第三次隊の報告

事務局長:中村好夫からのメールをそのまま掲載しています。

第二次隊 : 奥西一博(らくなん山の会)、大塚富章(左京労山)、安達正明(西山HC)
5月17日
第三次支援隊の大塚さんから17日昼の12時45分頃、報告がありました。
 昨日は、ビニールハウスの泥だしをし、今日も同じようにハウスの泥だしをしているそうです。昨晩は、、群馬県連のみなさんと京都、そして、石巻労山の岡さんで歌を歌うなど約10名で大交流をしたとのことでした。宿泊先は、岡さんの地域の集会所でお世話になっているそうです。
 京都のみなさんは、今日は集会所に泊まり、明日一番で帰京されるそうです。
 作業したビニールハウスには、津波の当時、犠牲なられた御遺体があったとのことです。

 今日の「しんぶん赤旗」のスポーツ面に5月14日、15日の石巻における救援活動が載っています。写真の右端にいるのは、安達さんではないかと思います。

 6月の京都からの支援ですが、宮城労山は6月19日に総会を準備しており、新田理事長は宮城県連としては、受入ができる状況ではない、とのことです。しかし、石巻労山の岡さんは、「いつでも来ていただいたらうれしい。受入はする」とのことです。
 したがって、6月10日の朝京都出発で、現地では11日から14日まで活動、15日帰京ということにしたいと思います。
 参加のご返事いただいているのは、洛中労山星野さん、WAO亀岡松岡さん、西山HC林謙佐郎さん 準備よろしくお願いします。
 連盟の常任理事からも担当を決めたいと思います。
5月15日
第3次支援隊から午後10時前に報告がありました。今日は、石巻ハイキングロードの整備ということでしたが、朝から道の草刈をし、餅つきをしたそうです。京都からのみなさんも、もちをついたようです。もちは、雑煮にしていただいたとのことです。
 交流山行は、せっかく京都から来たのだからと3時間コースの水沼山、上品山への縦走コースに参加したとのことです。
 お風呂に入ってから、女川に調査に行ったら大変なショックだといっていました。全部何もない、自衛隊だけ言葉もなかった、宮城の一緒に見に行った朋友会の方は、涙ぐんでおられたとのことです。
 宿泊先の石巻労山の岡さん宅近所の集会所では、群馬、千葉のみなさんと交流したとのことです。多くの子どもたちと教員の皆さんがなくなった大川小学校を上品山から見た時、その時の状況がよく理解できたと大塚さんは言っていました。
 以上、概要です。

5月14日
午後8時に、第3次支援隊の大塚さんから報告がありました。
 今日は、1500uのビニールハウスの泥だしをしたそうです。1500uといえば横15メートルの奥行き100mですね。大変な仕事ですが、みなさん元気にがんばったようです。夜は、すでにお知らせしたとおり、明日の石巻ハイキングロード整備の前夜祭とも言える交流会で40名の大集会だそうです。冒頭、宮城労山からは、京都の第1次支援隊が来てもらったことが、宮城の活動の大きな励みになったと強調されたそうです。今回の支援活動には、千葉、埼玉、群馬の労山も参加されているようで、支援活動が広がっていると思います。
 第4次支援隊は、宮城労山の総会が、6月19日(日)にあるようなので、基本的な活動の阻害要因になってはいけないと思い、6月10日からとしたいと思っています。大塚さんに、宮城労山の新田理事長と相談して日程確定したいとお願いしました。
5月13日  本日午後2時に京都労山第3次支援隊、メンバー大塚副理事長、奥西常任理事、安達常任理事は、宮城県の現地(明日の予定は、東松島市)へ京都労山事務所を出発しました。見送り激励には、進藤さんと中村がいきました。

 今日午前中に、宮城労山から第三次支援隊の活動の計画書が送られてきましたので、添付します。
 新たに、14日には、群馬労山、埼玉労山、千葉労山からの合流もあり、総勢55名の大部隊となっています。現地は昨日かきつい雨が降っていたようですが、天気は回復しているようです。
 第3次支援隊からの報告があれば、みなさんにも随時報告します。

 第4次隊の計画ですが、6月に実施したいと思っています。クリーンハイク、搬出訓練があることから、京都出発を6月10日頃か、6月17日頃と思っています。メンバーがそろえば、具体化したいと思いますので、早急に中村まで、みなさんのご都合をお聞かせください。よろしくお願いします。


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