質 疑 応 答

メールで頂いたご質問等への管長山蔭先生の回答を掲載致しました。
【質問者】 k k 様
【日  時】 平成14年9月21日
【ご質問】
 担当者さまはじめまして。HP拝見させていただきました。
 神道にも大変興味をもっていて、山陰氏の本も読ませていただいた仏教の愛好者です。
 御HPの「現在の神道界を問う」の中の下記の箇所がちょっと気になりましたので、メール差し上げました。
********************************
 仏教を「大乗・小乗」に分けるとき「苦行の道=菩薩道」を行ずることを小乗と言い、ただ仏を信ずることだけで「安心立命」を与えることを大乗というとしたら、仏教ほど「安易な道=宗教」はないことになる。その中でも「浄土教」は大乗の最たるものとなるのである。
********************************
 日本語の「ホトケ」には死骸も含まれる。死骸は次第に腐敗して解体する。その姿「ほどける」と解釈していた古代日本人は「ブッダ=覚者」は人生の迷=悩みを「ほどいた人」と理解した。そこに仏陀=仏菩薩も死骸も同じだと理解した。
 仏教でいう「ホトケ」が、祖先霊のことを指すとしたら、それは「神道が説く祖先霊」とは全く異なる者になってくる。
 先ず祖先霊は「罪悪深重の凡夫」であるから、地獄へ堕落して「苦吟の亡者」となる。少なくとも、仏教が庶民にまで浸透した鎌倉時代以前の祖霊は悉く「地獄の釜湯で」にあっていることにならないだろうか。
 だから「盂蘭盆会」が真剣に受け入れられて、真剣に盆供養を行うようになったのである。
 厳密に言へば「浄土教」が一般化するまでは、人間の殆どは「悟れない、救はれ難い存在であった」のだから、多くの亡霊は地獄に苦吟していることになる。はたしてそうか? これは「仏教の布教師が唱へる、一つのプロパガンダに過ぎない虚説であった。」とすれば、それを明解に論破できなかった室町〜江戸時代の神職の罪は、まさに地獄に堕ちるに値しよう。
********************************
以上の二ケ所にたいしてですが、
 まず、『仏教を「大乗・小乗」に分けるとき「苦行の道=菩薩道」を行ずることを小乗と言い、ただ仏を信ずることだけで「安心立命」を与えることを大乗というとしたら‥‥』という前提自体が、そうとう偏ったとらえかたではないでしょうか?そのようなとらえ方をなさる根拠をおしえていただけないでしょうか?

 また、『日本語の「ホトケ」には死骸も含まれる。死骸は次第に腐敗して解体する。その姿を「ほどける」と解釈していた古代日本人は「ブッダ=覚者」は人生の迷=悩みを「ほどいた人」と理解した。』という言語的な由来は知っておりますが、それが直ちに『そこに仏陀=仏菩薩も死骸も同じだと理解した。』と帰結するのも、私の知る限り、相当事実に反しておりますが、そのようなとらえ方をなさる根拠をおしえていただけないでしょうか?

 最後に『祖先霊は「罪悪深重の凡夫」であるから、地獄へ堕落して「苦吟の亡者」となる。』と『厳密に言へば「浄土教」が一般化するまでは、人間の殆どは「悟れない、救はれ難い存在であった」のだから、多くの亡霊は地獄に苦吟していることになる。』の根拠も教えていただけないでしょうか?

 言い争いをするつもりはまったくないのですが、個人的に仏教全般を修学してきた者としては、かなり奇異に写る内容です。

 どうも仏教全体からみたらかなり特殊な位置にある浄土教の教えを根拠に論を展開されていらっしゃる様ですが? いかがでしょうか?
 ご返答いただけたら幸いです。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

【 回 答 】

◎仏教の深層を民衆の眼でみると
 メール拝読、メールでは充分に答へられませんが「ホトケ」の日本語について、由来は不明のようです。
 先ず『広辞苑(岩波書店)』では、「仏像・釈迦牟尼仏・死者またはその霊」とある。『新明解古語辞典(三省堂刊)』には、「死者の霊・死んだ人」とある。『時代別国語大辞典・上代編(三省堂刊)』には「仏像・梵語のBuddha を漢訳して仏陀・浮図・浮屠と記し、国語で「ブツ・ホト」という形をとり「ホト=ケ」という形をとる。「ケ」については、迦耶・木の転。または家などというが不明とある。

 ホドク(解く)・ホドケル(解ける)の名詞形が「ホトケ」への転とみるのが私の思考である。

 一般民衆は寺院側の発言を理解して「ホトケ、ほっとけ。カミ、かまうな。」と。
 また民俗学的に、鍛冶屋が漂流死体を拾うと「ホトケ」の到来として大切にしたと。 古来、民衆は「死者をホトケ」と言ってきた。これは仏教僧や仏教学者の言葉ではなく民衆の言葉である。
 警察用語も「死体をホトケ」と呼ぶ。江戸時代の民衆用語も「死体をホトケさん」と呼んでいる。かくに「死骸をホトケ」と呼ぶ習慣は古いが、語源については不明であると国語辞典は述べる。

 ここで問題です。
 日本仏教には宗派があって「ホトケ(死体)」に対する理解が異なる。先ず「真言・天台などの密教系」では「色即是空・五蘊(色受想行識)皆空」という語を用い「肉体は空なるもの」であるとし、この中の「識」も空だというわけで、僧侶は「死後に遺るものは識だけ」だとし、識を霊魂のように扱ったようだが、識は「霊魂」ではないとする宗派もある。その「識」も消滅するもので「一切は空」とする。
 空海の「即身成仏」は、五蘊を超越して、真如が大日如来と一体(一如)になるという意味でしょうが、かなり無理がある。

 文化庁発行の『宗教時報(平成14年版)・論説編』に、国立民族博物館教授・立川武蔵氏の講演記録(平成13年12月3日)は、
「仏教には神は存在しない。般若心経の小本では、観自在菩薩が登場し、大本では仏世尊が瞑想に入っている。サンスクリット般若心経では、『五蘊は自性を欠く、空である』と述べ、玄奘三蔵の漢訳に『自性』の語が抜けている。五蘊とは我々の身体のことです」とある。また、「マックスウェーバーは『インド的な生き方は、神の器となる。キリスト教は神の道具となる』です」とある。

 明日香・奈良・平安時代の仏典は全て「漢訳」である。仏典には色々な「和訳」があり、それが民衆に伝へられる。そうした中で、藤原氏という宮廷貴族が「浄土教」に帰依して宇治平等院を造る。
 当時でも諸説があったが、そうした中で「最澄・空海」の渡唐。そして「密教」を持ち帰り「個人の安心立命」から「国家鎮護の仏教」へと変ずるわけで、その流れは「東大寺の大仏建立」の当時からあったが、空海らの主張により国家鎮護の仏法は確立していった。

 あなたは「浄土教」は特殊なものとされていますが、当時の貴族が受け入れた。たとえそれが個人の信仰であっても、これは大きな影響を与えた。
 親鸞は日野大納言家の子であり、彼は「出家」から「還俗」して「在家教団」を形成したが、浄土信仰には、当時の僧侶の讒に遭い「配流の身」となる。それが結果して「北陸三県の念仏信徒」を作り、教団王国を造ろうとする大勢力となり、信長・秀吉らの武士団は、これを「一向一揆」としてとらえて討滅したが、はたして正しかったかという問いは遺る。

 ちなみに、現代における浄土真宗系信徒の総数は約1500万人と報告、真言宗系は約950万人と報告されている[文化庁刊・宗教年鑑(平成13年版)参照〕。
 此の巨大な「浄土系の信者」たちに対して、近頃の浄土真宗系僧侶は「死んだ者は、これでおしまい。生きている人の悟りと信仰が大事だ」と説く。
 まさに「ホトケ(死人)はほっとけ。カミ、かまうな」である。
 
 そこで「戒名」の意味は? と問うと、「生きている人の名誉と自覚のためにある」と。
 浄土真宗系は、古くは「釈○○信士(信女)」であったが、戦前から「院号」を付けるようになったとし、
 他宗派では「十三文字・十一字・九字・七字」などの戒名があり、江戸時代では「身分階級」の証明となっていた。かの「院殿大居士」は、公家や大名の専用戒名であったのが、今は「カネ(布施)次第」で院殿大居士が贈られる。

 元来、戒名は生前に受けるもので、「死後の贈与は意味が無い」のである。昔の僧侶は「死後の人格(霊魂)がある」としていたが、大正以後、仏教学が純化するに従って、死後の人格(霊魂)は無いとなった。だから「追善供養(年忌法要)は、遺族の仏心喚起のため」に行うものとなった。

 かくて明治以後は、江戸時代の民衆が認識していた「ホトケは死骸(死体)である」という認識は改められた。しかし、仏教は益々わからぬものになってきた。

 もし仏教が「煩悩解除の教訓」であるとしたら、一休禅師の「正月は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり、めでたくもなし」の詠歌も、当時はそれでよかったが、現代仏教からは無意味である。なんとなれば「冥土なる世界(極楽浄土を含み)は架空の方便」であるからだ。このことは「観無量寿経」でも明らかである。

 ある意味で「真の仏教」は、民衆には理解されていない。敢えて言えば、昔の仏教僧侶たちは「宗派教学・祖師の教訓(哲理)」に縛られていたから「シャカの真意」から遠い解釈となっていた。だから、「民衆のホトケ観」も民衆の直感的な理解が多い。
 私の「ホトケ観」も、民衆の代弁となっている。 

 神仏習合の問題も、平安時代初期にはじまり、次第に「仏主神従」の形になり、室町時代に入り、仏教勢力の衰退を期に、吉田兼倶の「神本仏従」の説が罷り通り、江戸時代の「古道(国学)の勃興」により、明治維新における「廃仏毀釈」で、神仏ともに純化をみたが、その結果、双方ともに混迷の度を深めた。

 今、仏教は「顕教・密教」に分けているが、はたしてそういう分け方が正しいのか? 密教はインドヨガの変形ではないのか? という議論もあり、顕教を称する宗派でも「諸仏を本尊」とし、各種の呪術があった。勿論、そうした信仰と帰依を求めることは邪道である。江戸時代にはそうした習慣があったという説もあるぐらいであるかくに顕・密の分離も怪しいのである。

 南方の小乗仏教(上座部)の例をとるなら、ビルマ(ミャンマー)では黄金色の「パコダ」が約2千基あり、釈迦の尊像が3体、礼拝対象に祀ってあるが、民衆は尊前で「祈願・祈祷」はしない。全て「感謝するだけ」である。僧侶も「仏道を修身の糧」として瞑想だけしている。これからみると「中国や日本の仏教は邪道」に見えてくる。

 世界宗教者平和会議でも、日本の尼僧が「血のしたたるような牛肉をナイフで切って食べている。そのそばには小乗仏教の尼僧が見ている」という光景に遭遇し、その恥ずかしかったこと。これが日本の大乗仏教であるとするなら、もはや「仏教」ではなく只の邪教であると見るか、「日本教」であると言うべきか? 近年、精致な仏教語辞典が編纂され、多種多様の「和訳」が出版されたが、其れで「仏教」が明解になったとは思われない。門外漢の私説をお許し下さい。(以 上)