<教会報「翼」2020年 10月号 巻頭言>

 

人 間を救うもの』 金耀翰 牧師

 十月に入りました。今月は特にプロテスタント教会に属する者たちにとって、記念すべき時です。今から約五百年前の一五一七年十月三一日、ドイツの修道士 であり、大学教授であったマルティン・ルターは、ヴィッテンベルクの城教会に、『贖宥の効力をめぐる討論』と題された『九五箇条の提題』を掲示しました。 当時の教会は、贖宥状の販売を行っていました。贖宥状とは一種の「お札」で、それを買った人は現世の罪が許され、天国に行くことができる、また死んだ人の ために買えば、既に亡くなっている当人も救われるというものでした。教会は贖宥状説教師を派遣して、町や村の広場で十字架と教皇旗を掲げて、その功徳を説 きつつ、贖宥状を売り歩いたのです。表向きは、免罪の効力があるとされていた贖宥状ですが、その実は、教会が資金を得ることを目的として行っていた、とい うことができます。特にルターの時代は、ローマのサン=ピエトロ大聖堂の大改修が進められており、その費用を得るためにローマ教会は多額の費用を必要とし たのです。
 ルターが提 示した提題は、この贖宥状の販売を批判するものであり、 教会が説いていた贖宥状の効力について疑問を呈するものでありました。ルターは、人間が作った贖宥状に魂の救済を得られるという根拠は全くないと訴え、 人間の魂を救うことができるのは、ただ恵みの神のみであって、救いは、神の独り子である主イエス・キリストを信じることにおいて与えられるものだ、と説い たのです。 このルターの主張に、贖宥状の購入を迫られ、苦しんでいた多くの民衆は賛同し、神学的に考えを共にする者たちも加わって、宗教改革の波は大きなうねりとなっていったので す。 宗教改革は、単に教会の組織改革であったと思われがちですが、その根本的な意図は信仰の改革、すなわち、聖書のみ言葉に立ち返る運動であったのです。
 当時の絶対 的な権力であったローマ教会を批判したのですから、ルターの立ち位置は苦しくなります。彼は度重なる審問の後、ついに破門の通告を受けることになります。 身の危険を感じルターは逃亡を余儀なくされますが、ザクセン選帝侯フリードリヒ三世によってヴァルトブルク城に匿われることになります。そこでの生活は、 精神的な試練を伴うものでありましたが、しかし、その試練の中で、思索と著述に専念する時が与えられ、彼は有名な新約聖書のドイツ語訳を成し遂げるので す。
 ルターの生 涯は過酷なものでありましたが、彼には揺るがない信念がありました。彼は語っています、「私は聖書の中にただ、十字架に付けられたキリストのみを理解す る」。聖書は記します、
「私はとこしえの愛をもってあなたを愛し慈しみを注いだ」エレミヤ31:3
「私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対する愛を示されました」ローマ5:8
十字架に付けられたキリスト は、神さまが私たちに与えてくださる変わることのない、「永遠の愛」そのものです。主イエス・キリストによって示された神の愛が、ルターを捉え、励まし、 その歩みを支えたのです。主イエス・キリストの十字架によって示された愛を受け取ること、これがキリスト者とされるということであり、大きな恵みなので す。