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呑気のすすめ
 私は障害児の親としては、いたって呑気です。ある障害児の親御さんが集まるサイトの掲示板を覗くと、「うちの子は○○という検査でいくつの数値が出た」とか、「××という訓練法がどうだ」とか、「△△先生の著書はどうの」とか・・・・皆さん、お子さんの障害に真正面から取り組んでいるんです。 ご存知のとおり、私ときたら自分の趣味にうつつを抜かして彼の障害についての勉強をしたのは最初だけで今は殆どしていません。 だって私、毎日そんな事ばかり考えていたら滅入っちゃってダメなんですよ。それに孟母三遷ではありませんが熱心な親御さんは西に良い療法があれば西へ、東に名医がいれば東へとフットワークも軽く海外までいらっしゃる方がいるのに対して私は家から通える範囲というのが大前提なんですよね。

 呑気?甘え?無責任?逃避? 私はさんざん自問しました。でもね、私の育て方はけして悪くないと周りの方が評価してくれるんです。

 もちろん、療育といものに何を望むか、障害のある我が子の将来像を(漠然とでしかありませんが)どんな風に描いているかによって親の行動も変わってくるでしょう。そういう意味で私は「健常者に近づく事」よりも「周りの人から好かれる人間になる事」を大切にしたいと思っています。結果論のようですが、今現在、彼は人気者に育っていて専門家も含めて大勢の方から、お母さんの対応が良いからだと言ってもらえるんです。対応って言ったって最初に言ったように呑気に構える事がそれなんですから、何もしてないのと同じなんですけどね(笑) ただ私がこだわっている唯一の事は「笑顔を大切にする事」その事だけなんです。てっちゃんの笑顔はもちろんですが、自分の笑顔、そして家族の笑顔を大切にしているんです。無理をしない事。犠牲は最小限にする事。結果的にこれはてっちゃに負担をかけないという意味でも、とても大きかったんじゃないかと思っています。 

 まーくんや、ふっくんは、今までのてっちゃんの発達にとって欠かせない大切な存在でした。(もちろん、親にとっては無条件で大切な存在である事は言うまでもありません)そして将来、親が頼りにならなくなった時に一番の理解者であり支援者となるのも兄弟であると思うのです。兄弟が仲良く協力しあって生きていってほしいと思えばこそ、今てっちゃだけに手をかける事は得策ではありません。

 人間、誰でも欠点があって人々はお互いにそれを補いあって生きているじゃないですか。普通の人はそういう相互扶助の人間関係を自分で築いていきます。しかしてっちゃんの場合はそういう事こそが一番の苦手ですから親の私が彼に代わって彼の理解者や援助者を増やしいていかなくてはなりません。そして、てっちゃんに限らず親として子供を育てる上で何より大切な事はそいう相互扶助の関係を気持ちよく続けられる(多くの人から好かれる)人間性を育てる事なんだと思っています。てっちゃんだって助けてもらうばりじゃなくて人に安らぎを与える言う素敵な特技があるんですよ(笑)

 最近、ある方から頂いたメール中に「(心理関係の)先生からお母さんが楽しんでいなければお子さんは伸びませんよと言われました」というのがあって、また一つ自信を持ってしまった私でした。「母親の笑顔は全ての教育法に勝る」なんてね(笑)
 
 呑気にいきましょう。 自分の楽しみを犠牲にして子供の笑顔を消してまで親が一生懸命になったって子供の負担になるだけです。 無理はどこかにしわ寄せが来るもんです。自然体で、のびのび明るく育てましょうよ。あっ、これって躾をしないと言うのとは別の話でからね、念のため・・・  (May.200 1)