2015年5月教会報「翼」巻頭言
「聞かれない祈りとは!」
小 林 重 昭
「もしも、あなたがたが、人々のあやまちをゆるすならば、あなたがたの天の父も、あなたがたをゆるして下さるであろう。もし人をゆるさないならば、あなたがたの父も、あなたがたのあやまちをゆるして下さらないであろう」。
(マタイ六・一四、一五)
「もしわたしが心に不義をいだいていたならば、主はお聞きにならないであろう。しかし、まことの神はお聞きになり、わが祈りの声にみこころをとめられた。神はほむべきかな。神はわが祈りをしりぞけず、そのいつくしみをわたしから取り去られなかった」(詩篇六六・一八〜二0)。
新緑の五月を迎えました。皆さん、お変わり御座いませんか!
東日本大震災、福島原発事故で避難される皆さんが、一日も早く復興(収束)の望みに与れます様お祈りいたします。
一、聞かれない祈りの理由
(1)祈りを妨げる罪・不従順・誤った動機
@イザヤ五九章一‐二、詩篇六六篇一八節(不義・罪)
A箴言一章二四‐二八節(不従順)
Bヤコブ四章三節(誤った動機)
(2)神の御心を学ばせるため
パウロは、「肉体のトゲ(病)」を取って下さいと三度祈りました。しかし、祈りは答えられません。パウロはこのことを通して、神の御心を知ります。「ところが、主が言われた、『わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる』。…キリストの力がわたしに宿るように、…喜んで自分の弱さを誇ろう」(Uコリ一二・八-九)。
(3)期待していない祈り(マルコ一一:二三-二四)。主イエスは、祈りは期待して祈ることを教えます。「そこで、あなたがたに言うが、なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすればそのとおりになるであろう」。
二、聞かれない祈りを越える道
(1)赦しに生きる祈り(マタイ六:一四-一五、一八:二一-三五)
赦しに生きる祈り、それが、「聞かれない祈り」を乗り越える道です。主イエスは、一万タラント(三000億円)を赦された男が、友人の百デナリ(百万円)を赦さなかった譬えの結びで語ります。「あなたがためいめいも、もし心から兄弟をゆるさないならば、わたしの天の父もあなたがたに対して、そのようになさるであろう」マタイ一八:三五)。主イエス様は永遠の赦しを語り、文字通りそれを十字架に於いて実践されました。「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」(ルカ二三:二四)。
(2)恵みと愛の神を心に覚える祈り(詩篇
六六:一八-二〇)
「しかし、神様は身を乗り出すようにして、わたしの祈りを聞き届けて下さいました。祈りの声を無視せず、恵みと愛をふんだんに注いで下さった神様をほめたたえます」。詩篇の記者は、思い当たる不義がありました。しかし、全く赦されて、祈りの応答と確信を表明しています。