<教会報「翼」2022年 2月号 巻頭言>

 

『十戒 〜第二戒 B〜』  金耀翰 牧師

あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地に あり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならな い。
            出エジプト記第20章4-5節

  十戒の第二の戒め、「あなたはいかなる像も造ってはならない」についてのお話しを続けています。この戒めの言葉は、実は、かなり長い文章になってお り、その後半には、「わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、わたしを愛 し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える」〔新共同訳〕と記されています。神さまは「熱情の神」です。口語訳聖書では、「妬む 神」となっており、「熱情の」とは「妬む」という意味でもあることが分かります。
  妬みは、私たち人間が抱くいろいろな感情の中で、最も醜い、またそこかさまざまな問題や罪が起ってくるものだと言えるでしょう。自分の中にある妬みの 思いに気づいて、自分が嫌になることがよくあります。ですから、神さまが「妬む神」であるなど、神さまに相応しくないことだと思うのです。けれども、 神さまご自身がそう言っておられるのです。新約聖書にも、次のようなみ言葉があります。
「神 はわたしたちの内に住まわせた霊を、ねたむほどに深く愛しておられる」
   ヤコブの手紙第4章5節
  この言葉に示されているように、「妬む」とは、それほどに深く相手を愛するということです。私たちの抱く妬みもそうでしょう。相手のことを真剣に愛し ているから、その相手が他の人と親密になると、その人のことを妬ましく思うのです。神さまが妬む神であるのも、これと同じです。神さまは、私たち一人 一人のことを、本当に真剣に愛しておられます。私たちと、おざなりでない、深い交わりを持ちたいと望んでおられるのです。ですから、私たちが、他の 神々を拝んだり、人間が手で造った偶像を神としたりすることに対して、お怒りになるのです。つまり、「いかなる像も造ってはならない」という戒めは、 神さまの、私たちへの真剣な愛の表明なのです。人間が造った偶像の神は、愛する相手ではなく、利用するだけのものです。そういう関係ではなくて、私た ちを真剣に愛してくださるお方を、私たちも真剣に愛して生きることを聖書は教えているのです。