金沢市街に近いらしく、ほんの15分ほど歩いたら、兼六園の門のうちの一つに着いてしまった。
わあ、懐かしいなぁ。
わたしがそう言ったら、
「はっちゃん、来たことあったの?」
「ええー、わたしなんて一年ここに住んでるのに、一度も来たことないんだよ」
「はぁ?はるなちゃん、地元民だろぉ?」
「だって、わざわざ来る気もしなかったんだもん」
まぁ、はるなちゃんらしいといえば、らしい。
わたしは高二の夏に、家族旅行で来たことがあったんだ。けど、暑かったことくらいしか覚えていなかったから、初めても同然だった。
わたしたちはいくつかある兼六園の門の一つ、真弓坂で入園料を払った。
へぇ、兼六園って、こんなにいくつも門があるんだなぁ。
「大学の教授が言ってたけど、昔はここ、無料で入れたんだってさ」
だけど、今でも入ろうと思えば、お金を払わなくても入れちゃいそうな雰囲気だ。わたしの方が、こんなんでいいのかなと思ってしまうくらい。
でも、園内はいたって綺麗で、わたしたちくらいの若者が、ホースで水打ちしていた。
「おお、さっき看板で見た灯篭」
てらちゃんが池の向こうをさして言った。さっき、金沢市内を歩いてたら、青い普通の道路標識に、あの灯篭の略絵が描いてあったんだ。
「でも、なんか、イメージと違うなぁ」
「どういうふうに?」
「うーん、ほら、だいたいNHKの中継とかで映るのは冬の雪被ったところじゃん?」
「そういえばそうかも」
灯篭は「徽軫灯篭」といって、お琴の徽軫に似ているからなのだと、これはちょうどそばにいた定期観光バスのガイドさんのお言葉。
「なんだか、こうあっちぃーと、灯篭も雰囲気出ないなぁ」
わたしたち三人は、日向の暑さに耐えられなくなって、日陰を求め、早々に名物の灯篭前を退散した。
それにしても、兼六園内は、絵になるなぁって思うところばかりで、どちらを向いてもそれなりに美しいもんだった。
わたしたちはさっきの灯篭も見おろせる築山に登ってから、暑さに負けてその麓の茶屋でかき氷みぞれを食べた。
緋毛せんに座って、こうやって冷たい氷を食べてると、
「お殿様気分、かな」
「なにそれ」
「いや、加賀百万石前田家でしょ?だから、こう、殿様も緋毛せんに座って兼六園、眺めてたのかなって」
「小姓とか従えて?」
「そうそう」
「悪代官とか回船問屋とかがいて?」
「おいおい、それは時代劇の見すぎだろぉが」
それにしても、猛暑の中、きーんと冷たいみぞれを食べながら、庭園を眺めてると、ほんと、「余は満足じゃ」ってな感じになってしまう。氷が夜店とかのスチロール容器でなくて、普通のガラス皿に金属のスプーンというのも、不思議と嬉しいものだったりする。
結局、わたしたちはその茶屋の日陰で、やたら長いこと「ひと休み」してしまった。
V KANAZAWA RPG
石川門、というのは金沢城の門の一つで、つい去年まで金沢大学の門でもあった。その大学は今は移転してしまっている。
「はい、お二人さん、並んだ、並んだ」
わたしが持ってきたカメラを手に、二人を並ばせていると、つんつんっと肩を叩かれた。
「はい?」
見ると、タクシーの運ちゃん風の中年男が笑って立っている。
「ねぇちゃんたち、どこからきたん?」
「あ、いや」
「わたし、埼玉から」
てらちゃんが愛想よく答えているので、わたしも慌てて、
「わたしは千葉」
「じゃぁ、みんな東京のほうからかい?」
「いえ、わたしはここの・・・・・・」
はるなちゃんが言いかけると、
「三人とも学生さん?じゃぁ、君は『キンダイ』か?」
「はい」
わたしとてらちゃんは、はるなちゃんの袖を引いた。
「『キンダイ』って?」
「金沢大学のこと。『金大』って略せるでしょ」
「なるほど」
「ところで、観光?金沢城は石川門だけだもんな。おう、撮ってやるよ。そこに並びな」
気さくなタクシーのおじさんは、わたしたちを石川門の前に並ばせ、カメラのシャッターを切った。
「ところで、長町の武家屋敷は行ってみたかい?」
「武家屋敷?」
「いえ、まだ」
「あそこは行ってみるとええ。石川門と違って、本格的に残ってるしな」
観光客で賑わう石川門を出たわたしたちは、わたしの持っているガイドブックの地図にしたがって、長町へ向け、県庁方向に歩いていた。
「この辺、金沢の文教地区ってかんじだね」
「どうして?」
「だってほら、県庁とか博物館とかあって、すごく落ち着いてるじゃない」
確かに、この地区は石川近代文学館を初め、感じのある大きな建物が並び、緑も沢山あって、散歩にはもってこいの環境だ。
と、その時、
「なに、あの音?」
わたしが言うと、てらちゃんとはるなちゃんも気が付いたようで、みんなで苦笑した。
そこはもう中央公園である。
そういえば、朝、はるなちゃんが今日お祭りがあるなんて言っていたような。
「カラオケ、ね」
「わたしの方がうまいって」
「それはどうだか」
中央公園には鉄パイプで特設のステージが設けられていて、そこでカラオケ大会が行われていたのだ。
なんとも調子っぱずれな歌謡曲が、さっきの落ち着いた雰囲気に混ざるようにして、大音響響きわたっている。
「なんか、不思議な街だね、金沢」
「どういうこと?」
「ほら、ここみたいに、古いものと新しいものとが、調和してるというか、ゴッチャ混ぜというかしてて」
「そうかもね」
金沢の街の不思議を肌で感じながら、わたしたちはスピーカーがキンキン鳴る、中央公園を抜けた。
長町の武家屋敷は、意外とあっさり見つかった。見つかったというより、長町の町並全体が「ここに武家屋敷がありますよ」といわんばかりの雰囲気を醸し出しているのだ。昔ながらの土塀が並び、それを縫うように、城の外堀の役割もしたという大野庄用水が流れている。
「案外、こぢんまりしてる」
「でもなんか、いい感じ」
わたしたちは口々に言いながら、武家屋敷の門をくぐった。門といっても、普通の民家の門みたいで、確かに年代を感じさせはしたけども、もしこの長町全体が、武家屋敷の雰囲気をしていなかったら、そして、門の横に木製の看板が立っていなかったら、見過ごしてしまいそうだ。
この辺りは金沢藩の重臣の家臣が住んでいたらしい。
開放・展示している屋敷は、重臣であった野村家のもので、いくらかの変遷を経て、現在に至るらしい。
入口で入場券を購入して、靴を脱ぎ、板ばりの廊下を進む。タクシーの運転手さんが紹介するだけあって、やはり観光客が沢山来ている。
てらちゃんはサンダルを履いているから、脱ぐのに少し手間取っていたみたいで、はるなちゃんとわたしに慌ててついて来た。
「うーん、涼しいねぇ」
「うん、確かに」
「このままずっと、こうしてたいなぁ」
「同感」
誰からとでもなく、わたしたちは庭園に面した小さな濡れ縁に腰を下ろした。
ほんとに猫の額ほどの面積ではあったけれど、池もあり、綺麗な樹が沢山植えられていたり、岩が苔むしていたりして、日本人好みのまさしく箱庭だった。濡れ縁の下を、池の鯉がゆらゆら泳いでいる。
木々が落とす影が涼しくて、さっきの祭りの喧噪も忘れて、しばしの休憩とあいなった。「・・・・・・なんだか眠くなっちゃったねぇ」
「うん・・・・・・」
「おーい、てらちゃん、起きてるかぁ」
「・・・・・・」
「ありゃ、本格的に居眠りしてる」
「わたしもちょっと、寝よ」
入口でもらったパンフレットによれば、奥の方に仏間や茶室もあるのだという。だけど、わたしたち三人はそれは後回しにして、ひとまずぼんやりと、ただぼんやりと時間を過ごした。
金沢藩の藩主利家と同じ尾張の出身だった野村某が植えたという山桃が、木々やいくつかの灯籠の陰に見えた。北陸では、山桃は育たないはずなのに、樹齢四百年を数えたという。
この山桃はどんな武士たちを見てきたんだろう。
そんなことを思ったら、後ろで聞こえる観光客の足音も、武士が職務に奔走する足音に聞こえないことはない。
てらちゃんいわく、
「なんか、金具のところ、調子悪かったんだよね」
「だったら早く言えばいいのに」
「でも、どうするの?てらちゃん、靴それだけでしょ?」
「はるなちゃんの家に戻って靴借りたら?」 突然駄目になってしまったサンダルを囲んで、わたしたちは例の武家屋敷の狭い玄関前(ポーチとでも言うべきかな)で、いろいろ策を練った。
なにしろ、わたしたちはとりあえず若いのをいいことに、足が資本とばかりに歩いてきた。これからも歩くつもりだ。
免許なら、はるなちゃんは現在仮免でとてもじゃないけど無理だけど、てらちゃんなら持っている。それでも、レンタカーを避けたのは、いや、わたしが執拗にそれを拒んだのは、彼女がれっきとした『前科者』だからだったりする。つい一週間前にも、先輩の自動車をへこませているらしい。
だから、徒歩が一番安全確実なのだが、履物が壊れたとなれば、これ以上歩けない。
「ねぇ、なにか紐とかそういうもの持ってない?」
てらちゃんの壊れたサンダルを持っていたわたしが、二人に問う。何かその手のものがあれば、応急処置は出来そうだったからだ。すると、
「あ、髪ゴムでいい?それならあるかも」
はるなちゃんが、ショルダーバックをごそごそ探し、やがて紺色の髪ゴムを出した。
「いやー、準備いいねぇ。なんかはるなちゃん、昨日から見直しちゃったよ」
「見直したとは、なによっ」
はるなちゃんのおかげで、てらちゃんのサンダルは辛うじて復活した。
その時、
「ねぇちゃんたち、東京から来たんかい?」
ついさっき聞いたような台詞に、三人一緒に振り向くと、そこにはやっぱりさっきと同じ近鉄タクシーのネームの入ったシャツを着たおじさんが。
「いえ、わたしは・・・・・・」
「でも、凄く、みんな気さくなんだね」
確かに、基本的に金沢のタクシーの運転手さんは、気さくで親切な人が多いみたいだ。
武家屋敷のおじさんは、やはり写真を撮ってくれてから、ついでとばかりに、いわゆる『オヤジギャグ』にしてしまうのはもったいないくらいの、冗談を四〜五発飛ばしてから、軽快に笑って、浅野川周辺や忍者寺に行くことをすすめて、去って行った。
「あのギャグ、おもしろかったね」
わたしが思い出し笑いをしながら言うと、「そう?はっちゃん、一人でウケてるんだもん」
あ、ウケたの、わたしだけだったのか。
「あ、ここ、ここ。この前ね、部活の先輩に教えてもらった店なんだけど」
「うどん屋さん?」
「そう」
はるなちゃんの案内で、金沢の繁華街から横道に入ったところにある小さなうどん屋へ行ったのだ。ここで、少し早めの夕飯を取るのだ。
「わたし、ざるうどん」
わたしがさっさと決めてしまうと、後の二人も従うように、ざるうどんを注文した。
「なんかさ、今日はRPGみたいだったと思わない?」
麦茶を飲みながらわたしが言うと、
「なるほどね、タクシーの運転手さんたちの『台詞』に従って、旅してるって感じだもんね。なんだか、ドラクエみたい」
「明日、忍者寺にも行くつもりだったしね」「明日は浅野川の方にも行ってみようよ」
ざるうどんは『うどん通』を自称するわたしも満足する、美味しいものだった。表面のつるっとして冷たい舌ざわりが、夏を感じさせた。
W 山へ、海へ!
最初、目を開いたとき、自分がどこにいるのか、把握できなかった。じぃっと、考えてから、はるなちゃん家にいることを思い出した。今日の朝と全く同じである。
寝っ転がったまま、壁の時計を見ると、もうすぐ七時を指そうとしていた。
レースのカーテンの向こうはまだ明るい。
どうやら、てらちゃんも、はるなちゃんも起きていないらしい。てらちゃんは茶色いワンピース、はるなちゃんは白いアンサンブルにベージュのズボン、わたしはノースリーブの白いシャツに縞のイージーパンツと、兼六園に行ったときと同じ格好である。
朝ではない。わたしたちは兼六園から武家屋敷と、その日のスケジュールをとりあえずまわって、菊川のはるなちゃんの家に戻ってきたのだ。みんなさすがに、暑さに参ってくたびれていたのか、テレビの『ちびまるこちゃん』が6時に始まる前に横になったまま、寝ついてしまったのだ。
畳の上にザコ寝してしまったためか、背中が痛くて、とりあえず寝返りをうったら、横ではるなちゃんが「うん〜、今何時ぃ?」と寝ぼけた声を出した。
「7時、かなぁ」
「ん、ん〜」
「あ、てらちゃん、起きたぁ?」
「ん、ん〜」
駄目だ、てらちゃんはまだ寝てる。さっきも武家屋敷で一番居眠りしてたのに。
「そろそろ、行こうか」
はるなちゃんが言った。
朝、はるなちゃんが言っていたように、彼女の大学の友だちが遊びに来るらしいのだ。
「じゃ、とりあえず、てらちゃん、起こそうか」
それにしても、よく寝る奴だなぁ。
「こっちの、運転してる方が奥田くんで、助手席の顔の怖いのが斉藤くん」
後部座席に三人で乗り込むや、はるなちゃんが紹介してくれた。
二人とも前の座席だから、あまり顔は見えないけれど、後ろから見る限り、確かに助手席の斉藤くんは、人相が怖そうだ。怖いというより、濃いという感じの子だった。
「ね、ね、ボーリング行こうよ、ボーリング」
はるなちゃんの熱烈な主張で、ルネスという、金沢市郊外の大きなボーリング場へ、奥田くんは運転してくれた。
たぶん、この新車、奥田くんのなのだろう。多少ヒヤヒヤしたけど、てらちゃんとはよりはずっと安全運転だった。
五人で一ゲーム、結果はあまりレベルは高くないけど、てらちゃんがトップで、その次がわたし、次は奥田くんだった。
なんとなくまだわたしたちはぎこちなくて、彼らと打ち解けた感じがしない。でも、なんとなく、悪い子たちではなさそうだなと思いながら、三人で鈴見台というしゃれた名前のところにあるという、奥田くんのアパートに行くことにした。
途中、コンビニでビールやおつまみを買い込み、住宅街に入った。
閑静な住宅街のどんづまりのような坂の上に、奥田くんのアパートはあった。シックな色使いとシンプルだけど飽きの来なさそうな外装の小さなアパートだった。
「これで、家賃五万」
「きれいだ、きれいだ」と騒ぐわたしとてらちゃんに、奥田くんは言った。
中も凄くきれいで、天井が高く、出窓や広いキッチンまであって、一人暮しにはもったいない。
そういえば、はるなちゃんの家も、二間で、キッチンとユニットでないお風呂場まであったっけ。
「わたしのは四万。こいつ金持ちだから」
てらちゃんとわたしの『東京組』は、奥田くんが金持ちとかそういうことではなく、その家賃事情の差に愕然として、顔を見合わせた。
だって、東京の一人暮しの友だち、何人もいるけど、みんな家賃六万とかそれ以上で、もっと狭くて薄汚いところに住んでるからね。 そう言うと、奥田くんは苦笑して、
「ま、ここは田舎だし、それくらいなぁ」
こんな地元の生の話を聞けるとは、ただの観光旅行ではない、転がり込み旅行の醍醐味なのかも知れない。
「高校時代、こいつどんな奴だった?」
「んー、なんか幼児みたいで、ワガママでさ」
「なによっ」
「そうそう、この『なによっ』でいうのが口癖で、みんなで真似して、からかってたの」
「へぇ、いいこと聞いた。俺、これからやろうっと。『なによっ』」
「なによっ」
三人は金沢大学の弓道部員で、奥田くんは和歌山出身の法学部生、斉藤くんは地元出身の工学部生だという。意外と話好きの奥田くんと、顔に似合わず(?)やさしい斉藤くん。
はるなちゃんもなかなかいい友だちを持ってるみたいだ。
「ね、卯辰山の幽霊の話、知ってる?」
はるなちゃんが奥田くんと斉藤くんに訊いた。
「ああ、この前、先輩が言ってた」
「そんな話あるの?」
わたしが訊くと、
「そう、このすぐ裏なんだけどね、夜とか、結構怖いんだよ」
「そうだ、さっきもらった花火、卯辰山に行ってやらない?」
先ほどのボーリング場で、何かラッキーナンバーを当てたとかで、わたしたちは花火を貰っていたのだ。
またもや、はるなちゃんの提案で、わたしたちは今度は斉藤くんの白い自動車に乗り込み、卯辰山を目指した。
鈴見台の、本当に裏、道路が山の方に向けて続いている。
「こっち行くと、刑務所とかで、こっちが水族館」
他の自動車もいない、真っ暗な山道を、水族館方向に曲がった。
金沢ってすごい街かも知れない。
こんな立派な山まであるんだから。
やがて、十分も走らない内に暗闇にぼんやりと建物が見えた。
いわく、あれが金沢サニーランドの水族館、その先を行くとユースホステル、さらに先には展望台があるという。
五人は水族館横で自動車を降り、その場で花火をすることにした。
夏の夜の花火というのは、ただそれだけで心踊るもので、すっかりアルコールは醒めていたけれど、みんなでわけもなく、ひたすらはしゃぎまわった。だから、貰った花火も決して小さなセットではなかったけれど、ほんの十五分かそこらで全部終わってしまった。
「展望台の方、いってみようよ」
花火の後かたづけをしてから、わたしたちは揃って、ユースホステルの先の展望台へ向かった。暗い夜の山道は、コンクリート舗装されてはいたけれど、真っ暗で、街灯の無い薮の方はまるで何も見えない。確かに、これなら何が出てもおかしくないかも。しんがりを歩いていたわたしは、後ろを振り返ってそう思ってから、何故か慌ててみんなを追いかけた。
「むかしはここから金沢の街や城が一望できるもんだから、立入禁止になってたらしいよ」
「ああ、そうかもね。本当に、よく見える」
展望台には先客がいた。まぁ、良くある話らしくて、若いカップルだったのだけど、それはとりあえず放っておいて、彼らの邪魔にならないような場所に、わたしたちは横一列に並んで立った。
木を模した手すりに乗り出して、眼下をみる。木々の間に、金沢の街の光が広がっていた。こんな午前すぎの時間、しかも地方都市なのに、まだかなり明るい。
そんなに自動車で上がった感じもしなかったのに、結構な高度があるらしくて、金沢駅や兼六園、はるなちゃんの家の辺りまで見える。
「すごいとこまで、連れて来てもらっちゃったねぇ」
「うん、良かったぁ、金沢来て」
ネオンがちらちらと動くのを見ながら、そこで一時間ほど、わたしたちは話した。他愛のない話、学校の話、受験時代の話、それから、将来の話・・・・・・。
奥田くんは和歌山出身だけど、将来は地元に戻って、公務員になりたいらしい。とつとつと語る彼なりの将来像を聞いて、わたしはほんの少し、羨ましくなった。あたりまえだけど、同じ大学生、通っている環境は違うけど、それぞれに夢とか将来を思い描いてるんだなぁ。その地方の国立に通う彼の夢が、東京の私大に通うわたしたちには、不思議と新鮮にも思えたのも確かだった。
この旅に出て、得したような気がした。
まだ、星陵高校の辺りを走っているときは起きていた。
「この奥が巨人の松井の出身校の星陵だよ」
というような話を聞きながら、真っ暗な深夜の田舎道を眺めていたのを覚えているし、その頃はまだてらちゃんも起きていた。
卯辰山で夜風に吹かれていたわたしたちは、再び斉藤くんの自動車に乗り込んだ。次はもう勢いで、海に行こうということになったのだ。
わたしやてらちゃんはこの辺の地理に詳しくないから、どこへ行くのかよくわからなかったけど、とりあえず夜道のドライブとなったのだ。時計は見ていないけれど、たぶん、午前三時は過ぎているだろう。今からなら夜明けに間に合うかもしれないという。
「すごいなぁ、海もあるんだ、金沢って」
てらちゃんが感心したように言った。正確には、金沢市の海ではなくその北にある羽咋というところの千里浜に連れて行ってくれるようだ。
しかし、もうすぐ夜明け、さすがのわたしたちも、眠くなってきた。運転してる斉藤くんに気を使って、みんな寝ないようにしていたけれど、最初にやはりてらちゃんが、そしてはるなちゃんまで寝息を立て始めた。しょうがない奴らだと思っていたはずなのだが、わたしの記憶はそこで切れている。
うっすらと瞼を開くと、周囲は既に明るくなりつつあった。夜が明けた、と思ってから、しまった、寝ちゃったと前を見た。
「着いた」
「おーい、着いたぞぉ」
奥田くんと斉藤くんの声に、二人も目を覚ましたようだ。
千里浜の海岸は砂浜が広く、RV車なら乗り入れられるらしいが、さすがにこの時間に誰もいなかった。
ざざぁーん、と日本海の波が打ち寄せ、ひいていくさまは、どちらかというと太平洋岸の海岸の様子に似ていた。
五人は、よろよろしながら、砂浜を歩いた。
「水着あったら、泳ぎたかったなぁ」
てらちゃんがぼやいた。
「この辺り、UFOが見えるっていわれてるんだけど、見えないかな」
はるなちゃんが空を仰いでいる。
運転していた斉藤くんと、つき合って起きていた奥田くんは、黙って海の向こうの水平線を見ている。
わたしはその場にしゃがみこんで、打ち寄せる波の水の粒子を見ていた。
眠気が存在するのは確かだけど、それよりも、広がる海原に、なすすべを持たない、という感じで、わたしたちはただ立ち尽くしていた。
潮風が僅かに朝の匂いをはらみ、わたしたちの背後から朝の陽が迫る。
X 怒涛の観光客
はっと目を覚ますと、またわたしは洋服のまま、はるなちゃんの家の居間に転がっていた。横にはやはり、てらちゃんとはるなちゃんが寝ている。
時計を見ると、ちょうど十二時を過ぎていたけれど、そんなにお腹がすいた感じはしなかった。
今朝、千里浜に連れて行ってもらってから、朝帰りしたわたしたちは、またもや誰ともなく(たぶん、てらちゃんからだと思うけど)ザコ寝体制に入ってしまったのだ。
「うっかり居眠りしそうになったよ」
最後に、斉藤くんがちらりとそう言っていたのを聞いて、背筋が寒くなった。往路と同様、わたしたち三人と奥田くんまで睡魔に堪えられず、眠ってしまったというのだ。田舎の国道は直線が多くて、しかもみんな寝てしまったんだから、さぞかし辛かっただろう。でも、確かに斉藤くんだって眠たくなるだろうけど、居眠りはまずいって。
斉藤くんはわたしたちを菊川のはるなちゃんの家まで送ってくれたけど、その後大丈夫だったかな。少し心配しながら、睡魔に負けて、ザコ寝してしまったのが、午前六時頃。
しばらくすると、はるなちゃん、そして最後にてらちゃんが起き出した。
「忍者寺に行くんだから、そろそろ出ないと」
「そんなに慌てる必要あるの?」
「だって、あそこ、予約がいるんだよ。この前、予約しといたけど」
はるなちゃん家を出て、ぶらぶらと犀川方面に歩くこと、二十分ほど。
古そうな門構えのお寺がいくつも並ぶ中に、ひときわ観光客の多いお寺が通称忍者寺、正式名称妙立寺がある。
外観は小さい割に、高いつまりちょっと高層ぎみの(?)造りになっていた(これが実は二階建てと見せかけて、四層というカラクリになっているという)。
忍者のキャラクターをあしらったみやげ物を置いた店が隣接していたものだから、てっきり加賀藩の忍者ゆかりの寺か何かと思っていたら、そうではなく、内部に沢山の仕掛が造られていることから出た通称だという。
境内の受付で、はるなちゃんが名前を言って、ぞろぞろと続いて入る。本堂で正座して待っていると、観光客が同じようにぞろぞろと入ってきて、やがて銀行員のような制服を着た女性がマイク片手に出席を取り始める。
予約は、内部の仕掛を案内して回るために必要だったようだ。
出席が取り終わると、制服の女性数名に案内されて、わたしたちは団体観光客宜しく、堂内を案内された。
「すごい、この階段『隠し通路』だって」
「この落し穴の仕掛、うちにもほしいなぁ」
「ここから、やりぶすまで刺せるよね」
「やってみたいんでしょ、てらちゃん」
「えへへへ」
迷路のような堂内に複雑な造りの部屋や隠し扉、果ては金沢城までつながっているという井戸まで、数え切れない仕掛の数々に、ひたすら驚いて、はしゃぐしかなかった。
この妙立寺は、加賀藩前田家の祈願所、つまり藩主と密接なつながりがあった寺で、それ故、まるで忍者屋敷のような仕掛が施されているのだという。
建立当時、まだ幕府の目が厳しかったという。百万石の加賀藩が幕府の標的にされかねなかったという話は聞いたことがあったが、その幕府のカムフラージュに、この妙立寺やこの辺り一帯のお寺が使われたという。お寺と見せかけて、武士を起居させる場とし、万が一に備え、こんな妙ちくりんな仕掛を施した・・・・・・。
わたしたちは、その奇抜な仕掛があやしげで楽しんだけれど、加賀藩主の賢明さとしたたかさがその裏には潜んでいるような気がして、最後に背筋をピンと伸ばして、本堂に振り返った。
犀川は川幅が結構あって、仙台の広瀬川のような様相だったけど、浅野川はもう少し狭い川幅だった。周囲の家々が迫っていて、生活の匂いがする。
でも、よく整備してあって、まるで映画のセットを歩いているような錯覚に陥るほど、きれいで情緒ある家並が続いた。純日本風の家並を意識して造ったとおぼしき、木造の橋まで架かっている。
この辺りもどうやらお寺が多いらしいけど、さっきの忍者寺があった辺りとは微妙に雰囲気が違っていて、もっとひっそりしているような印象だった。もっとも、時刻もちょうど夕刻、茜色の陽を受けて、そんなイメージに見えただけなのかも知れない。
木造の橋を渡り、わたしたちはガイドブックでみつけた有名な飴屋さんを探すことにした。が、これが意外とはやく見つかってしまった。
白い厚手の生地に、大きく思い切った字で「俵屋あめ」と書いてある暖簾をくぐって若い女性が二人出て来るところだった。
東京の下町などでもたまに見かける、古い造りの商家の店構え。
「感じ出てるなぁ」
こういう建物が結構好きなてらちゃんは、嬉しそうに写真をせがんだ。
「そういえば、わたしたちおみやげ、まだ買ってないよね」
「そうだった、そうだった」
いそいそと店内に入ると、店のおばさんが親切そうな笑顔で、飴の説明(たくさん種類があって、説明してもらわないとわからないのだ)と試食をさせてくれた。
「このくるみの、美味しい」
風味があって、いままで食べたことない飴だった。わたしが言うと、
「この水飴だったら、料理に入れて砂糖代わりにも使えますよ」
「へぇ」
「この飴は砂糖を使ってないんですよ」
「えっ、そうなんだ」
地元民だから、買う必要ないはずのはるなちゃんまで飴を買い込み、わたしたちは再び浅野川周辺の町並へ出た。
飴屋から少し入ったところに、これまた感じのある(でもどちらかというと、京都の料亭みたいな)門を見つけた。
「ふ・・・・・?」
「ああ、『おふ』だね、味噌汁とかに入れる」
「ふ、の専門店なの?」
「そうみたいだね」
小さな門の横には、木の板に墨書きで「懐石料理」とある。
「いいなぁ、こういうところ。一度来てみたい」
てらちゃんが心底惚れたように言うので、「でも、こういうところって高いよね、今のわたしたちには」
と、水を差すことを言った。
確かに、特急料金もケチるわたしたちには、恐れ多すぎよう。
「うーん、じゃぁ、もっと経って、お金持ちになったら、またみんなで来よう」
またもや、てらちゃんたっての希望で、その店の前で、わたしたちは揃って写真を撮った。
ここに再びやって来るのは、いったい何年後になるんだろうと思ったら、なんだか甘酸っぱいような変な気分になった。
「悔しいけど、同感」
「でも、ここ、美味しいよ」
わたしたちは歩き回ったせいか、どんどん皿が進む。
もう閉店間際と見えて、回っている皿の数はそんなに多くはなかったけど、それをどんどんわたしたちが消費している。
金沢の繁華街の武蔵が辻に戻り、そこから観光名所でもある近江町市場へやってきた。
アーケードというには薄暗く、バラックというには品数も豊富で、金沢市民の生活の匂いがする。
その外れにある、「元禄寿司」という、いわゆる廻り寿司のチェーン店。
夕飯に、わたしたちはそこに入った。
市場もこの店も、閉店準備をしていたけれど、無理やり駆け込み、皿をどんどん空ける。
廻っているネタは、カジキが多かったけど、
「これ、おいしいよ」
「うん、脂、のってる」
「廻り寿司ってこんなに美味しかったっけ?」
三人で廻っていたカジキをあらかた平らげてしまった。
「それにしても、わたしたち、本当にいろんなところまわったよね。主要観光地には行ったし、代表的なおみやげも買ったし」
「うん、なんか『金沢、余すことなく堪能させて戴いた』って感じかな」
「すごい勢いで出歩いたもんね。てらちゃんはよく寝てたけどさ」
「え、そうかなぁ」
「まぁいいけど。さしずめわたしたちは『怒涛の観光客』ってとこだね」
「『ドトウの』か、いいねぇそれ。ぴったりだよ」
今晩は久々に、三人でゆっくり話が出来そうだ。明日にはもう帰らなきゃならないけど、いろいろと日常では得られない何かを、この旅行の間に見つけられたような気がして、すごく愉快な気持ちになる。だから、きっとカジキも一際美味しく感じたんだ。
Y 水平まで碧い海
富山で名物「ますのすし」を買って、それから長野で蕎麦をおやつに食べて・・・・・・。
電車の乗り換え場所と時刻の復唱と共に、何度も繰り返す。
帰りは行きと同じルートではなく、北陸・信越線で日本海側をまわるルートを選んだ。退屈しないために、である。
いよいよ東京に帰る、最終日。
わたしは寝坊しやしないかとひやひやしながら寝たもんだから、予定以上に早起きしてしまった。でも、それはほんの前振りに過ぎなかった。
はるなちゃんがピザトーストをつくり、バス停まで送りだしてくれてから、その日の悪夢は始まった。
バスが進まない・・・・・・。
忘れていた、今日は世は平日、道路もバスもラッシュなのだ。
「間に合うかなぁ」
「ちと、やばいね、はっきり言って」
道路が混んでいて、前に進まない。
ああ、こんなになるんだったら、もっと余裕のあるバスに乗ったのに。早く起きてたんだから間に合ったのになぁ。
と、後悔しても、時既に遅し。
時間は刻々と過ぎ、道路は動かない。
どうして、初日といい、こう交通機関に裏切られるんだろう。よほど、疫病神がついているに違いない。吊革に捕まらず立っていたら、急ブレーキをかけた拍子に、前に立っていた男性の背中に顔面ごと激突するし。
金沢駅に到着し、わたしとてらちゃんは、重い旅行鞄を下げ、コンコースを駆けた。
おかげさまで、最悪の事態にはならず、電車には間に合ったが、走っている途中で鞄の肩かけ用の紐がちぎれてしまった。うーん、気に入っていたのに。つくづく、ついてない。
しかも、予定では富山駅での乗り換えを利用して、名物「ますのすし」を買うつもりだったのに、ダイヤの乱れで富山でその余裕がなくなってしまったのだ。
しかたない。わたしはてらちゃんを促して、途中の糸魚川で、「夫婦釜飯」なる駅弁を買わせ、昼飯代わりにした。
そとには、水平線まで濃いブルーの日本海。
同じ日本海のはずなのに、昨日の朝千里浜で見た海とは微妙に色が違っていた。もっと濃くて、もっと立体的で、もっと胸にくる。
二人で駅弁を頬張る口の動きを止め、しばし、海に見入っていた。
「また、来たいよね」
てらちゃんがぼそっと言った。
また来たい。
これが、どんな旅行でも、きっと最高の感想なのかも知れない。
そんなこと思っていたら、わたしまで、
「また来ようね」
と、言っていた。
旅費一覧
ジュース ¥110×2
バス代 ¥200
氷みぞれ ¥350
ジュース ¥110
ざるうどん ¥450
飲み代 ¥1、000
バス代 ¥200×2
寿司 ¥550
おみやげ ¥1、100
切符 ¥2、260
夫婦釜飯(糸魚川) ¥550
(二人でワリカン)
ジュース ¥110
おやき(長野)¥130×2
峠の釜飯(横川) ¥800
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