花供養 敬称略
身を引く事を決意し、ひっそりと近衛家に姿を隠したお与津御寮人であったが、
駆けつけた後水尾天皇の取り乱した気配に、こらえきれず天皇の目前に飛び出す。
一幕でも特に印象的なこの場面は、いまだ仏門の道を知らない二人が、感情を
そのままぶつけ合おうとする切ない名シーンでもある。
この悲しくも美しい場面は、これまでの二人の愛情が如何に強いものであったかを
観客に強く訴えかける。
直前に白川女のおよしが登場し、この芝居中、唯一下々の暮らしを思わせる科白を
話すが、いかにも高見の見物(?)といった風情で、カラッとしているのがいい。
逃れられない定めに苦悩する天皇家の人々と、天皇家の事情など知りえもしない
およしとの対比が鮮やかだ。
このおよしを演じた未来優希は、出演者中、ただ一人周囲とは違う役柄ながら
登場に全く違和感がなく、難しい導入部を堂々と、しかし飄々とも言えるような
演技で観客を自然に芝居に引き込んだ。
芝居の第一声というものが、どれほど大切であり、また難しいものであるかを
今回この場面で改めて感じた。
近衛家の女房、冴月を演じた城火呂絵と侍女を演じた灯奈美、愛耀子。
この三人は黙っていても絵になるほどの存在感。
天皇家の人々が葛藤し嘆いている場面でも、感情を押し殺してジッとその場に
座しているのだが、この三人の立場からして、天皇家の身を案じながらも、
その内々の話に聞き耳を立てる訳にはいかないであろう。
そういった意味でも、この三人の静かに控えている姿には、近衛家に仕える身と
しての品を感じさせる素晴らしい演技力であったと思う。
お与津付きの女房、水無瀬を演じたのは邦なつき。
我が事のように心から御寮人を思うその熱い感情には涙が出た。
お与津御寮人の行く手には、常にこの人の明かりが、
控えめに優しく揺れていたことがよくわかる。
出家を決意したお与津御寮人が、後を全て任せるほど全幅の信頼を置いていたのも
十分納得できる温かい人間像で感動させられた。
お与津御寮人から出家をしたい旨の手紙を受け取る宝鏡寺門跡公覚尼には
磯野千尋。
実は私は以前花組の芝居やショーでこの人を観たことがあり、その時は
かなり気障に男役を演じていた印象があるので、いったいこの役をどの
ように演じるのかと興味津々であった。
登場するのが三幕「冬の章」からと芝居も半ばということで難しいのではと
思ったが、スッとした柔らかな物腰が美しく、公覚尼の穏やかさが、
そこはかとなく漂ってきた。
次は汝鳥伶。
「野風の笛」で徳川家康を演じたのも記憶に新しいというのに、
なんと今回は春日局役である。
家康では力強く大きな目が印象的だったが、今回は女役ということで
目元も涼やか。
近衛家に庭先から訪ねてきたその姿は、背後に江戸城を彷彿とさせるほどの
貫禄がある。
当時、春日局の地位はかなりのものであったと語り伝えられているだけに、
近衛家の冴月と向き合う場面でも、その誇りに満ちた立ち姿には惚れ惚れと
させられた。
帰り際、「供の者も外に控えております」といったような科白を言うが、
この時私の心には、門の外でジッと春日局を待つ籠と家来、そして腰元の姿が、
観劇の度に思い浮かんだものである。
それほどに汝鳥伶の存在感は素晴らしいものであったと思う。
将軍秀忠の娘和子(まさこ)を演じたのは山科愛。
登場は四幕のみとわずかだが、その愛らしい姿には心奪われた。
プログラムによれば、幕府は和子を中宮として入内させ、お付の武士をおいて
朝廷の動静に目を光らせていた・・・とある。
将軍の娘といえども、和子もまた、悲しい歴史の中の犠牲者ともいえるだろう。
自身の知らぬ所で何が起きたかも分からず、純真なままに、お与津に言葉を
かける姿が、どことなく哀れにも思える。
お与津御寮人を演じたのは白羽ゆり。
周囲の人々から愛され労わりの心に包まれていながらも、
決して自分自身を甘やかす事がなく痛々しいほどだ。
後水尾天皇からの愛を受け、おっとりとした優しい風情を醸し出す一方、
仏門の道を見出してからは凛とした厳しさをも見せる。
苦悩する後水尾天皇を深く気遣いながらも、
さり気なく悟りの境地を知らしめる場面はすがすがしいほどだ。
特に、出家を決意し近衛家を後にする瞬間の後姿は涙を誘う。
あの後姿には、
(私は運命を静かに受け入れるだけであり、決して何かに負けたわけでも、
諦めたわけでもないのだ。)といったような、お与津御寮人の強さが出ており、
私の好きな場面でもある。
また御寮人の「はい」という科白が何回か出てくるが、
これがとても素直で温かく、
公演が終った今も、非常に強く心に残っている。
近衛家の養子で、後水尾天皇の弟でもある信尋役には音月桂。
密かにお与津御寮人に惹かれている役柄で、後半、政仁(後水尾天皇)から
「なぜ、お与津の出家を止めなかったのか」と詰め寄られ、
たまらず胸のうちをさらす。
静かな「花供養」の芝居の中で唯一感情を激しくぶつけ合う名場面であり、
観客も固唾を呑んで見守っていたように思う。
それにしても、御寮人への苦しい思いを
音月が見事なまでの表現力で客席に伝えたのには驚いた。
上級生の中に入っての今回の活躍には、ただただ目をみはるばかりで
これからの活躍が益々楽しみな生徒の一人となったのは間違いない。
しかしこの場面、御寮人への愛を吐露する信尋の科白に、
仏間からの読経が被り、
なかなか意味深な場面に思えたのは私だけであろうか・・・・
さて、後水尾天皇を演じた轟悠。
轟は以前から豪快で色の濃い役が多く、私自身も一ファンとして、
そういった轟悠の芝居やショーが好きであった。
それだけに今回のような、内で耐えて苦しむ役柄、
しかも天皇という人物を轟が演じる事には、
期待と共に多少の不安をも持っていた。
フワッとした弱々しい役は合わないような気がしていたし、
内で苦しむような役柄では、
観劇後に消化不良の感が残るのではないかとさえ思っていたのだ。
だが、どうだろう。
「花供養」の幕が開いた瞬間、そこにいたのは
確かに苦悩する後水尾天皇その人であった。
何も出来ぬと悩んだ末に、お与津御寮人の訴えかけに耳を傾け、
やがて自分自身も仏の道に心を開く。
揺れ動く天皇の心は、季節の移り変わりと共に穏やかになり、
より一層、人間としての存在感に満ち溢れてくる。
芝居の最後、舞う花びらに優しい微笑みを向けるその姿は
またひとつ新しい轟悠が誕生したことを語っているようでも
あった。
誰をも恨まず、憎むこともせず・・・
ただ・・この世の一切は空であり、その空を受け入れ、
どのように生きるのか・・・を思う。
これは決して天皇の道だけに言えることではないだろう。
人の心が全て、この「花供養」のような境地に辿りつけるとしたら、
そこにこそ、真の平和があるのかもしれない。
