<教会報「翼」20201月号 巻頭言>

「絶 やすのでなく」    金 耀翰 牧師

出エジプト記第9章〜第10章

「今度こそ、わたしはあなた自身 とあなたの家臣とあなたの民に、あらゆる災害をくだす。わたしのような神は、地上のどこにもいないことを、あなたに分からせるためである。」(新共同訳)

出 エジプト記 第9章14節

モーセとアロンの重なる 要求にもかかわらず、エジプト王ファラオは主なる神さまに聞き従うことを拒み続けました。その結果、エジプト全土に十の災いがくだされます。今回のテ キストである出エジプト記第9章と第10章は、その中の五から九番目の災いの出来事を記します。

神さまがくだされる災いは、「エ ジプト全土」また「エジプト人すべて」に及ぶものでしたが、次第に「あなた自身とあなたの家臣」(:14)、つまり、ファラオ自身とその家臣たち に直接及んでいく災いへと性質を変えていきます。更に、これらの災いが進行していく中で見えてくるものがあります。それは、イスラエル(神 の民)とエジプトとがはっきりと区別されているということです。エジプトの民は災いによって苦 しみますが、同じエジプトにいながら、イスラエルの民にその災いは及ばないのです。これらのことは、私共に何を語っているのでしょうか。もしも私共 が、キリスト教の神は自分の民以外は徹底的に苦しめ、滅ぼす恐ろしい神だ、と感じるのであれば、それは、聖書を正しい位置から捉えていないことになり ます。

七番目の災い(雹 の災い)を前に、主なる神さまは言われました、「今度こそ、わたしはあなた自身とあなたの家臣 とあなたの民に、あらゆる災害をくだす。わたしのような神は、地上のどこにもいないことを、あなたに分からせるためである」。ファラオは自分こそがエ ジプトの王であり、エジプトを支配していると思っています。ですから、自分の支配下にあるイスラエルの民を解放しようとはしないのです。しかし、エジ プトを含めて、この世界を本当に支配している方がおられます。人間がまことにひれ伏し、従うべき方がおられるのです。そのことを知ろうとせず、認めよ うとせず、自分が王、主人であろうとしていることが人間の罪です。主なる神さまは、これらの災いによって人間の罪を打ち砕き、「わたしのような神は、 地上のどこにもいない」、つまり、わたしこそが唯一のまことの神である、ことを分からせようとしておられるのです。

ファラオの頑なさ故にエジプトに くだされた災いは、神さまに従わない者をすべて滅ぼすことを目的としたものではありません。もしもそのことが目的であるのなら、とっくに「あなたとあ なたの民を地上から絶やすことができた」(:15)、のです。しかし、主なる神はファラオとエジプトを滅ぼすことはなさいませんでした。主はいわれま す、「しかしわたしは、あなたにわたしの力を示してわたしの名を全地に語り告げさせるため、あなたを生かしておいた」。主なる神さまは、心を頑なにし てみ言葉に逆らう者をも生かしておられます。それは、逆らう者に、まことの神としての力をお示しになり、彼が主の名を全地に語り告げるようになるため です。世界を支配しておられるまことの王は、すべの者をご自分の民とし、罪の結果としてくだされる、あらゆる災いから保護してくださるのです。