<教会報「翼」2021年 10月号 巻頭言>

 

『十戒 〜第一戒 A〜』  金耀翰 牧師

 「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」
            出エジプト記第20章3節

  「十戒」の第一の戒め、についてのお話しをしています。主なる神さま以外の神を拝んだり、敬ったり、依り頼んではならないというこの戒めは、沢山の 神々の存在に慣れ親しんでいる文化にあっては、何か了見の狭い、偏狭な教えのように感じられるかもしれません。もっとおおらかに、いろいろな神々を拝 んだってよいではないか、そういう教えの方が、人々の感性には合うのかもしれません。
 けれども、このことは、神さまをどのような方として意識しているか、ということと関わる問題です。神さまを、私たち人間を見守っており、私たちが 願った時にある助けを与えてくれるだけの存在として意識しているのならば、そのような神さまが何人かいても不思議ではない、ということになるでしょ う。むしろそういう神さまは多ければ多いほどよい、ということにもなるのです。しかし、聖書が指し示す神さまは、そのようなお方ではありません。聖書 における、神さまと人間の関係を最もよく示している言葉は、「契約」です。「十戒」も、シナイ山における神さまとイスラエルの民の契約に基づいて与え られたものでした。「契約」とは、それを結ぶ両者が特別の関係に入るということです。そしてお互いがお互いに対して、ある義務や責任を負う者となるこ とを意味します。神さまと人間との間に、このような関係が結ばれるのであれば、その契約の相手は何人もいていい、というものではありません。人間どう しの関係になぞらえるならば、これは結婚と同じです。結婚も、特別の関係に入り、お互いに義務と責任を負うという契約です。そういう契約を、あの人と もこの人とも結ぶことはできません。結婚の契約に忠実であるためには、その人のみに集中し、他の人には目を向けないということが必要なのです。聖書が 教えている信仰もそれと同じです。
 信仰とは、一人の神さまと契約を結び、特別の関係に入ることです。その契約に忠実に、その神さまとの関係を大切にして生きるのです。ですから、「あ なたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」という第一の戒めは、了見が狭いのではなくて、私たちが、神さまとの関係を本当に大切にし、責 任を持って生きることを教えているのです。神さまもまた、この契約によって、責任をもって私たちと関わってくださいます。聖書が教える神さまと人間の 関係は、このような、深い人格的なものなのです。