「黎明の風」敬称略
戦後、終戦連絡事務局の局長として
日本のために尽力したという白洲次郎。
けれど、私にとってはこの作品で初めて耳にする名前。
戦争を経験した両親さえ、その名を知らないという。
念のため断わっておくが、私たち家族は
決して日本の歴史に無関心なわけではない。
父は赤紙一枚で戦場へ行かされ、
母の兄も二十代の若さでレイテ島で戦死し、
遺骨も遺品もなく・・・
ただ、一枚の賞状と勲章が残っているだけだ。
だからこそ、戦争に関しても出来うる限り、
後世にその悲惨さを伝えたいと思っているし、
家族でよく話し合う。
しかし、そういった話の中に
吉田茂、ダグラス・マッカーサー、
そして、東条英機の名が出てくる事はあっても
白洲次郎という人の名は出てきたことはなかった。
そう・・・申し訳ないことに白洲次郎という名は、
私の家族の中では、まったく無名の人物だったのである。
「天皇陛下の御(おん)ために」と言って、
日本国民を戦場へ送り出し、多くの尊い命を
犠牲にした、あの忌まわしい過去。
その悲惨な時代を、なぜ今、宝塚の舞台で上演するのだろう。
日本人がいちばん触れたくない部分、思い出したくない過去。
舞台化するのには、誰もが二の足を踏み、躊躇せざるを得ない、
そんな難しい題材ではないのか・・と。
そこへ敢えて飛び込んだ歌劇団。
だが「黎明の風」は見事に観客の共感を得た。
辛い過去を振り返ることは苦しいが
歴史は伝えていかねばならないのだと教えてくれた。
あれから六十数年・・・
あの戦争を経験した方々も少なくなり、
正に、戦争を知らない子供たちばかりの時代になった。
だからこそ、今この作品が必要だった。
上演する価値があった。
正直言って、今回の作品では白洲次郎の働きが
全て描かれていたとは思っていない。
もちろん、彼の豪快な人間性、GHQに対して臆することなく
意見を言った度胸など、十分に伝わってきたが、
日本の復興、独立にあたって、
どういった苦労があったのかなど、よく分からないままだった。
これは単に私の理解力不足なのかもしれないが・・・
だが!
私はそれで良いと思っている。
あの、芝居での白洲次郎の登場場面のシルエット前に
浮かび上がった、
遺言書
葬式無用
戒名不用
の文字が、正に全てを物語っていたからだ。
どれほどの働きをしても、陰の存在でありたい。
そう思っていたであろう白洲次郎という偉大な人物。
そうとなれば、私たち家族が彼の名を知らなかった事は
むしろ白洲次郎という人の意に副ったものなのかもしれない。
妙な所で納得したが、やはり今回のこの作品で
白洲次郎という人物を広く世間に知らしめた事は
評価に値する貴重な舞台であったと思っている。
私たちは、世界の平和のために、
そして、より良い日本のために、
政治をしっかりと見極めていかなければならないと
この作品は教えてくれている。
そのメッセージを永遠に大切にしたい。
世界でただ一つの被爆国である、日本国民のひとりとして。