敬称略
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ファントム


以前私は、「ノバ・ボサ・ノバ」のチラシを見た瞬間に、即、大劇場行きを
決意したと書いたことがある。

実は、今回の「ファントム」でも、あの時と全く同じ感覚を体験したということ
をぜひ書き留めておきたい。

そう、「ファントム」のポスターとCSの製作発表を見ていなければ、私は大劇場
へは行っていなかっただろう。

幻想的なポスターは当然ながら、それ以上に私を惹きつけたのは、製作発表の場
に登場した和央ようか、花總まりの存在感だった。

華やかな中にも上品さを漂わせる二人の姿は、まさに宝塚を象徴するに相応しく
美しいものであり、私の目を一瞬にしてくぎづけにしたのだ。

更に驚いたのは、その歌声である。
製作発表の場であるにもかかわらず、すでに二人はこの作品の主題というものを
キッチリと把握しているようで(これは当たり前と言えば当たり前なのだろうが)
その場を見事に「ファントム」の世界に変えていた。

私はあの映像を見た時、言葉では言い表すことの出来ない何かを感じた。

それは、(またひとつ宝塚に新たな歴史が加わる・・)というようなワクワク
する予感であり、「エリザベート」初演以来、久しぶりに受ける衝撃と期待感
だった。

また、この二人を支える共演者の顔ぶれがすごい。
専科から樹里咲穂と星組から安蘭けいが出演し、ベテランの鈴鹿照が加わる。
しかも、宙組組長は歌に定評のある出雲綾だ。

この作品にこの出演者。
良い舞台になることは容易に想像がついたのは私だけではないだろう。

今回宝塚で上演される「ファントム」はガストン・ルルーの「オペラ座の怪人」
がベースとなっている。

この作品は様々な演出によって、あらゆる場所あらゆる設定で舞台化映画化され
ていて、この「ファントム」も、全米各地で上演されたミュージカルを宝塚版と
してアレンジしたものだ。

あまりにも有名な作品のため、こういったものを上演する場合、かなりの冒険が
伴うような気もしたが、むしろ宝塚の場合には、そういったプレッシャーよりも、
90年という歴史に培われた自信がこの作品を選ばせたのかもしれない。

実際その舞台は、海外ミュージカルを基盤としていながら、見事なまでに宝塚を
主張し表現していた。

私がいちばん感動したのはこの点である。

なぜなら外部の舞台と同様になってしまってはここで上演する意味がないからだ。
同じ作品でも、外部で上演した場合、往々にしてドロドロとした生臭いものが
強調され、途端に現実味を帯びたものになる。

人により受け取り方は様々であると思うが、私自身はその生々しさやドロドロと
したものを、わざわざ劇場まで足を運び、料金を払ってまで見せられるのは、
かなり辛いと言わざるを得ない。
(現実を直視するのはニュースやドキュメンタリーだけで十分だ。)

だが、これがひとたび宝塚の板にのると、見事に美しい幻想へと
変身するのである。

ものごとを斜に受け止める風潮が社会に万延してきた中で、宝塚にだけは
純然たる「愛」と「心」が、堂々と表現されている。(と思う)

あの大階段と共に、この「偉大なる(尊敬すべき)マンネリ」は、永遠に続いて
ほしいものだと願うばかりだ。


さて、孤独感が溢れるファントムを演じた宙組トップスターの和央ようか。
私が初めてこの人を見たのは、雪組での「華麗なるギャッビー」である。
その時の印象は、
「母性本能を感じさせる、あどけない少年・・・」のイメージであった。

多くの月日を経て和央ようかは既にトップの貫禄十分だが、ギャツビーの中で
私が感じたイメージを、良い意味で現在もなお保っている貴重な存在となった。
それが今回の宝塚版のファントムに非常に生かされていたように思う。

母親だけにしか愛されなかった孤独と、クリスティーヌへのひたむきな愛、
父親キャリエールへの思慕。
和央ようかが演じたエリック(ファントム)は、複雑な過程を経て成長した男の
神秘的でありながらも時折見せる残酷な横顔が魅惑的だ。
だが一方で、どこか幼い頃のエリックをも彷彿とさせる瞬間があるのが愛しく
感じられる。

この、「男」と「少年」を微妙に垣間見せる心の動きと演技力は
実に素晴らしい。

銀橋でのクリスティーヌとの歌がまた格別だ。
ここでの和央の曲は特に難しそうに思えたが、琴線に触れる歌声で、花總の
歌声と共に、私は存分に二人の愛の歌を堪能した。
エリックの孤独がストレートに客席に伝わってくるその歌唱力は、聞くものに
強い感動を与えてくれる。
(エリックの孤独を思って胸が苦しくなったんです・・・ほんとうに・・・・)

エリックはラスト近く、父親の手によって命を落とすが、これは単なる悲劇では
ない。

エリックは身の保全の為とはいえ人の命を奪うという重い罪を犯している。
その過去の罪を、彼はあの瞬間に償っているような気もする・・・・

そのファントムに愛される、心優しく美しいクリスティーヌに花總まり。
オペラ座で働くことが出来る喜びを素直に歌う彼女の表情は、純真そのものだ。
その純真さがあるからこそファントムの魂までをも動かしたのだろう。

圧巻は第5場ABのクリスティーヌの寝室〜森の場面だ。

「あなたのお母様は、あなたを見て微笑んだ・・・愛がそうさせたというのなら
私にもその力があるはず・・・」というような科白の後に心を込めてエリックに
歌いかけるあのシーンである。

花總の歌声はエリックに訴えかけるのみならず、聴いている私自身の心までも
温かく優しい気持ちにさせてくれた。

エリックならずとも、心の仮面を外そうと思わせてくれるほどの澄んだ声だ。

花總はこれまで、何人かのトップスターの相手役を務めているが、常に娘役と
しての新鮮さを失うことなく今日まで舞台に立ち続けていることに、私は大きな
拍手を贈りたい。

私が初めて花總を観た、あの「ブルボンの封印」と「コートダジュール」から
全く変わることのない可憐さと、常に最高水準の実力を出しながらも宝塚の
娘役として控え目に責任を全うする姿勢は、これから宝塚を目指そうとしている
タカラジェンヌ予備軍(?)にとっても、また歌劇団自体にとっても貴重な存在では
ないだろうか。


ファントムの父親キャリエールには、専科の樹里咲穂。
エリック(ファントム)を、その広い懐に包み込む雄大な演技は、女性が演じて
いることを一瞬忘れさせるほどの実力だ。

帝劇の「SHOCK」で、主役の姉を演じたことのある彼女を知っている私としては、
今回のこの父親役の変身振りには言葉もない。

ラスト近く、エリックに銃口を向け息子の命を絶えさせるが、自身の手を血で
染めることで、息子に何も出来なかった罪を背負おうとするかのようで苦しく
なる。

クリスティーヌの才能に惹かれ彼女をオペラ座に導くシャンドン伯爵に星組から
特出の安蘭けい。
プレイボーイ風の役柄ながら、クリスティーヌに出会ったことで、
真の愛を見出せたらしく、その切ない表情がいい。

シャンドン伯爵の歌う曲は、他とは曲の雰囲気が少し違っているようなものも
あり、後々までメロディーが心地よく耳に残る。
クリスティーヌを探す場面でも悲しいというより明るい感じの歌で、なんとなく
希望を感じさせて救いがある。
またヨーロッパ調の舞台にアメリカの香りを漂わせて非常に印象的だ。

そして出雲綾のカルロッタ。
星組の頃から歌心のある役者だなぁと思っていたが、期待通りというか
この人ならこれくらいは当然だろうという舞台でたいへん感動した。
オペラ座でのプリマの位置を独り占めしようと、クリスティーヌをはじめ
団員をいびる役どころで、ひとつ間違えば下品になりかねない。

だがさすがに宝塚の娘役。
歌の実力はそのままに、ほどよくコミカルな雰囲気も入れつつカルロッタの
野望を表現していた。

特筆したいのは美郷真也の楽屋番。
限られた出番と科白にもかかわらず温かい存在感がある。
この人のジャン・クロードを見ていると、楽屋番として数々の人間模様を見て
きた様子までが伺われるようだ。

ひょっとすると彼は、誰も知らないオペラ座の秘密をたくさん抱えているの
かもしれない・・・・・・・(少なくとも私にはそう思える)

しかし、その秘密を自分の胸の内におさめ、黙して語らずといった風情がまた
好感が持てる。

ファントムを常に見守るように従者が登場するが、彼らはファントムの孤独が
作り出した幻想なのだろうか・・・それとも・・・・

まぁ野暮な詮索はしないでおこう。
私は彼らのことをかなり気に入っているのだから。

忘れてならないのがエリックの母親という難しい役柄を演じた音乃いづみ。
轟悠コンサートでもその美しい声に深く感動したが、今回のこのベラドーヴァ役
では、その表現力にも驚いた。
キャリエールがファントムの過去を語る場面で、赤ん坊を見つめて微笑む音乃の
姿は、ファントムの生い立ちを聞いているクリスティーヌの心に大きな影響を
与える重要な部分だと思う。
それだけに彼女の学年で、この役を、あそこまでこなしている事に
私は深い感銘を覚えた。
将来が楽しみな生徒のひとりであろう。

人材豊富な宙組らしく全編を通して群舞や大合唱にも迫力があり、見ごたえ
聴きごたえのあるすばらしい作品だった。

「ファントム」の舞台は、まさに宝塚の揺ぎ無い根底を私たち宝塚ファンに
温かく、そして強く伝えてくれた。

最後に。

劇場を後にする時に私の口から出た言葉を記して、この感想を終えよう。

「宝塚はこうでなくちゃ!!!」