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おたより

2003年7月2日 ウガンダの沼田深雪さんからのメール

沼田さんは国際飢餓対策機構(FHI)ウガンダの代表としてアフリカの大地でたくましく奉仕しておられる方です。彼女がウガンダに赴く直前にお招きしてお話しを伺ったことから、わたしたちは祈りに覚えてきました。彼女は折りにふれて、ウガンダからのレポートを送ってくれます。これもその一つです。

皆様お元気でお過ごしでしょうか。日本も梅雨でしょうか?こちらもまだ雨季です。

ウガンダのプロジェクト地の状況は先月もあまりよくはありませんでした。リラ県の
フィールドオフィスが再びLRAゲリラグループに襲われ、ゲリラがまだ近くにいること
に気づかずにオフィスに来たスタッフの一人が、ゲリラから数百メートルの近さから
寸での所で逃げ延びた、という報告が入ったりしていました。

FHIウガンダのプロジェクト地の約70%の地域で、紛争が問題になるようになってか
ら一年以上がたちました。人間の残忍さ、自分の無力さをまざまざと目の前につきつ
けられた、終わりの見えない一年でした。村人たちや子供たちが襲われ、残酷に殺さ
れ続けるニュースを絶えず見聞きする状況で、平和への希望を持ちつづけるというの
は難しく、そういうゲリラや気性の激しい部族の人々に対して、偏見をもたずにいる
のはさらに難しいことを知りました。政府とゲリラ、あるいは部族間の和平交渉、と
いう記事が度々新聞に載っても冷めた目で見てしまう自分がいました。でも先日、神
様はそんな私に再び希望を持たせてくれるような女性に出会わせてくださいました。

その女性はウガンダのローカルNGO、CECORE(Center for Conflict Resolution)の創
設者、ステラ・サベティさんです。サベティさんはモザンビーク、北アイルランド、
南アジアの国々、ウガンダなどのゲリラグループと各国政府や部族間の和平交渉など
にも関わった経験を持っています。

サベティさんは現在50歳くらいのウガンダ人女性。26年前のアミン時代、マケレレ大
学の学生で、しかも第一子を妊娠中だった時に兵士たちに無実の罪で拷問を受けた経
験の持ち主です。アミンの軍隊の兵士に突然学生ストライキのリーダーという嫌疑を
かけられ、寮のベランダから、下に突き落とされ、殴りつづけられるという拷問を受
けました。

痛みにうめき血だらけになりながら、そのさなかで「このままでは殺される。でも自
分を殴っている人たちはいったいどんな人たちなんだろうか」と考えたのだそうで
す。そしてどうしても兵士たちの顔を見たくなり、それまで顔と頭をかばっていた腕
をほどき、顔をあげてサベティさんが見たものが彼女の一生の仕事を決めることにな
りました。それは今まで見たことのないようなあまりに深い、深い、絶望に満ちた惨
めな瞳だったのです。

その瞳を見て、サベティさんは自分の痛みのためではなく、彼等のために涙が出たき
たそうです。彼等は好きでこれをやってるのではないのだ、彼らは自分と同じような
既婚者で、妻子もいるに違いない、普通の人たちなのだということを、その極限の状
況で理解したのです。そして彼等を逆上させないでどうやったらコミュニケーション
をとることができるだろうか?そのきっかけを作る、自分と彼等の共通点は何だろう
か?と考えはじめたというから、本当に驚きです。その時思いついた質問が、「あな
たの奥さんは昨夜、晩御飯に何を作ってくれましたか?」。その兵士たちの妻と同じ、
彼女も誰かの妻なのだということを思い出してもらうために。

兵士たちはあまりにも唐突な、思いがけない彼女の質問に不意をつかれ、気でも狂っ
たかと思ったにちがいありません。それでも彼女が同じ質問をし続けた結果、兵士た
ちは少しずつ人間性を取り戻されられていきました。驚くべきことに、最終的にはサ
ベティさんは彼等とまるで友人と話すように、一緒に笑いながら、冗談を言い合って話す
まで関係を築くことに成功したのです。

以来、彼女は様々な紛争解決に関わることを自分の仕事にすると決めたそうですが、
その時の経験から彼女は政治家たちやゲリラのリーダーたちを前で、踊ったり、笑っ
たり、冗談をいったりすることを恐れないのだそうです。もちろん、交渉、紛争解決
のプロとして、様々な理論やテクニックは心得ていますが、彼女の基本姿勢は一人の
人間として一人の人間と関わるということ。「どんなゲリラグループであろうと、残
酷なことをする部族同士だろうと、彼等はあなたや私と同じような人間です。誰で
も、必ずうまれた時から良い心を与えられていることを信じているから恐れないで話
ができるんです。」

実際、ある反政府ゲリラグループと政府との交渉のプロセスの中で、サベティさんが
政府とゲリラの代表者たちに、面子を保つ、相手を立てる、Win-Winという交渉の大切
さを伝えるために使った例話は、あるクリスマスの時のサベティさんと御主人の夫婦
喧嘩。それが双方の代表者たちの共感をたいそう得たとか。結局所詮は人間同士、小
難しい理論より、普通の夫婦の喧嘩のたとえが一番みんなの心を動かしたっていうの
はとても面白いと思いませんか?彼女はその和平交渉プロセスに関わって、最終的に
はゲリラグループの武装解除に影で大きな貢献を果たしたのです。

彼女が心をこめていっていました。「誰でも、みな生まれた時はPeace Making(平和
を作り出す)の能力を持っていたと信じています。それが、成長するにつれていろんな
周りの影響でみんな忘れてしまうんですね。私がやっていることは、その能力をみん
なに思い出させることだけなんです。だから誰でもPeace Maker(平和を作り出す者)
になれると私は信じてるんですよ。そして、奇跡は起こるのです。」

政府とゲリラとの和解、という大きな仕事を成し遂げたサベティさんだって、御主人
とは、ぱっぱか口喧嘩してしまったりする普通の人。彼女は「危機」という漢字を使
ってCONFLICT、意見の衝突、争い、が悪いものではないことを強調していました。
「危機」は扱い方によって、「危」険にもなり、より深い理解、成長の「機」会にも
なるものなのだと。

平和はごく普通の人である私たちが、争いの根になる「意見の衝突」「文化の違い」か
ら逃げたり、否定的なもの、避けるべきもの、恐れるべきもの、と見るのではなく、
それをより深いお互いの理解への機会として受けとめる勇気を持つことから始まるよ
うです。私たち一人一人には、神様から「Peace Maker(平和を作り出す者)」として
の能力がすでに与えられているのですから。

「平和をつくるものは幸いです。彼等は神の子供たちと呼ばれるからです。」マタイ
の福音書5章9節
今月も、皆様お一人お一人のお心のうちに、また生活の場に平和が作り出されていき
ますように。

シャローム

沼田 深雪

2003年5月26日 ウガンダの沼田深雪さんからのメール

主の御名を賛美いたします。
 皆様お元気ですか。
こちらは雨季です。ダイナミックに雨が降るのを見るのは、ちょっと怖く感じる時もありますが、気持良いものです。もちろん自分が建物の中にいる時ならば、という条件つきですが。町の道路のあちらこちらで水があふれてしまうので、雨が降っている間はあまり車も運転もできないほどです。
 先々週、FHIウガンダの過去2年間の働きの総合的な評価を行いました。アフリカ地区ディレクターや4人の支援国の代表の方々をむかえ、全FHIウガンダのスタッフたちとの話し合いを持ったり、2チームに分かれてプロジェクト受益者の方々へのインタビューなど、慌しく過ぎていきました。今回評価の対象になったのは、プロジェクトを
始めて4年目のムコノ県のブンタバ村と、5年目のカプチョールワ県のカプテレールワ村でした。
 ブンタバ村はカンパラからわずか1時間ですが、カプチョールワ県のカプテレールワ村は数ヶ月前にご報告したとおり、たかだか430kmを8時間から12時間かけてようやくたどり着く、ケニアとの国境の村です。しかも今は雨季。公共交通機関を使えばたいてい2日がかり。今回は私はカプテレールワ村の評価チームに入ったため、その村を支援している某国のFHIスタッフ、アフリカ地区ディレクター、カプチョールワ現地スタッフ、ドライバーの5人でFHIの車で移動しました。

 雨でどろどろになった個所で何回も車がはまってしまいそうになったのは言うまでもなく、大雨で橋が流されてしまった川の中を渡り、土砂崩れで半分道が埋まってしまっている崖っぷちを乗り越え、半分壊れかけている橋を渡り、おまけにカラモジョング族が数時間前に村を襲撃して逃げたばかりで、まだ人々が騒然としている村の中を通ったりしながら、それでもカンパラからたったの8時間でカプテレールワ村に着くことができたのは本当に奇跡でした。しかし、カプチョールワ滞在中に雨が降り、もと来た道が完全に不通となってしまったため、帰りはケニア側に一旦出て別の国境検問所まで行き、ウガンダに再入国してカンパラまで戻って来ました。
 こういう旅に慣れていない某支援国オフィスのFHIスタッフやアフリカ地区ディレクターにはお気の毒でしたが、私や一緒に車で移動した現地スタッフたちにとっては公共交通機関を使う旅より体力的には遥かに楽な旅。私を疲れさせたのは、そういった旅ではなく、また評価のプロセスでもなく、その村を支援している支援国オフィスと
現地オフィスとの支援への考え方の違いが浮き彫りにされ、話し合っても、なかなか進展が見えなかったむなしさでした。
 小さな例をあげますと、今回議論になったことの一つに、教科書の問題がありました。カプテレールワ村の小学校に教科書が足りていない、ということを知った支援国オフィスのスタッフはFHIウガンダの世界里親会プログラムは5年の間いったい何をしていたのか、といたく憤慨していました。世界里親会の多くの里親の方々にとって、自分の支援する里子が、「今、このとき」どのような直接の支援を受けることができるのか、ということが最大の関心であり、その里親の方々から一番最初に支援金をお預りする支援国オフィスは里親の方々に対する報告義務がありますから、その方々の意向を第一に考えるのは当然といえます。ですから里子たちのいるクラスに「今、このとき」教科書もろくにないようでは、里親の方々に顔向けできない、とその支援国オフィスのFHIスタッフが怒る気持もとてもよく理解できます。
 しかし、コミュニティと共に働くFHIウガンダのフィールドオフィスは「今、この時」という視点よりも、プロセスで物事を見ています。カプテレールワ村とFHIの間ではいろいろ問題があったので、ようやく昨年からコミュニティがFHIと共に教室建設に取りかかるようになったのです。現在は2棟目の建設に入っており、私たちが評価を行っていた時には、FHIの支援なしに、コミュニティにある現地の材料や、村人たちの寄付金だけで教室の壁が屋根の高さまで作られていました。2年前の村の状況を思いながら、私は村人たちの力だけで建てられている壁を、深い感慨を持って見たのでした。
 もし、FHIウガンダが(大量の資金があったらの話ですが)、今の里子たちのことだけを考えて、村人たちの協力的な意識や、自分たちの村に対する責任感が出てくるのを待たずに、教室や先生の宿舎や図書室をFHIウガンダのペースで建ててしまったら、どういうことになるでしょうか。「今、このとき」里子たちはもちろん恩恵を受けるでしょうが、学校やコミュニティがFHIにおんぶに抱っこ、の状態を作り上げてしまわな いでしょうか。子供たちの教育に対して自分たちこそ責任があるのだと、この学校は自分たちが子供たちのために建てたのだと誇りを持って言えるでしょうか。FHIが数年後にこの村から去っていったら、彼等はどうやって問題を解決していくのでしょうか。
 それと同じように学校に教科書をFHIウガンダが買い与えるのは簡単です。「今、この時」里子たちは恩恵を受けるでしょうが、学校にその教科書を管理する能力がないうちに与えれば、一年を待たずにほとんどの教科書が盗まれて、なくなっていくでしょう。かといってFHIウガンダは公立の学校と共に働くので、公立の学校をFHIが支配し、コントロールするわけにはいきません。話し合い、助言し、彼等と「協力」しながら、システムが整うまで「待つ」ことも大切なプロセスですし、なにしろFHIウガンダにだって一度になんでもする資金もありません。コミュニティの方だって、一度に何もかもするキャパシティもありません。一番大切なことから、できることをやっていく。それはコミュニティによってはとても時間がかかります。
 ということはもし、本気で村人たちや学校とFHIが協力して働こうとするならば、「今、この時」里子たちは、その支援国の里親の方々が里子に受けて欲しいと願う、いろいろな益をすぐには受けることができないかもしれないということを意味します。村の人々の意識の成長のペースは、FHIの計画と同じペースとは限らないからです。(もちろん学費や医療費といったような、プログラムが里子たちに確実に保証する益はありますが。)またFHIウガンダ自身もこのような辺境地域では特にたくさん失敗を重ね、施行錯誤してきたので、やっとここまで来れた、というプロセスを思ってみていますが、里親の方々に対する説明義務のある支援オフィスのスタッフにとっては、FHIがこの地域に入ってもう5年目という「現時点」という視点から見て、なのにまだこの状態では、とかなりがっかりされたようでした。
 こういった説明を、その某支援国オフィスのFHIスタッフにした後、私は「こういうプロセスを、ご理解していただけるように里親の方々に説明して下さい」とお願いしました。そのスタッフは「説明はしようと努力しているが、私の国では口でいくら説明してもアフリカの状況は想像を超えてしまっていて、理解してもらえないことの方が
多いし、下手すれば、それなら(里子にもっと直接いろいろな物をあげるような支援をする)他の団体に行くと言われてしまう。」と言いました。
 6カ国のFHIの支援国オフィスから支援を受けているFHIウガンダの世界里親会プログラムを見ていると、それぞれの支援国の支援者の開発ということに対する意識が支援国オフィスに影響を与え、また支援国オフィスの開発ということに対する意識、支援のやり方ががフィールドの活動にそれぞれちがった影響を与えているのが見えてきま
す。また、FHIウガンダは多くの失敗、施行錯誤をしながらやってきたので、FHIウガンダのやり方が正しいとは断言などとてもできないし、外部からきた方々、支援してくださっている方々の客観的な助言を取り入れていくことはとても大切なのはいうまでもありません。
 ただ、今回の評価プロセスは、特に「現地の受益者の方々や、現地のフィールドスタッフが、自分たちやFHIに対してどう思って(理解して)いるか」ということにことさらに重点をおいた参加型手法だったのに、表面的に評価方法を変えるくらいでは、支援する側がされる側を、本部オフィス側がフィールドオフィス側を評価する、という従
来の方法からあまり抜けられなかったのではないかという思いがぬぐえません。まあ考えてみればどんな組織でも、それぞれの機関の担当者の意識まですぐに変わるわけではないので当たり前のこと、それこそゆっくりとしたプロセスなので、ここでも「待つ」ことが必要なんだなあと再認識。
 受動的に「待つ」だけではなく、その組織の変化に貢献していくためにはどうしたらよいのか。どうしたら、支援国オフィスとフィールドオフィス、フィールドオフィスと現地の村の方々、援助する側とされる側という一方通行ではなく、「お互いに」影響を与え合うようになる、言葉だけではないパートナーシップ、「協力関係」となることができるだろうか。大きな宿題が置いていかれたような気がしています。
ながながと書いてしまいました。お体に気をつけてお過ごし下さい。
主にありて 沼田 深雪

6月3日の続報

頌主

再び沼田です。先日、FHI/ウガンダのプロジェクト地のうち、ムコノ県のブンタバ村
と、カプチョールワ県のカプテレールワ村の2箇所を選んで、FHI/ウガンダの総合的
な評価をおこなった時の報告を送らせていただきました。ブンタバ村は私が99年から
プログラム立ち上げ段階からずっと関わらせていただいたところだったので、本心は
そちらの評価のほうに興味深々だったのですが、私自身はカプチョールワ県の評価に
参加しなければならなったため、ブンタバ村の方の評価に参加することはできません
でした。

私が行くことのできなかったブンタバ村の評価チームにエチオピア駐在の森田哲也ス
タッフが参加し、彼の5月の月間報告の中でその時の様子が報告されていました。皆
さんにもおなじみのブンタバ村での評価の様子がとても興味深かったので、森田スタ
ッフの了解のもとに御参考までに送らせていただきます。

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『滋賀県立琵琶湖博物館館長の川那部浩哉さんは、「サステナブル・デベロップメン
ト:持続的開発」のほんとうの意味が、「正しい状態を保たせ、ゆっくりと展開させ
ていくこと」にあると指摘しています。この場合の「正しい状態」とは「価値や正当
性を擁護する」「失敗したり落ちこんだりしないように支持する」という意味を含ん
でいます。この言葉は本来、みずから持続可能なライフスタイルを体現している人達
が「ゆっくりと展開させて」いって、はじめてそれが可能になるという、「開発」や
「成長」の主体のあり方が問われる言葉なのです。』(上野圭一著、「代替医療」よ
り抜粋)

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「聴く」ということは日常生活で欠くことの出来ない重要な行為ですが、それでも私
達が「今日はちょっとしゃべりすぎた」ということはあっても、「今日は聴き過ぎ
た」と反省することは稀です。今月は、昨年9月エチオピアで実施されたプロジェクト
評価に続き、FHIウガンダの評価チームに参加。まさにプロジェクトの受益者の声に、
徹底的に耳を傾ける貴重な時間を過ごす事ができ、しっかり「聴く」ことに慣れてい
ない自分を反省しました。

首都カンパラから車で40分ほどのところにあるブンタバ村。4年前から貧しい家庭の
子供達の教育支援をしているプロジェクトを訪問。一年前に日本のお客さんと共に訪
れた村でした。FHIが入ったことでどんな変化が村、リーダー、そして家庭の中で起き
たのか、どんなチャレンジがあるのかといったことに加え、FHIにとって改善すべき点
なども質問として上げられました。もちろん、いきなり外から来た人に対して「これ
は良くない」といったネガティブな返答は、村の人々はしないものですが、これもこ
ちらがどう質問するかによって徐々に打ち解け合ってくるものです。

そして、何よりも村人たちが質問されていくことで自信をつけていく様子も伺えまし
た。とかく私達は「この村にまだどんな問題があるのか?何が出来ないのか?」とい
ったことを聞き出す傾向がありますが、逆に「あなた達は村の向上のために何をして
いますか?どんなことが得意ですか?」といった質問から、答える内容よりも会話の
プロセスで自らの可能性に視点を移すことが出来、やがて聴かれる立場の人々が元気
付けられるのです。

村ではちょうど1年前、現金収入を得るための養鶏グループが結成され、当時は生産
性の高い新種の鶏や農業専門家を連れてくるのではなく、在来種を少しずつ育てる練
習を自分達で始めたところでした。鶏の数も5、6羽だけで卵も毎日2、3個程度だった
のを私も覚えています。そして、今では毎日60個ほどの卵を生産するほど活動とな
り、販売利益をすこしずつ貯めているところです。これは、FHIが新しい技術などを持
ち込まずとも、ゆっくりとした村人の成長を待っていたことで、少しずつ経験を積み
そしてこれからも「続けていく自信」をつけていったと言えます。養鶏専門スタッフ
を雇い入れ、農業活動部門をプロジェクトに設置しても効果はあったかもしれませ
ん。しかし、逆に村人の生産性向上に比例してFHIへの依存性も更に高めることに貢献
していたかもしれません。いつまでたっても自立できない状態、FHIがいなかったら活
動を続けない村組織を生み出していたかもしれません。

発展途上国における国際協力のスタイルは依然として「するモード」。結果がすぐに
見えるような建設作業をする、プログラムを計画・実行する、技術を与える、専門ト
レーニングをする。なんでも「する」。数え上げたらきりのない村の必要の中で、果
たして外部者である私達が何かを「するモード」で入る時、村人達の「参加」などは
ただの建前にしか過ぎません。NGOが新しい活動を始める前のお決まりの儀式であり、
やがては剥がれる金のめっきのようなもの。数年後の「持続性」が問われます。しか
し、人々が経験を通してしっかり自信をつけていくのを見守り、適度な助言・支援活
動に留める時、そこに「待つモード」の活動スタイルが生まれ、人々の成長に合わせ
た協力の可能性が見えてくるのです。しっかり精錬された金が時を経る毎に輝きに深
みが増していくのと同じです。

ゆっくり、しかし確実に成長する農村への支援に関わる時、私達はつい「しゃべりす
ぎ」そして「やり過ぎ」となります。これからは「聴き過ぎた」「待ち過ぎた」と反
省できる支援スタイルが求められます。これは、明日の行動予定(すること)が詰ま
っていないと落ち着かない文化にある日本人にとっては至難の業。でも、「聴く」時
間を意図的に増やすこと。これは日本でも今から誰もが始められる「形を変えた支
援」のひとつです。

在主

森田 哲也


2003年1月8日 沼田深雪さんからの年賀メール

明けましておめでとうございます。
日本はとても寒いとのこと、皆様いかがお過ごしでしょうか。
昨年末からようやくゲリラ活動が制圧されつつあり、悲惨なニュースを聞く頻度が減ってきました。ただ、どんなにゲリラグループが弱められていても、リーダーがいる 限り、また数ヶ月、数年の内にぶり返す可能性は否めません。現在政治的に協定を結 んで、ゲリラを支援しないと約束している国やグループが、将来ウガンダ政府に対抗 するためにLRAを再び支援を開始することも考えられなくはありません。が、今は とりあえず、ほっとしています。

昨年も、とくにこの北部の緊急事態から多くのことを学ばせて頂いきました。

一つは、人間の残酷さ、ということ。人間はどこまで残酷になれるのでしょう。なぜ、子供たちが誘拐され、人殺しをさせ られ、挙句の果てにはエイズや戦闘でゲリラとして殺されなければならなかったので
しょう。なぜ人々が、意味もなく、耳や鼻を切り落とされたり、銃やなたで殺されたり、生きたまま焼き殺されたりしなければならなかったのでしょう。

しかしこの残酷さはアフリカだけではなく、日本のニュースを聞いても、世界のニ ュースを聞いても世界共通の問題であることも感じています。そして特別な人々だけ がもっているのではなく、ごく普通の、一人一人の人間の中に潜んでいる問題でもあ ることを。

二つめは、私の能力と経験の無さです。
もちろん、それは始めからわかっていたことなのですが、今回はまた改めて目の前に つきつけられました。緊急援助を行うためには、団体や政府機関から援助資金が必要 になってきます。しかし、そのためにはいろいろな意味で非常に政治的な?あるいは 営業的な?能力が問われます。そして、実際に活動を行うさいにも、政府や国連、他の NGOとの連携が不可欠です。

それは緊急援助とは無縁だったFHIウガンダにとって、その団体内部だけで仕事をしてきた私にとって、何から何まで、手探りで暗闇を歩く経験でした。このことに関 しての自己評価は客観的に見て、「ほとんど何もできなかった」というしかありません。

三つめは援助団体としての限界です。
現在国際的なニュースになっていてファンドも集まりやすい緊急援助には積極的で も、ウガンダ北部のケースのような、国際社会の政治的関心がない、すなわちファンドが集まりにくい、しかも終わりのない内戦地帯の援助、つまりは援助しても、再度 の戦闘でもとの木阿弥になるので、援助する側から見てお金の無駄になる可能性の高 いと思われる援助には、団体は介入にとても消極的になるということを経験しまし た。それがたとえ現地事務所があり、すでにプログラムが活動しているところに緊急
事態がであってもです。

それは単に戦闘が続いていて危ないからとか、FHI/ウガンダに大規模な援助活動 の経験がないから、という問題以上のことであって、そのことは十分理解できることではありますが、現地にいるものとしてはやはりつらいものです。

私自身、現地代表としてウガンダの災害対策省や他のNGOから、FHI/ウガンダは何もしないのか、といった圧力を感じて肩身が狭い思いをしましたが、キトゥグム県やリラ県にいるスタッフたちはもっとつらい思いをしたと思います。同族の人々が一番苦しんでいたときにほとんど何もできなかったのですから。。。。

そして4つ目は「ユーモア」「笑い」の大切さです。これは今に始まったことではなく、ウガンダにきてからずっと感じていることで、状況が難しく、大変になればなるほど、その重要性をますます感じます。FHI/ウガンダのスタッフたちも、私もよく冗談を言い合って笑います。たまにカンパラのオフィスで、大声で笑うスタッフたちの声が聞こえるとき、本当に嬉しく思います。シニア・マネージメントの会議でさえ、熱い議論を戦わせるときもあるかと思うと、次の瞬間にはみんなで爆笑していることもあります。数日前は私がその朝ちょっとどじをしてしまった報告をしたので、マネージャーたちに大笑いされました。北部のスタッフたちなどは、時にはゲリラさえ「ネタ」にして、笑っていたりします。
でも、それでもフィールドにいると、言葉や文化の違いのストレス、また孤独な状況に置かれることが多いし、面白いテレビ番組がそんなにあるわけでもありません。誰か(何か)に笑わせてもらうのを待つ、と受動的でいると、何ヶ月も笑わない状態におちいってしまいます。
だからこそ、相手や、状況、物事を楽しむという能動的な精神が必要不可欠なのですが、状況が難しくなればなるほど、あるいは組織での責任が増えれば増えるほど、それを保つのは本当に至難の技になってきます。日本の社会でも、きっとそれは一緒ですよね。

難しい状況で、まわりにいる人々や状況を楽しむためにはどうすればよいのか?それには「不完全」な(ありのままの)自分をまず受け入れ、「不完全」な状況・人、「不完全」な組織であるFHIを通して神様は「不完全」な私に様々な訓練をさせてくださっているということを受け取ることから始まるのだと、くりかえし、くりかえしウガンダで教えられています。

「どうしてこんな上司(部下)が、どうしてこんな状況が、組織が」ではなく、「だからこそこの上司(部下)が、だからこそこの状況が、組織が」私を砕き、成長させるために、神様からスペシャルプレセントとして与えられているのだと、感謝を持って受け取るということを。またそれは「神の国は実にあなたがたのただ中にある」ということを頭の理解だけではなく、体験させていただくということであることを。
(それなしには、とげのある、毒を含んだ「せせら笑い」「自分や相手を卑下した笑
い」になりかねません。そういう笑いはかえって、じわじわと心を病ませていってし
まいます。)

2003年、FHIウガンダは難しい問題をいろいろ抱えつつスタートしました。まだ今年になって10日しか経っていないのに、すでに泣きたくなるような思いもしていますが、きっとたくさんの笑い・喜びも、神様は用意してくださっていると確信しています。
神様がユーモアのある方で本当によかった!神様は思いがけないところからジョークを飛ばしてくるので、逃さないようにしたいものです。

皆様の御支援、お祈りに深く感謝しつつ。
主にありて

沼田 深雪

2001年10月9日 「みやん」さんからの便り

荒瀬先生

デューク神学校のサイトに
ハワーワスの「対米同時多発テロ事件」
2日後の祈りが掲載されていましたので、
こちらにも載せておきます。
(もう見られたかもしれませんが・・・)
ここにある真実さに、僕は心を打たれました。

11月には共立基督教研究所のシンポジウムの
スピーカーの1人として御茶ノ水で話すことに
なりそうです。ただ、何を話すべきなのか、
悩みが尽きそうにないのです。

先生のサイトにもあったように、僕も、
今回の爆撃に痛みを覚えました。
東南アジアでもマレーシアが抗議し、
インドネシアも「遺憾」の意を表明しましたね。

今朝、読売新聞を買いました。読売は
かなり攻撃賛成に傾いてはいるのですが、
随所に懸念の声や痛みの声があがっていました。
そして、カラー写真のページの
繁栄を極めたNYの大きな画面に映る大統領と
廃墟の町カブールからさらに逃げていく人々の姿
その二つの写真が並んでいるのを見て、
「前者が被害国、後者が加害国」という見方が
いかにもブラックジョークのように見えました。

アメリカのアジア地域研究は冷戦期に軍との
深い結びつきによって急速に発展しました。
アメリカのアジア地域研究は世界に名だたる
もののはずです。しかし、やはり、剣に始まり、
富におぼれた研究は、国に真実な指針を
与える力とはならなかった、そういうこと
なのでしょうか・・・。

最近アフガンに関わっている方々の
いくつかの言葉に触れるようになって、
この国が抱えてきた深い闇と痛み、
そして、これを利用し、都合よくあしらい、
用がすんだら放置する大国の横暴を知りました。
癒すことを中心に据えないで、
正義も平和も自由もない、と思わされます。

NYの出来事で愛する者を亡くした人々と
ミンダナオやパレスチナやニカラグアで
愛する者を亡くした人々の姿が
重なってくるような見方が必要だと
思います。背景が違うにしても・・・。
不正や暴虐は、貿易センタービルに先月
突然現れたのではない。これまでも、
世界中で、悲しいほど当たり前に
存在していた。そのことを忘れてしまうほどに
世界の現実と切り離されて我が世を
謳歌してしまってきたこと自体が、
われながらとても恥ずかしいと思います。

イスラム世界の近代史を、
これからしっかりさらってシンポジウムに備えます。
『文明の衝突』も嫌だけれど読まざるを得ません。

では、おしゃべりが長くなりました。
以下ハワーワスの祈りです。

主にあって

みやん

Stanley Hauerwas, the Rowe professor of theological ethics,
wrote this prayer two days after the terrorism attacks
in New York and Washington.

"Prayer after the Destruction of the World Trade Center"