1998年 11月 5日
 午前中、保健所に行って県内のホスピスの情報を聞いてくる。受付けに担当の人が居ず、何人かの人が「ホスピスだって、わかる人いる?」と声高に言い合っているのに多少抵抗を覚えながら待つ。ずいぶん待たされて担当の人らしき人が小さな紙切れ差し出しながら「ホスピスは県内にはここだけなんです」と言ってやってきた。ホスピスの情報を知りたいというだけで、こちらの状況を理解してくれていそうな感じのよい話し方に少しほっとする。朝霞からの距離の事など暫く会話した後、礼を言って帰ってくる。帰宅すると、すぐにその病院に電話してみる。始め、自分が、あまりに、しっかり事務的に話しができる事に自分で戸惑ってしまった。しかし、余命の話になったとたん涙が込み上げて声を詰まらせる。そういう家族の動揺にも慣れているようで、やさしい対応をしてくれる。電話を切ってすぐ、情報をお母さんに伝える。

 だんだん落ち着いてくるのがわかる。ああ、きっと無力感なんだな、やりきれない思いというのは、と思う。大切な人が死んでしまうというのに何もしてあげられないのは、とても悲しい。病気を治してあげたい。今すぐ飛んでいって抱きしめてあげたい。そんなことまで考える。やがて癌が、お父さんを苦しめるであろうと思った時、癌をこんなに憎たらしいと思ったことのない自分に気付く。親の仇というけれど、まさにこれ以上憎いと思ったことがない。自分の両親より遥かに高齢で夫婦そろっている人達に嫉妬を感じてみたり・・・・そんな思いも一瞬、悲しみを紛らわせるが、むなしいだけ。そんな中、お父さんの為に私のできる事はないかといろいろ考える。ホスピスを調べることも、自分への癒しなのだと思う。お父さんに、よく似ている私はやはり待つことが下手だ。じっと見守る事なんて出来ない。
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